【716】 北恵那鉄道26:「混合列車」

北恵那鉄道のシリーズ記事は、2011年の廃線跡の記事(№1~14)から始まり、4年間中断したあと、第2部として車両関係の記事を中心に昨年№15~25まで連載いたしました。また間が空いてしまいましたが、第3部完結編として、廃止前後の思い出話などを中心に再開します。

言い訳になりますが、私は北恵那鉄道とは関係がない者ですので思い違いもありましょうし、記憶が不確かなところもございますので、ご指摘等ございましたらご教示ください。また、記載内容についての問い合わせなどで、現在も路線バス事業者として存続している北恵那交通株式会社様にご迷惑になるような行為は、固く慎んでいただきますようお願いいたします。

以前の北恵那鉄道関係の記事(№1~25)は、パソコン画面ですと右カラムの「ブログテーマ」の「北恵那鉄道」をクリックして記事を抽出できますが、記事を書いてから年月を経ておりますので、廃線跡の状況には変化があると思われますことを、ご承知おきください。

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北恵那鉄道は、大正時代に木曽川に水力発電用ダムが建設されることによって、従来の木曽川を利用した木材流送ができなくなるために、代替輸送手段として敷設された鉄道でしたから、旅客営業より、貨物営業に重点を置いていたと思われます。しかし電気機関車が北恵那鉄道に登場したのは遅く、名鉄傘下に入ってからの昭和38年です。その電気機関車は電動貨車改造で非力なデキ501であって、本線での貨物列車としての任務には就けなかったようです。しかも、そのころはすでに北恵那鉄道の敷設目的だった木材輸送はトラック輸送に切り替えられ、本線上の貨物量は相当減少したものと思われます。デキ501とその後継機デキ251の任務は、国鉄中津川駅から、北恵那の中津町駅に隣接する製紙工場に連絡運輸で発着する貨車の構内入換と、国鉄駅との間の連絡線を使った貨車の授受に限定され、本線上に電気機関車が出てくることはありませんでした。と、いうことは、本線の貨物輸送はもっぱら電車牽引による混合列車によっていたということになります。

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まだ日中の運転が行われていたころ(1971年以前)には、モ560形が貨車を1両従えて走る姿をみる機会は時々ありましたが、その頃はカメラを持てる身分ではありませんでした。しかし小学生のころに下り下付知行の混合列車に乗った記憶があります。そのときは途中駅(たぶん美濃福岡)で、貨車の切り離しがあり、電車は貨車を牽いて私ども乗客をのせたままで下付知方に引上げ、バックして側線に貨車を押し込み解放しました。
画像はそのときのものではありませんが、その美濃福岡駅側線のモ563と留置中のたぶん国鉄のワム90000形式です。
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日中の運行が休止されてからは、混合列車の写真を撮ることが極めて難しくなりました。撮影に都合がよい16時台に中津町を出る下り列車は、平日は制御車クを連結した2両編成でしたので、この列車にさらに貨車を連結することはできないらしく、この列車が混合列車になる可能性があるのは、単行で走る休日だけでした。あとは混合編成になるのは夜間が多かったものと思われます。そもそも、廃止前の数年は、定期的な貨物取扱といえば、中津町駅に隣接する製紙工場向けの貨物が大部分を占めていたので、本線上を混合列車が走ること自体が珍しいような状態になっていました。

とある休日、中津町駅に行ってみると、珍しく下付知行の車票を付けた国鉄テム300形式貨車が2両ありました。さすがに2両を一度に電車が牽引することは不可能なのか、1両ずつ電車に連結されていました。そのうちにダイヤにない臨時列車が設定され、走り去っていきました。画像は走り去る混合列車…といっても貨物のために特発された列車ですので旅客営業はしていません。
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そしてその日、もう1両のテムを従えた列車は、夕方の16時台の定期列車として混合編成で運行されました。
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私が北恵那鉄道の混合列車をまともに撮影できたのは、この1度きりでした。
(いちばん上の画像も、このときの同じ列車です。)


