今回は、国鉄が発行した381系しなの号に関連した記念乗車券とオレンジカードをあれこれと。
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中央西線全線電化記念入場券
4枚一組で名古屋鉄道管理局管内の駅で発売された中央西線全線電化記念入場券です。言うまでもないですが、381系がデビューしたときのものです。
4枚とも同じ381系電車の絵と1枚ずつ違う信州の郷土玩具をデザインしてありました。ケースがクハ381の図面になっているのがユニークです。
下の画像のうち上側は、上の画像のうちの1枚ですが、下側は長野鉄道管理局管内の駅で発売されたうちの1枚です。
中央西線の全線電化時、新規電化開業区間はそのほとんどが長野鉄道管理局管内で、名古屋鉄道管理局が一部(中津川~坂下)含まれ2鉄道管理局にまたがっていました。そのため長野鉄道管理局からも中央西線電化記念入場券が4枚一組で発売され、そのうちの1枚がクハ381の写真になっていました。そのほかの3枚は381系ではなく、旧中山道妻籠宿の浮世絵、D51、181系気動車の写真になっており、木曽路交通の移り変わりを表したものでした。(画像は省略)
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(上の画像の上側) 53.10ダイヤ改正記念入場券
名古屋鉄道管理局内の駅で発行された昭和53年10月2日ダイヤ改正記念入場券は5枚一組で発売されました。名古屋鉄道管理局管内を始発駅とする「しなの」「南紀」「加越」「しらさぎ」「ひだ」編成の外観が描かれていました。(他列車の画像は省略)
(上の画像の下側) L特急しなの号大糸線直通記念入場券
昭和57年11月15日のダイヤ改正で、「しなの」が大糸線に直通するようになったときの記念入場券です。長野鉄道管理局内の駅で発行されました。この時期になると、国鉄当局も部内の需要を取り込んで増収をはかろうとしたのか、記念乗車券や入場券を職場で予約販売(あるいは売れ残りの在庫整理?)されることがよくあり、車掌区でも庶務担当のカウンター上に申込名簿が置かれ、ここに名前を記入しておけば駅の窓口に行くことなく、後日現金引換で購入することができました。
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(上の画像の上側) 中央本線開業80周年記念入場券
名古屋~多治見間が開業80周年になったことを記念して、名古屋鉄道管理局から3枚組300円で発売された中の1枚です。発売当時の主力電車と沿線自治体の花の組み合わせでした。他の2枚には113系電車と103系電車の正面写真が使われていました。
(上の画像の下側)中央本線 多治見~中津川間開業80周年記念入場券
紛らわしいですが、こちらは中津川までの延長開業80周年を記念した入場券です。この時期には記念乗車券や入場券の発行回数は増え、発売金額も高額になってきたように思えます。増収効果がかなり重要視されていたことは明らかでした。
このときは5枚組600円で発売され、発売当時の主力車両と多治見~中津川間にある主要駅の昔の写真とで構成されていました。ちなみに他の4枚にはEF64電気機関車、165系・113系・103系電車の写真が使われていました。
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オレンジカード
国鉄末期に導入された磁気式プリペイドカードがオレンジカードでした。
左上のトレインマークのシリーズは、昭和61年11月に行われた国鉄最後のダイヤ改正時に発売されました。全国の特急のトレインマークが網羅されていたなかの1枚でした。特急の車内でも乗車記念用として、このシリーズのオレンジカードを発売するようになり、私もしなの号の車内で売り歩きました。この「しなの」も乗務で持たされた中の1枚を乗務記念?に購入したものです。
所属した車掌区では、担当する「しらさぎ」「しなの」「ひだ」「南紀」の4種類がありましたが、ここに書いた順に品切れとなって、担当列車本数が少ない「南紀」だけが不良在庫となって「しなの」乗務の際に持ち歩かされましたが、他列車のオレンジカードなどそう売れるわけもありませんでした。
左下と右は昭和62年、国鉄最後の年に長野鉄道管理局で発売されたカードです。信濃路のL特急「あずさ・あさま・しなの」の並びと、姨捨の田毎の月をイメージしたデザインです。
