列車から降りたお客さんが、「しまった!鞄を忘れてきた」と気が付くと、下車駅で申告しますね。私も小学4年生のころに、母と一緒に出かけた帰り、母の買物袋を持たされて列車に乗った際、うっかり車内の座席にその買物袋を置きっぱなしにしてきてしまい、駅で降りて駅前広場に出て母に言われてから気付いて慌てたことがありました。
あのときは母にこっぴどく叱られ、高学年にもなってあまりにも責任感がないなど責められた挙句に、事後の手続きを全部自分でやるよう言いつけられ、半泣きで駅に捜索依頼に行きました。駅では何両目のどのあたりに乗ったのかを聞かれたのですが、私の場合は意識して機関車の直後の客車に乗りましたし、進行左側中央付近に乗ったことははっきり覚えていましたから、すらすらと答えられました。
重大な失敗をしたその日のことはよく覚えているもので、買物袋の色や柄などの特徴は今でも記憶に残っています。また、当時DD51が主に中央西線の旅客列車用として稲沢第一機関区に非重連タイプ46~50の5両だけが配置され、普通客車列車の一部がDL化された時代でした。その名古屋行き普通列車はDD51 50の牽引だったことも、駅前広場で忘れ物に気付いた直後に、視界から去っていく列車の光景さえも記憶にはっきり残っています。幸い買物袋もその中身も後日戻ってきました。いったん自分の手を離れたものが戻ってきたことで、駅の人だけでなく国鉄のいろんな人の手を煩わせたであろうことは小学生でもわかり、申し訳ない気持ちと、手元に戻った喜びが同時に湧いてきました。
(画像は父親の遺品から発掘したネガから起こした中津川駅で撮影されたDD51 の画像ですが、稲沢第一区の重連タイプです。撮影された年代は、その2~3年あとだと思われます。)
ところで、一般のお客さんが列車に乗ったときはどうかというと、私の例のように意識して乗車する車両を決めて乗って、後で即座に何両目に乗ったと答えられる人は毎日決まった車両に乗ることにしている通勤者くらいだろうと思われます。特に中部地方の鉄道を例に採ると、今でも名鉄もJR東海も本線筋では列車ごとに編成両数が違い、停車位置が列車ごとに違っているケースが多いですから、「ホームではいつもの位置で乗ったけれど、あれは何両目だったかな?」ということになりがちです。
下の画像は、国鉄時代の、駅から車掌にあてた遺失物捜索依頼書の例です。
(画像は不鮮明ですが、こういう様式があったということだけわかればいいのであえてこのまま。)
このケースでは、東海道本線上り快速浜松行普通列車から蒲郡駅で降りた乗客が「カメラ(フジカ)」を、後部から3~4両目の進行方向左側後寄り2つ目の座席付近に置き忘れたという申告です。申告を受けた蒲郡(コリ)駅員が先の駅に電話連絡したわけです。この例では、この依頼書が車掌に交付された駅が未記入になっていますが、この3130Mは豊橋まで快速の浜松行でしたから、時間的に考えてたぶん豊橋駅のように思います。
この事例は1981年ころで、まだ列車無線が完備していませんでしたから、このような文書による方法が一般的でした。
3130Mは153系又は155系の8両編成で、上の例では捜索個所は後ろから3~4両目とされていますから、駅間の長い区間であれば捜索は可能です。しかし電車列車の場合は、最後部乗務員室でなければドア扱いができませんから、2人乗務の場合でない限り前寄りの車両までの捜索は事実上不可能ですし、混雑していれば後寄り車両でも無理です。駅間で3~4両目まで出向いて見つからないと、「忘れ物に気が付かれた方、いらっしゃいませんか?」と喋りながら車内を歩いても、私の経験では見つかることはあまり多いとは言えませんでした。上の遺失物捜索依頼書の画像を再度ご覧いただくと「2両目」を消して「3~4両目」と訂正してあることからも、カメラの落とし主は、何両目に乗ったのか、自信が持てず、蒲郡駅に申告したとき、駅員から
「2両目ですね!」
と念を押され、
「やっぱり3両目?…4両目だったような…」
という状況であったのではないかと想像ができます。
で、案外、申告とは真逆の場所で、車内巡回中に
「車掌さん、これ忘れ物ですよ!」
と申告してくださる方があったり、折返し駅で、車内点検していると、捜索個所が後寄り車両となっているにもかかわらず、前寄りの車両で発見されたケースもけっこうあります。車両内の前後中央付近という申告はまったくと言っていいほど信用できませんし、右左さえもあてにならないものです。
