前回のスチール棚の企画展(国鉄時代の貨物列車)の展示は、けっこう長期間に及びました。10回に及んだ企画展が終了した段階で、手持ち車両の大部分を展示できて、何年も段ボール箱の中で燻っていた模型たちも少しは日の目を見ることができたかなと思いますが、今後もテーマを変えて同じ車両を再登場させながら、スチール棚の展示を続けていきます。
今回はローカルなテーマになりますが、私が慣れ親しんだ中央西線を走った列車を集合させてみました。臨時的に入線した車両は他にも多くありますが、今回は国鉄時代に継続的または断続的に走っていた車両に限定しました。
私が見て知っている国鉄時代は昭和40年くらいから昭和62年までですが、手持ちの模型を展示する関係上、実態に合わない車両で代用している部分が随所にありますので白状しながら進めます。また、スペースの都合等により今回展示から外した車両もあります。
それでは上から順にご紹介しましょう。
●91系DC「急行きそ」
この車両が中央西線で使用された時代の末期、つまり1973年ころ季節列車として名古屋~松本間を走っていたころ最短の6両編成を再現しました。K社の8両セットから2両を抜いただけです。
●181系DC「特急しなの」
1971年に特急が3往復体制になったとき、2往復が10両編成で、1往復(下り3号上り1号)だけ7両編成でした。その短い7両編成を再現しましたが、短編成にもかかわらず食堂車がありました。
●58系DC(キハ55混入)
全線電化前、中央西線の急行はキハ57or58に1等車キロ27or28を2両を従えた8両基本編成というのが主流だったように思いますが、行楽シーズンに運転される臨時快速「木曽路」や「恵那峡」にはキハ55が混入することがありました。この臨時快速にはキロが連結されない列車がほとんどでしたが、キロが付いていたシーズンもあったような気もするので、古い時刻表で確認したら交通公社版1968年10月号で快速「木曽路」には1等車マークがありました。しかし同じ時期の名古屋鉄道管理局ポケット時刻表にはそれがなく、どちらが正しいのかは?ですし編成も?です。定期で、急行間合い編成のキロ25又はキロ28、キハ55が入った普通列車とか快速列車もありましたし、のちに信越本線が土石流による災害で長期間不通になったとき名古屋~松本間だけを折り返す寄せ集め車両による急行「赤倉」が連続して走ったことがありましたが、そのときもこんな感じの編成だったと記憶します。
●DD51+旧形PC「急行きそ」
中央西線の旧形客車による夜行急行「きそ」には寝台車が連結されていました。ここではオロハネ10が連結されていた1968年以前の姿を再現しましたが、模型はA社の単品製品「北海道形500番台」で代用しています。そのほか普通車も実編成とは似て非なる車種で代用(オハ36の代わりにオハ47アルミサッシ車など)していることをお断りしておきます。
●EF64+12系PC+20系PC「急行ちくま」
定期列車の急行「ちくま」が客車化されて12系と20系の混結になったのは1978年でした。地元では深夜の通過だったので走行中の姿を見ることがなく、実車を見る機会は乗務先の長野に限られました。国鉄末期に寝台車が14系に代わるまでこういう編成でした。こんな列車がK社から「12系+20系急行ちくま基本セット」として模型化されるとは意外でした。模型ではオハ12増結セットがありましたが、代わりにバラ売りのオハ12を2両増結してEF64に牽かせ、一応それなりの体裁は整っています。
このセットでは12系のドア部分の白線が省略された姿が再現されているので、どれが単品であるかは近くで見れば即座にわかります。
●165系EC「急行つがいけ」
サハ153が混入した神領電車区のオーソドックスな165系8両を表現したつもりです。模型ではモハ164は800番台とPS23装備車を起用していますが、これはK社の「165系さようなら急行東海」セットからの流用です。あとは適当な単品を集合させました。すべてロングセラーのK社製です。
●80系EC 普通列車
中央西線では1980年まで80系電車が見られました。中津川以北の運用が多く、そのために165系同様にモハ80は800番台又はPS23装備車が配置されていたのですが、800番台の模型製品がなく、展示してあるのは300番台のPS13装備車ですから、大問題です。一方でクハ85の300番台は中央西線らしい、いい味を出しています。
(中央西線では南木曽以南だけ一般のパンタグラフで入線できました。)
●111系EC 普通列車
