小学5年生のとき、地元中央西線の瑞浪~中津川間の電化が完成し、身近に電車を見るようになり、70系電車が走るようになりました。その中で1日1往復だけ、東海道本線直通の快速があり、その列車だけ大垣区の153系が使用され、クハ165が混入することがよくありました。湘南色で急行を思わせる快速列車は、キハ181系特急やキハ91系急行とともに特別な存在に思っていました。
カツミ模型店からは165系が古くから発売されていたのをカタログで知っていましたし、店頭でも見かけ、リアルな外観は気に入っていました。それまで電車の模型が1両もなかった我が模型鉄道にも電車を導入しようということになり、中学1年生のとき、お年玉と手持ちのお金を全部つぎ込んで165系を買いました。製品はクモハ165・モハ164・サハシ165・サロ165・クハ165の5車種が発売されていましたが、そこまではお金が足りず、まずはクモハ165・モハ164・クハ165の3両を購入しました。
旅客車の3両編成を一気に購入したのは初めてで、1万円を超える買い物になりました。
今ならばネット通販でいとも簡単にポチッと入手できるわけですが、もちろんそんな時代ではありません。家から70㎞離れた名古屋まで出向いても、在庫がなくがっかりして帰ったことを何度も繰り返した経験もありました。母の入れ知恵で発売元のカツミ模型店に直接往復はがきで在庫の有無と送料を確認したうえで、現金書留で現金を郵送して郵便小包(現在のゆうパック)で送ってもらいました。
そのときの納品書です。
モハ164は2個モーター車でしたが、3両編成に2個モーターは過剰でした。
その翌年だったか、残るサロ165とサハシ165も購入でき、5形式5両を揃えることができました。
冷房されているのはサハシのビュフェ部分だけで、グリーン車であるサロ165も非冷房仕様です。実車は後期落成車は最初から冷房車でしたし、購入したころにはサロの非冷房車も冷房改造されていたものと思いますが、実車がそのころ中央西線の中津川まで入線することはなく、簡単に見ることができない形式でした。グリーン車マークは別売のシールを貼りました。
高校生になってから、中央西線が全線電化されました。それまでの朝夕の快速に加えて、気動車だった急行「きそ」の一部が電車化されて165系で運転されるようになりました。それまでの153系主体の快速とは異なり、急行編成は一部に混入したサハ153と、生まれがクハ153の改造車クハ164以外は純粋な165系が使用されましたが、せっかく買ったサハシ165が実車編成に組み込まれなかったのが残念に思いました。
またヘッドマークも中央西線の急行には取り付けられませんでした。しかし模型には厚紙に「きそ」「つがいけ」と万年筆で書いた急行「東海」タイプの着脱式ヘッドマークを自作して、正面貫通扉の手すりに引っ掛けて走らせていました。
金属道床の小判型エンドレスを敷設できる場所は6畳間でしかなく5両もの「長編成?」が走るには直線部分が長く取れず不自然でした。ディスプレーするために親戚から中古で譲ってもらった「こけし」を展示するためのガラスケースも、3両までしか収容できず、これ以上の長編成にするつもりはなく、その後、16番の編成モノを買うことはありませんでした。(画像は当時のカツミ模型店のカタログからの転載です。)
編成モノは組む編成パターンが限られることが面白味を欠くなあと思えて、私のその思いは今も変わることがなく、単品や短編成で完結する車種が好きです。
以後、16番の車両数はあまり増えていかず、機関車など単品モノに手を出す程度となり、カメラを持って蒸機の写真を撮るようになると、模型にお金をまったくかけられなくなり、製品が高級精密化とともに高額になっていったこともあって、自然と16番から遠のいていく結果となりました。
この記事へのコメント
ヒデヨシ
キハ17などの今までのコレクションに比べぐっと再現性も高く次元が違いますね
当時は名古屋でも百貨店にも必ず鉄道模型コーナーがありHO(当時はこの呼び方)も置いてあり長い間かぶりついていました。
中央西線
しなの7号
