【744】 年賀状3: 小学生から高校生までの年賀状

いよいよ12月になりました。そろそろ年賀状を書かなくてはと思っておられる方も多かろうと思います。どうせ書くなら、受け取った方がいつまでも心に残る年賀状を書いてあげてくださいね。そういう私は年賀状書きをせず、約50年にわたって保管していた年賀状の大部分を廃棄させていただき、そのすべてを画像ファイル化して保管しました。お送りいただいた方々には申し訳ありませんが、画像はいつでも自分が見られる状態で、少なくとも私の生存中は保存して、そのお気持ちは忘れないようにいたします。撮影に当たって、それまで保管してきたすべての年賀状の1枚ずつに、目を通させていただきましたら、そこに見たのは書いてくださった方のお気持ちと消息のほかにも、自分が生きてきた歴史そのものが見えました。そこで思ったことや気が付いたことを毎週少しずつ綴っております。

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小学生時代にいただいた年賀状は、全部残っていないかもしれない。
友達から送られた年賀状では、小学3年生の正月にいただいたのが一番古い。鉛筆で下書きをしたあとに慣れないボールペンで習っていない住所氏名の漢字を一生懸命に書いたことが分かるものもあった。
高学年になると、親しい友達には年賀状を書くのが流行ってきたのか、残っている年賀状の数が年々増えている。年賀状を書くと「年賀状書いたからね」と予告することもよくあった。
この年賀状も「ON(オーエヌ)の年賀状送るからね」と予告されたもので、小学5年生のときにいただいたもの。
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当時のヒーロー「王と長嶋」だ。そのハガキの表面は、上段に住所氏名が書かれ下段には「新年明けましてお目出とう。国鉄と野球とどちらがすきですか。」というメッセージ。
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中央西線が中津川まで電化されて、同時に181系気動車による「しなの」が1往復新設された直後で、クラスメイトにも鉄道少年であることが知られていたことがわかる1枚だ。そして学校では野球が流行っていて、クラスの有志でチームが結成されていた。私の背番号は28番で、補欠の補欠だったから試合には出なかったけれど、トランジスタラジオで、いつも中日ドラゴンズの野球中継を聞いて、一喜一憂していたころだ。テレビでは中日の試合が放映されることは少なかったから、いつもラジオだった。
      ↓
【92】 中日球場アクセスの記憶……国鉄×自動車

それにしても、このハガキには「ON年賀状 少年ブック正月特大号ふろく」と印刷されている。買ったばかりの貴重な少年雑誌の付録だったはずなのに、わざわざ私に送ってくれた気持ちがうれしい。しばらく勉強机の前の壁に画鋲で留めておいたので、一番上の画像を見ると、その画鋲の跡が王選手のバットの先端左上あたりに残っているのがわかる。
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そのころの年賀状はすべて手書きなので味がある。字を見ただけで、これはあいつからの年賀状!と判ったりする。

中学生になると、女の子からの年賀状がパラパラ目につくようになる。なぜにこの子から来たのだろうという年賀状もあるが、こちらも相手を意識して書いたこともあるから、それとなく理由はわかる。このころの年賀状は、想いを伝える大切なアイテムだったはずだ。書いてある内容はまったくありきたりの文言(自分もそうだったはず)だけれど、年賀状を出すことに意義があったのだ。

高校生になると、写真部に所属する者からは、自分で現像した鉄道写真の年賀状が送られてくるようになる。高校生のときに中央西線と篠ノ井線全線が電化され、地元から蒸気機関車の配置がなくなった。そういう年賀状からは、その時の自分のかすかな鉄の記憶が目覚め、時代がそのときに巻き戻される。
そのころから近年まで、撮り鉄を続けられた方々も何人かおられ、いつもその前年に撮影した鉄道画像をいただいた。さらに登山を始められた方もあって、いただく画像も山岳写真になった。これらの写真には、プロ顔負けと思える作品がたくさんあって、それらは廃棄せず残してある。古いものから新しいものまであるが、あえて小さくして掲載させていただく。
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また、ご本人に了解を得ていないので、あえてハガキそのものの画像はアップしないけれど、高校在学中の1975年に、年賀ハガキを3枚も使って、ご自身の将来を年表的にまとめた年賀状をくださった方があって、その内容には笑える。一部転記すると、こんなことが書いてある。