よりポピュラーな113系を展示するべきですが、このあと出てくる115系1000番台に手持ちの113系2000番台が酷似しているので、あえて引っ込め、モハユニットは111系を展示しました。このタイプの方が、非冷房で夏暑く隙間風で冬寒く、思い出深いです。
●381系EC「特急しなの」
特に説明を要しません。模型はK社のレジェンドコレクションで、両端が貫通形クハの9両編成です。
●70系EC 普通列車
中央西線名古屋口の電車は70系だと言われて不自然に感じられない方は、もうそれなりの御年のはずですが、中央西線から70系は外せません。鉄コレ5両とA社モハ70を1両を寄せ集めての6両編成。同じ形式でも1両ごとすべてに特徴があるのがこの手の電車の面白さです。
●117系EC 快速列車
117系は国鉄最末期から中央西線で日中の快速運用に入りましたが、短期間で撤退しました。模型はK社単品0番台4両ですが、中央西線を含む中京圏のクハ117はトイレ付でしたし、6両から4両編成に組み替えられてからは、編成中に一段下降窓のクハ117 100番台か、クハ116 200番台のどちらかが必ず1両含まれましたから、実車編成とは異なります。
●D51+セメント専用貨物
D51も外せない機関車です。イメージは学校から帰る時間帯に後補機を従えて中津川を出ていくセメント専貨5881列車ですが、展示スペースの関係以外にも、手持ちの住友セメントのタキ1900が4両しかなくて、短編成になってしまいましたし、補機も再現できませんでした。D51は前回の貨物列車の企画展から2回連続出場なので、他車にスペースを分けてもらいました。
●C12+旧形PC 普通列車
D51ばかりが目立った中央西線の中で、中津川駅の入換用C12が、付属編成の客車3両を牽いて中津川~坂下間を1往復する普通列車が夜1往復設定されていた時期がありました。中津川の親戚の家に行った帰りに待合室から発車を見送ったことが2度くらい記憶に残っていますが、中津川電化時の1968年10月のダイヤ改正でDC化されました。
●一般色DC 普通列車
中央西線には古くから普通気動車列車のロングラン運用があり、子供の頃よく利用したのが名古屋発明科行という4両編成の普通列車でした。この列車は多治見機関区のキハ17・18・25・35の混結で、この列車でよく見たでこぼこ編成が、気動車好きに発展した原点とも言えます。模型では運転室がないキハ18が模型化されていないのでキハ17で代用してありますが、この列車には必ずと言っていいほどキハ18が中間に入っていました。
●115系EC 普通列車
80系電車の中津川以北の運用を引き継いだのが115系1000番台でした。当初はMM'1ユニットを加えた5両編成で運用され、国鉄最末期からは3両になり、国鉄分割民営化を前提に松本運転所から神領電車区に移管されています。模型では冷房付になっていますが、実際には国鉄時代に冷房はなく、準備工事にとどまっていました。
●72系EC 普通列車
モハ72とクハ79が神領電車区に配置され、ここでは全車が全金属車とアコモ改善工事済車両で当時の中央線色とも言える横須賀色を塗られていました。トイレがなく4扉通勤用ということで中津川までは運用されず、あまり利用したことがありませんでした。模型には適当な完成品がなく、ここではクハ79の相棒を代役のクモハ73にしてあり、御殿場線仕様の4両セットを流用しています。
1977年に103系電車に置き換えられました。ところで103系電車の展示は今回見送りました。家にあるA社の103系にはJRマークが印刷されており、今回の企画にはそぐわないと判断したことと、スペースの都合によるものです。
国鉄分割民営化から30年が経った現在、中央西線では国鉄形車両によって運転されている定期旅客列車は1本もありませんので、こうして模型でかつての国鉄時代を思い出すしかありません。列車本数は少なく乗り心地もよくなくて、冷房完備ではなく、冬は隙間風に震え、トイレは臭くて汚くて、決していい時代だったとは言えるはずもありませんが、見たり乗ったりした時の感動や、いつも見ているからこそ感じる親近感から、良くも悪くも模型から当時が甦ってくるものです。
この記事へのコメント
中央西線
しなの7号
模型の70系にクハ68を混ぜたいところでしたが、あいにく類似品?はクモハ54しか手持ちがなかったのでやめました。サハ75と85に赤モケット車がいたかどうかは私も知らないです。
中央西線
http://www1.odn.ne.jp/nanamaru/meisin-e.html
70系と80系のすれ違い見事ですね。
しなの7号
80系のほうがクハ85である確率が結構高かったでしょうから、湘南顔が揃うとは限らず難しいですね。
