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前回の企画展「国鉄形特急電車・気動車」は、583系電車以外は全部国鉄特急色でしたので展示に統一感がありました。また、編成中間に運転台が入ったのは気動車特急2編成だけで、整った編成がほとんどでした。かたや急行となりますと、その様相はまったく異なってきます。
次の画像以降、左端先頭部分からサイドビューを分割して画像をアップしてまいります。
上から順に
167系電車・165系電車・153系(165系混結)電車・475系電車・159系電車・58系気動車・EF64けん引20系寝台車併結12系客車・EF61けん引旧形客車(一部寝台車)・D51重連けん引旧形座席客車
というラインアップです。
編成はいずれも特定の急行列車を忠実に再現したものではありません。編成の短縮や使用車両の他形式代用にとどまらず、管理人の好みと所有車両の都合による創作部分もございます。
その後方のサイドビュー
特急編成と違って、ちょっと曲者も混入します。
画像は縮小してあって見難いと思いますので、上から編成ごとに、その編成内容を改めて書いておきます。
■1段目
クハ167・モハ167・モハ166・クハ167+クハ167・モハ167・モハ166・クハ167
これは、修学旅行編成です。167系が修学旅行色だった時代の一般客扱急行というと臨時急行「長州」が知られています。
■2段目
クモハ165・モハ164・クハ165+クモハ165・モハ164・クハ165+サロ165+クモハ165・モハ164・クハ165
165系では、同じ方向を向いたクハ165が2両続いたりする編成が多かったのですが、ここでは3両単位のMcM’Tc編成を3組にTsを挟んだ急行「赤倉」の10両編成をイメージしています。
■3段目
クハ153・モハ153・モハ152・モハ165・モハ164・サハシ165・サロ165・サロ165・サハ153・モハ153・モハ152・クハ153
2段目の編成と似ていますが、中間にMcやTcが入らないきれいな12両編成としてあります。165系を混入させているのは、所有車両の都合によるものです。イメージとしては東海道本線の急行です。
■4段目
クモハ475・モハ474・クハ455+クモハ475・モハ474・サハシ455・サロ455・サロ451・クハ455+クモハ475・モハ474・クハ455
ここではサハシ1両とサロ2両を含んだ6両編成を3両単位の編成2組で挟んだ急行編成で北陸本線筋の急行12両編成をイメージしています。
■5段目(左)
クハ159・モハ159・モハ158・クハ159
東海地方の修学旅行用電車です。167系同様に多客期に臨時急行に使用されたほか、中京地区の定期快速・普通列車に153系の代走でも使用された電車です。4両とはさみしい短編成ですが、その理由は管理人が修学旅行色の159系の模型購入に当たって付属編成だけしか購入しなかったことによります。短編成のため、上の画像で5段目右側に気動車の先頭部が写っています。その気動車は次の画像で出てきます。
■5段目(右)
キハ55・キロ25+キハ55・キハ55+キハ55・キハ55
キハ58が配置されなかったころの準幹線の急行をイメージしています。
■6段目(左)
キハ58・キロ28・キハ58・キハ28+キハ58・キロ28・キハ65・キハ28
キロ入り4両編成を2編成つないだ8両編成。特にプロトタイプを意識していませんが、類似の編成は全国で見られたと思います。分割併合を繰り返す多層建運用が面白かったのも、気動車急行の魅力でした。
5段目に続いて6段目も、8両で組んだ58系気動車編成の右側に気動車58系編成の前部が見えますが、それは後まわしにします。
■7段目
EF64+ナハネフ22・ナハネ20・ナハネ20・スハフ12+スハフ12・オハ12・オハ12・スハフ12
急行「ちくま」をイメージしています…というより、この編成はK社の「12系+20系急行ちくま基本セット」なる特定列車モデルそのものをEF64に牽かせただけのことです。これにオハ12の増結(2両)セットを買えばフル編成になるわけですが、管理人はそういうことに力を注いでいませんので、こういう結果となるわけです。
■8段目