「1986年には〇〇(高校のクラスメイトの女子)と結婚し、5か月で子供が生まれ、
 1989年には東大助教授になっており、動物の新種を発見してノーベル賞をもらい、
 1991年には東大教授。2人目の子が生まれ、文化勲章をもらい、
 2008年には東大を引退。不老不死の薬を発見。世界人口のことを考えて自分一人アルプス地方へ行き、死んだことにして、ひっそりと暮らす。」
・・・さらに続いて、中間は省略するが・・・
「AD30000年にはタイムマシンを発明し、操作ミスで1976年1月1日21時35分57秒に戻り、その際不老不死の薬を忘れてきたために、平凡な人間として暮らす。」

ということだそうだ。今改めてみるとおもしろいが、ご本人はたぶん覚えておられないだろう。
このとおりに事が運んでいれば、今頃の彼は一人アルプス地方でひっそりと暮らしているはずだが、私の記憶では、その〇〇と結婚したとは聞いていないし、彼がノーベル賞を受賞した話を聞いたこともない。それに彼は今年は地元で同窓会の幹事をしているらしく、先日も彼から同窓会の出欠伺いが届いたから変だ。どうやら私が知っている彼は、実は30000年近い未来からタイムマシンに乗って戻ってきた後だったことになると思うのだが、ご本人には確認できていない。同窓会には行かないけれど、行く人があれば、ぜひ彼に30000年先の世界のことと、アルプス地方のことについて教えてもらうとよいだろう。

この記事へのコメント

  • 早通団地

    こんにちは。

    私の小学生~高校生の頃の年賀状は、ほとんど記憶していません(笑)。5年生になる年の1982年だったかにクラスメートの友人から一枚届き、余っていた年賀状でお礼をかねて出した程度で、他は従弟に送る程度でした。

    そういえば小学生の頃は、校内年賀ハガキなんてのがあり、通常のハガキと同じサイズ。切手の部分には校章が印字され、下にはお年玉年賀ハガキと同じように番号があり、それに当選すると児童会から鉛筆だったかもらえたように記憶してます。
    同じ校内の小学生に出すのに、
    ○○小学校○年○組
    ○○ ○○様
    ○年○組
    ○○ ○○
    なんて書きました。

    年賀状ではありませんが、昭和から平成に元号が変わった1989年の10月頃、高校3年の時に国語教科の先生が病欠で離脱。一ヶ月すると、代わりに若い女性教師(4歳くらい年上)が赴任してきました。

    ほとんど生徒のお喋り(所謂、私語ってやつですね)ばかりでほとんど授業にならず、それでも一生懸命授業されていました。

    その先生とは一ヶ月弱の短い期間でしたが、最後に手紙くださいと住所を黒板に書いてお別れの挨拶。
    ほとんどの生徒はシカトしてましたが、私はちゃっかり書き写しました。

    新しい学校へ赴任して落ち着いた頃を見計らって手紙を書き、しばらくしたらお礼のハガキが続きました。つい数日前、そのハガキが出てきて懐かしく読み返しました。


    今では様々な事情で住所や所在地などを突き止めるのは困難な世の中ですが、先生の笑顔は27年経った現在でも昨日のことのように、懐かしく思い出されます。

    また長文になってしまいましたね。失礼しましたf^^;。
    2016年12月01日 15:02
  • しなの7号

    早通団地様 こんにちは。
    虚礼廃止が言われるようになったのが、私が就職してからのように思いますので、学校内での年賀状なんかは郵便はがきで出すのはやめようという取り組みだったでしょうか。私どもにはそういうことはありませんでした。
    先生とのお手紙のやり取りは、いい話だなあと思って拝読しました。まだ教壇に立たれて間もないころの教え子からの手紙は先生もお忘れではないでしょう。私は人にものを教える立場ではないですが、それでも車掌になりたての頃に、お礼を言われた話(【384】特定車掌~武豊線篇https://shinano7gou.seesaa.net/article/201306article_5.html)とかは、いつまでも忘れないものです。

