昨年暮れから、それまでの51年間に私あてにいただいて保管していた年賀状の話をしてまいりました。51年間とは1966年(昭和41年)から2016年(平成28年)までです。せっかくですから、それまで保管してあった年賀はがきに今年の年賀はがきを加えた52年分の、はがき表面に印刷された郵便料金を示す部分(料額印面)の画像も撮影しました。この間に私自身は、かわいいお子様からハゲオヤジに変貌したのに、お子様のまま変わらず好きなのは鉄道というお恥ずかしい事実に突き当たります。鉄道のほうは、時代とともに大きく変わりました。
その間の日本の鉄道にどんなことがあったか、年賀はがきの料額印面を古い順に6年分ずつ掲載し、日本の鉄道にあったその6年間の出来事を書いていきます。
※料額印面の画像は、あえてサイズを縮小し解像度も下げています。年賀ハガキは毎年、寄付金付きなど複数種ありますが、掲載した画像は1年に1種だけとして、主として代表的な絵柄の料額印面に限りました。
※鉄道で起こった出来事は、国土交通省HPで公開している「鉄道主要年表」(H24.11.1更新版・それ以後については新幹線開通日を追加)から抜粋しました。
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《1966年~1971年》
1966年の年賀ハガキは4円なのがわかります。このころ通常ハガキは5円でしたが年賀ハガキだけが安かった時代でした。来年も同じような料金設定がされるみたいです。1966年7月1日からハガキは年賀ハガキも含めて7円に値上げされ、しばらく7円の時代が続きます。
この6年間に国鉄では2回、運賃・料金改訂があり「最低運賃」(東京山手線一駅間の運賃とします。以下本文中において同じ。)は10円~20円~30円と3倍になっています。
***日本の鉄道での主な出来事***
1966年(昭和41年)4月20日
国鉄全線にATS装置取付け完了
1967年(昭和42年)10月1日
新大阪・博多間に寝台特急電車「月光」の運転を開始
(世界初の寝台特急電車運転)
1969年(昭和44年)5月9日
日本国有鉄道財政再建促進特別措置法公布施行、
国有鉄道運賃法の一部改正法公布
(5/10施行、等級制度廃止、グリーン車を設定)
1970年(昭和45年)5月18日
全国新幹線鉄道整備法公布(6/18施行)
(国鉄の財政状態は、昭和46年度に償却前赤字となる)
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《1972年~1977年》
7円の時代は1972年で終わり、1972年2月1日からは10円に。
それも長くは続かず1976年1月25日から倍額の20円の時代が来ました。
国鉄では1974・1975・1976年と3年連続で、運賃・料金改訂があり「最低運賃」はその間に30円から60円へ、やはり倍額になっています。
***日本の鉄道での主な出来事***
1972年(昭和47年)3月15日
山陽新幹線、新大阪・岡山間開業
1972年(昭和47年)11月6日
北陸トンネルで列車火災事故(車両の防災対策の契機となる)
1973年(昭和48年)7月10日
名古屋・長野間に振り子式特急電車「しなの」運転開始
(国内初の振子式電車運転)
1975年(昭和50年)3月10日
山陽新幹線、岡山・博多間開業
1975年(昭和50年)11月26日
国鉄労組によるスト権ストで国鉄は8日間ストップ
(国鉄の財政状況は、累積赤字が昭和50年度末で3兆円を超す)
1976年(昭和51年)3月2日
国鉄の蒸気機関車全廃
1977年(昭和52年)7月26日
国鉄宮崎実験線において磁気浮上方式鉄道(リニアモーターカー)の浮上走行実験開始
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《1978年~1983年》
20円の時代もわずか5年で、1982年の年賀ハガキからは、さらに倍額の40円になっています。この間にハガキ料金が30円の時代がごくわずか存在(1981.1.20~1981.3.31)しますが、年賀ハガキの時期に当たっていないので、30円の年賀ハガキは発行されていません。
国鉄の運賃・料金改訂は1978~1982年の5年連続で毎年行われ、「最低運賃」は、この6年間で60円~80円~100円~110円~120円と、倍額になっています。