この記事へのコメント

  • hmd

    こんにちは。残暑お見舞い申し上げます。台風が多いですが、そちらは、大丈夫でしょうか?北恵那鉄道シリーズ久々の復活で、驚いていますが、楽しみであります。混合列車を見れた世代ではないですが、面白そうで、一度見てみたいものです。自分が見たことがあるのは、急行アルプスの荷物電車くらいでした。それも、荷物はなく、末期だったのかスカスカ状態です(笑)
    2016年08月25日 15:11
  • しなの7号

    hmd様、こんにちは。
    コメントありがとうございます。今回の台風、関東直撃でしたがご無事でしたか? こちらでは天候が不安定になっただけで、被害はありませんでした。
    さて、北恵那鉄道はすでに廃止後三十数年経った小私鉄ですので、今となっては不明な部分が多いのですが、hmd様の鐵たびブログの奥深さを見習って、いろんな角度からこの鉄道の廃止前後の実態をお伝えしたいと思っています。
    中小私鉄にハマってあちこちへ出かけていたのは、このころ(昭和50年ころ)でしたが、貨客混合列車を他の私鉄で記録することはできず、年代的には遅かったことになります。
    2016年08月25日 17:32
  • NAO

    こんばんは。
    電車でも混合列車ですね、確かに。私はテムの丸屋根が好きで、電車のフラットな屋根と対象的なところにローカルなアジを感じます。実際のところ、貨車の授受の方法はどうなっていたのかも気になります。
    私が混合列車に乗ったことがあるのは清水港線と別府鉄道ぐらいです。特に別府のは一度は長ーーーい貨物の後ろに二軸客車一両という組成で、別府港はホームの無い地面から乗車、土山ではホームにかからずまた地面に降りるというものでした。
    別府鉄の車掌さん、到着して落ち着いてから土山の国鉄駅舎内で国鉄職員さんたちに溶け込んで談笑されていたのが印象に残っています。貨車の受け渡し事務でもあったのでしょうか。北恵那も同じような光景だったら何だかほっとしそうですが。
    2016年08月25日 19:26
  • しなの7号

    NAO様 こんばんは。
    この日は2両ともテムでした。テムの風貌は個性的で私も好きな貨車です。これも近日中にK社からNゲージ模型化されるので、楽しみにしています。
    国鉄中津川駅と北恵那の旅客始発駅となる中津町駅との間は、連絡線経由でデキ251又はデ2を専用に使って、構内運転で貨車の授受を行っていましたので、北恵那の「列車」が国鉄中津川駅に来ることはありませんでした。中津町駅構内に隣接する製紙工場に発着する貨車だけは廃止間際まで定期的にあったので、何両もの貨車を国鉄駅に向かって押し上げ、中津町駅へ牽いて戻ってくるデキ251やデ2の姿は日常的に見られましたが、本線の貨物となると末期には見ることが稀でした。そのため、貨物主体の別府鉄道や国鉄清水港線にあった混合列車とはまったく違った雰囲気だったと思いますが、両線とも、私が訪問することがないまま廃止されてしまいました(T_T)

    国鉄中津川駅と北恵那の中津町との位置関係・専用車両・受け渡し連絡線の画像などは
    【182】北恵那鉄道14:その廃線跡(12)中津町駅
    https://shinano7gou.seesaa.net/article/201107article_2.html
    【624】北恵那鉄道20:車両5「デ1形」
    https://shinano7gou.seesaa.net/article/201509article_5.html
    【628】北恵那鉄道22:車両7「デキ250形」
    https://shinano7gou.seesaa.net/article/201510article_1.html
    にございます。
    2016年08月25日 20:55
  • ヒデヨシ

    しなの7号様こんばんは
    電車の牽く混合列車はまた長閑ですね。
    テムとは珍しい貨車
    美濃赤坂からの貨車でしょうか?
    荷主さんは運賃の低い近場から調達したものと思いますからやはり美濃赤坂
    今の鉄道輸送にしては近距離ですが昔は多かったと思います。

    コメントのお話にありますK社のテム300
    試作品はいつものように精密で好印象ですがツルッとしている屋根に熔接の継ぎ目表現があります。
    実車写真ではまったく見当たらないので表現が過大のような気がします。
    この点は先輩M社のテム300の方が好きです
    2016年08月26日 00:50
  • しなの7号

