【752】 年賀状6: 国鉄時代末期(昭和61~62年)

私は、今年これまで約50年間にわたって保管していた年賀状の大部分を廃棄させていただき、そのすべてを画像ファイル化して保存しました。お送りいただいた方々には申し訳ありませんが、画像はいつでも自分が見られる状態で、少なくとも私の生存中は保存して、そのお気持ちは忘れないようにいたします。撮影に当たって、それまで保管してきたすべての年賀状の1枚ずつに、目を通させていただきましたら、そこに見たのは書いてくださった方のお気持ちと消息のほかにも、自分が生きてきた歴史そのものが見えました。そこで思ったことや気が付いたことを毎週少しずつ綴っております。


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国鉄は1980年代に入ると、ダイヤ改正のたびに長距離列車の廃止や貨物輸送の縮小が続き、逆に都市近郊の普通列車は増発された。国鉄全体としては減量経営が推し進められ民営化への移行準備期間とも言えたように思う。当然、職員の定員が減るだけでなく、労働条件は厳しいものとなっていった。雇用に対する不安も出てきた。


分割民営化を1年3か月後に控えた昭和61年の年賀状から

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「何かときびしい折…」

「今年はいよいよ正念場…」

「激動の年 今後どうなるのかわからない…」

国鉄分割民営化を翌年に控えた年の初めらしい文言が並ぶ。国鉄職員誰もが思ったことが率直に書かれていると思う。

この年は意外なところから年賀状が「妻あて」に届いた。

所属現場長である車掌区長からであった。

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「西明石飲酒事故」が、国鉄の信用に大きな影を落としていたことがわかる。とりあえず分割民営化まで無事故で乗り切りたいという当局の思いは、職員にはもちろん伝わっていたけれど、家族あてにも年賀状を出して「絶大なる支援」を願い出る行為に出た結果だったのだろう。


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そして国鉄最後の正月になった昭和62年の年賀状から。

このとき私は転職先の就職が内定しており、鉄道に残らないことが確定していたが、いつから採用となるのかさえ判らずにいた。しなの号の乗務で何度か一緒に乗務してご指導いただいた車掌長氏に、この年にお礼の意味も込めて初めて年賀状を出したところ、正月明けに丁寧な添え書きの年賀状が届いた。

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「憧れの車掌だったと思いますが一歩一歩、目的に向かって前進ご活躍下さい」とあった。別に目的も目標もなかったけれど、この車掌長氏そのものが私の憧れであったといってもよく、ご一緒に乗務できたことこそが一生の思い出であり宝物となった。


この直前の11月に行われたダイヤ改正前後には、職場では人事異動が続いたし、すでに新しい転職先に研修などで出て行ったきり職場には帰ってこない者たちもあった。他の大部分の職員も、希望する鉄道会社に採用されるのか、希望する職種に就けるのか。あるいは国鉄清算事業団に残されるのか、誰もが、不安な国鉄最後の正月を迎えていたと思う。

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皆さんの励ましの一言が、あらためて身に沁みる。


この年の年賀状には、あのとき国鉄に勤務していた者でないとわからない心情がにじみ出ていたと言える。それを特に感じたのは、列車掛の同期生のうちの一人からの年賀状であった。画像はあえてアップしないが、そこに書かれた内容は。。。


「謹んで新年の御祝詞を申し上げます。

昨年は本当につらい年でした。

人を信じること…親友…仲間…家族…

そして自分の将来…悩んで…多くを失いました。

今年も我慢の年は続きそうですが後悔のない様

春に向かってお互い頑張りましょう

自分の信じる道を進んで下さい…芽吹く日に向って

         昭和62年元旦」


と、綴られていた。あのころのすべての国鉄職員の気持ちを代弁していると、30年ぶりに見て思った。これをご覧になった旧国鉄職員の方々はいかが感じられたであろうか? 国鉄でメシを食ってきた者でないと理解いただけないことと思う。30年後、書かれた方は現在分割された鉄道会社で要職についておられるし、私は私で国鉄では希望していた仕事を最後まで続けられただけでなく、その先も希望どおりの道を歩むことができた。形の上では後悔のない道を歩めたわけであるが、列車掛養成課程で同じ釜の飯を食った25人はばらばらになった。皆が自分の信じる道を進めたとは限らないし、自分の信じる道を進めたとしても、親友・仲間・家族といった人間として大切なものを犠牲にされたた人々も多い。結果として皆が「多くのものを失った」のは確かであった。


新幹線が北海道から九州までつながって、リニア中央新幹線が工事着工するまでになった30年という年月の長さを改めて思う。それはそうだ。自分が国鉄に在職した期間の2倍半以上の年月が流れたのだから。