EF61 +オユ10+オユ12+オハネフ12+オハネ12+スハネ16+オロネ10+オシ17+オロ11+ナハ11+ナハフ11
EF61 けん引の東海道・山陽筋の寝台・座席併結急行列車としていますが、まったくのでっち上げ編成で、車種も編成順も変ですが、個人的な思いは移入されています。このように、固定編成でない旧形客車は編成の自由度が高く、それが模型での遊び方の一つともなり得ます。
■9段目(最下段)
D51ナメクジ+D51標準+スハフ42+スハ43+オハ47+オハ35+スハ43茶+スロ60+スハフ42
こちらも旧形客車ですが、全車座席車で、1等車が1両組み込まれた臨時急行のイメージで急行「彩雲」に近い編成を組んでみました。
下の画像は5段目以下の右側部分を撮影したもので、159系電車4両編成の右に配した55系気動車の右側部分が一番上に写っています。
■6段目(右)
(6段目=上の画像の上から2段目)8両で組んだ58系気動車冷房編成の右側に、同じ58系の2両編成を配置しましたが、こちらは非冷房車。そのうち1両はキハ58 最終増備グループのパノラミックウインドウ冷房準備車としてあります。
先に紹介した55系気動車編成(5段目=上の画像の一番上)は、キハ26を含まない強力編成としていますが、右の2両だけをバス窓タイプの前期仕様車としてあります。
(8段目=上の画像の一番下)旧形客車の編成は私の勝手な好みで2両の郵便車を含め全車を10系客車に揃えてあります。大きな窓で近代的な10系客車が私は好きでしたが、実車のほうは軽量化を原因とする問題が続出し、早く廃車されてしまいました。
10系のうちでも、大きな固定窓を持ち屋根上がすっきりしているオロネ10とオシ17が2両連続したら編成がきれいだろうとの思いで、隣りあう位置に繋げてみました。その後ろにはオロ11がいます。優等車両と食堂車を編成中央部に集中させておけば、グリーン車やA寝台の乗客には乗降時に長いホームを歩いてもらう必要がなくなるし、食堂車を利用するにも便利でサービス面ではよいだろうという管理人の配慮?なのですが、食堂車を利用する列車両端部のB寝台客と普通車の客が通路を行き交いますので、優等車両の静粛性に問題があり、乗客から苦情を受けた乗務員から改善要求が出てきそうでもあります。優等車両の静粛性で問題があった類似例を【240】乗務した車両:急行型気動車(後篇)の末尾で触れています。
その下の臨時急行は、寄せ集め的なところを1両だけ紛れ込んだ近代化改造未施行の茶色のスハ43で表現し、その後ろのスロ60を編成のアクセントにしてあります。
旧形客車の深い青色に映えるグリーンの帯には高級感が漂い、子供のころには、特急にこの帯が省略されているのが解せませんでした。ところが、のちにこの帯が全廃されてしまい、旧形客車のグリーン車(お座敷客車を含む)は、特にみすぼらしく感じたものです。
上の画像で、同じ湘南色の165系電車と153系電車ですが、編成に変化を持たせてあります。
上の編成では、グリーン帯が省略された1両のサロが、その前後をクモハとモハに挟まれています。下の編成のほうのサロは2両で、グリーン帯付きです。これを両方からサハシが挟むとよいのですが、サハシは1両しか手持ちがないので片方はサハとしています。時代は上の編成より一昔まえに遡ることになります。
その下の475系電車も、時代設定としては同じころです。まだ車体裾に60Hz電源を示すラインが入り、サハシ1両とサロが2両で、サロにはグリーン帯付きです。この12両編成は、管理人にしては珍しく増結セットも購入してフル編成になっています。(基本セットにはサハシどころかサロさえ1両も含まれなかったので、しかたなく増結セットも購入。)
サロ2両のうちサロ455は1両だけで、もう1両のほうはサロ451となっていますが、これはK社の車両セットが、両形式が配置されていた金沢運転所の編成を製品化したものであったためです。模型製品では、両形式のナンバー以外の差異は屋根上のベンチレータの位置だけのように見受けられました。
上の画像で、475系電車の下、55系気動車の1等車キロ25は、座席が回転クロスシートで、リクライニングシートではありませんでした。窓も他のキロやサロの2連下降式窓でもなく冷房化もされていません。一番下のキロ28は最終増備グループを模型化していて、トイレ位置や屋根雨樋の位置が従来の車両とは違うタイプになっています。