***日本の鉄道での主な出来事***
1979年(昭和54年)12月21日
リニアモーターカーML-500が時速517㎞を記録
1980年(昭和55年)12月27日
日本国有鉄道経営再建促進特別措置法公布施行(地方交通線の廃止を決定)
1981年(昭和56年)9月18日
国鉄特定地方交通線第1次線40線を選定
1982年(昭和57年)6月23日
東北新幹線、大宮・盛岡間開業
1982年(昭和57年)7月30日
第2次臨調「行政改革に関する第3次答申(基本答申)」において、国鉄の分割・民営化をうちだす
1982年(昭和57年)9月2日
国鉄リニアモーターカー初の有人走行に成功
1982年(昭和57年)11月15日
上越新幹線、大宮・新潟間開業
1983年(昭和58年)6月10日
国鉄再建監理委員会設置
1983年(昭和58年)10月23日
国鉄白糠線廃止(特定地方交通線転換第一号)
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《1984年~1989年》
はじめて6枚ともが40円で、同じ額面で揃いました。ハガキが40円の時代は1981年4月1日から1989年3月31日まで8年続いています。国鉄は終末期を迎え1984・1985・1986年と3年連続で運賃・料金改訂をしていますが、「最低運賃」は120円に据え置かれています。これは地域別運賃を導入したためで、東京・大阪圏以外の線区では「最低運賃」が値上げされており、130円から140円になったところで分割民営化を迎えました。分割民営化後の1989年、消費税導入時に東京・大阪圏の「最低運賃」は10円加算され130円になりました。
***日本の鉄道での主な出来事***
1984年(昭和59年)2月1日
国鉄貨物ヤード系集結輸送を廃止、拠点間直行輸送システムへ転換
1984年(昭和59年)4月1日
三陸鉄道開業(第三セクター鉄道第一号)
1984年(昭和59年)4月20日
国鉄に初めての地域別運賃を導入
1985年(昭和60年)3月25日
磁気プリペイドカード・オレンジカード発売開始
1985年(昭和60年)7月26日
国鉄再建監理委員会「国鉄改革に関する意見」において、国鉄の7分社化、債務処理方策等をうちだす
1986年(昭和61年)12月4日
国鉄改革関連8法公布(62/4/1施行)
1986年(昭和61年)12月28日
国鉄山陰本線餘部橋梁において、回送列車脱線、転落事故(死者6名、負傷6名)
1987年(昭和62年)4月1日
国鉄分割・民営化、JR7社誕生
1988年(昭和63年)3月13日
津軽海峡線(青函トンネル)開業 (青函航路廃止)
1988年(昭和63年)4月1日
JR本州3社におけるバス事業の経営分離
1988年(昭和63年)4月10日
本四備讃線(瀬戸大橋)開業 (宇高航路廃止)
1988年(昭和63年)12月5日
JR中央線東中野駅列車衝突事故
1989年(平成元年)3月11日
JR在来線初の130㎞/h運転開始(常磐線、湖西線、北陸線)
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《1990年~1995年》
1989年4月に消費税(3%)が導入され、ハガキ料金が40円から41円に
その5年後の1994年1月24日には50円になりました。消費税導入での1円加算を考慮しなければ、実質40円の時代は13年弱も続いたことになります。
分割民営化された、JR東日本の最低運賃(東京山手線一駅間130円)は消費税率8%(消費税6.3% + 地方税1.7%)になった2014年まで25年間も続くことになります。
***日本の鉄道での主な出来事***
1990年(平成2年)3月10日
上越新幹線275㎞/h営業運転開始
1990年(平成2年)4月1日
特定地方交通線83線全線の転換が完了
1991年(平成3年)5月14日
信楽高原鉄道で列車衝突事故(死者42名)
1991年(平成3年)6年20日
東北・上越新幹線、東京・上野間開業
1992年(平成4年)3月14日
東海道新幹線「のぞみ」運行開始
1992年(平成4年)7月1日
山形新幹線、福島・山形間開業(新在直通運転開始)
1993年(平成5年)10月26日
JR東日本の株式上場
1994年(平成6年)7月15日
東北・上越新幹線において「MAX」運行開始
1994年(平成6年)10月14日