職場では転職組が内定先の事前研修などで職場を次々と後にしていた時期でした。自身は連日しなの号に乗務していましたが、いつ乗務から外されるかもわからず、いつも、これが最後の乗務かもしれないと思いながら乗務していました。組織も人も一切信用できない不安定な環境に置かれていた時期にあたります。
この記事へのコメント
NAO
381系の車内間取りが書かれていますが、曲線区間で正面から見たデザインにすれば良かったのにと思いました。カーブではこれだけ車体を傾けてスピードアップを実現しました、みたいなキャプションを添えて.....。
あずさ、あさま、しなのが並んだ写真、このアングルからだと素人目には同じ車両に見えますね。せっかくなのでそれぞれ、国鉄特別急行の大衆化に貢献?、碓氷峠通過特殊対策車両、曲線高速通過振子車両、ような各形式が担ってきた役割を紹介すれば、鉄以外の人たちにも違いを理解いただけたのでは、というより一般人がどれだけ買って下さるかですが。
増収が意識され始めた頃、車内改札で周遊券や経由地か回りくどい乗車券を提示するとオレンジカードを勧められるようになってきて、首を横に振るのがいい加減イヤな時期がありました。
しなの7号
国鉄の看板列車を、一般客により理解していただくためのご提案。もっともなことですが、当時の国鉄の感覚では難しかったといいましょうか、要するに商売が下手だったのでしょう。
オレンジカードの車内販売ばかりに力を注ぐ者がいたのも事実でした。公社職員にいきなり成果主義を導入すれば、突っ走る輩が出るのも当然ではないかと思えます。民間会社の卵だった時代ですね。
門鉄局
381系「しなの」関連の記念品、すばらしいですね。御ブログを拝見していて痛感させられるのは「コレクションは欲張らない」ことです。私などあれこれ手を出して結局続かないの繰り返しですから。記念品・資料・模型で登場から引退までを綴る「381系しなの記念館」が出来そうですね。私も一時期記念切符を収集していましたが、郵便切手同様全種を揃えられるはずもなく、現地に行って発売されていたもの以外買わないようになりました。増収対策か高価なセットものを頻発するようになったのと、発行意図が不明なものが増えたこともありました。記念乗車券・入場券からオレンジカードになり、今や磁気カードすら時代の流れで消えていこうとしています。国鉄末期から車内検札の時によくオレンジカードを勧められるようになり、鉄道関係のものであれば極力購入するようにしていましたが、あれはノルマや圧力があったのでしょうか?確かにしつこいほど熱心な方も(笑)おられ大変なんだなと同情で購入したことも。でも使用済み切符を下さったり、乗務員室に入れて下さったり、今では考えられない青春を共に過ごした「国鉄」の思い出は宝物だと思います。
しなの7号
昔から収集癖がある私は「コレクションにはお金をかけない」ということにも心掛けています。結果的には、車両のパーツとかサボの類とか、欲しがる人が多いものはコレクションしませんが、そのほうが永く続けられるように思います。酒のラベル収集では、酒は腹に入りますし、使用済みプリカの類は旅先で切符を買うのに使ったりして、どちらも廃棄すべきものですから、元手はかかっていないわけです。あとは、どこまで集めるのかはっきりと線引することですね。
国鉄末期には当局寄りの組合に変わることと、増収に励むことは、新会社に残れるかどうかの判断材料として使われましたから、本業以上に熱心に営業活動される方はありました。車掌区では成績順位が張り出されたりされはじめた時期でした。
「使用済み切符を下さったり、乗務員室に入れて下さったり」というのはそうなる前だったのではないかとも思いますが、私も分割民営化されたあとに、オレンジカードを買うために乗務員室へ出向いて話し込んだりしたことが、何度かありました。そんなときに乗車証明書をいただいたり、親切にしていただいたことは思い出に残っています。
【357】JR北海道の乗車証明書
https://shinano7gou.seesaa.net/article/201303article_4.html
鉄子おばさん
しなの7号
郷土玩具を集めていたわけではないのですが、信州が好きなので、しなの乗務の時に、長野で鳩車を買おうと思って土産物屋へ行ったことがあります。小さいものを想像していたのですが意外と大きくて高価だったので買うのを断念しました(^^;)
テレホンカードなどが特に贈答品に重宝された時代がありましたね。交通系磁気カードでは、JRの需要が限られる中京地区ではオレンジカードより名古屋市の地下鉄やバスに使える磁気カード「リリーカード」が贈答用に喜ばれ、私ももらったことがありました。