「お忘れ物がございませんようご注意ください。」
などとありきたりの放送は誰も聞いていません。特に多いのは雨上がりの傘の忘れ物です。
「傘をお持ちの方…お忘れにならないようご注意ください」
とか、
「雨はやんだようです…傘のお忘れ物が多くなっています。お気を付けください。」
と、いうように言い方を変えてみたり、間を取ったりして、ちょっとでも気に留めていただける車内放送をしたこともありました。
この記事へのコメント
NAO
私の職場でも来客の忘れ物は発生します。販売品目によって個人情報を開示していただくものとその必要がないものとがあり、後者の場合は解決しないものが結構あります。スマホをはじめ、貴重品はすぐ持ち主から連絡が入りますが。従業員にはお見送りの際に忘れ物をされていないか近辺に注意するよう、しつこく言っていますが。
なかには忘れ物をした、と申告されて来客スペースをくまなく探しても見付からず、よく思い出してもらうとここへ来るまでにどこかで忘れてきたかな?なんて方も。
私は国鉄付番形式の電車に乗ったときだけ、車内端の形式プレートのクハ、モハ、クモハ、サハは乗り心地上、本能的に見てまうので、車番は覚えていませんがこれだけでも参考になるのではと。でも駅員さんに言っても調べる手間は変わりませんね。
私鉄電車の荷棚にコートを忘れ、すぐ申告しましたが、何両目までは覚えていませんでしたが2階建て車両の上階だったのですぐ見つかりました。
しなの7号
接客を伴う業種では忘れ物や落とし物に付き合わないわけにはいきませんね。列車の場合は移動しますし、列車本数が多い線区だと、当事者が乗った列車を特定することも難しい場合もあるでしょうから、発見しにくい空間と言えるのではないでしょうか。
「最長片道」で宮脇俊三さんは花輪線でカメラを忘れ、あきらめたと書かれていましたが、「取材ノート」によると、そのあと弘前でカメラ屋に入ってみたものの、やっぱりカメラなんかいらんと、買うのをやめられていました。札沼線のときは札幌でもホテルに8㎜カメラを忘れて取りに戻ったとありましたね。
★乗り物酔いした元車掌
指令からの「忘れ物捜索依頼」は、嫌いでした。
「前から2両目の・・・・」
10両編成だぜ、どうやっていくんだよ!
なので、指令員になったとき、
忘れ物捜索依頼は、気が進みませんでした。
仕事なので仕方がありません。
「捜索できる箇所で、お願いします」
そう、添えました。
それが、ほかの先輩方には、
気に障ったようでした。
ヒデヨシ
私もホーム勤務のとき助役に言われ2度ほど捜索したことがあります
見つかったのか無かったのか今では記憶にはありません
反対に忘れ物をした経験
名鉄太田川駅で降りたとき忘れ物に気づき駅員に相談したら大野町駅で見つかったとの事
忘れ物を運ぶことは無理なので取りに行けと言われ太田川〜大野町往復を
徴収されました
今考えるにおかしな取り扱いだと思います
abesan11
下車して2分ほどして気づき,乗車した車両と位置を掛川駅に正確に言いましたので,菊川駅で拾得してくるれると思っていましたが,何と100kmも先の熱海まで行ったそうです。
上の記事を見るとそれも仕方なしという感じです。
2日ほどしてから戻ってきたと思いました。
しなの7号
捜索依頼の連絡というものは、乗務員がその列車にどのあたりにどのような遺失物あるかを把握することに必要性があるものですから、捜索が物理的に不可能であってもお客様からの自発的アクションもあることを踏まえて迅速正確に伝えられるべきものと考えます。
しなの7号
途中駅での駅員による忘れ物の捜索はときどき見かけた光景です。駅側の出発指示合図があったころで、駅にもそれなりの人数があったからできたことですね。本来車掌がすべきことですが、「職責を越えて一致協力」していたと改めて思います。
忘れ物をした本人の心理から言えば、大事な物なら自分で電車に乗って取りに行けと言われればその場は従うしかないですが、「忘れ物を運ぶことは無理」とは変ですね。
しなの7号
車掌以外の立場で遺失物に関わった方のコメントも参考にしていただくと、物理的に営業運転中の列車での捜索は困難だと思っていただくのがよろしいかと思います。
私も映画を見に行った先で携帯電話を落としてきたことがありますが、ちゃんと手元に届き、ただただ感謝と申し訳ない気持ちでした。終点の熱海まで行った忘れ物がきちんと届くのは、平和な日本ならではの奇特なことではないでしょうか。