第1回「鉄道の日」
1995年(平成7年)1月17日
阪神・淡路大震災発生
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《1996年~2001年》
6枚ともが50円で、また同じ額面で揃いました。ハガキが50円の時代は1994年1月24日から2014年3月31日まで20年も続いています。この間1997年に消費税率5%(消費税4%+地方消費税1%)になりましたが、このときは50円のまま据え置かれています。
さきほど、「JR東日本の最低運賃130円は2014年まで25年間も続く」と書いたのですが、それはあくまでも冒頭に書いたように「東京山手線一駅間の運賃」に限ったことです。国鉄時代に導入された地域別運賃に加え、また分割されたJR北海道・四国・九州各社では消費税がらみでない運賃改訂をしており、運賃の地域格差が広がっていく結果となっていきました。
***日本の鉄道での主な出来事***
1996年(平成8年)10月8日
JR西日本の株式上場
1997年(平成9年)3月22日
秋田新幹線、盛岡・秋田間開業(新在直通運転開始)
1997年(平成9年)4月3日
山梨リニア実験線における走行試験開始
1997年(平成9年)10月1日
北陸新幹線、高崎・長野間開業
1997年(平成9年)10月8日
JR東海の株式上場
1999年(平成11年)4月14日
リニア、山梨実験線で最高速度552㎞/hを達成
1999年(平成11年)12月4日
山形新幹線、山形・新庄間開業
2000年(平成12年)12月17日
京福電気鉄道越前本線で列車正面衝突事故
2001年(平成13年)6月24日
京福電気鉄道越前本線列車正面衝突事故(7/19事業改善命令を発出)
2001年(平成13年)11月18日
JR東日本「Suica」サービス開始
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《2002年~2007年》
50円の時代が延々と続きます。このころから料額印面のデザインが、堅苦しいものから変わってきたように感じます。2003年に日本郵政公社が発足し、2007年の郵政民営化までのの過程と捉えると、納得できるのではないでしょうか。
JRの最低運賃(東京山手線一駅間130円)も、この間は変わっていません。
***日本の鉄道での主な出来事***
2002年(平成14年)12月1日
東北新幹線、盛岡・八戸間開業
2003年(平成15年)12月2日
山梨リニア実験線で有人走行による581㎞/h達成、世界記録更新
2004年(平成16年)3月13日
九州新幹線、新八代・鹿児島中央間開業
2004年(平成16年)3月13日
JR貨物、宅配便貨物輸送の特急コンテナ電車「スーパーレールカーゴ」運転開始
2005年(平成17年)4月25日
JR西日本福知山線において列車脱線事故発生
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《2008年~2013年》
郵政民営化後の年賀ハガキになります。50円が続きます。
JRの最低運賃(東京山手線一駅間130円)も、この間は変わっていません。
***日本の鉄道での主な出来事***
2010年(平成22年)12月4日
東北新幹線、八戸・新青森間開業
2011年(平成23年)3月11日
東日本大震災発生
2011年(平成23年)3月12日
九州新幹線、博多・新八代間開業
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《2014年~2017年》
2014年4月1日に消費税率8%(消費税6.3% + 地方税1.7%)になった際に、52円になって現在に至ります。
この消費税率変更時にはJR各社も運賃を変更しています。JR東日本最低運賃(東京山手線一駅間)は、これまでにない改訂内容で、現金購入時140円、ICカード利用時133円の2本立てになりました。
(以下「鉄道主要年表」にブログ管理人が補足)
***日本の鉄道での主な出来事***
2015年(平成27年)3月14日
北陸新幹線、長野 - 金沢間開業。
2016年(平成28年)3月26日
北海道新幹線、新青森- 新函館北斗間開業。
この記事へのコメント
ヒデヨシ
明けましておめでとうございます
本年もよろしくお願いいたします
官製はがきの印刷済み切手?