●拙ブログでは、年末年始特別ダイヤで記事アップを行っています。このあと年内は3日ごと(12月27日・30日)に、そして年始は1月1~3日まで毎日記事をアップする予定です。アップする時刻は朝とは限りませんが、午前中を予定しています。それ以後は平常ダイヤに戻る予定にしていますので、ご承知くださるようお願いいたします。

この記事へのコメント

  • NAO

    おはようございます。
    厨房仕事で駅構内職員食堂を利用することがよくあったのですが、西明石の事故現場の写真とともに、飲酒運転根絶のフレーズのポスターが貼られていたのを覚えています。
    分割民営化を目前に控えた九州一周旅行中、とある大駅オープンカウンターみどりの窓口で、「だから親方日の丸って言われるんだよ!!」と声を張り上げるお客さんが居られましたが、私にはどのような案件か聞き取れませんでしたのと、駅員さんは規則とおりの返答をされたとは思いますが、これからは企業としての応対を求められる方々の気持ちの入れ替えは大変だろうなあと、社会人になる前の私でも実感しました。
    2016年12月24日 09:08
  • しなの7号

    NAO様 こんにちは。
    あの事故と名古屋駅の事故は、「飲酒=国鉄=悪者」の世論形成に大きく寄与?しましたね。「親方日の丸」「それだから赤字」の類は接客で、ことあるたびに聞かされました。あのころ国鉄への信頼は明らかに失われていましたし、それを回復すべくJR各社が努力したつもりなのでしょうが、JR福知山線脱線事故を生む背景を醸成したのもJR。光の中に潜む影は見過ごされがちで、臭いものに蓋をされる。影の部分を見てきた国鉄出身者は、ある者は闘い、ある者は見ないふりをし、自らは鉄道から逃亡して、それぞれの道を歩いて30年たったわけです。
    2016年12月24日 10:19
  • しなの7号

    今日の新聞の一面トップに、電通での過労死事件当事者のお母さんの手記が掲載されていました。30年前の国鉄でも自殺者は一説によれば200人にも上っていましたが、国鉄いじめのキャンペーン報道が優先され、そういうことを積極的に伝えるマスコミは限られていました。バブル期に向って世間は右肩上がりの時代でしたから親方日の丸の悪者退治の他人事として受け止められ、国家ぐるみで違法な手法を交えた理不尽な攻撃も、当然のこととスル―されました。サービスがよくなった。愛想がよくなった。そんな表面的なことで国鉄が分割民営化の是非が評価されるべきではありません。その何年か先に、バブル崩壊によって、この国で「余剰人員の整理や解雇」を表すリストラという略語が当たり前に通用するようなりました。会社にどんな理不尽な仕事を押し付けられても声を上げられず、ただ生き残るためにしがみつくしかなくなった労働者は余裕がないだけでなく、経済的に一見裕福そうに見えて哀れです。
    今日はクリスマス。さだまさしの「遥かなるクリスマス」を聴きました。
    2016年12月25日 13:21
  • はやたま速玉早玉

    しなの7号様、こんばんは。
    マスコミの報道、決して鵜呑みにしてはダメですね。都合よく表面的『事実』を取り上げ、対象者(団体)を叩きまくる。そこでは『真実』は語られる事は無く、むしろ殺されるのですから。
    福知山線脱線事故の際、JRを悪者ターゲットとして叩いていましたよね。結果、鵜呑みにした連中の一部がJRの駅員さん、車掌さん、そして運転手さんに対していちゃもんをつける、攻撃的態度を取る。現場の方々には苦痛そのものだったでしょう。
    ①一方的に悪者ターゲットを作り上げ叩きまくるマスコミ、いや、この国の体質。
    ②その報道に対して疑問を抱き、異なる見方ができない、いや、疑問を抱こうともしない人間性。
    悲しくなりますね。

    過労死当事者のお母さんの手記、私も朝刊で読みました。犠牲者が出なければ改善策も出ないのか?
    (改善策と言っても表面を取り繕う程度のものでしかない気がしてなりません)
    2016年12月25日 21:51
  • しなの7号

    はやたま速玉早玉様 おはようございます。
    マスコミ各社によって、論調は違うもの。大人が言うことは真実とは限らない。絶対的な正義はない。就職するまでそんなこと考えませんでした。当事者になって気が付くような幼い自分が見えるわけですが(*´Д`)
    今はネット上であまりにも多くの情報が満ち溢れ、その勢いに扇動されてしまうケースもあって、おっしゃるように多角的な目で物事を観察判断できていないと自分で反省することもよくあります。

    自らの意思に反するどころか、違法か、そのスレスレなことを命じる会社の人間である以前に、自分の中での主人公は誰なのか? さだまさしの「主人公」という歌がありますが、まぎれもなく自分の主人公は自分自身。会社ではない。主人公不在の自分なんてあり得ません。仕事をしている自分のつもりで、実は仕事をさせられている。苦しめられている皆さんには、そんなことに気づいていただき本来あるべき自分自身を取り戻してほしいものです。
    2016年12月26日 08:00
  • サンダーバード46号

