【783】 撮り鉄12か月…1974年4月「北陸本線鳩原ループ」

毎月1回第1月曜日に、その月に行った撮り鉄の話を、そしてその週の木曜日には、その月に行った乗り鉄の話をアップしています。 今回は、今から43年前の1974年4月28日に北陸本線のループ線に行ったときのことを振り返ってみます。


「鳩原(はつはら)ループ」とは北陸本線の新疋田~敦賀間の上り線だけにあるループ線の通称です。通るたびに気にしている私のような者もいますが、大半の乗客は気にもかけず通り過ぎていることでしょう。私がこのループ線について詳細を知ったのは、初めて買った「鉄道模型趣味」誌に掲載された「レイアウトがそこにある! 北陸本線敦賀付近のループ線」という現地取材記事でした。すごいところがあるものだと思い、ほかの模型の記事より心を奪われたものです。国鉄で車掌をされていた坂本衛氏が執筆し撮影された記事であることを最近知りました。


この場所に私が赴いたのは、その記事を読んで5年後の高校2年生のときで、同級生たちと一緒でした。その前年7月に身近な中央西線が電化されてD51が引退し、続いて10月には明知線からC12が引退すると、身近な場所で見られる蒸機は、木曽福島駅と上松駅の入換用として残されたC12だけになっていましたので、ケムリのない鉄道を新たな被写体としていたのでした。


米原に寄った後、列車で敦賀に降りたち、徒歩で敦賀第二機関区に向かいました。

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機関区のわきの上り線をEF70に牽かれた普通列車(226列車)が米原に向けて走って行きます。交流区間に縁がなかった私には、赤い機関車はほんとうに新鮮に感じました。
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下り線には、特急「しらさぎ2号」(23M)と特急「白鳥」(4001M)が立て続けに山を下りてきます。
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特急「しらさぎ2号」の編成車両は、前夜に博多を出て夜行寝台特急「金星」で名古屋に着いたあと、いったん神領電車区まで回送されて寝台を座席に模様替えしてから名古屋まで戻って、そこから昼行特急として富山へ向かうところです。特急「白鳥」は言わずもがなの大阪発青森行。このころ湖西線は未開通だったので、米原経由でここまで来ています。


さらに鳩原ループまで歩きました。

ここでは、下り線はループ線ではなく一気に勾配を下ってきます。下り線には25‰の勾配があるそうです。上り線は勾配を緩和する必要があるためにループ線になっているわけで、その勾配は11.5‰だといいます。敦賀を出て上り線を登坂する列車は、右へカーブしながら国道8号線(現在はバイパス道ができているので旧道となっています。)と川と下り線を一度に跨ぎます。


特急「雷鳥4号」(4018M)と臨時急行「兼六51号」(9714列車)
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この直後、列車は衣掛山の山麓に掘られた第2衣掛トンネルに入っていき、このトンネルを右回りにほぼ半周してトンネルを出ると、数分ばかり前に通ってきた敦賀市街が左前方に見え、小浜線の線路をすぐ下に見下ろすという方向音痴になりそうな車窓風景が待っています。そのあとすぐに第1衣掛トンネルに入って4分の1周ほど回ると、このあたりで1周したことになってやがて真下には今通ったばかりの北陸本線の線路を見下ろします。

その付近から見下ろした画像です。↓列車は特急「北越1号」(4006M)

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同じ列車がループ線を一周して再び間近に姿を現します。↑同じ列車を2度、ほぼ同じ場所で撮れるというのはループ線ならではのことです。連結器カバーがないので489系のようです。

上の特急「北越1号」は2枚とも望遠レンズ(135㎜)で撮影しましたが、上下本線の交差部分を標準レンズで撮影するとこんな具合です。上り線をカーブしてループ線に入ってこようとする臨時急行「ゆのくに52号」(9412D)を待っていると、はからずも下り線をEF70の単行機関車列車が通っていきました。
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「ゆのくに52号」も、たかがキハ58系かと侮れない列車で、宇出津・輪島始発で、穴水で併結されて大阪まで行く長距離列車でした。能登線には名古屋からも、夜行急行のりくら7号が季節延長運転されていたころで、まだ国鉄の長距離ネットワークが生きていた良き時代でした。


ところで、この鳩原ループまでわざわざ来た最大の目的は、引退が近いと思われたED70が牽く列車の撮影でした。ED70は、このころ敦賀第二機関区だけに13両配置されていた交流電気機関車で、すでに休車指定された機体も多く、稼働車は限られた状態でした。当時の鉄道雑誌に掲載されていた運用表によれば、日のあるうちに鳩原ループを登ってくるのは3本だけで、すべて普通客車列車でした。