は気にも留めたことがありません
小学生の頃は切手収集が流行りでやっていましたが・・・
料金も一時期倍になりましたが
その頃からほとんど替わらずそれも驚きです
最低運賃の話が出ましたが
最低運賃と言えば入場券です
私が国鉄入社のころ60円で、その時から収集旅行に行く度単線での列車待ちの時すかさず買ったり
(人数が少ない駅では列車交換要員として窓口に人がいないときもありました)
それからお話のように毎年のように値上げがあり
収集する方では料金変更印が押されるのでしばらく旅行もお休みとなります
古い料金表示のものは一定の期間で返納されるんでしょうね
ローカル線でも新しくなりますから
当日初めて売れる硬券の裏面には係員のボールペンや色鉛筆によるチェックが入りますが、まあこれは気になりませんし嫌なら2枚買うしかないですね
困るのは日付を入れるときに失敗し券を折られてしまうこと
しょうがないのでもう一枚買い
お願いして日付無しにしてもらいました
遠隔地やCTC化で無人駅になりそうな時は旅行券えお送ってまとまった数買いました
券売機しかない駅でも何かの記念で普通の硬券入場券が売られることもあります
この近辺では開業以来券売機の岡多線豊田市駅とか
すかさず買っていました
列車の来ない国鉄バス十和田湖駅でも聞いてみましたが置いてなかったです
でも宮島航路の宮島駅ではありました
通常では列車内に立ち入り云々が書いていますが、船舶になっていておもしろかったです
しかしながらJR化とともに硬券入場券収集は終わりました
関係ない話を長々とすみませんでした
クハ381-111
時は違うにしろ同じ道を歩んでいますね。
切符と切手、鉄道郵便、多くの国鉄職員が郵便局員に
昨年、東京へ行きました。近代的な高層ビル群の中で
東京駅と東京中央郵便局が昔の姿で残されている。
鉄道と郵便は切っても切れない深い絆があると思います。
年賀はがきの料金と国鉄、JR運賃の変貌を拝見してそう感じました。
しなの7号
明けましておめでとうございます。
こちらこそよろしくお願いいたします。
私に収集癖があることは疑いがないですが、積極的な入場券収集はしていませんでした。ただし自分がそこへ行った日付がわかるという意味で、時々買うことはありました。切手も一時期集めましたが、他人が価値を認めない酒のラベルとかキャラメルの箱のようなものを集めるように変わっていきました。デジカメを持つようになって、その駅名標とか写しておけば時刻まで記録できますから、わざわざ入場券や車内補充券を買わなくなりました。
自分が車掌をやっていたころは、よく発売する区間の運賃を覚えたころに運賃改定があるといったことが繰り返されました。おかげで不要になった営業キロ早見表と運賃早見表が何冊か手元に残っています。
しなの7号
国鉄から郵政に転職された方は多かったですね。
国鉄と郵政との対比をしましたが、半世紀という年月は世界が大きく変わっていったことを思い知らされます。
昨年末に
【742】年賀状2:自動車屋さんの年賀状・郵便屋さんの年賀状
https://shinano7gou.seesaa.net/article/201611article_7.html
で、後半に書いた先輩も、2つの分割民営化を体験された方でした。
このブログに過去の年賀状を掲載することの承諾をお願いしたものですから、今年は年賀状が届き、一昨日、本文に画像を付け加えました。
NAO
ハガキも値上がりしているとはいえ、依然二桁円というのも凄いと思います。私は郵便物収集趣味はほとんどありませんが、風景入り日付印、記念切手、郵便貯金通帳局ゴム印.....。どれぐらいの収集人口があるのでしょうね。
勤め先では郵便扱いが多く、宅配便とそれ意外の郵便物は異なる局に扱ってもらっていますが、年賀状や暑中見舞いの時期になると双方から営業されます。昨年末、大型の局の前を通ると屋外に3箇所の年賀状販売臨時ブースが設けられていたのですが、国鉄時代に改札内で見た特別改札や乗車券類臨時発売所を思い出しました。
サンダーバード46号
しなの7号
自分は郵便や交通サービスは国民の誰もが、どこにいても公平かつ安価に提供されるべきだと思います。民営企業にそれを望むには、難しい面があろうかと考えますが、とりあえず今も全国一律の二桁円の郵便料金に生きています。分割されたJRのようにサービスの地域格差を招かないよう祈ります。
郵趣人口はそこそこあるのでしょう。一般にヤフオクで高値で取引される分野は趣味人口が多いのだろうと思っていますが、私が収集するものには高価なものはないようです。このハガキも画像を撮影したあとシュレッダーにかけました。
国鉄~JR初期のオレンジカードに対して、記念切手や年賀状の立ち売りや企業への売り込み。私の目には30年前を見るようにしか映らず、担当者はお気の毒としか言いようがありません。どうしても労働者目線ですので、管理職の皆さんとの考え方のギャップはありそうですみませんです<(_ _)>