北恵那デ2
しなの7号
お付き合いいただきありがとうございます。
国鉄時代の中央西線は実に車種が豊富で、素人や子供が見ても外観の違いがわかって興味をそそりましたね。ただし中古車の寄せ集めでしたけど。
北恵那デ2様の中央西線のD51に対する知識には、私はまったく敵いません。そもそも私の場合は「重連の4652列車の通風車」の記憶がまったくありません。いずれにしても通風車は当模型鉄道には1両しか配置されていませんの絶対無理です(^◇^)
お互いに鉄道が好きであっても、興味の対象が微妙に違うと記憶していることも違ってくるものですね。機関車より気動車と客車が私の興味の対象であったことがお分かりかと思います。
43.10で中津川まで電化されたころ、70系編成にクハ68が入っていると「ハズレ」という感覚で、いつも注意して見ていました。両側クハ68の編成はなかったようですが、クハ68にトイレがなかったからそういう編成は作らなかったのでしょう。しかし朝の4+6の10両編成の列車では両端がクハ68になることがたまにあり、前から後ろまでナンバーを控えたことがありました。いずれご披露します。
はりやん
もう1つはスカ色72系。中央西線に配属されたのは戦後製造や全金属の、比較的状態のいい車両であったと記憶しています。旧型通勤電車好きだった当時(中学生)の私、103系に置き換わる直前に乗りに行った思い出があります。
懐かしいラインナップ、ありがとうございました。
北恵那デ2
しなの7号
12系+20系ちくま、自分は乗る機会がありませんでした。臨時列車や季節列車の12系ちくまには客として乗ったことはありますが、20系が連結されると格が違って見えました。「急行」のバックサインが格下感を放ちましたが、寝台が14系に変わってから絵入りの「ちくま」になりました。できれば20系時代に絵入りマークを見たかったものです。
スカ色72系は、私が国鉄に入った翌年に103系に置き換えられました。運転区間が短くて通勤にも使えなかったので、あまり利用する機会はありませんでした。中央東線とは違って、70系と併結されることがなく、側面はすべて2段アルミサッシに統一されていて、見栄えはよかったですが、クハ79の正面は各車それぞれで、いわくつきのクハ79904は即座に判別できる美人でした。
しなの7号
私は急行も停まらない小駅が最寄り駅でしたので、身近なのは普通列車でした。通過してしまう急行はキハ57や58の決まった編成だったのに対して、普通列車の客車や気動車では毎日違う形式が入り乱れる様子に一番興味がわきました。これも偏屈ですね。田舎だったので列車に乗って買い物や通院にも中央西線をよく利用しましたので、形式ごとの内装なども興味を持ち、特に普通列車に混じった旧1等の格下げ車や、急行編成のハ代用のキロとか乗り得車は好きでした。今でもステータスにまったく興味がないのでわざわざ料金を支払ってまで優等列車や特別車両に乗りたいとは思いませんが、車両としてみると、それなりの用途のための装備が興味をそそります。20系などまさにそういう興味をそそられた車両でした。
子供の頃の話をあまりアップしていないので、いずれ書くつもりでいます。
NAO
こんなことを書くと20系にシカラレそうですが、12系と青色塗色が違い、併結すると旧客に見えそうです。窓割りが10系寝台車通路側に似通ったところがあるからでしょうか。
私は国電はほとんど101、111系以降の車両しか知らず、旧国は富山港線72系、鶴見大川支線クモハ12と小野田本山支線クモハ42しか乗ったことがありません。
最近、国鉄時代のリバイバル列車が運行されることがありますが、車内の3Kも再現されればと思いますが、まずムリでしょうね。
はやたま速玉早玉
『キロ込み国鉄色の長編成58系DC』は急行の貫禄満点、しかも抜群に美しさを感じます。私の大好きな編成の1つです。実は私もキハ55を所有しており、58系に1両ポツンと組み込み楽しんでおります。ちょっとした不揃いさも気動車ならではの面白さですね。
一方で、ちょっとしたでは済まされない不揃いしまくりな普通列車、これは非常に楽しい、名古屋発明科行きなんて全区間じっくり乗車したいですね。
急行きそ、旧客鈍行、165系急行つがいけ、等々…乗車したい列車のオンパレードです。国鉄型がずらりと並ぶスチール棚、拝見させて頂きとても癒されました。
しなの7号
うちの画像は、意図的に画質を落としてサーバー割当量を確保していますので、不鮮明で申し訳ございません。せっかくの20系なのに一般の旧客に見えるようでは、私の方が20系にシカラレそうです。