それにしても、国鉄色とはほんとうにいいと思います。
ここに登場した模型は、気動車はすべてT社製、167・159系電車とEF61電気機関車がA社製、そのほかは全部K社製です。
模型の入手時期は、ごく一部を除き仕事で多忙だったころでしたから、ずっと段ボール箱の中に入ったまま、ゆっくり眺める時間も取れていなかった車両がほとんどですし、475系など、12両のフル編成にして運転したことなど、いまだになく、こうして連結したことさえ初めてです。やっと陽の目を見た模型たちですが、すでに改良新製品が発売されているものもありますので、新製品と交代させるべきですが、暇ができたら、今度は自由に使えるカネがない。世の中、そういうものなのでしょう。
この記事へのコメント
ヒデヨシ
かなりバラエティーに富んだ列車達ですね
キハ55系のみでの優等列車は見たこと無いんです。
かろうじて「おくみの」に乗車したことがありますが
TOMIXのそれは素晴らしくて良いのですが
末期が大好きな私としては樋の部分が赤に塗られているのはちと残念
末期は殆んど省略されていましたから
キハユニ26のみ樋の赤はないので嬉しいです。
しなの7号
おっしゃるようにキハ55系急行で、見た編成乗った編成は、たいてい58系との混結でしたね。キハ55系のみでの優等列車は、七尾線の急行「能登路」8両のうち穴水分割の一方4両がすべてキハ55と26だったのが記録してありますが、もう一方の編成はキロ28付の58系編成でした。すでに雨樋は赤でない車両が出回りかけていたころでしたが、ヘッドマーク付でしたから55系でも急行らしさは感じられました。また、キロ25が連結されている頃だと時代は遡りますから雨樋は赤でいいですよね。
模型では、末期の雨樋の塗り分けがない仕様とか朱色5号とかのバリエーション展開もいずれはあろうかと思ってます。
T社のキロ25はグリーン帯がインレタ対応で、格下げキハ26 400にもできるようにしてありましたが、55系他車の座席が白っぽい成形色なのにキロ25だけが青色でした。どうせ変えるのなら臙脂色にしてほしかった。うちのは初回生産分でしたから、今は仕様が違うのかもしれませんが…。
やくも3號
これらを長編成で走らせてみたくなりますね。車両たちもたまには運動させないと←お前が言うな(>_<)☆\
私が物心ついた時には10系客車はおおかた淘汰されていてほとんど見たことがないのですが、このモダンなデザインはカッコいいですね。模型では軽量客車ばかりで統一された美しい編成を組んで走らせている人をみかけますが、実際には急行瀬戸の末期くらいなものでしょうか。
https://web.archive.org/web/20130601142058/http://www6.ocn.ne.jp/~beppu/s/seto6.html
キハ55バス窓を初めて見て『なんだこれは!』と衝撃を受けたことがあります。向日町に帰区してくる急行の先頭車が変な窓。まだキハ58と55の区別もつかない幼児にはショックが強すぎました。100本足のタコを釣って気がふれて寝込んでしまわれた漁師さんの話がありますが、それに近いです。
しなの7号
うちの模型は皆運動不足ですが、清原体形にはなりません。むしろ、10年単位での寝たきり老人状態ですから、手術しないとまともに走れないでしょう…
KATOから10系寝台急行「日南3号」というセットが発売されていますが、マニとオハ各1両以外10系客車という列車でした。牽引機がDF50の時代に南宮崎で見たことがあり、白昼堂々オハネ12と2両のオロ11を含んだ10系客車に感動でした。子供のころには中央西線でたまに普通列車にナハかナハフが1~2両混入することがあり、乗れば客車急行に乗った気分、見れば客車急行が入線した雰囲気を味わいました。 屋根の断面、内装、R付の大きい窓の外観とナハフの妻面にある2枚のFIX窓、すべてに高級感を感じましたが、末期にはすきま風がひどかったり最悪だったようですから、乗った年代や季節、乗車時間によって、皆さんの印象はそれぞれ違うものと思います。
キハ55バス窓はローカル用キハ17の急行版みたいで、1枚窓の先入観があると驚く車両ですね。「幼児」のころにそういうことに気が付いて気がふれて寝込んでしまわれるほどだったとは、鉄歴の長さと奥深さを感じますね!(^^)!
