物置部屋と言われている私の部屋には倉庫用スチール棚があります。その一段を利用した模型展示スペースでは、昨年秋にご覧いただいた企画展「中京圏のJR車両+α」を開催していましたが、これは昨年中に閉幕しました。正月前から企画展「国鉄時代の貨物列車」を開催中です。
模型展示スペースは、冬場は寒い北側の部屋ですので、模型を眺めることがあまりないまま、4か月近くにわたって、一部の車両を入れ替えた以外、手も加えていませんでした。この時期になって、やっと北側の部屋にも朝の眩しい光が入るようになり、明るくなった部屋で模型を眺めることができるようになりました。
ここに写っている列車の概要は以下のとおりです。
《1段目》鮮魚専用高速貨/DL牽引ローカル線の貨物列車
《2段目》10000系高速貨/SL牽引ローカル線の貨物列車
《3段目》50000系高速貨 《4段目》コンテナ特急「たから」
《5段目》自動車輸送専貨/特大貨物列車 《6段目》DL牽引普貨
《7段目》飼料,石油専貨 《8段目》SL牽引普貨
いずれも実際の編成より短縮していますし、時代考証には突っ込みどころが満載ですがご容赦ください。購入してきた模型は、自分が仕事で関わった車両や、そうでなくても思い入れがある車両ばかりですので、指向は偏っていますし、製品化されていない車両については、それに類似した別形式の車両を代用しています。
《1段目・左》EF66+レサ10000×7+レムフ10000
【187】乗務した車両:レムフ10000で、書いたことですが、貨車としては異例の電気回路のジャンパ栓と元空気ダメ管を引き通し密着自動連結器を装備して100㎞/h走行を実現した車両でしたが、私にとっては見習乗務で1度関わっただけで終わり、教育機関で勉強したことは一度も活かされることがありませんでした。
《1段目・右》DD16+ワム90000+ポム1+ヨ6000
明知線のDL化後のイメージです。よく出かけた明知線は第三セクター明知鉄道として今も健在ですが、国鉄末期まではこんな短い編成の貨物列車が1日1往復走っていました。(再掲画像です。)
《2段目・左》EF66+ワキ10000×2+コキ10000×3+コキフ10000
足回りはレサ10000と同じで、100㎞/hで走っていました。一度も乗務することがありませんでしたが、青い車体は、いつも乗務するコキ50000系より格上に見えました。しかしJR貨物に引き継がれた後はたいへん汚くなった姿をさらしていて、なんともかわいそうでした。
《2段目・右》C56+ワム50000+ワム80000+レ12000×2+ヨ6000
蒸機時代のローカル鉄道は、私の日本の鉄道に対する想いを代表する存在です。幹線系から継送される貨車たちとをそれを牽く機関車には、身につまされるものがあって身近に感じます。本線の特急やイベント好みの方々にはご理解いただけないと思いますが、こういう鉄道には人間味を感じ、温かさが伝わってきます。
《3段目》EF65F+コキフ50000+コキ50000×6+コキフ50000
【189】 乗務した車両:コキフ50000ほかで書きましたが、たいへん乗り心地が悪い思い出の車両です。国鉄末期にはコンテナ輸送の主力系列でしたので、よく乗務していたのがコキ50000系でした。
《4段目》EH10+チキ5000×8+ヨ5000
私が幼少で、国鉄が元気だったころ汐留・梅田で運行されていたコンテナ専用貨物列車です。その後に発展した列車のうちの1本が【490】思い出の乗務列車(37):汐留行高速貨74列車で書いた70代の2桁列車番号の貨物列車と言えましょう。
《5段目・左》EF60+ク5000×4+ヨ8000
【313】思い出の乗務列車4: 直行貨5850列車・5852列車で書いたことがある列車です。自動車を輸送するため国鉄は多額の資金を投入したものと思いますが、鉄道と自動車との共存に発展することはありませんでした。地味な貨物列車が多い中にあって、たいへん目立つ貨物列車でした。
《5段目・右》DE10+シキ800+ヨ8000
これも、目立つ貨物列車です。【26】 MICRO ACE シキ800と昭和55年4月10日の岡多線の大物車で書きましたが、実際に乗務していた貨物列車に大物車が連結されたことは空車ながら1度だけありました。このシキ800は現役で、近年にも地元で見る機会があり、【24】鉄分補給2010.6.19 大物車シキ800その後で、その日のことを書いています。
《6段目》DD51+ヨ8000+テム300+ワム70000+トラ45000+トラ55000+タキ12200+ホキ5700×2+ワキ5000+ワム80000+ワキ5000+タム8000+トキ25000×2+タキ35000+コキ5500+ヨ5000
こういう普通貨物列車は何種類かの貨車の寄せ集めで、今どきの決れられた編成の列車にはない面白さがある列車でした。始発駅から終点に着くまでにガラッと編成が変わってしまうこともありましたし、日によって編成が違っていたりしました。この模型の編成順は、自分が乗務していた1980年前後の関西本線の上り列車をモデルにしています。
《7段目》EF64×2+ヨ8000+ホキ2200×4+ホキ8300+ホキ2200+タキ43000×2+タキ35000+タキ43000×2+ヨ5000
