巷の連休の混雑が終わってから、自動車で家内と越前海岸に行ってきました。
行程は、愛知県を起点として関ケ原~敦賀~越前海岸、1泊した翌日は鯖江~越前大野~郡上八幡経由で戻る450㎞ほどの道程でした。往路の関ケ原まで時間短縮を目的として名神高速を利用した以外、地道を使って、途中にある道の駅に立ち寄ってくるコースとしました。最近は出かけても鉄道関係の目的地は作らないですが、いざ出かけると鉄道にまつわる施設や、つい目にする鉄道線路や列車に目が行ってしまい、ついブレーキを踏んで路肩に停車してみたり、Uターンして戻ったりして、そこでわずか数分ですが鉄分を吸収します。
「一寸の虫にも五分の魂」
という言葉がありますが
「一寸(チョット)の旅にも五分(5minute)の鉄分」
があるものです。
最初に立ち寄った敦賀市内では、敦賀港駅前の駐車場に車を停めました。
すぐ手前の踏切には線路はそのまま敷かれていますが、警報機はなく線路と踏切道の間には柵があって、車両がこの駅に入ってこないことが明らかです。ここは2009年に貨物列車の運行が廃止されているのです。2006年までは、臨時で旅客列車が入ることもあったのですが、毎日運行されない線区は私の乗車対象線区に含めていませんでしたので、これまで一度もこの駅に来たことがありませんでした。
1902年に敦賀~ウラジオストク間の定期航路が開設され、1912年からは新橋~金ヶ崎(1919年に敦賀港と改称)間には1・2等寝台車を連結した欧亜国際連絡列車が運転されて、シベリア鉄道経由でヨーロッパとを結んだ歴史が刻まれた駅です。現地には明治時代から建つランプ小屋が現存し公開されています。
当時の駅舎は現存しませんが、別の場所に旧敦賀港駅舎が再現されていて、「敦賀鉄道資料館」として、こちらも公開されています。
このあと日本海沿いを走り、「杉津」の集落を通ります。わかる人にはわかる気になる地名で、家内が「“すいづ”と読むんだね」と看板を見て言うのですが、北陸本線旧線はかなり山側を登ったところのはずで、そういうところまで立ち寄ると、その日の行程に差し支えるのでスル―です。こういうところは5minuteではすみません。1日かけて見てくるところでしょう。
2日目こそは鉄分がないはずでしたが、鯖江市内の西山公園を歩いていると踏切の警報音に反応してしまい、福井鉄道の列車を撮影。
そのあと、帰路「道の駅九頭竜」に立ち寄ると、そこは越美北線の終点「九頭竜湖駅」と隣接していました。
その駅の裏のほうには8620形蒸気機関車が静態保存されているのを見つけ、近寄ってみると「28651」というナンバーを付けており、晩年に越美北線で使用されていた機関車であることがわかりました。
この機関車、私が幼いころは中央西線の多治見機関区に籍を置いていたらしいですから、そういうことも知って眺めると、この機関車の現役時代を知らない者としても親近感が湧いてこようというものです。
岐阜県側に入って国道を南下し、城下町郡上八幡に立ち寄ってから、たまたま郡上八幡駅へ行く道に入り込んでしまったので、6年半ぶりに駅舎内にある「ふるさとの鉄道館」を覗いてみることにしました。駅舎は最近復元改修されたばかりで、以前に比べて整備されて古い時代の姿を取り戻していました。
ところが駅舎内の「ふるさとの鉄道館」はなくなっており、その場所は飲食スペースに変わってしまいました。駅舎そのものは改修によって古い時代の姿を取り戻したのに、駅舎の中で国鉄を偲べるスペースが失われたことには、少なからずショックを受けました。
考えるまでもなく、観光列車「ながら」の運転開始によって、その乗客層に見合った施設に改め、市街地から離れた駅を活性化させるための努力の結果と言えるわけですから、否定的に捉えたりしてはならないのでしょうが、収蔵されていた展示物はしかるべき展示場所で公開されることを願っています。