    ヒデヨシ様 おはようございます。
    このとき、車票まで確認していませんが、下付知で荷卸のため扉を開けて留置してあった貨車に、「肥料」らしい袋がたくさん積まれていたのを見たことがあります。全くの想像ですが、肥料→石灰と連想すると発駅が美濃赤坂か西濃鉄道の可能性はあるかも。
    廃止まで活発だった中津町駅に隣接した製紙工場関係の貨物を除けば、沿線に大きな工場もありませんでしたから、木材輸送の廃止後に本線を使った貨物輸送を利用していたのは農協さんくらいしかなかったようにも思えてきます。
    K社のテム300試作品の画像、見ましたらヒデヨシ様と同じ印象を持ちました。
    2016年08月26日 07:39
  • 北恵那デ2

    こんばんは。ご指摘等ございましたらって、このブログをご覧の皆様の内、ご指摘などするような者は私ぐらいのものでしょう。この慎重に言葉を選んで構成されたブログの記事にご指摘なんて滅相も無い(笑)。ところで、この時の「テム」を牽いた臨時貨物列車って2本あったわけでしたっけ。すでに記憶を喪失してしまってましたよ。ところで以前のコメントで書いたような気がしますが、私も中学生の頃に途中駅(たぶん並松駅だったかな)で貨車を押し込み切り離す混合列車に乗った記憶があります。中学生の時に栗本水泳場に行ったのでその時だと思います。後ろに真っ黒の貨車が連結されているため、後部の景色が見えなくてつまらなかったのと、ドンドンという2軸貨車のジョイント音がやたら大きかったのを覚えてます。
    2016年08月26日 21:02
  • しなの7号

    北恵那デ2様 おはようございます。
    怪しい記憶の部分と、思い込みもあるかもしれませんので、「北恵那デ2様監修」と書かないといけません(^^;)
    テムが2両いたのを見つけた日は、そのうち1本がホームに停車していて発車しそうな雰囲気だったので、駅前の電話ボックスから貴方にすぐ来るように電話しました。その直後、臨時が発車してしまって、貴方が来たときは1本しかいなかったように思います。
    その1本も臨時で出ていくかもしれないとの判断で、夕方の1番列車の時刻まで、かなり長い時間を2人で木曽川の河原で列車を待った記憶です。
    お互い、記憶に残る部分は一部だけに限られ、それが違う場面だったりしますね。怪しい記憶を正しいものと裏付けてくれるのは、そのとき撮影したネガのコマ順で、確認するうえで重宝しています。
    2016年08月27日 06:27
  • 門鉄局

    しなの7号様、こんにちは。
    電車がたった1両の貨車をぶら下げた混合列車、年配の車掌さんが乗客に「これ途中で貨車切り離すから、ちょっと待っててな」なんて説明している光景が目に浮かぶようです。
    「今日は下付知まで貨車2両あるんで、臨時出すわ。OOさん悪いけど1本行ってくれん?」「しゃーないなしっかり超勤くれよ!」
    なんてやりとりがあったかも。勝手な妄想失礼しました。
    デキなら貨車2両など余裕と思われるのに、電車牽引で大赤字必至の臨時を出したのも不思議ですね。木材輸送廃止後も本線の貨物取扱いが残っていたのは意外な気がしますが、年間で何日走りどれだけの輸送量があったのでしょうか。
     私が唯一乗車した混合列車は別府鉄道ですが、乗客は数名
    で緩急車代わりに客車をつないでいる感じでした。
    2016年08月28日 14:28
  • しなの7号

    門鉄局様 こんにちは。
    想像力に脱帽です。
    当時あった電機はデキ251が1両だけ、この牽引力なら貨車2両など余裕でしたでしょう。けれど営業運転で本線にデキ251が貨車を牽いて入線したという話は聞いたことがありません。ヒントは
    デキ251 電動機75kw×4個 自重30t
    モ560 電動機48.5kw×4個 自重23.15t~23.55t
    考えられるのは
    ①「末端区間の変電所容量不足」
    ②「木曽川に架かる長いトラス橋の負担力不足」