こちらも自分が乗務していた1980年前後の専用貨物列車をイメージしています。モデルにしたのは中央西線の上り列車で、深夜にタンク車とホッパ車(すべて空車)を連ねて名古屋臨海鉄道に直通する列車でした。模型車両が足りなかったので、その当時はその列車では見ることがなかったホキ8300とタキ35000を紛れ込ませています。ホキ2200とタキ43000とを連ねた編成は多治見以南で見られましたが、未明の運転でしたので、知る人は少なかっただろうとと思われます。
《8段目》D51+ ワフ29500+東武ワラ1+ワム90000+ワム50000+ツム1000+ホキ800+カ3000+ワ12000+トラ90000×2+ワム90000×2+テム300+ワム80000+レム5000×2+ワム80000白+ワラ1+タキ9900+タキ3000+ヨ6000+D51
これも中央西線の貨物列車をイメージしています。家畜車や通風車といった私が乗務していたころには連結されることがなかった車種が含まれます。うちの亡父から「意外な動物」を貨物列車に乗せた例を聞いています。↓
*************************
自分しか見ることがないこの企画展は2014年の夏に「スチール棚の企画展1:国鉄時代に東海道本線を走った列車」を始めてから早いものでもうすぐ3年で、今回で10回目を迎えました。この間、企画展に2度3度と登場した車両もあります。つまり所有する模型は、ここまででかなり登場したことになります。
そして並行して所有模型の削減を進めてきましたが、それもほぼ終わりました。過去の企画展に登場した車両たちの中には、すでに私の手許から去っていった模型もあります。そうかと思えば、わずかではありますが、増備した模型もあります。今回登場している中では、D51 標準形(長野式集煙装置付)やヨ5000(黄緑6号)、トラ55000、ワ12000などが比較的最近買ったものです。また、今ある模型の使いまわしで新しい展示内容を企画していく予定にしています。
この記事へのコメント
NAO
こうして拝見しますと、貨物列車もカラフルですね。幼少のころは黒が主体の煤けたイメージでしたし、コンテナや冷蔵品輸送の専用列車などは実物をほとんど見たことがありませんでした。
「たから」のコンテナ、ヨは後年のコンテナとは若干色が異なっていたのですね。緑のヨは数回、二軸貨物に繋がれたのを見たことがありますが、これも黒い貨車編成にぶらさがっていましたので。小学生のときに長野県の模型屋さんを覗いたとき、K社製品16番3両セットにコンテナカラーのヨが詰められていたのがすごく印象に残っています。
子供のころ、たまに住宅街までトラックでコンテナが1個だけ運ばれてくることがあったのですが、みんなそのときは遊ぶ手を止め、「あ、来た、戸口から戸口まで」なんて言っていました。
しなの7号
国鉄コンテナの旧色は私もリアルで見たことがありません。京都鉄道博物館に展示してあるヨ5000は旧色ですが、取り付けてある「たから」の行燈テールマーク本体は明るい新色(黄緑6号)で、違和感を持ちました。
うちの企画展には、最初16番のヨ5000コンテナ色も一緒に展示しましたが、Nと並ぶと存在感あり過ぎなので16番は全部先月までに撤収しました。また改めて緩急車シリーズの企画展とかで登場させるか?
私の家から見える道路に、JRコンテナを積んだトラックがよく走っています。たぶん定期便だと思います。少し前に、鉄道コンテナ50周年を記念して50個だけ造られた黄緑6号に塗られたコンテナが積まれていましたので、遊ぶ手を止め、「あ、来た、国鉄色だ」なんて言ってバルコニーから写真を撮りました(*^^)v 子供と変わらんですな。
ヒデヨシ
これもたくさんお持ちですね
私も仕事柄貨車は大好きでしていろいろと
購入しています
汎用有蓋車は1形式20両ほど
ただ各社古い製品は大きくて新しい物が出たら入れ替えていますね
KATOコキフ50000とか良いですね
コンテナの取り付けかたが先行したTOMIXにKATOが合わせたかたちで標準化されたのが嬉しいです
まだ何千両も生産された型式で製品化されていないのもあるので気長に待っています
最近買いましたTOMIXのEF60が地味に気に入っています。
やくも3号
JR貨物がJR東海とは別会社でよかったです。なぜなら、機関車含め貨物列車までもが銀色車体にオレンジの線になってしまいそうなので。笑
子供のころ、新見で手広く商売をしていた親戚のおじさんが「今日はみかんを貨車ごと買った」と言っていたのを聞き、その時は遊ぶ手を止め、「すごい!おじさんは貨物列車も買ったの!」と聞いたことがありました。笑
しなの7号
ウチでは、数を増やさないため単品は1形式1両、専貨用貨車でも4両までが基本です。コンテナも「たから」以外はT社です。機関車も貨車も、旧製品と並べてしまうとスケールは気になりますが、「足るを知る」身分不相応なことはわが身の破滅につながりますので、自重しています。と言いつつも予約している商品は途切れません(^^;)
しなの7号
ただでさえ地味な貨物列車ですので、JR東海でなくてよかったです⁉
ところで、ウチの軽自動車A〇〇Oは銀色なのは以前コメントに書いたのですが、オレンジラインを入れた方がカッコイイ???