もともとが鉄道関連の目的などまったくない旅でも、私の場合は、こんなふうにどこに行っても鉄道関係の場所にはつい立ち寄ってしまうものです。それほど日本中に鉄道があって誰もに身近だった交通機関だったのに、道路が整備され、連休明けの平日なのに、そこそこ人がいる道の駅や観光地。それに対して1日5本の列車の時刻が書かれているだけの閑散とした九頭竜湖駅の時刻表。越美南線とつながるはずの線路の終端の先には道の駅の駐車場。鉄道の存在意義を考えさせられる光景ですが、自分も自動車で来ている一人であり、わずか2日で、これだけの行程を、道草しながら回遊してこられました。少なくとも観光旅行では自動車と道路に十分すぎるくらい恩恵を受けているわけで、何でもかんでも鉄道が一番!などと言うわけにはいきません。人数や行程、目的などによって、それぞれの交通機関をうまく使い分けることが大切ですね。
この記事へのコメント
はやたま速玉早玉
越前海岸に宿泊でしたら、日本海に沈む夕日をご覧頂けたのではないでしょうか?私は昔、越前海岸沿いにある日帰り温泉の露天風呂から見た事があり、その美しさに同行の友人と共に感動、思わず長湯してしまいました。
福井、岐阜の県境超え国道158油坂峠、これも15年以上昔の話ですが、岐阜県道路地図を見て『大胆に曲線を描きながら県境を越している新道』がまず目に入りました。が、よく見ると、この新道に絡み付いているヒョロヒョロな、頼りなさそうな旧道が存在しているではありませんか!どんな道だろう?気になって後日、旧道利用で油坂峠訪問しました。しかし予想に反して走りやすい道で、少しがっかりしました(普通の人間はがっかりしないでしょう。私のような変人は酷い道を期待してしまいます)。旧道ファンのしなの7号様は勿論、旧道ご利用ですね?いや、奥様とご一緒だもんで走行しやすく時間短縮できる新道かしら…
郡上八幡駅の雰囲気が良いですね。昨年、長良川鉄道利用時に車内から駅舎を見て、途中下車したいなぁとおもいました。時間の都合上途中下車は無理でしたので以来『長良川鉄道で行く郡上八幡散策&郡上八幡地ビール堪能旅』を温め続けております。長良川鉄道に関してですが、美濃白鳥~北濃間が未乗区画です。北濃の転車台、見たいなぁ( ´ ▽ ` )ノ
しなの7号
宿の話は鉄分がなかったので本文では省略してしまいましたが、客は我々だけで、温泉(加熱とのこと)は事実上の貸切。温泉からも部屋からも海が見えて、朝はワカメ漁~天日干しまでの行程を部屋から眺められました。
油坂峠の旧道は、まだ油坂峠道路がないころに走ったことがあるので、安易に油坂峠道路を利用しました。国鉄在職中はワインディングロード踏破が好きで、林道や峠越えによく出かけましたが、今乗っている軽自動車では、高速も林道も不得意分野で「移動具」に徹しています。
『長良川鉄道で行く郡上八幡散策&郡上八幡地ビール堪能旅』の帰路は「みなみ子宝温泉駅」で途中下車ですね。
【112】「50代5000円でGO!」2010.12.12:郡上
https://shinano7gou.seesaa.net/article/201012article_7.html
NAO
敦賀側から旧北陸本線跡地へは入ったことがあるのですが、真っ暗な葉原トンネルの怖かったこと。今庄側まで抜ける勇気はなくて、途中で山道を降り、杉津の海岸沿い国道8号に出て帰ってきました。仕事でサンダーバードに乗ったとき、南今庄あたりから山に分け入る旧線跡地の道路を恨めしく見てばかりいました。
油坂峠はJRバスで抜けたときは一部トンネル区間を除いて旧道で、景色が良かったのを覚えています。鉄道は東京直通列車がどんどん減っていくのに対し、東京と繋がる高規格道路、それにそれを利用した高速バスは増える一方ですね。
はやたま速玉早玉
【112】「50代5000円でGO!」2010.12.12:郡上、拝見致しました。
郡上八幡駅に関して『旧国鉄駅の様子が、わざとらしくなく自然に残った感じのとてもよい雰囲気の駅でした』と記されてますが『わざとらしくなく』ってのがいいですね。これが、わざとらしく、とってつけたように旧国鉄を演出しているのであれば、違和感ありまくり、感情移入できません。
郡上の名水で仕込むお酒、手造りで大切に育てられたお酒、美味しくない訳がない、郡上へ呑みに行かねば!