しなの7号
明けましておめでとうございます。こちらこそ本年もよろしくお願いします。
50年の年月は幼くかわいい小学生⁉を、クソジジイにしてしまいますから、怖いです(^◇^)
昭和50年代までの名古屋駅ホーム上でも、荷物列車到着前後は国鉄手小荷物と郵便が台車に載せられ、活気付きました。鉄道と郵便の結びつきはたいへん強かったものですが、今の鉄道を見てもそんなことを感じる場面はなくなり、旅客輸送は30年前とは輸送に対する量・質ともアップしましたね。けれどもそれは大都市中心のことであって、末端地域はそうとは限りません。郵便局もこれから廃止やATM化とかの効率優先策で、地方の生活基盤に影響を与えるようなことになりませんように。
門鉄局
葉書や国鉄運賃の変遷をこうしてみると長い時間が過ぎ去ったこと昭和時代は遥か遠くに去ったことをを実感します。18歳の青年が48歳のオッサンですからね。一応髪の毛はありますが白髪が目立ってきました。
国鉄も郵政省ももはや存在せず民営企業となったわけですが、JR北海道や四国のようにこれから経営が成り立ってゆくのか不安です。私は特に収集する趣味はありませんが、下車駅で硬券入場券があれば購入していました。あれほど発売されていた磁気カードもICカードにとって代わられようとしていますが、私は自動車通勤なのと鉄道離れが著しいため持っていません。大阪駅の変貌はすごいですね。EF58の荷物列車やブルートレインが次々出発していた光景が目に浮かびますが、もうその頃の面影はほとんどなくなってしまいました。
はやたま速玉早玉
10円の年賀ハガキ『ああ、あったなぁ~』懐かしい記憶が甦りました。そういえば30円のハガキも幽かな記憶があります。
私が初めて書いた年賀状は20円でした。しかし40円の期間が長かったので年賀ハガキ=40円、のイメージが強いです。
わが家に1978年10月の日本交通公社時刻表がありますが、500円の定価がついています。消費税施行、度重なる物価上昇を経て、今の時刻表の販売価格は2倍以上に。時代の流れを感じますね…
湯ノ口温泉のトロッコ、木造車両で温もりを感じます。ドアは勿論手動、旧客を彷彿させます。湯治場でもあるので湯質も抜群に良いです。お時間あれば是非ともご訪問くださいませ。
しなの7号
こういう長いスパンで眺めると、昭和の時代に物価上昇が著しかったことがわかりますし、一気に倍になる郵便料金と小刻みに上がる鉄道運賃。毎年のように行われた運賃改定にかかる経費も莫大だったものと思いました。
今後のJR地方線区では、その沿線自治体の公的支援なしには継続不可能でしょう。利用実態を見ると、夕張市のように鉄道は不要という選択も出てきて不思議ではないと思いますし、この国も鉄道も分割民営化から30年を経て、また大きな岐路にさしかかったのではないでしょうか。
自分が乗り鉄をしていたころは、オレンジカードが全国的に普及していたころでしたので、使用する目的で出先で買い、すぐに使用していました。たくさん集まっていますが、未使用のカードは1枚もなく、乗った線区の思い出の品になっていますから意味のある買い物だったと思っています。近年は駅や沿線で「国鉄」を見つけるのは至難になりましたが、散歩のときにいつも見るレンガ積みの橋台とかの施設などに歴史を感じています。昨日は国鉄色のEF64を見て、久しぶりに車両による「国鉄」が一瞬甦りました。
しなの7号
子供の頃の常識というのは記憶に残るもので、私の場合は「はがき7円・封書15円」が焼き付いています。もっともそのころに切手ブームがあったという背景もあるのですが。
九州に行くために初めて買った1973年の時刻表が手元にあり、250円となっています。それまで時刻表は、国鉄職員だった父が職場で不要になった月遅れの業務用の時刻表をもらってきてくれましたから、わざわざ時刻表を買ったことはありませんでした。
湯ノ口温泉、一度は行ってみたいです。トロッコ車両には、今の至れり尽くせりの鉄道にない原点の良さがありますね。旧客に通じる思いもよくわかります。
鉄子おばさん
しなの7号
斜めに書かれた「たばこ」の赤い看板とか、「郵便切手類・印紙」と〒マークの看板が軒先にぶら下がった個人商店、その横には郵便ポスト。昭和の街並みに欠かせない風景です。私も買いに行ったことがあります。
ひねくれ者の私は、とても30周年を「祝う」気にはならないので、賛同者のない中、再来年に国鉄三十三回忌を一人でやろうかなと(^◇^)
特急やくもはデビューから35年でしたか。これは褒め称えないといけませんね。いくら整備しても車両はくたびれているでしょうから、維持されている関係者の皆さんのご苦労もねぎらってあげてほしいです。