昔、みかんの集荷時期にワム・ワラを連ねた臨時の貨物列車が運転されていました。
【520】臨時列車の乗務(30 最終回):最後の臨時列車乗務と臨時貨物列車EF6654~その再会
https://shinano7gou.seesaa.net/article/201409article_5.html
臨時列車を仕立てるほどの量のみかんを誰が食べるのだろうと思ったものですが、荷主さんはみんな貨車ごと買ったのですね。後にワム・ワラも大量に余剰になりましたから、貨車もみかんといっしょに買ってもらえばよかったかも。
門鉄局
国鉄貨物列車がこれだけ揃うと壮観ですね。私の模型鉄道ももちろん国鉄時代、昭和40年代から50年代の設定です。未だに最後部にヨやワフの付かない貨物列車は尻切れトンボのようで落ち着きません。10000系特急貨物列車は牽引機のEF66のカッコよさも相まって貨物列車のスター的存在でしたね。
運行開始当時は最高時速100キロを誇る唯一の機関車列車で
20系寝台特急が「貨物列車以下」と揶揄されたとか。
登場当時の華やかさに比べると晩年は特殊装備の保守に手間がかかるせいか、大量増備された50000系の陰に隠れた感もありました。コキフ50000の乗り心地は本当にひどかったようですね。昭和40年代のRJ誌の「列車追跡」でも指摘され「今後も増備予定だが大丈夫か?」のような記述があります。コキフだけ10000系と台車を振り替えて改善を図ったりしていましたね。しなの7号様地元の中央西線EF64が重連な
のは思い入れが感じられます。今となってはおとぎ話の世界のようなDD16の牽く3両の貨物列車、かつては全国津々浦々まで生活物資を届ける役目を鉄道が担ってました。私は蒸気時代には間に合わなかった世代ですが、このようなローカル
列車には愛らしさと親しみを感じます。幼少時代を過ごした名古屋市の家は社宅で住民の入れ代わりが激しく、しょっちゅうコンテナを積んだ日通トラックを見ることが出来ました。カッコイイ「JNRマーク」と「戸口から戸口へ」「国鉄コンテナ」の文字を見て鉄道への憧れを募らせたものでしたが、今では日常生活の中で鉄道を意識することが少なくなったのは寂しく思います。
しなの7号
模型では、貨物列車には緩急車を必ず連結してあげたいです。ご記憶があろうかとおもいますが、20年ほど前にJR東海管内でコンテナ列車に、無閉塞運転中の普通列車が追突した事故がありましたね。緩急車に後部標識灯が灯っていたら、あるいは普通列車の運転士がもっと早く状況を判断できていたのでは?という思いはします。反射板は機能していたのでしょうか? 専門家は、反射板は事故とは無関係と言いますが、空車のコキを連ねた貨物列車を見ると、夜間は特に後方からは列車の後部が視認しにくいだろうなと思います。
最近は豊洲市場への移転問題で築地市場の映像がテレビで流れたりしますが、空撮でカーブした屋根を見るとレサ10000を想います。変かな? コキフ50000の記事は常に拙ブログの参照数10位以内に入っていて、関心の高さ?というより情報量の少なさがうかがわれます。
基本的に模型は単品を2両買うことはない(できない(;´Д`))のですが、前期形+後期形で重連が組めます。
明知線の貨物列車は、C12時代に比べDD16の時代には確実に輸送量が減っていて、時には緩急車1両という列車もありました。
分割民営化後に、「JNRマーク」の「N」だけを塗りつぶしたコンテナがありましたが、あれはなんとも情けなかった(T_T)、
今どきは街角にある廃コンテナさえJRFの時代に入りました。
ヒデヨシ
そう言えばKATOの開発予定品に
飯田線ED62と、そのお供にホキ7500とタキ25000がありますね
予約はしていませんが買う予定
しなの7号
河合のホキ5700は異常に腰高なので気になっています。飯田線のホキ5700だと秩父でしょうか。私の列車は東藤原の小野田が定番でしたので、秩父だったら買いません。小野田なら即買いですね。小野田のタキ1900が製品化されるとうれしいです。ED62とタキ25000は、T社製ので我慢です。
abesan11
昔の貨物列車は,面白いものでした。色は,黒の物が多かったですが,形は様々。横方向に隙間があって牛や豚を運ぶ物,無蓋車,ホッパー車,タンク車,白い冷凍車など。文字もワム,ワラ,トラ,タキなど。