中学生になると、お年玉、小遣いともアップしましたのでグレードは上がりましたが、名古屋まで模型を買いに行くには、小児運賃の適用がなくなりましたし、もし在庫がなかったら…ということです(^^;)
田舎の学校でしたから周りに同じ趣味の友達はなく、専門店の存在も知りませんでした。
しなの7号
中津川電化で153系で1往復登場した快速は、後に線内快速が2本増発されて、そのうち1本が急行玄海の間合い編成でしたね。あのサハシ455が入った快速の再現はNゲージの製品化まで持ち越されました(^^;)。
NAO
このメーカーさんの化粧パッケージを手にしたとき、そしてかたちはいただけないものの、ドローバー中間連結器が付いた車両を手にしたときは大人の仲間入りをした感がありました。だいぶ前ですが、一度仕事で社長さんにお会いすることがあったのですが、当時私はNゲージ「転換」後だったのであまり模型の話しは持ち出せませんでした。
しなの7号
急行であってもサハシやサロを連結した列車は、今どきの特急より格が上に感じますね。交通手段を選択するにしても、鉄道そのものの優位性が今より際立っていたことを感じますし。
ドローバーによる走行は安定していましたが、KTMでは新発売された旧型客車スハ43系にもドローバーが採用されて、自由な編成が組みにくくなることが嫌で(別にカプラー交換すればいいだけのことですが)天賞堂製を買った経緯があります。社長様もこのころとは代が変わっておいでなのでしょうね。
鉄子おばさん
しなの7号
165系は、115系などの近郊型と同じような顔をしていますが、存在感がありますね。2ドアの急行型だからでしょうが、通勤時間帯に快速とか普通列車に使われるケースでは、乗客はもちろん乗務員も大変でした。
TOKYO WEST
父の実家が長野なので、私の小学生時代は特急「あさま」か急行「妙高」「信州」のいずれかを利用していましたが、横軽の関係で「あさま」は食堂車なしの181系8両編成(「白山」は最寄駅通過)、「妙高」「信州」はサハシ組み込みの169系12両編成ということもあり、急行のほうが好きでした。運転本数や料金面からも急行のほうが優位で、信越本線の顔という感じでした。
しなの7号
181系の時代の「あさま」は、急行列車にサハシが連結されるような幹線にあって、異例の短編成の特急でしたね。
国鉄各線がエル特急化される前の急行列車は、他線区でも実質的に輸送上の「線区の顔」は急行列車でしたから、この165系の模型も大量生産されたことでしょう。私が国鉄に入ったころ、急行は特急の補助的な列車に変質していましたが、定期急行列車がJRから消えてなくなる時代になるとは思いませんでした。急行全盛期が鉄道輸送の全盛期であり、国鉄が輝いていた時代とも言えるのではないでしょうか。
やくも3号
私もKTMの165系を持っていました。自分のはすでにAU13付きとなっていました。165系は関西人にはあまりなじみがなく、なぜメジャーな153系が製品化されていないのか不思議でした。買ったのは小学生の時でしたが、当時、高槻駅前に旧型国電や軽量客車のオリジナルキットを発売している鉄道模型専門店があり、塗り替えもしてくれるということで、165系をブルーライナー色に塗ってほしいと相談したことがあります。
KATOからキハ91が出るんですね。数年前にちくわ社のセットとあわせて、宮澤のキハ90/キハ91 1の金属キットを買ったのですが、また放出の憂き目にあうことになると思います。
C11も安価にTOMIXにぶつけてきますし、攻めに入ってきたのでしょうか。
しなの7号
小学生で塗り替えの相談ができる模型店がある環境、かたや私はまともな鉄道模型が買えるところまで70㎞も列車に乗って行かねばならず、16番について語れる友達など一人もいないような田舎の子。。。鉄模文化の違いを思います(;´Д`)
K社からのキハ91のセットでは、キハ91 9が含まれることを評価します。一足先に廃車になったキハ91 1も…と思ってしまいましたが、これは時代設定による結果なのでしょう。
ちくわ社のはともかく、宮澤のキハ90/キハ91 1は貴重では?