下2枚はいずれも228列車。↓ 機関車はED70 6

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この列車は福井発米原行ですが、運用表によれば機関車は敦賀で付け替えられています。もちろん米原までは行けないので、当時の交直流切換区間の直前駅田村までを担当しています。

こうして目的は達成されたので、帰路につきました。帰りがけに、また敦賀第二機関区の近くで大阪からやってきた急行「立山2号」(503M)に出会い、あわてて後ろから撮影しています。

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このころ北陸本線の電車急行はヘッドマークを掲げた長編成で、今の特急よりも貫禄があり、撮影意欲が湧きました。たぶん今同じ場所で特急に出会ってもカメラを向けることはないように思います。


◆この記事は40年以上前のことを書いています。このとき撮影した場所の現況は、樹木が繁茂していたり、そこに行く道がなくなったりしており、同じ場所から撮影することはできません。それ以前に線路内敷地に立ち入ることはできなくなっていますので、撮影やその他の目的で鉄道用地内及び私有地に立ち入ることは絶対にしないでください。

この記事へのコメント

  • 門鉄局

    しなの7号様、こんにちは。
    北陸本線は何度も利用したので懐かしい線区です。ED70は
    長浜の保存機以外知りませんが、EF70は北陸の他晩年は門司機関区に転属してきたので馴染み深いです。余剰車を直流機に改造してEF58の後釜にする噂もありましたね。当時の列車のバラエティの豊富さに目を奪われてしまいます。583系「しらさぎ」583系の本領発揮、国鉄ならではの広域運用ですが冬季雪で遅れると晩の「金星」に支障が出るので廃止したとか。ジャーナル誌に種村直樹さんの列車追跡が出ていましたね。臨時急行「加賀」、臨時急行・特急は客車列車になることが多く旅行の際時刻表で探すのが楽しみでした。今では定期の客車列車はないという、恐ろしい?世の中になってしまいました。撮り鉄を離れて久しいのですが、最近のNゲージの製品化には気になる車種が多く、中央線シリーズや北陸線シリーズなどとても財布がお付き合い出来ません。オヤジ殺しはいい商売と気づいたな、Kトーめ!(笑)
    2017年04月03日 12:56
  • しなの7号

    門鉄局様 こんにちは。
    EF70が門司に転属したと雑誌で知った時は意外で驚きましたが、長続きはしなかったですね。
    実はこのとき往路の米原から敦賀まで14系座席車の臨時急行「兼六51号」に狙って乗りました。全車指定だったので車内で座席指定券を購入し、その車内補充券は今でも保存しています。その発行元車掌区に就職したのはこの2年後で、14系座席車に乗務できたのは就職してから8年後。ただし急行ではなく団臨と回送しか乗務の機会がありませんでした。
    以前の記事のコメントでも書きましたが、RJ誌の「金星~しらさぎ」追跡記事の登場人物は、顔なじみの先輩方で、のちにその記事は同誌にリバイバルで再掲載もされました。

    Nゲージメーカーさんには、模型で当時の列車の再現をしたいオヤジどもの気持ちは、みごとに見透かされていますね(^^)
    2017年04月03日 14:25
  • NAO

    こんばんは、コメント有り難うございます。
    583系「しらさぎ」の夜行~昼行変身ルポは読んだ覚えがあります。先輩諸氏でしたか。神領回送の際、専務さんは乗務員室に収まっていればいいのかといえばそうではなく、ロール式方向幕のズレを直したり、何かと忙しい回送乗務。違ったかな。
    あと、583系「しらさぎ」は食堂車非営業で自由席代用、車販嬢が床の吸い殻を掃除したり.....。恐らく営業すれば食材だけでなく、食器ごと積み込み・降ろしを必要としたのでしょう。「金星」が営業していれば話しは別だったかもしれません。
    北陸線交直切り替えが敦賀に移ったのは大阪近郊車両に乗りやすくなったものの、画一的な車種になりましたね。
    2017年04月04日 01:11
  • しなの7号

    NAO様 こんにちは。
    この撮影をしたころ「金星」での食堂は非営業でしたが折り返す「しらさぎ」ではまだ食堂車の営業しており、座席も全車指定でした。RJ誌の取材はそれより数年後、私が国鉄に就職してからのことで食堂車が非営業。旅客からの苦情を受ける立場である労組からも、食堂車非営業列車の営業復活の申し入れを再三していたようですが「困難である」と回答され続けていたと記憶します。
    折返し優等列車になる回送列車では、水タンクの給水状態、トイレ洗面所の水の作動状態、空調、暖房、放送設備、行先字幕など車内全般の点検確認をしたうえで、次の乗務員に引き継がなくてはなりませんので、けっこう気を使います。
    2017年04月04日 07:27
  • はやたま速玉早玉