    ①については、モ560形2両の定期列車(かなり苦しかった)も存在した事実がありますから、除いてもよいでしょう。そうすると②説でデキ251の本線使用を控えたものと考えます。テムは積車なら普通換算で2.0=20tあり、重量換算であれば24トン。それが2両。鉄橋の負担力が弱いらしい話は関係者様から聞いたことがあります。

    廃止前には、下付知駅に国鉄の貨車が1両も留置されてないのが珍しくないくらいに、貨物は減っていました。

    私は別府鉄道には行けませんでした。車掌になってからも残っていた鉄道だし、なぜ行かなかったんだろう? バスケットカーも好きだったのに。
    2016年08月28日 17:01
  • 北恵那デ2

    こんばんは。最初にお断りしておきますが、私も当鉄道関係者ではありません。長いトラス橋の負担力不足というのは、確かな考察の気がしますね。それにしてもテムの積車が24トンならば軸重12トンということになりますから、当鉄道にとってはそれだけで拍手喝采ものですね。C12の動輪の1軸当たりの軸重よりも重いのですから。それと門鉄局様のコメントの「しゃーないな」という当地方の方言に反応した次第です(笑)。
    2016年08月28日 20:20
  • しなの7号

    北恵那デ2様 おはようございます。
    私は施設関係のことは全くの素人ですが、列車掛の養成課程で車両の構造について習ったことがあります。その中で車軸の負担力について、車軸には負担力が10t、12t、14tと種類があり、14tはコキ50000系用。12t長軸の車軸本体重量だけで1tもあるということらしいです。教官が板書したのを書き写しただけで、その根拠となる規定はお示しできませんが、こういう規格から考えると軸重12tは国鉄貨車の連絡運輸をするにあたっての線路規格は、最低でも軸重12tを確保する必要があったのではないでしょうか。実際、近隣の国鉄明知線に比べても見た目の線路状態はかなり低かったように思いますけど。
    「デキ251なら一回で牽けるけど橋が落ちたら、かんかないでのう。しゃーないで2回に分けて行こまい。」といったところでは?
    2016年08月29日 08:13
  • 常夜燈

    私も素人ですが、開業に当たって客貨需要を勘案して路線規格を決めている筈ですから必ずしも木曽川橋梁が低いとも思えません。同様の豊橋鉄道渥美線では貨物増に加え小野田セメントの関係で路線規格を上げ40t機のデキが入っています。テムを1輌ずつ牽いたのはモ560の制動機がSMEだったからと推測しますがいかがでしょうか?
    2016年08月29日 17:47
  • しなの7号

    常夜燈様 こんばんは。
    新説をお寄せいただきありがとうございます。
    この木曽川鉄橋のトラス橋は明治時代の作で、東海道本線で使用されたものの再利用品らしいですから、老朽化していたと思われます。北恵那で再利用されたときも、客貨需要は小型のデ1形(車体更新し、さらにボギー車化された後の自重しかわかりませんが20t)に貨車は木材積のト(積車普通換算で12t)であったことを考えると、名鉄から来た30t電機にワム2両までは想定されていなかったように思うのですがいかかでしょうか?
    ブレーキのお説ですが、私は貨車のブレーキは習っていますが、名鉄のSMEに関する知識がまったくありません。モ560には3本の空制ホースが片側にありますが、貨車のブレーキホースと位置が違いますし、物理的に貫通させられないように思うのです。そもそも国鉄貨車のK制御弁と連動するのでしょうか? と書いたところで、こんなものを見つけました。
    http://nagoyarail-acv.or.jp/nra/NRAnews18.pdf
    「NRA NEWS №18」

    白井昭御大が書かれた9ページ④「名鉄の混合列車の空制」に「電車はSMEブレーキが多く、貨車との空制は不貫通であった。」とあります。
    国鉄ではブレーキ不貫通などあり得ません。北恵那ではどうだったか知りませんし、名鉄に関してはど素人なので、自信をもって申し上げられるわけではございませんのでお許しください。
    2016年08月29日 21:08
  • 常夜燈