    こんばんは。大変ご無沙汰しておりました。自分も頂いた年賀状を手元に残しております。おおよそ中学生時代からでしょうか、当時は携帯電話も無い時代でしたので、授業中にお互いの住所をノートに書き残して、仲間内で回覧しておりました。昭和末期~平成初期の頃を考えると、まさかここまで技術が進歩するとは思いませんでした。自分も人生の折り返し地点は通過しておりますので、そろそろ身辺整理(いわゆる終活)を検討しないといけないなと思います。
    最近は電通の新入社員の女性が自死に追い込まれたことで、政府上げて責任追及の矛先が電通に向かってますが、これが自分みたいな中年男性が過労自殺していても、新聞の地域面の片隅に載るかどうかの扱いだったと思います。国鉄末期でも国鉄職員の自殺が多く発生していることは知ってましたが、マスコミは積極的に伝えようとせず、むしろ分割民営化で国鉄は変わります、便利になりますという陽の部分だけ強調して伝えられていたような気がします。先日、某公共放送が電通がブラック企業大賞に選ばれたと伝えてましたが、自分のところは職員に大甘で、国民には電波の押し売りをしてる立場で、電通を批判できる立場に無いだろと感じました。国鉄分割民営化当時と一緒で、マスコミは時の政府に都合良く利用されていると思います。最近は多様な情報源から洪水の如く情報が押し寄せますが、自分で取捨選択して物事の本質を見抜く、年齢を重ねた自分にはできているかなと自戒を込めて書かせて頂きました。
    2016年12月26日 20:33
  • しなの7号

    サンダーバード46号様 こんばんは。
    50歳を過ぎたあたりから、終活につながる身辺整理をしないといけないと思い始めました。自宅に置場がないので実家に置きっぱなしのものが多かったからです。私の16番模型から処分を始め、今年までに実家そのものを明け渡すところまで行きつきました。自分の死後を考えると、酒のラベルとかキャラメルの空き箱とか、他人様が価値を認めがたいものばかり遺して死ぬはずです。

    中年男性の過労自殺など、話題にも上らないでしょうけれど、件数は多いでしょうね。思い当たるところがあったとしても、会社は遺族に対しての補償などで口止め工作をして争いにしないケースが結構あるのではないかと思います。

    情報の取捨選択をして本質を見抜くことは難しいですね。それに加えて齢を重ねると柔軟な考え方もできなくなったと感じます。判断力も鈍ってきていいとこなしです((+_+))
    2016年12月26日 22:25
  • 雷鳥23号

    しなの7号様 こんばんは。
    西明石事故は国鉄労働者悪玉キャンペーンを加速させてしましましたね。事故の翌日は下り大阪行きの最終電車の乗務だったんですが、その電車で事故を理由に酔っ払いに絡まれました。61,11改正はそれからわずか2年後のことですが、その2年間は当時の国鉄職員にとって言葉にできないようなことの連続でしたね。ちょうど30年前の今頃はお盆輸送が終わってから人活センターに放り込まれて4か月が過ぎ、開き直りがでてきた頃でした。車掌区の人活センターは特改のみの本番行路があてがわれていたので、草むしり等の業務はなく、乗務はできたのでまだ恵まれていたのかもしれません。30年たって部外者になっている今だからこうやって振り返れるのかとも思いますが。そんな中餘部鉄橋の事故が起こってしまい「安全は輸送業務の最大の使命である」が根底からひっくり返されるような恐ろしさを感じたのもこの頃でした。
    2016年12月27日 01:23
  • しなの7号

    雷鳥23号様 おはようございます。
    西明石の2年前には名古屋駅で紀伊の事故があったばかりでしたのに、西明石の事故でとどめを刺されたような思いがしました。名鉄局は当事者であるだけに、紀伊の事故以来毎月15日に「飲酒事故反省の日」を設定してしました。その日には出発点呼の時には飲酒の危険性について書かれた紙片を渡され、乗務員の拘束時間内の禁酒は徹底されたようでしたが、他局ではそうでもなかったのかと唖然としました。
    私どもの職場では、30年前のこの時期には、隔離された場所を出勤場所にして仕事が与えられない人活センターと併存して、特改班や直営売店がありました。本文に年賀状の画像を挙げたその車掌長氏は、長年にわたって特急急行列車の車掌長を務め、当局もそれを認める国鉄の功労者でしたが、明らかな見せしめ人事で特改班に降ろされ普通列車や快速列車の臨時特改行路に乗っておられ、これほど理不尽なことはないと思いました。
    余部鉄橋の事故も明日で30年ですね。そういえば、あの事故の関係者で自殺に至った方が複数おられますが、あの時期だったからこそかと思いました。「部外者になっている今だからこうやって振り返れる」というのは同感です。
    2016年12月27日 08:20

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