    電話やメールと違い、自筆で書いて切手を貼ってポストに入れるという作業は時間と手間がかかりますが、確実に相手に気持ちが伝わるものです。さだまさしが歌う「Birthday」という歌(NHK‐TV 鶴瓶の家族に乾杯のテーマ曲)のなかに「やさしい手紙をありがとう~中略~こんなわたしのために、こんなにたくさんのあなたの時間をくれたのですね」とあるのですが、手紙を書こうしてくれた方が、ご自身の時間を割いて自分だけのために送ってくれた手紙は宝物です。印刷されただけの年賀状の大半はシュレッダーにかけましたが、このブログで取り上げたような、思い出深い年賀状は捨てずに保管していますし、手紙の類は数が多くはないので、現物の大部分を保管しております。
    2016年12月01日 16:22
  • 早通団地

    こんばんは。返信ありがとうございます。

    特に校内での年賀状のやり取りはやめようと言うことはありませんでした。
    校内年賀ハガキは、一つの学校行事みたいなものだったような印象ですが、郵便の仕組みを学ばせる意図があったのかも知れません。

    当時は学級名簿や連絡網は当たり前に作成され、学校からのおたよりとして各家庭に配布されてましたね。保護者の職業も書かれていたような記憶があります。

    27年前の先生との手紙のやり取りですが、それ一度きりだったと思います。いや、専門学校進学した直後、一度だけあったような…?(県外の学校に通いました)

    社会人になって2年ほど経った頃、当時の別の国語教科の先生がまだ地元におられたので(部活の顧問でもあり、その時は別の高校へ転勤)、自宅へ遊びに行った時にその先生のその後を聞いてみましたが、わからないなぁとのことでした。

    いただいたハガキにはもちろん住所も書いてあり、まったく知らない土地ではありませんが、何となく手紙を出すのは躊躇してそのままです。
    ハガキの消印が平成1年を見ると、今じゃその平成初期に生まれた子が高校の教壇に立っててもおかしくないんですよね^_^;
    2016年12月01日 20:59
  • しなの7号

    早通団地様 おはようございます。
    郵便の仕組みを学ぶには校内年賀ハガキはよいことだと思います。時代背景から、虚礼廃止や郵便料金の値上げで、本当の郵便を手紙を書く機会が減ったから始めたのかという見方もできるかと…
    自分の高校生のころの名簿にも親の職業が載っていました。「国鉄職員」もパラパラありました。
    鉄道でも私の同僚のお子さんがJRの社員になってご活躍されている時代で、近年中に国鉄出身者はJRからいなくなります。
    2016年12月02日 07:42
  • NAO

    おはようございます。
    さきほど帰宅してたまたまテレビを点けましたら、現代の米軍空母が真珠湾攻撃の日にタイムスリップするという深夜の映画番組が放映されていました。2人の人物と1匹の犬はそのまま元の時代に戻らないエンディングでしたが、その同窓の方もまだタイムマシンに乗れる機会があるかも。
    私は中学生のときに女の子から年賀状なんか貰ったことはありません。なんと羨ましい。
    (´゚д゚` )ィィナ
    3番王、4番長島の時代ですか。写真はもちろん後楽園球場でしょうね。
    2016年12月04日 04:53
  • しなの7号

