【705】 C12241の門鉄デフについて(補足)

先週までで熊本関連の記事は終わる予定でしたが、少し補足をしておきたいと思います。

先週、熊本機関区から届いた返信ハガキのことを書きましたが、結果として私はその年の春休みに高森線には行けませんでした。その後、2度目の高森線へ行けないままC12はDD16に置き替えられ、のちに貨物の取扱は廃止され、旅客営業だけが第三セクター南阿蘇鉄道に移管されました。

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画像はその前年1973年の夏休みに撮影した国鉄高森線のC12 241。立野駅で給水中。
先日【691】 鉄旅2000年9月 「高森~三角」で書いたことですが、高森で保存されていたC12 241に再会できたのは27年後の2000年でした。
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このときのC12 241は、小さく不似合いな切取式除煙板(門鉄デフ)を付けられていて、その記事の中で、私は、切取式除煙板(門鉄デフ)について、

「もともとC57 65に取り付けられていた切取式除煙板(門鉄デフ)を切り詰め、切り欠き加工した上で、C12 241の廃車後に取り付けられたものらしい」

と書きました。たまたまネット上でそういう記述を見つけただけのことでしたので確たる裏付けもありませんでしたから、それから図書館へ行ってあれこれ調べましたところ、
関 崇博著「門鉄デフ物語~切取式除煙板調査報告~」
に記載がありました。

門鉄デフ物語 切取式除煙板調査報告
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《2021年2月26日追記》
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この書の筆者は、C57 65の除煙板は小倉工場における先行試作の切取式除煙板の流用らしいことと、そうであるならば、ある意味、小倉工場で製作された切取式除煙板の第一号とも言えるという内容が語られ、
「筆者は“まず間違いなく”この先行試作の除煙板がC57 65に流用されたものと信じているのである」(「」内は著書本文をそのまま引用)
と結論づけておられ、続けて
「この除煙板はC57 65の廃車後に、熊本県高森町に静態保存されることとなったC12 241に、転落防止用ということで、寸法切り詰め、一部欠きとり改造のうえ流用装着されている」(「」内は著書本文をそのまま引用)
と結んでおられました。
この記述から、C12 241へ除煙板を転用されたことは確実らしく、その目的は、保存場所での「見学者の転落防止用」と解されます。

保存SLの多くは、転落防止と部品の盗難や破損防止のためにフェンスを機関車の周囲に張り巡らせて、敷地に立ち入りできないようにされています。一方でフェンスが敷地になく、地上から自由に機関車に触れられる状態になっているSLもあり、車体そのものによじ登れないようフェンスを車体に直接取り付けた例が、恵那市のC12 74に見られます。
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画像から察するに、転落防止というより、立入りを制限するためのフェンスとも思えます。かなり原型を崩す結果となっていますが、管理者側で責任回避するための苦肉の策なのでしょう。

もうひとつ保存蒸機の例として、島田市のD51 101を見たことがあります。こちらは、金属製ネットを除煙板直後からつながるランボードに固定し、翼のようにほぼ水平に張って、その端を上屋から吊り下げて固定しています。車両に乗ることを可能にしつつ、転落防止策を採ったものと思われます。
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高森駅前のC12 241は、このD51 101と同様に、見学者が車体に乗って、直接車体に触れることができることを前提として、廃車になった由緒あるC57 65の除煙板を加工して、安全策(柵)として転落防止用に「転用」したということだったのでしょうか。

下の画像は、志布志機関区で撮影した切取式除煙板(門鉄デフ)を装備したC11。
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C12より一回り大きいタンク機ですが、C12 241にC57 65の切取式除煙板を加工せずに展示されたならば、形態はちょっとちがうものの、除煙板はもっと前に突き出し、高さもより高くなって、このC11に近い雰囲気になったのでしょう。しかし「転落防止用」の目的であれば、無加工のままだと、ステップから登ろうとすると、除煙板の下端で頭を打ちつけそうで危険かなと思われます。また上端を切り欠き加工したことによって、見学時の手すりとしての機能を持たせたように思えます。
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現地には今、C12本体と除煙板についての説明看板はあるのでしょうか?
この著書のすべてに目を通したわけではありませんが、著者はかなり突っ込んだ取材をされていて、調査された内容は信ぴょう性が高いと私は感じました。内容が事実ならば、私のように除煙板自体の存在価値を知らずに「かっこ悪ぅ~」で終わってしまっては、C12も除煙板もかわいそうですので、説明看板は必須だと思いました。

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地震をきっかけに、いままで振り返ることもあまりなかった昔の旅を振り返り、鉄道郵便の時代があったことを,探し出したハガキの消印に感じ、不思議な除煙板を装備したC12 241の画像からも新しい発見をさせていただくことになりました。