    制動機の事ですがデ1形はSM-3 デ8はSM-3からク80形入線に対応SMEに改造、ハフ10形は空制でしたがハフ30形、ハフ50形は非空制でした。私の画像にもデ2形+ハフ30+貨車がありますが、開業以来名鉄車両が入るまで電車のみの制動だった可能性が高いと思います。
    2016年08月30日 09:18
  • しなの7号

    常夜燈様 ご教示ありがとうございます。
    北恵那のブレーキ事情については、やはり同じお考えでいらっしゃいますね。清水武著「北恵那鉄道」には、主な車両の竣工図面が載っていますが、これだけではブレーキや制御機器は判りませんでした。アップされているデ1形+ハフ30+貨車の画像は木材を積載しているところが非常に珍しく、また本来の北恵那鉄道らしい編成だと思います。
    ご教示いただいたついでに、このようなところから恐縮なのですが、制御機器について、「ク80形とデ8形」「ク550形とモ560形」でそれぞれ制御機器が揃えてあったと聞いていますが、
    「ク80形とデ8形」=AL
    「ク550形とモ560形」=HL
    という認識でよろしいでしょうか。また、以前にもコメントを戴いたモ320(旧名鉄モ353)は、どちらだったのでしょうか。
    もし、ご存知であれば、ご教示いただけるとうれしいです。
    2016年08月30日 13:43
  • 常夜燈

    デ8は日立PR-200形で間接自動加速器です。モ560はHLです。モ320はGE製間接自動加速器です。尚、HLは一般呼称ですがALは名鉄の社内用語でこの間の事は白井昭氏がレールアーカイブで記しています。ラジアル単台車を履いた電動車は手制動が一般的で名鉄のデシ500形もそうです。モ85は空制に改造され最後は安城支線で活躍しましたがここは築堤を上下しますので有効だったと白井昭氏が記しています。
    2016年08月31日 11:00
  • しなの7号

    常夜燈様 こんにちは。
    ご回答とくわしいご解説をしていただきありがとうございました。
    国鉄に在職してはいましたが、運転職場には縁もなく、まして名鉄はじめ私鉄電車のメカについては、まったくの素人ゆえに、名鉄関連の書籍を図書館で読んだりして得た知識しか持っておりませんもので、いろいろご教示いただき感謝しています。
    2016年08月31日 13:08
  • 北恵那デ2

    こんばんは。しなの7号さんの常夜燈様に対しての質問のお答えを私も心待ちにしておりました。モ320がクのどれかと編成を組み制御されて走行する写真は見たこともありません。よって当車両の制御機器が長い年月の間、全く不明であったわけです。この件につきましてご回答をいただけましたことは私からも厚くお礼申し上げます。また、電車が貨車を牽く場合に空制が不貫通であったという事柄についても目から鱗が落ちました。確かにエアホースを繋ぐことさえ不可能でありますね。なお、Wikiなどを調べますと制御機器の事柄が少しは分かるようではあります。
    2016年08月31日 19:04
  • しなの7号

    北恵那デ2 こんばんは。
    40年以上前、私どもは北恵那鉄道の本社や車庫へ、わからないことを聞きに行ったものですが、所詮は田舎の高校生のこと。電車に対しての基礎知識もなく、月刊鉄道雑誌から得る情報源だけでは、せっかくプロの方からお話を聞くにしても、たいした質問もできなかったということで、廃止された今になっては、解らないことがそのまま残ってしまいました。こうして常夜燈様からご教示いただけて、とてもよかったですね。疑問点が解決されていくことは、モヤモヤしたものが晴れていくようでスッキリします。改めて常夜燈様にはお礼申し上げます。

    ところで、明日は形式番号の振り方についての疑問点をアップする予定です。「どうしてこんなナンバーなの?」特集みたいなものですが、こればっかりは、北恵那鉄道で直接担当された方でなければ、答えは出ませんでしょうから、永遠の謎になると思います。。。
    2016年08月31日 20:49
  • とっかり

