年賀状を書かなくなって5回目の正月を迎えようとしている。
平成24年に義父が、続いてその翌年には実父が亡くなったので、2年連続して年賀状は欠礼とさせていただくことになり、同じ年に自らが勤務先を退職したこともあって、これを区切りとして以後は年賀状を基本的に書かないことにした。喪中だった2年間、連続して年賀状を出さずとも、3年目以降も忘れずにお出しくださった方もあったけれど、折り返し寒中見舞状を出して失礼を詫び、趣旨をご理解いただくよう書いて送っておいたので、次の年(つまり今年)いただいた年賀状は減った。来年以降も方針は変えるつもりはない。
自分でパソコンを使って年賀状を作りながら、昔の手書きの年賀状のような重みがなくなったなあと感じていたし、せめて添え書きの一言を書ければと思いつつ、差出期限の日が迫ってそのまま出してしまうのが通例で、考えてみるまでもなく、何十通もの年賀状に心を込めた添え書きをすることはなかなかできることではなかった。
皆さんは、これまで送られた年賀状をどのように扱っておられるのだろう? せっかくいただいたものだから、永久保存なのでしょうか? それとも翌年発送するために直近の何年分か決めて保管しておくのでしょうか? 私の場合は、これまで自分宛てにいただいた年賀状は、1枚残らずとは言わないまでも、ほとんど全部を年別に区分して段ボール箱に保管していた。保管していたのなら、時には見返したりして近況伺いの手紙でも認めていれば理想的なのだが、まったくそんなことはなく、何十年も段ボール箱に入れっぱなしだった。
これが年賀状の束。右側には冠婚葬祭の挨拶状が含まれる。
かねてより身の回りの物を減らす努力をしてきた私にとって、年賀状はそれほど場所を取るものではなかったのと、送ってくださった方々の気持ちを思うと捨てたりできなかったから生き延びていたにすぎない。一番古いのは小学校2年生の時の担任の先生からいただいたガリ版刷の年賀状で、それから約50年分になる。年賀状を保管していた段ボール箱をヘルスメーターに載せてみると7㎏以上もあった。その枚数は正確にはわからないが2000枚くらいかと思われる。捨てることは簡単だが、「身の回りの物を減らすこと」「送ってくださった方々の気持ちを思うと捨てられないこと」を、ともに解決する方法として、暇に任せて、今年の春から夏にかけて、全部の年賀状をデジカメで撮影して画像ファイルとして残し、現物の大多数を廃棄することにした。その作業では、長い間見ることがなかった古い年賀状たちを1枚ずつ改めて見る貴重な時間にもなった。
その作業中、年賀状1枚ずつに見たのは自分が生きてきた歴史そのものだった。そこで思ったことや気が付いたことを今週から毎木曜日に少しずつ綴っていこうと思う。
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毎年、干支の版画を彫って年賀状に捺して送ってくださった方がいる。パソコンで印刷されたものとは一味違って、そういう年賀状は毎年ひときわ目立つから、受け取ったほうとしてもハガキの表に書かれた差出人が誰であるか見なくてもわかる。
彼からの年賀状を並べてみると、十二支すべてが揃った。
単純に12年かと言われるかもしれないがそうではない。年賀状とともに保管してある喪中の年賀状欠礼ハガキは、私どもの年代になると多くなる。いずれかの親族に不幸があった年には年賀状は書かないし、その12年の間には双方の親族に不幸があったから、それ以上の期間の付き合いでないと十二支のコンプリートはできないことになる。
そうして見ていくと、12年前の同じ絵柄の版画の年賀状も見つかる。「ははぁ、彼は12種の版画を使い回しているな」とそこで気が付くことになる。
そして今年、私は年賀状を出さなかったが彼からは年賀状が届いて、同じ絵柄の年賀状が3枚になった。それは年賀状をやり取りするようになって干支の2周りを越えて25年以上経ったことを意味する。
左から、1992年、2004年、2016年の年賀状だ。
「間違い探し」をすると1992年の版画にだけ、サルの尻尾で「‘92」が表現されている。12年後の版画では一番下の尻尾は削られてなくなり、代わりに落款がある。
郵便料金も25年の間に変わっていったことが判る。
来年は国鉄が分割民営化されて30年目の年になる。彼は私が国鉄退職後に再就職した会社で知り合った人なのに、お付き合いが始まってから十二支を2回り以上したことになるわけで、国鉄がものすごく遠い時代に思えてしかたがない。
※版画製作者には、画像公開に対して了承取り付け済。(ただし高い著作権料を徴収されそうorz)
この記事へのコメント
北恵那デ2
なはっ子
はやたま速玉早玉
モノで溢れる空間が嫌いだもんで、私は基本的に『処分』する方針です。今現在残留している年賀状は、ある程度以上のお付き合いをしている方からのものであり、これらに関しては逆に『処分』する気は全く無く、むしろ大切に『保管』しています。
今、交友ある方の中には年賀状は『出さない』方針の方も少なくありません。加えて、今勤務している会社も年賀状を出さなアカン慣習が無いので、今後も年賀状で溢れかえる事は無さそうです。