熊本地震から3カ月過ぎましたが、現地ではまだ元の生活に戻れない方々が多いと思います。元気な熊本に戻れますよう、応援していこうではありませんか。
南阿蘇鉄道は熊本地震では甚大な被害を受け、復旧には30~50億円が必要とも言われています。政府が財政支援する方針という報道もされていました。どのような支援策となり、どのような形で復旧できるのか、それはわかりませんし、7月中の一部区間の復旧見込ということが以前報道されていましたが、この記事をアップした時点ではオフィシャルサイトからは何も伝えられていません。

《 2016.7.22追記 》
昨日7月21日付の南阿蘇鉄道オフィシャルサイト新着情報に、「被害が比較的軽度であった中松駅~高森駅間 (7.11㎞)で、7月31日から部分運転再開予定」と掲載されました!! 普通列車1往復とトロッコ列車3往復だそうです。
 

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《2021年2月26日追記》
C12 241は高森駅周辺の再整備に伴い撤去される可能性があったそうですが、2020年に福岡県直方市のNPO法人「汽車倶楽部」様に引き取られ、同市内で移転展示されるとのことです。デフについては不明です。

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これで熊本関連の記事は終了とさせていただきます。
地震直後から約1か月の間、ブログをお休みしましたので、これで、今年アップすべき本数の約半分が終わったことになります。年始の記事で、「この先しばらく、国鉄在職中のことを扱った記事はお休みします。雑談的な記事を挟みながら、シリーズ記事として昭和時代の鉄道模型のことや、私のコレクションである日本酒ラベルの話を1月中にスタートさせたいと思います。」としたとおり、今後は滞った鉄道模型の話の続きをアップしながら、連載中の日本酒ラベルの話を、このまま継続します。そのほかに、中断している北恵那鉄道の記事のほか、アップすることをお約束したまま、そのまま放置している記事をアップする予定です。そうすると今年中に国鉄在職中のことを扱った記事まで手が回りそうもありません。国鉄関係の記事をお待ちの方には申し訳ございませんが、来年は残した部分の再開ができればと思っていますので、半年くらいしたら覗いてみてください。
新規記事更新は、曜日と頻度をこれまでどおりにしますので、今後ともよろしくお願いいたします。

この記事へのコメント

  • NAO

    おはようございます。
    私の知識は単なるネット検索ですが、門鉄デフは形状に関してはドイツの蒸機が起源のようですね。最近の保存機にこのデフが使用されているのであれば、北九州で多用されていたと思うのですが煙の濃度を測るリンゲルマンチャートもセットで取り付けるというのもどうかなと思います。
    保存機を原型で保存しにくくなったのも時代の流れでしょうか。ホームドアを付ける駅が増えてきて、走行していない保存機でさえも事故防止対策を講じるというのも、昔の人が見たり聞いたりすればビックリかもしれません。
    2016年07月18日 08:28
  • ヒデヨシ

    しなの7号様おはようございます
    一言で門デフと言っても色々なタイプがあり
    小倉工場製でもC57に付いている洗練されたもの以外にも野暮ったいものもあります。
    いろいろ試行錯誤されたんでしょうね
    昔は保存蒸機の役目のひとつに子供達が触ったり登ったりすることが普通に考えられていたと思います。
    現在残っている保存蒸機は資料としての価値を認められて柵が設けられたものか残念ながら荒廃し危険なため柵が設けられたものとに分かれている気がします。
    荒廃しているものは予算がつけば解体されるのではないでしょうか?

    さて門デフに戻って
    私が小学生のころは地元筑豊の蒸気機関車が好きでした
    親戚のおじさんが撮り鉄でしてたくさんの焼き増した写真をくださいましたが
    C11門デフの写真もたくさんあり
    かっこいいなあと思いました
    意外にも筑豊でC11を見た記憶はありません
    唯一記憶があるのが鳥栖駅で入れ換えしているのを見たことくらいです。
    2016年07月18日 10:09
  • しなの7号

    NAO様
    リンゲルマンチャート板も九州のSLの特徴でしたね。少なくとも私が国鉄高森線で撮影したときC12 241には取り付けられていなかったです。文化財的な意味で保存するのであれば、門鉄デフやリンゲルマンチャート板には、それが何者であるかも含め説明がないと無意味ですね。保存車両への思いは以前にも
    【389】公園のシロとヨーコ(後篇)https://shinano7gou.seesaa.net/article/201307article_2.html
    の末尾に書いたのですが、現役のころを何も知られることなく、ただの遊具然とされている例が多いのは不本意に思っています。
    おっしゃるように、時代の流れはいろんなところに感じるこの頃ですが、単なるガラクタも時代の流れとともに産業遺産になりうるものです。国立西洋美術館などにはない生活に密着した遺産として、その価値を認められ大切にされるよう望みます。
    2016年07月18日 13:43
  • しなの7号