    私の亡母の故郷信州に帰る時にいつも乗った「しなの」など、国鉄時代のお仕事の様子、それに職場環境の激変に伴う当時の思いなど、かねてより大変興味深く全部拝読いたしました。
    さて、私鉄における貨車併結時のブレーキのことでございますが、私も以前白井先生の記事を読んで「SME空制車の貨車併結=不貫通」だと学んでおりましたが、それが全てではなかったようです。
    一部の譲受車を除きすべてSMEだった上田丸子電鉄の車両の写真を見ていた時に気付いたのですが、有名な丸窓電車など、丸子線車両と別所線車両のエアホースはSMEのセオリーどおり「直通管」と「非常管」の2本しかありません。両線とも電機が配属され混合運用はありませんでした。
    ところが、開業早々に川造製電機を名鉄に売却し(のち岳南)、以来廃線まで電車が貨車を牽引していた真田傍陽線のSME車だけは、上記の2本に加え、連結器近くにいかにも"貨車のエアホースにつなげます"と言わんばかりの「3本目のホース」が取り付けられているのです。
    のちに別所線に移った元富士山麓車体のモハ4257が3本ホースのまま既存別所線車両と混結されているので、空制がAMM等ではなく、SMEであることは間違いありません。
    どういうことか??と調べてみましたら、1958年の「鉄道辞典」上巻P407に「なおわが国ではSME空気プレーキ装置を一部改造して、自動空気プレーキ装備した貨車2-3両を引張ることができるようにした、改造形SME空気プレーキ装置がある」との記述がありました。
    当初SME-D(発電制動併用)だった神戸電鉄デト1001も、戦時中から貨車牽引をすることになり、ほかの電車との混結も可能な状態を維持しつつ貨車とも制動を貫通させるために戦後SME-DMに改造されたとの由で、おそらく鉄道辞典がいう「改造形SME」の一例だと思われます。
    よってSME車の混合列車でも一部では貫通させていた社線もあったというのが実例のようです。白井先生の述べた不貫通事例の名鉄支線区と違い、真田傍陽線も神鉄もほぼ全線が勾配線区であったのがその背景にあったのだろうと想像しております。
    よく考えればSMEの非常管と自動空気ブレーキのブレーキ管も作用の理屈は同じで、緩解時はどちらも同じ5キロ圧がかかっておりますから、うまく工作すれば兼用することも可能だったのでしょう。
    元の技術こそ米国産とはいえ、我が国地方私鉄の運用実態に即して創意工夫を施し続けた、いにしえの技術者の当意即妙ぶりを実感いたした次第です。
    長文失礼いたしました。
    2022年04月06日 01:24
  • しなの7号

    とっかり様
    電車が貨車を牽引する際のブレーキについてお調べいただきありがとうございました。私は上田丸子電鉄真田傍陽線の現役時代のことは知りませんが、旧鶴見臨港の北恵那鉄道デ8の姉妹車モハ4255・4256が活躍した線区ということでその存在は存じています。改めてその画像をググりましたら、おっしゃるように自連に近い位置にエアホースがあることに気付きました。ご教示いただいた文献該当ページもすぐ見つかりました。貨車牽引用としてSME空気プレーキ装置を一部改造された事例があったのですね。私は貨車の検査に関する業務に携わったのはわずか1年半足らずなので技術屋とは申せず、内容は難解でしたが、SMEの非常管圧力が非常ブレーキ時以外は5キロに保たれているのであれば、非常管に貨車のブレーキ管に連結して貫通させれば、常用ブレーキを連動させることはできなくても、列車分離事故のときには分離箇所の前後で非常ブレーキが作用し、保安度が大きく向上することは理解できました。逸走事故が恐ろしい勾配線区であれば必要な改造であろうことは想像できます。
    せっかく北恵那鉄道の車両保守をされている方から直接お話が聞けるようになったのに、私が国鉄で貨物列車乗務員になるために列車保安や貨車のブレーキ構造について教育を受けたのは北恵那廃線後のことでした。廃線がもう少し遅かったなら、現場の方からそうした運転保安上のことやブレーキ構造についてのお話ができたのにと今さらながら思います。
    申し遅れましたが、拙ブログをご覧いただきありがとうございました。
    2022年04月06日 16:04

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