    しなの7号様、こんにちは。
    やって来る車両が多種多様、おまけにループ線という特異な線形ともなれば、撮影も楽しく飽きが来ない、素晴らしい撮影地ですね。旧客が定期運転であたりまえにやって来るのが何とも言えません。2枚目画像の226列車ですが、EF70の後ろ2両の青色は郵便車、さらにその後ろ2両が荷物車に見えますが、郵便荷物合わせて4両も繋ぐ例もあったのですね。長編成、圧巻ですなぁ(ノ´∀`*)
    『ゆのくに』は475系金沢発着のイメージしかなく、キハ58系の運転は初耳で驚きです。能登半島の先端付近からはるばるやって来るとは…これまた驚き、こんな列車で長距離列車旅、体験したかったです。
    ED70は実物を見た事がありません。初めて写真を見た時は『何でDF50がパンタグラフ付けとんねん』でしたが、こう感じたのは私だけでしょうか?
    2017年04月04日 14:34
  • しなの7号

    はやたま速玉早玉様 こんにちは。
    撮り鉄をやめて長くなりますが、あのころの北陸本線では、やってくる車種が多種多様で、時刻表を見ながら「次は〇〇系」とワクワクしながら線路端で過ごした時間は楽しい思い出でもあります。このころ北陸本線では夜間に荷物専用列車もあったみたいですが、日中は長距離運用の郵便車や荷物車を客車に併結して運用していたようですね。
    そして急行列車には、乗り換えなしで枝線の末端まで直通したり、分割併合する列車があったりしましたが、今では新幹線から高速バスに乗り換えて直行というスタイルも多く見られるようになって、せっかくのレールによるネットワークがフルに活用されていないのは鉄道好きにとっては残念に思います。
    ED70はDF50とよく似て、かなり個性的なスタイルですね。
    2017年04月04日 17:38
  • 北恵那デ2

    こんばんは、キハ91系の記事など興味深くコメントしたいと思う記事が続いておりますが、多忙というか毎日やたら疲れて早く床に着く日々なので、ご無沙汰しており申し訳ございません。というわけで久しぶりのコメントとなります。当時、北陸本線のループは何度か訪れましたが、この記事のお出かけ時はご一緒だったかもしれませんね。私は撮影のために遠出をしたことが多くはありません。その中でこの場所はお気に入りでした。最近もEF81の消滅近しといったような機会に出かけようとしたことはありました。ところが、地元でも撮影不可能になった場所は多々あります。記事に記載されているように樹木の生長もありますし、かつては線路内立ち入りをして撮影場所に移動することもありました。そこで調べますと確かに同じ場所での撮影は無理なようですね。それにしても、見たことも無い赤い電機が次々と走ってくる感動は忘れられません。とても思い出深い場所です。
    2017年04月05日 21:37
  • しなの7号

    北恵那デ2様 こんにちは。
    お疲れのところ、コメント投稿ありがとうございました。
    私は今年も、花粉症はひどくならずに済みそうで、ふつうに暮らせていますが、無理はできないなあと思うことばかりです。

    ここへ行ったときは北恵那デ2様も含め4人くらいで行ったように記憶します。中津川から未明の12系臨時ちくま号で米原に早朝着きました。40年経てば地理的な変貌とともに、社会常識や価値観の変化が著しく、あのころ当たり前だったことが今では犯罪行為として厳しく罰せられるようになり、同じことを再現できないことは、鉄道の世界以外もいたるところで感じますね。
    蒸機の撮影では、汽笛が聞こえ、ブラストが近付いてくるまで、場所によってはものすごく長い時間がありましたが、音もなく一瞬にして高速で走り去る今の電車が走るようになった線路際は大変危険であるのはもちろん、列車に乗るためにプラットホーム上にいるとき通過していく列車でも恐ろしい存在に思えることがあります。

    逆に地元で思うのは、私のブログのヘッダー画像に使っている333キロポストなんか、昭和50年代には撮影者を見たことなんか一度もなかったのに、あれだけの人が集まるようになったのもびっくりです。
    2017年04月06日 09:39
  • 鉄子おばさん

    お疲れ様です。仕事が忙しい日が続き、ようやくゆっくり読ませていただきました。鳩原は「はつはら」と読むのですね。ループの存在を知ったのは「雷鳥9号殺人事件」をドラマで見てからです。トワイライトエクスプレスが運行されていた頃は車窓案内もあったみたいですね。
    2017年05月11日 07:52
  • しなの7号

    鉄子おばさん様 こんにちは。
    ループ線の下のところに1963年まで鳩原信号場があったそうで、そこも「はつはら」と読みます。ループ線について国鉄時代のしらさぎ号でも、案内放送された事例がありますが、地図も持たない乗客に理解できるよう伝えるのはたいへん難しいだろうと感じました。
    2017年05月11日 10:00

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