    NAO様 おはようございます。
    タイムマシンとかSFの世界には全然興味を示さないような夢のない子供だったので、将来の野球選手は現実的ではなかったし、国鉄職員ならなれそうといったところに落ち着いたのでしょう(^^)
    ところがこうやってコメントを書いている行為にしても、当時とすれば信じられないパソコンとインターネットを使っているわけで、いつかは信じられないタイムマシンで国鉄時代に容易に戻ることができるのでしょうか。でもそこに戻って当事者にはなりたくないので、客観的にその時の自分に会って、将来は(少なくとも2016年12月4日の朝まで)は無事に居られるのだから、分割民営化の波も乗り越えて頑張れと励ましてやりたいです。
    高度経済成長期と巨人の9連覇は私の小中学時代と重なります。その前後では子供の世界でも、意中の人に想いを伝える方法も変わっていたのですかね? ほかには友達を介して間接的に伝えてもらう手段しかなかったですが…ただあれはすぐに周囲にバレて…
    時代の違いでなく、この年賀状のように、これだけ鉄道少年が有名になるような少人数の田舎の学校だからこその流行で、遊びの一種だったのかもしれません。
    後楽園球場には、試合終了後に一度だけ足を踏み入れたことがあります。
    【448】乗務先での東京見物
    https://shinano7gou.seesaa.net/article/201401article_4.html
    2016年12月04日 08:05
  • 門鉄局

    しなの7号様、こんにちは。
    昔のすべて手書きだった時代に比べると味気なくなったと思いながらも、あの時代に生活を戻せるか?と問われれば無理ですね。パソコンやスマートフォン・インターネットなど当時の人間からすると信じられないことで、あと20年30年先にどんな世の中や生活になっているかを考えると恐ろしい気もします。年賀状も近年義理と惰性で出してるような感じです。しなの7号様のように虚礼廃止すべきかもしれませんが、退職されてもう何年もお会いしていない方とは年に一度のお付き合いなのでなかなか踏み切れません。
     私の小学生時代ブルートレインブームもあり、鉄道はメジヤーな趣味でしたが今では少数派のようで寂しい限りです。
    ただ私が現代に生まれていたら興味を持ったかは怪しく、そうなると別の職業・全く違う人生になったわけです。若い人に「国鉄時代を知っているなんて羨ましい」と言われたことがありますが、熱い鉄道ファンだった私も国鉄もすっかり遠い昔の話になってしまいました。
    2016年12月04日 14:27
  • しなの7号

    門鉄局様 こんにちは。
    卒業・退職・転居などなど、人生ゲームの節目となる場面がいくつかあるものですが、自分の最後の大きな節目がこのたびの退職でした。この機会をとらえ、我が家では身の丈に合うように改革をしました。その一つが年賀状を廃止することで、いただいた方には趣旨と拙ブログのURLを書いた寒中お見舞い状を差し出すように改めました。

    私の中学生ころにはSLブームがあって鉄道がメジャーな趣味になりつつありました。
    自分も今の時代に生まれていたらと考えますと、さて何ができるか? 何に興味を持ったか? 見当が付きませんが一人でフラッと乗れる鉄道旅にはハマっていたかもしれませんが、鉄道に就職したいとは思わなかったでしょうね。それは変な先入観?があるからですが(^^;)
    2016年12月04日 15:01
  • はやたま速玉早玉

    しなの7号様、こんばんは。
    小中学時代の年賀状は大昔に処分済みです。これを機に保存してある高校時代の年賀状を久々に見直してみました。その全てが部活動(ワンダーフォーゲル)関係で、ともに活動した仲間および顧問の先生方から届いた年賀状です。LINE等を通じて連絡を取り合っている方もいますが、大半の方とは疎遠になっているのも現状です。懐かしい方々と再会してみたいですね…
    2016年12月06日 22:44
  • しなの7号

    はやたま速玉早玉様 こんにちは。
    部活や趣味活動、昔の仕事などで共に過ごした仲間ですと、その仲間内だけでしかわからない共通の話題があることですし、お会いしておきたい方とは、会えるうちに会っておくことをお勧めします。この年になると会いたくても会えなくなる人が出てきてしまいまして(-_-;)
    大勢で集まろうとすると、なかなか事が進展しませんので、とりあえず少人数で。
    それだけでも間接的に他のメンバーの消息がわかったりしますよ。
    2016年12月07日 11:46

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