    ヒデヨシ様
    本文で紹介した、関 崇博著「門鉄デフ物語~切取式除煙板調査報告~」には、門鉄デフ以外の切取デフも含めて、その形態の特徴などが詳細に書かれていました。私が九州に行った1973年でも、いろんなタイプの門鉄デフ装備機を見ました。その本来の効果のほか、操車担当の添乗のしやすさなど副次的な視点からの検討もあったのだろうと想像します。同じ形式の機関車でも門鉄デフを装備していると別形式の機関車のよう見えるほどですね。北九州は短区間の折り返しもC11のようなタンク機によらず9600が多かった印象で、私も北九州でC11を撮影できていません。
    鉄道車両の保存について思うことは、上のNAO様への返信コメントに書いたとおりですが、中途半端で放置中の「保存鉄道車両訪問」のシリーズ記事が№9まで来ておりまして、さまざまな保存車両の実態を見てきましたが、先日コメントいただいたD60 61のように甦る例もあります。やはり現役時代を知る者が先頭に立って保守というより復元していかないと公園のSLたちの行く末は明るいものにはならないでしょうね。
    2016年07月18日 13:44
  • 門鉄局

    しなの7号様、こんにちは。
    廃車後わざわざ取付けられ他に例のない形の、C12241の不思議な門デフに見学者転落防止の意図があったというのは初耳で、全国の保存機でも唯一の例ではないでしょうか。
    好意的に見れば、眺めるだけでなく機関車に触れて親しんでもらいたいという自治体の意図が感じられますが、後世に伝える文化財とすれば関係のない付属品の添加は疑問に思います。「不細工なデフなどわざわざ付けやがって」とならないよう、正直に取り付けの経緯やもともとC5765号機に付いていた由緒あるものを縮小の上転用したことを説明板に明記して欲しいと思います。死して皮を残したC5765号機が浮かばれるように。
     九州の蒸気機関車は晩年まで手入れが行き届いて美しいですね。60年近く働いたキュウロク・ハチロクに代わり、1人乗務が出来牽引定数も増加、燃料や保守費用も格段に減少していいことずくめのようなディーゼル機関車に置換えが完了した途端、鉄道貨物が急減したのは皮肉としか思えません。
    2016年07月18日 16:18
  • ヒデヨシ

    しなの7号様またまた失礼いたします。
    この保存機のC12も炭庫に通風器が付いているのですね。
    C12は九州の蒸機でも知識が無いので知りませんでした。
    お話にありますリンゲルマンチャートもよく知られていますね。
    私が思う九州の蒸機の特徴はテンダー機の前寄せ増炭板だと思います。
    それと9600のキャブ裾を点検のため無造作に適当に穴を開けている事。
    汽車倶楽部さん
    自前で保存している59647の他D51 225、D60 61、C11 260、貝島32を整備されています
    他に豊後森機関庫の展示用に志免炭坑跡に保存されていた荒廃した29612を復元整備しています
    豊後森とは直接関係のない機関車ですが
    本命のD60は保存機がないですから仕方ないです。
    2016年07月18日 16:18
  • しなの7号

    門鉄局様 こんにちは。
    ご賛同いただきありがとうございます。
    私自身、拙ブログで「乗務した車両との再会」をよく書いていますが、乗務していたころと違っている箇所があると何かと気になってしまうものです。あるべきものがなくなっていたり、なかったものが付けられていたリ、内外装が変化していたり。その変化にそれなりの正当な理由があれば、保存車両と見学者双方に現役時代から歳月を経る中でのさまざまな事情による結果として当然ですから受け入れられるのですが、その理由がわからないものを受け入れるためには、説明は不可欠ですよね。
    SLの後継となったDLにとって最盛期は短かったですね。SLのようにもてはやされることは少なく、今でこそ終末期に入ったDD51も注目されていますが、私にとってはデッキに乗って入換作業に従事した車両なので、ある意味SLよりも身近な機関車です。できればエンジン音を聞ける状態での保存車を望みたいところです。
    2016年07月18日 17:58
  • しなの7号

    ヒデヨシ様 こんにちは。
    そうでしたね。炭庫に2個ある独特の通風器も九州のタンク機の特徴でしたね。アップしたC12 241の画像には見えませんが、現役時代のまま付いています。
    九州のSLの特徴は結構あるのですね。挙げていただいた特徴はまったく存じませんでした。そもそも9600は九州でしか見たことがない私です。自分で撮影した画像を見て、なるほどココのことかと納得しました。
    ずいぶん無責任な発言で申し訳ありませんが、豊後森機関庫にもSLを集結させたいですね。保存継続に積極的でない自治体は数あると思うんですが…
    2016年07月18日 18:00

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