先日TVで付知峡が取り上げられており、渓谷を流れる水が凄く澄んでおり『なんじゃこりゃあ~!』と興奮してました(笑)北恵那鉄道廃線跡を巡る旅、実施にあたり付知峡にも一緒に訪問せなアカンですね(*´∀`)
NAO
枚数も以前に比べると激減している。社内でも個人情報保護の観点から緊急連絡先電話連絡網を作成してあるものの、部内住所録さえ無い時代になってしまったからである。
中学生ぐらいまでは年賀状作成の季節になるとここぞとばかりに干支は後回しにして鉄の絵を描いたものだ。D51、ヘッドマークも誇らしげなC62、EF65PF.....。一度駅売りの片道補充券を真似て旧年干支→新年干支のイラストを描いたところ、黒線縁取りまで引いてしまい、慌てて没にしたのも思い出した。
しなの7号
北恵那デ2様からは、たぶん写真部室でご自分で焼かれたであろうモノクロの北恵那鉄道走行写真入り年賀状をいただいています。画像付の年賀状はそう何枚も作るわけにもいかず、パソコンとプリンターがないころは大変な作業でしたが、時間と経費をかけて作っていただいたものなので、そういう年賀状は1枚の価値が重かったように思います。そう言えば家族写真もいただいていましたよ。ありがとうございました。
しなの7号
ユースホステルを利用したことは、数泊程度はあるのですが、すべて単独行ではなかったこともあって、他の宿泊者さんとの交流はなくて年賀状のやり取りに発展したことはないです。しかし、そのときいっしょに旅したメンバーから、ある日突然、旅先から「今、北海道に来ています・・・」などと旅先からハガキが届いたことはありました。消印がそれを伝えていますし、見覚えのある筆跡。今どきのメールでは伝わらないものがハガキからは伝わってきます。
しなの7号
年賀状に限らず、ほんとうに必要なものとの分別をして計画的にモノを廃棄してこなかったツケを、この数年で一気に解消しつつあります。けれど依然として物置同然の空間で寝起きしているので、さらなる処分が必要ですが、特に書籍や資料の類が捨てられません。
付知峡は夏~秋がオンシーズンですから廃線跡のほうがシーズンオフになってしまいますが、新緑の時期なら廃線跡の叢に入らなければ両方楽しめると思います。
しなの7号
私の会社もかなり前から虚礼廃止を推進していましたから、会社関係の儀礼的な年賀状はありませんでした。要するにほとんどが交友関係の年賀状ばかりなので、だったらきちんと添え書きもして、せめて宛名書きくらい手書きでと思いつつも、毎年時間切れ。私も、子供のころに1枚ずつ丁寧に、けれど下手くそな絵を書いたり手間暇をかけて書き上げものです。そういうのが、本物の年賀状だろうと思えます。
私はマルス発券特急券を真似た様式で描かれた年賀状をいただいたことがあります。大人になってからです(^◇^)
門鉄局
年賀状はせっかく頂いたものであり、今ではめったに来ない手紙なので処分に困ります。近年は主流の表裏印刷の儀礼的なものから、全て手書きの気持ちのこもったものまで様々で十把一からげの扱いとはいかず苦慮します。小・中学生のころ下手ながら一生懸命書いたイラスト年賀状には今とは全く違う気持ちがあったことを思い返すと懐かしいです。NAO様の「干支なんか後回し、好きな鉄道車両を書いてやる」というお気持ちすごくよくわかります。
私もここ20年ほどパソコンで制作するようになりましたが、ひとこと汚い字ですが自筆で書き足すようにしています。数年前からデジカメに移行したこともありその1年間のお気に入りの写真を印刷していますが、2014年は片上鉄道保存会、15年は加悦SL広場で今年は喪中でなし。来年は
最近度々訪問の北条鉄道かなあと考えています。JRの幹線列車や私鉄特急の写真がほとんどないのは私の今の趣向を表しています。
しなの7号
すべて手書きで年賀状を書ける方は、今では少数派ですね。とても真似ができません。インクリボンを使うプリンター付ワープロが普及する前までは私も1枚ずつ年賀状を書いていたのですが、以後は添え書きさえほとんど書かなくなってしまい、拙ブログを始めてからは、ご覧いただければ自分の消息はわかっていただけますので、全廃に踏み切りました。ちょっと皆さんに失礼かとは思いましたが、たまたま今朝もラジオで、山本晋也さんが、中学1年の時に年賀状を書くのを止めたとおっしゃっていましたので、ずいぶん早い決断だなと思ったことです。
パソコン導入以後、私は鉄分のある方には鉄写真入りで年賀状を作っていたのですが、今年なんかは撮り鉄らしいことはまったくしていないので、鉄写真を入れた年賀状はどちらにしても作れそうもないです(^^)…と、いう以前に、写真を撮りたいと思う列車がなくなりました(;´Д`)
年賀状を書くとしたら、せっかくの挨拶状ですから、ある程度は自分の趣味を取り入れたいものですし、現況も簡潔に伝えるべきだろうなと思います。
鉄子おばさん
しなの7号
一年が早く感じられるようになりました。
図画工作は私もダメダメでしたので、こういう年賀状は作れませんでした… でも、挨拶文以外に、真心がこもった一文が添えてあるだけで、差出人の気持ちが伝わるものですね。古い年賀状を見ていてそれがよくわかりました。100均に売っているハガキホルダーで、1年分ずつ整理する方法も考えたのですが、モノを減らす方を優先して、画像ファイル化しました。