丸い優雅な屋根と3本ライン、大きな固定窓を支えるHゴム。12系以降のカルイ青20号には感じることができない深い色合いの青15号、いずれも画像で表現できないながら、模型を生で見ると青20号<<<<<越えられない壁<<<青15号と思えます。しかし後になって、おでこのラインが1本消された20系は一般旧客と同じ種類の哀愁が漂いました。それは普通列車に転用されてラインがなくなった12系や抹茶の117系でも同じ思いがいたしました。
旧国、旧客、蒸機、いずれも今の技術と生活水準で測ればすべての点で敵いませんが、その全盛期の日本の庶民目線での時代背景を伝える文化財として大切にしたいものです。
しなの7号
全国で見られたキハ58の急行編成は多くの方が懐かしく思われるでしょうね。そして異形式を混入させて、さまざまな編成バリエーションが作れるのが気動車と旧形客車のお楽しみで、これは美しく整った特急にはあまりない魅力です。昭和40年代、中央西線の普通列車には旧形客車列車と気動車列車が混在し、後に電化で電車列車も参入しましたので、列車本数は少ないながら数多くの種類の車両を見たり乗ったりできました。今は模型で眺めるしかありませんが、そんな時だけは昭和に戻る自分がいます。
はやたま速玉早玉
模型眺めて、昭和50年代の音楽(邦楽、洋楽どちらもオッケイ)をBGMに、旨いお酒をたしなむ…
至福のひとときです。
しなの7号
旅に出た先の車内、模型やレイアウトを作るとき、いつも音楽と付き合ってきました。当時の音楽のファイルも多数ありますので、それをBGMに一杯は、至福にまちがいないですが、あいにく部屋が作業中で散らかっていて汚いことこの上ないので、残念ながら今はできません(^◇^)
クハ381-111
国鉄車両が鉄路から去り逝く今、末永くいつでも手元で眺められるのは、鉄道模型の魅力ですね。
キハ181系 キハ82、81や 381系 同士の「しなの」「くろしお」の共演も模型では再現、可能ですね。
直ぐに買える品ではないので何時かは実現したいです。
現在、私も乗務した車両をメタルラックを複数組み合わせて複線レール上を走られて楽しんでいます。
150分の1と小さい車両達ですが、精巧で本物に近く良く出来ているので眺めて走らせて、当時を懐かしく感じている今日この頃です。
しなの7号
クハ381-111様のように模型を手軽に運転できるスペースが欲しいと思っていましたので、現在このスチール棚の展示スペースの一段下を利用した小レイアウトの本体工事に入っています。とてもしなの号は入線できず、DCの2両くらいが走れる程度のものですが。
模型はいったん生産されたあと、次回の生産までかなり待たされることもあって、乗務した車種をずべて入手するには時間とお金がかかることですが、模型は、失われた現物を再現するほか、現実に不可能だったことを可能にしてしまえて、その楽しみ方は限りなく広がるものですので、細く長く続けたい趣味です。
門鉄局
中央西線勢ぞろい、いつもながら壮観なコレクションですね。やっぱり国鉄形・国鉄色はいいなあ、風格と落ち着きが感じられます。今では見られない形式まちまちの凸凹編成のディーゼルカー、私も幼少期興味深く思ったものでした。新幹線や特急形より機関車・旧形客車の方が好きで周りの大人から不思議がられたものでした。
70・72系には乗車の機会がなく、80系は飯田線で1度のみです。サロ格下げ車に乗ってみたかったです。旧形国電のトリを務めた72系920番台と70・80系300番台は憧れでした。うちもC12・D51・キハ91系と中央西線が次々と、先日は東塩尻信号場の写真を見て115系が欲しくなりクモユニ共々購入してしまいました。最初は山陽本線シリーズだったはずなのに…。どんどん範囲が広がってやばいです。
しなの7号
国鉄普通列車の凸凹編成への興味、わかる人にはわかりますね。模型的に見ても、連結車両数、順序や向きを変えて、一粒で2度も3度も楽しいのが気動車と旧形客車。編成単位の特急や今どきの車両では味わえない良さがあります。
70・72・80系の全金属車は私も好きでした。乗車するときは1等格下げ車は競争率が激しいので、全金属車のクハかモハにはよく乗りました。この鉄コレ中心の70系にもクハとモハ各1両ずつ300番代全金属車が含まれています。
新製品攻勢でバリエーションが充実してくると、メーカーさんの思うつぼにはまりがちで注意していますが、部屋のスチール棚の収容制限(模型の割当スペースは段ボール箱12個まで)にかかっているので、それが購買抑止力です。(なんのこっちゃ?)
何か買ったらほかの何かを処分しなくてはなりません。A社のキハ91は放出しました。