2年前の3月、長良川鉄道でみなみ子宝温泉訪問しました。解放感が素晴らしい露天風呂でした。信号機の演出もニクい、こういう『遊び心』好きです。
長良川鉄道の車窓、郡上で呑み鉄、〆はみなみ子宝温泉、想像するだけで楽しいですねぇ(*´∀`)
しなの7号
日帰りには遠いし、一泊ならもう少し遠くへという感覚が働いて、越前海岸に行ったのは初めてでした。杉津の旧線トワイライトゾーンへ行けば越前海岸のトワイライトタイムに間に合いません。どうしても自家用車だと寄り道しがちでいけません。今回もそういう浮気をしないよう、タイムテーブルを作って行動しました。道路の選択も時間短縮に効果のある部分だけを高速にしてコスパを考えました。高規格道路網が充実したことを感じますが、新幹線と同様に、つい誘導されて乗せられてしまうようなことがあるし、車窓を優先すれば旧道経由のほうがよほど良いという区間もありますね。
しなの7号
郡上八幡駅のような木造建築は、リニューアルした直後は木材の色が馴染んでなくて「わざとらしい」ですが、数年たつと周囲に溶け込んできますね。内部はぶち壊し感を抱きましたが、前日の敦賀港でもレンガ倉庫の内部を店舗やジオラマにして活用し付加価値を付け、倉庫の外観を遺して観光資源として保存する手法で、全国的にそういう手法が定着しているように思えます。少なくとも「古いから壊す」という考え方からは大いなる前進で、その点では評価します。駅の場合はその場所に今でも現役の建物であるがゆえに、鉄道駅としての機能や歴史を伝えるスペースは残してほしかったと思いました。
長良川鉄道も国鉄時代は名古屋鉄道管理局内では有数の赤字路線でしたが、維持存続のための努力されているのがよくわかります。自分的には雪のある時期に温泉と車内での雪見酒を想像しますが、残念なことに《【112】「50代5000円でGO!」2010.12.12:郡上》で使った全線乗り放題のフリーきっぷは、今はもう発売されていません。
門鉄局
かつては北陸本線の要衝で機関区にはEF70やEF81がズラリと並んでいた敦賀、遂にはトワイライトすら廃止になりわずかに残っていたEF81がどうなったのか気になります。現在長浜鉄道記念館のED70も以前はここで保存されていましたね。
敦賀港に鉄道資料館があるとは初耳です。
28651号機は状態も良さそうで定期的に整備されているのでしょう。調べてみると昭和43年10月に福井国体のお召列車を牽引したようで、奇しくも私の生年月で親しみが持てます。
遂に越美線を名乗ることがなかったのは残念ですが、越美北線も南線が転換した長良川鉄道も健在なのは嬉しいです。私も最近はすっかりドライブ旅行派で、せめて駅に寄って記念品や入場券を求めて増収に協力するようにはしているのですが、この30年間で道路が格段に整備された反面ローカル鉄道やバスの厳しい現状を見ると複雑な思いにとらわれることがあります。
先日は奈良県の十津川村に行ってきました。「凄い狭隘・急曲線・急勾配の隘路」と聞いていたものの、新しいトンネルや集落をスルーする新道があちこちに出来ていて予想以上に快適なドライブでした。帰りに五新線のバス専用道跡が見えましたが、バスでも撤退をやむなくされる過疎地域で鉄道なら大赤字は間違いなく残念ながら建設中止は賢明な判断だったのでしょう。「ループトンネルを通ってみたかった」という一鉄道好きの想いはあるのですが。
しなの7号
20年ほど前には、家族で自動車で海水浴に行った帰りにトワイライトエクスプレスの時刻に合わせて敦賀駅に行って入場券を買って子供たちと機関車の連結解放作業を見たことがあります。そのときは保存してあったED70も見に行きました。そういう時代が終わった今、私は今回立ち寄ることも考えずにそこを通り過ぎてしまいました(-_-)
敦賀鉄道資料館には、国鉄の制服とかEF70のナンバーや銘板などが展示されていましたが、館内は撮影禁止でした。
九頭竜の28651号、炭水車のナンバープレートがなくなっていました(/_;)
峠で分断された部分を通過する線路や道路を踏破するのは好きですが、道路は峠道でたまに大型トラックと行違ったりするのですが、鉄道では、その使命がまったく果たされていない線区が多いのが寂しいです。十津川村には国鉄在職中に行きましたが、災害か工事か忘れましたが国道の迂回路として、河原を走らされる区間がありました。五新線バス専用道の路線バスには乗れずじまいでした。