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【やくも3号様以外の方に、「ちくわ社」の語源の解説】
「【602】KATO-N蒸機 C12~そして思うこと」の記事に対して、やくも3号様が「M社製の蒸機はプロポーションもさることながら、前照灯がちくわみたいでがっかりすることが多く、全部売ってKATO製に買い替えました。」とコメントされたことから、M社のことは当ブログ内において「ちくわ社」と通称するようになりましたとさ。
門鉄局
サロ・サハシを含む急行編成は今の特急以上の格式があって魅力的ですね。私の鉄道模型入門は汽車会社製Cタンクタイプが動力車のトミックスNO1セットでした。16番ゲージは
鉄道誌の広告で憧れていたものの経済的に無理でした。
高槻駅近くにあったのはミカド模型店だと思います。サンキットというオリジナル商品を発売していて一度友人と行ったことがありますがいつの間にか閉店してしまいました。品揃えの少なかった当時のNゲージと比べると格段に車種が多くて羨ましかったものです。
キハ91系予約してしまいました。量産品では初の「たれぱんだ」919号車が注目ですが、最初1番や冷房車の8号車がないのが疑問でしたが時代設定や床下の加減で今回の車番選択になったのは納得です。特急用新系列181系のプロトタイプとして計画され実用実験で終わった車両ですが、不思議な魅力と貢献度はもっと評価されるべきと思います。
しなの7号
私の小中学生時代はNゲージの黎明期で、153系さえ製品化されていない時期でした。TOMYナインスケールのCタンクさえ、私が国鉄に就職した年の発売でした。そのころは16番の精密・高級化が加速した時期でもあり、私は模型の世界から遠ざかっていきました。
サンキットとはサンロイド製キットのことでしたかね。私は買いませんでしたが、北恵那デ2様たちから、通販で買うから一緒にどうだと誘われたことがあったような記憶です。
キハ91のような伝説の車両?で地域限定の車両がK社からプラ製品で再現されるとは嬉しい誤算ですね。私は直接仕事で関わっていないので現場の苦労は直接知りませんが、ファンとしての立場から見た人気は希少性も手伝って意外に高いですね。
北恵那デ2
TM
KTMの、この頃の165系の模型、味があっていいですね。塗装もボッテリと塗られており、ドア部分は現在のような別貼りでなく、プレス表現でしたね。
室内灯は付いていたでしょうか。現在のような白色LEDはなく、電球でしたので、走行させると当然室内は電球色となりました。
模型でも、165系は3両編成でもいいのではないでしょうか。短い165系の編成も思い出に残っております。クモハ、モハ、クハの3両編成は紀勢線で走っておりましたね。確か国鉄末期に短編成化されたのではなかったかと思います。
ゆっくりとクロスシートに座ることができました。
そういえば、秩父鉄道も165系を購入し、秩父路号として活躍していました。
しなの7号
希少車キハ91系は、当時中央西線に集った蒸機撮り鉄たちが「ついでに」記録されたケースが多いようで、けっこう人気があるみたいですね。まさか老舗K社から発売されるとは思いませんでした。
サンロイドの客車キットは、やはり買われていましたね。あの頃は現像焼付と撮影地への交通費に小遣いが飛んで行ったので、模型車両はあまり買えなくなっていたように思います。
しなの7号
精密になって手が届かない値が付くようになる前の16番には、Nゲージへの分化前の年少者向けの需要があって、リアル・廉価・丈夫さが求められていたのだと思います。この165系もそういう思想が見受けられますし、実車が最低3両で組めたことも、年少者が受け入れやすい電車の製品と言えるのではないでしょうか。それでいてちゃんと室内灯も点灯しました。そのころは特急急行は長編成が一般的で、飯田線の急行こまがねでもクハを2両連ねた4両でした。単品時代のNゲージでサハシ455だけ大量に投げ売りされていたり、サハシ165だけが店頭在庫で残ったりしているのを見たことがありますが、早くに姿を消した車両の宿命なのでしょうか。全盛時代を表現するには不可欠な車両には違いないのですが、省略されやすい形式でもあるようですね。
オシ17
