これまで約50年間にわたっていただいた年賀状。それを改めて1枚ずつ拝見して、思ったことや気が付いたことを毎週少しずつ綴ってまいりました。今回で完結です。
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<昭和63年の年賀状>
前年に国鉄の乗務員生活を終えた私は、国鉄清算事業団からの派遣員として再就職していた。子供のころから住んだ実家からの転居を伴い、年賀状のやり取りをしている方々には転居のお知らせに再就職先も付記して予め出してあったので、転居先のアパートには、いつもの年のように年賀状は届いた。
いつもの年と違うのは、新しい勤務先はどうですか?といった添え書きがあったり、私と同じように転職した方々や、JRに採用後に転勤した方々からは、新しい仕事先が書かれていたりしたことだ。
私どもの年代は、この分割民営化前後の数年間は結婚ラッシュの時期でもあった。このころから、お子さんの写真入りの年賀状が増えた。そして、ワープロ打ちの年賀状も目立つようになる。
年賀状以外にも、転勤や結婚に伴う転居のお知らせが多かったのもこのころである。
<平成に入ってからの年賀状>
鉄道に残った方々も、少しずつ車掌から転身されていく。
下の画像は、国鉄時代に名古屋第一機関区で検査長をされていた方からの年賀状のコメント。転職先の仕事を通じて知り合い、前の年に特急気動車の画像入りの年賀状をお送りしてあった。キハ181系の初期故障については知られているが、実際に検査修繕をされていた方から直筆で書かれると真実味が伝わってくる。
平成10年代に入ると、パソコンを使って作られた年賀状が増えてくる。
しかし、まだまだこのころは、家庭におけるパソコンやインターネット接続は始まったばかりの時代であって、
「パソコンを導入しましたが少々苦戦しています」
「フィルムスキャナーを買ったものの習得できず」
「インターネットにはまだ接続していません」
「早くインターネット接続を!」
という添え書きがあったりして、そういった背景がうかがえた。
そして、いただく年賀状にはお子さんの写真が少なくなっていき、かわりに近年はお孫さんを抱いた写真が届くようになった。
あと、最近思うのは、ご両親が亡くなったことによる年賀状欠礼の便りが増えたこと。なかには、友達や同僚本人の訃報に触れることもあり、なんともやりきれない。
このようなことから、国鉄があった30年前というのは、はるか彼方に遠ざかった時代であることを感じずにはいられない。そして50年間にわたって保管してきた年賀状には、まさに自分自身の歴史が刻まれていたことに気付く。
そしてその年賀状をくださった方々お一人お一人にも、同じように半世紀の歴史が刻まれている。
国鉄のことなど、すでに伝説になろうとしている。そして列車掛の同期生から定年退職の便りが舞い込むような時代になった。
やがて近い将来にJRから国鉄出身者がいなくなるはずだ。鉄道そのものが変わったのはもちろん、取り巻く環境や使命も変わった。新しい時代の鉄道は、私のような者には理解できない異次元にあるように思う。けれど国鉄での良い伝統だけは永遠に受け継がれていくものと信じていたい。
失礼ながらほとんどの年賀状はシュレッダー処理させていただいたが、それまで保存してきたすべての年賀状は画像ファイル化して保存してある。私は自分で撮影した写真なども、すべて画像ファイル化して、一昨年までに紙焼き写真はアルバムも含めて、そのほとんどを廃棄(ネガは継続保存)した。どちらも自分の足跡をたどるためには絶対必要なものであったが、いつでもファイルを開けばあのころにタイムスリップすることはできる。
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これで、2016年の記事更新は終わりにします。
この1年間、拙ブログにお越しいただきありがとうございました。新年は1~3日まで、新年のご挨拶がてら、毎日お昼までに記事更新を予定しています。来る新年も、どうぞよろしくお願いいたします。
2016年12月30日
昭和の鉄道員ブログ管理人 しなの7号
この記事へのコメント
hmd
なはっ子
しなの7号
拙ブログに長くお付き合いいただきありがとうございます。
この数年間だけでもいろいろな出来事がありましたが、それらをひとつずつ片付けて、またひとつ区切りができました。誰しもこんなことの繰り返しをずっと続けて歩んでいくものですよね。
貴ブログの半田の記事も拝読しました…と書いて第2弾に今気付きました。これから拝読します。
来る新年が良い年でありますよう祈念しております。
しなの7号
「字は体を表す」と言いますが、上手下手とは別に丁寧か雑かで性格がにじみ出るものですね。下手なのは仕事などで字を書いていたころ、少しは上達したようにも思いましたが、この10年くらいで仕事でもプライベートでも自筆をする機会が少なくなって、一段と字が下手になりました。性格による癖字はいつまでも直りませんので嫌になります(^^;)
はやたま速玉早玉
二十歳前後の方々と会話中、『国鉄』の話題を振ってみても『国鉄って何ですか?』と返されてしまいます。私が中学生まで当たり前に接してきた国鉄ですが、やはり伝説ですね。同じく『電電公社』も通じません。オッサンになったという事でしょうか(苦笑)
今年は、印刷済み既製の年賀ハガキに色鉛筆にてDF50+旧客のイラストを加えてみました。絵の才能は持っておりませんのでかなりデフォルメしたイラストです。
【746】年賀状4での『無形の財産』心に響いた言葉です。私自身、この言葉のお陰で仕事仲間への接し方が変化した気がします。職場のチームワークは本間に大切なんだと再認識出来ました(*´∀`)
最後になりますが、来年もよろしくお願い申し上げます。良いお年をお迎えくださいませ。
しなの7号
平成生まれの方々に国鉄は通じないでしょうね。私が国鉄に就職したころには「わしは鉄道省の採用で…」という人さえいましたからね。それと似た感覚かも。若い人々にも鉄道ヲタクの人口は多いでしょうから、せめて鉄道に興味を持った方々には、日本の鉄道の歴史をたどっていただきたいと思います。
DF50と旧客の年賀状、拝見したいです。私も図画工作の成績は悪かったのですが、小学生の時に鉄道物を描いた絵だけは賞状授与したことがあります。好きこそモノの上手なれと言いますが、熱意が大事で、それは年賀状の受取人様に伝わるものでしょう。ひいては無形の財産になりうるものと考えます。
はやたま速玉早玉様も良いお年をお迎えください。
NAO
今年も記事、写真で楽しませていただきました。来年も期待しております。
どうか良いお年をお迎え下さいませ。
門鉄局
今年もあと数時間になりました。来年で国鉄消滅から30年ですがマスコミには多くの職員の犠牲の上での分割民営化であった事実を伝えて欲しいです。決して「祝創立30年」ではないことと行き過ぎた合理化が餘部・信楽高原・福知山線の多くの犠牲者を出す事故につながったことを忘れてはならないと思います。
年の瀬に暗い話題で失礼しましたが、来年もよろしくお願いいたします。しなの7号様をはじめ、皆様良いお年をお迎えくださいませ。
しなの7号
お仕事ご苦労様です。商取引で年賀状をやり取りするような仕事に就いたことがございませんが、会社相互間の推進力に寄与する年賀状は本来の使命を果たした幸せ者です。
いつもありがとうございました。来る新年が良い年でありますよう。
しなの7号
まったくそのとおりですが、だんだん年ごとに1年を早く感じるようになったのは年のせいかな?と思うことしきり。10年ひと昔。残念だけれど、その3倍の年月の間には世界が塗り変わり、人々の記憶が薄れるだけでなく、同時に正しく伝わりにくくなっておかしくないと思ってしまいます。
門鉄局様もどうか良いお年をお迎え下さいませ。ありがとうございました。