ヒデヨシ
キハユニとあるのはキユニの間違いです。
失礼しました
キハ55の準急、急行のキロはキロ28が落成したら優先的に取り替えられていたようですね。
急行くまがわなどの写真でキロだけ大柄な車体で目立っていました。
しなの7号
キユニの件、了解です。キユニは一般色のもほしいなあ。
キロ25はグリーン車になれなかった1等車だったんですね。 昭和42年ごろだったか、中央西線では急行グリーン車が全部キロ27か28だった時代、たぶん関西線急行の間合いと思しき普通列車が1往復あって、その列車にはハ代用のキロ25かキロ28のどちらかが連結されていました。
北恵那デ2
門鉄局
これだけ急行列車が揃うと壮観ですね。耐候性や視認性までよく考えられた国鉄色の美しさを改めて感じるとともに、もうこの車両たちを模型でしか見ることができない寂しさがこみ上げて来ます。我が家の模型は箱にしまいっ放しでたまには運動させてあげないと可哀想です。
キハ55系は普通列車用になっても最晩年に一部が首都圏色になるまで律義に急行色を守っていましたね。小牛田配置のキハ52は急行「いなわしろ」運用のため旧一般色で存知され、木次線に転じた128番が人気を集めたのが記憶に新しいです。(笑)私は準急・急行時代は知らないのですが、キロ25の格下げ車キハ26400番台には乗車したことがありモケットは青色でした。シート自体特急形初期の物と同じに見え、あくまで準急用1等車で153系のサロ153同様急行用としてはノンリクライニングの「並ロ」では見劣りするという理由で内装はそのまま格下げ(実質は形式変更のみ)と勝手に解釈していましたが、ロ→ハ改番時にモケットは張り替えたのでしょうか?
NAO
「特別」の付かない急行列車群ですね。当時としては「普通」の急行ですが、我が家では特別な列車でした。
模型で古き良き時代を再現するのはいいですね。私は在来線のビュフェ車両は見た覚えがなく(14系「みずほ」食堂車がビュフェ扱いになっていたのを除く)、これも模型では当時を回想出来て楽しいものです。
山陽筋の電車急行で確かTc、M、Mc×2本の間にTsを挟んだ7両編成の写真を見たことがありますが、グリーン車の両側が制御車という組合せに新鮮味を覚えた記憶があります。
しなの7号
我々が高校生時代、Nゲージは車種が少なくて、今の模型事情など考えられませんでした。そして私は16番の高級化についていけなかったのもまた事実です。それでも狭い物置部屋で安易ながらも12両編成を、運転こそできませんが眺められることはNゲージの利点です。おっしゃるように16番でほしい車種が製品化されなかったり、あるいは数が出回らず入手難だったり、編成を短縮せざるを得なかったり、パーツを探しまくって模型店めぐりをしたり、そういう時代は存じている私ですから、その辺の事情はよくわかります。
つきましては、中断していた16番模型についてのブログ記事の続編を、また夏が過ぎたあたりから再開する予定でおります。
中央西線急行間合いのハ代用で開放されていたキロ25は中津川発名古屋行の朝1番列車に連結されていました。その裏返しで機関車のことになるといつごろ何号機が中津川にいて…とか、何号機にはこういう特徴があって…というのはさっぱりわからないです!(^^)! またご教示お願いします。
しなの7号
国鉄色のバリエーションを見ると、改めてよく練られた結果だったとも思えますね。
模型も数が増えると箱に入れっぱなしとなるばかりでなく、私の場合は、その箱自体を置くスペースに困る結果となり、車両の処分もかなりしました。多忙だった時期には、「とりあえず買うけど、そのまま」という繰り返しでした。
急行色のキハ55系と一般色の気動車の混成列車はローカル線でよく見られましたね。急行「いなわしろ」のキハ52も首都圏色にするのがためらわれた結果なら、急行色に変えてもよかったかというのは、さすがに言いすぎでしょうか。
私見ですが、キロ25の格下げ時に、お金をかけてまでモケット交換をすることはないと思いますので、格下げ後の定期検査で、必要に応じて工場入場時に青モケットに張り替えたのではないでしょうか。
しなの7号
すでにこの世にない者たちを写真や遺品で偲び、鉄道の場合は模型で偲ぶ。そういうスタンスですので、JR世代の車両はわが家には少数しか配置されていません。 ビュフェ付きの急行には今の特急以上の格式を感じますね。小学生のころ比叡でビュフェ営業中の列車に乗ったことがありますが、もちろんビュフェどころか車内販売さえも利用できませんでした。ただし、車内探訪をしましたので、2両のサハシとそれに挟まれたサロは通り抜けた記憶はあります。
東海道から東北・高崎線に転用された211系のサロが制御車に挟まれるようになって、153系や165系の末路のように感じたものですが、それもつかの間の出来事でした。