車掌車にしてもいろいろな形があり,車掌車の一部が貨車になっている物が好きでした。時代が新しくなるにつれて,5段目にあるような形の物が増えた印象がありますが,5枚目の物が車掌車らしく思いました。
いずれもEH10やEF65に牽引された貨物列車でした。
しなの7号
子供の頃に見た貨物列車には、興味をそそるアイテムがほんとうにいくつもありました。おっしゃるような車種や形式のカナが多種多彩であったことのほか、1列車に何両連結されているかも気になりました。私の育ったところでは東海道本線のようにEH10やEF65に牽かれる長い貨物列車には及ばなかったものの、ほとんど貨物列車には前後にD51が付きましたし、冬場は雪国から継送された貨車には屋根に厚い積雪を載せていました。あとは入換作業で行ったり来たりというのも、今の鉄道では少なくなった面白さでした。「5段目」の車掌車はトイレがあったのでほんとうに大助かりでした。
abesan11
貨物に限らず,大垣方面から来る電車は,雪を載せてくることがあり,雪を見る機会が少ない静岡県に住む者にとっては楽しいものでした。
電気機関車のトイレのことは考えたことがありますが,車掌車のトイレのと:は考えたことがありませんでした。
掛川駅でのC58による入れ換え作業は,見ていて飽きませんでした。上り線と下り線を渡って下りの側線にまで行くこともありましたが,現代のように電車や貨物が頻繁に来る時代では無理でしょう。
大井川鐵道でSL急行に乗った時に石炭の煙の臭いを嗅ぎましたが,昔と石炭の質が違い,昔の匂いとは違うことに寂しさを感じました。
はやたま速玉早玉
コキフ、ヨが最後尾にいない貨物列車、初めて目撃(確か昭和60年3月改正後)した時は『えっ…何これ…』物足りなさというか、あっけないというか、拍子抜けしました。門鉄局様が『尻切れトンボ』と表現されてましたが、ホントおっしゃる通りです。
長編成の貨物列車は迫力ありますが、明知線のDD16牽引の短い貨物列車も可愛らしくて好きです。2段目右のC56牽引の貨物列車もグッと来ます。編成全てが写真に収まるのも短編成の良いところかと。
やはりコンテナは国鉄時代の黄緑色がしっくり来ます。しかし、今の小豆色のコンテナも落ち着いた感じで個人的には好きです。
我が家にはまだ貨車がいません。しかし今回の記事&前回の記事(西濃鉄道貨物)を拝見させて頂き、俄然欲しくなってきました(笑)
しなの7号
冬の朝、名古屋で各方面からやってくる電車の屋根と足回りに付着した雪の様子で、一晩でどのあたりまでどのくらい積雪があったかがわかります。普通貨物列車の場合は途中の操車場を経由するので、一部の車両だけにドカ雪が載っているのが特徴でした。
本線を横断する入換、特に列車密度が高い東海道本線では非常に気を使いました。高塚駅で上下本線を使った機関車の前後付替作業を一度だけ経験したことがあります。
【518】臨時列車の乗務(29):「ゆうゆうサロン岡山」の入換作業
https://shinano7gou.seesaa.net/article/201409article_3.html
最近はSLの煙の匂いを嗅いだことがないのでわかりませんが、環境問題に直結というか逆行することだけに、今は良質な石炭を使用しなければならないのでしょうね。私は石炭の香りは緩急車の石炭ストーブの匂いとしても懐かしさを感じます。ストーブもトイレ同様に、人が乗る緩急車の設備として必需ですが、一般には知られないと思います。昔はそれさえも完備していなかったそうです。
しなの7号
貨物列車から緩急車が原則廃止になったあとの丸い反射板にもなかなかなじめませんでした。
ローカル線の貨物輸送は非効率だったのでしょうが、見る側からすると、決して儲からないところまでも荷主がある以上は貨物列車を走らせて、全国ネットになっていることに意味があるのだぞという心意気と安心感を感じました。そこに活躍する小さな機関車と短い編成の列車には、偉そうに駆け抜けていく特急にはない味わいが溢れます。
貨物列車は個人が直接利用することがないですが、実態がわかると興味が湧いてきます。仕事で関わった者とすればなおのことで、模型の貨車1両を見ていても、いろんな思いがよぎります。