懐かしいです。ずっと前から物置で非公開の静態保存です。私も小遣いを貯めて、一両ずつ5形式新製配備しました。私はサロ165をも含めAU13で冷改しました。あっごめんなさい、もちろんモハ164はAU72です。ベンチレータを外しその穴にクーラーを差し込んだ、外したベンチレータを実際にこだわらず、らしく接着しました。雰囲気重視の変なモデラーですが、それはNになっても変わりませんね。
そう言えば、いつの頃からかカツミ製のボディ材料が変更されましたね。塗膜もうすくなり、、、価格が上がったのと同じ頃のようにおもいますが。
しなの7号
1両ずつ購入して、そのボディ材料の変更などのマイナーチェンジにかかりませんでしたか? 私が買ったあさかぜスタイル中型客車では、後で買った車両が微妙に色合いが違い、台車の質感も違うし車高まで違って困ったことがありました。かと言って一度に買うには小遣いが足りなかったし…。うちの165系は冷改までは考えませんでした。雰囲気重視は私も同じで、特に出費を伴う改造やグレードアップには手を付けないでいます(^^;)
オシ17
165系では塗色の違いは感じませんでしたが、クモハ165が何かの事故で塗膜が傷ついたとき、地金が銀色だったこととあまりの塗膜の薄さに唖然とし、がっかりした記憶があります。
雰囲気重視ながらこだわりもあり、111系もガラベンを移設しAU73を載せました。
しなの7号
鉄道模型は、同じメーカー同じ形式とかシリーズであっても、長い間にグレードアップしたり明らかにコストダウンを意識したグレードダウンがありますね。エンドウの貨車を買い増すたびに感じました。塗装もその一環だったのでしょうね。
当鉄道では16番では大胆な改造はしませんでしたが、Nゲージでは魔改造の私鉄風車両なども在籍します( `―´)ノ
ひょうたん2号
しなの7号
レイアウトも165系電車も個性的ですね。既成概念を取り払った模型の楽しみ方だと思いました。この165系を買った頃は金属道床曲線レールの最小半径はR450で、それほどコンパクトなレイアウトは不可能でした。今の我が家に残した16番製品はB型機関車と二軸貨車だけで、あとは大半を処分しました。ずっと段ボール箱に入れたままなので、たまには虫干しとメンテを兼ねて走らせてみたいと思いました。
ひょうたん2号
きっかけは、6年前にある模型店へ行った時の店員さん同士の会話で「部屋で走らせるなら編成物の長さは 1m 位で良いと思うけど」とあったことです。その時から、私の6畳一間にあるレイアウトの寸法は畳1枚程度の大きさでできないものか、と考えるようになりました。そして、どこかのブログで「畳1枚から始めるHO」(正確なタイトルを忘れました)を知り、それを基に編成長の長さを原則最大4両(1m)とするため、レイアウトの広さを 1m x 2.1m と決め、最小曲線半径を360mmとしています。これに複線として437.5mmの曲線を外側に配置しています。そして編成長を考慮して、偶然見かけた委託品としてクモハ165、モハ164、サロ165、クハ165の4両を購入しました。(他の編成物も原則4両です。)
先日も別の模型店へ行った時も店員さんとの会話で「4両編成くらいでも楽しめると思います。」ということを聞きましたので、私の取り組みが決して間違っていなかったと思うと、うれしくなりました。16番・HOゲージにはそれなりの楽しみ方がある意味が何となく分かりつつある今日この頃です。大きさを活かすことがポイントとなりそうです、あとは個人のアイデア次第ですね。
しなの7号
メーカーが推奨する遊び方が、それぞれの規格にあるものですが、必ずしもそれにとらわれない自分の感性の表現としての鉄道模型とでも言えましょうか。16番は自分で車両加工や自作がしやすいので、精密化路線とは一線を画して、オリジナル仕様改造車とかギミックを付加することは楽しいと思います。また、半世紀前の製品の未完成度を楽しむのもよいと思っています。
現在はNゲージの私も、ミニカーブレールが発売されたことによってスチール棚のレイアウトにたどり着きました。
【855】スチール棚の小レイアウト完成画像1
https://shinano7gou.seesaa.net/article/201802article_7.html
急カーブ部分の不自然感はあっても、小径レールの存在によって、レイアウトが棚に収められたことのメリットは大で、狭い部屋では効果を上げています。