はやたま速玉早玉
私も数回車内に買い物袋を忘れてしまい、現場の方々の手を煩わせてしまった経験があります。常に『何両目の、左右どちらか、何枚目の扉の近くか』全て意識して乗車しておりますので、降車駅での手続きはスムーズに進行していたとおもいます。
が、その都度、乗車位置を把握しているくらいなら、己の持ち物くらい把握しとかんかい、と自分自身にツッコミを入れたものです。
荷物が戻ってきた時は嬉しさと感謝の気持ちが同時に込み上げてきます。ですから他人様の忘れ物を発見した際は必ず届けるよう心掛けております。その際、駅員さんにスラスラと伝達出来るので良いのですが、駅員さんは『詳し過ぎて助かるが、もしやコイツ鉄道マニア?』と内心思っているのでしょうか(笑)
忘れ物に関する車内放送、国鉄には一文一句決められた事細かなマニュアルは無かったのですね。言い回しを変えたり、間を置いたり…セールストークに通じるものがありますね。
しなの7号
私は列車内に忘れ物はあまりしませんが、それ以外の場所での置き忘れが多くて、元鉄道員&鉄道ヲタクの知識が活かせたことがありません^^;
忘れ物をしないために車内では荷物をなるべく一つにまとめ、網棚や帽子掛けはなるべく利用せず足元に置くようにしています。
国鉄時代に放送マニュアルがなかったわけではありませんが、車内放送や駅の放送には、人によって個性がありました。セールストークのように、ちょっと耳を引っ張られる話術は車内の注意喚起放送でも必要だと思いますが、工夫する人もあれば、まったく体裁だけの放送をする人もあって、良い手本となるような放送もあれば、あまりにも酷い放送にも巡り合い、国鉄時代の放送の質にはバラツキが多かったというのが個人的な感想です。
門鉄局
昭和51年の夏だったか北九州から名古屋へ戻る際、鹿児島本線に忘れ物をしてしまいました。小倉で降りてすぐに気付き、「場所は?」「…」の母親の横から「5両目のクハ421」と答えたのを覚えています。幸いにも門司港行きですぐ見つかりました。私自身は高校生の時、ホーム係員が「本日は傘などお忘れ物ないよう…」と放送するのを聞いて、何と(アホ)鞄を忘れてしまいました。期末試験の最終日で「今日から何して遊ぼうか」などと考えていたのがいけなかったのですが、恥をしのんで申告すると「学生が鞄を忘れたらあかんやんか」という当然のお説教のあと、「2駅先で降ろしてもろたから、取りに行ってや」ということになりました。当時は各駅のホームに係員が配置されていたのですぐに取りに行けましたが、現在だと多分その列車の終着駅まで行かないといけないと思います。
現職の鉄道屋として不思議なのは座席上の大きな鞄の忘れ物、どうして忘れるのか理解できません。
しなの7号
子供の頃から、忘れ物に対しても鉄らしい対応と申しますか、鉄の知識を最大限に利用できていますね。本文での私の例では、乗車した客車の形式はたぶんオハフ33だったと思いますが、牽引機のナンバーDD5150なんか覚えていても何の役にも立っていません。このとき稲沢第一区に配置されていた非重連DD51のうち、48・49・50の3両が、6年後に初めて私が九州に行ったときに門司区に転出していたのですが、50号機との再会はならず、それでも49号機には折尾駅で再会しました。
不思議な忘れ物、私も車掌時代に出会ったことがあります。その時のことは来週のブログでアップします。
通りすがりの乗務員
某関東民鉄で乗務員をしております者です。
名鉄の「忘れ物を回送できない」理由、
それは「申告本人もものかどうか(100%)確定できないから」であると思われます。
9割方「間違いない」であろうとも、万が一似て非なる別人のものであれば、当該忘れ物を「返却回送」しなくてはならない(そしてその際に紛失破損のリスクが伴う)と駅員時代に教わりました。
以前当社でもこの取扱いで、必ずご本人様に忘れ物保管駅へ出向いて頂きましたが(ただし専用乗車証交付で無賃扱い)、
最近は柔軟な取扱いに変わってきている様です。
昔、箱入りメロンの忘れ物が届けられ、引き取りにも来ず、
保管期限日に「もっていないなぁ」と思いながら処分してもの思い出しました。
しなの7号
ご覧いただき、ありがとうございます。
鉄道会社によって、そして時代によっても取扱に違いがあるのですね。
JR東海のHPを見ると
「お忘れ物が見つかった場合、保管している箇所でお受取りいただきます。保管している箇所までお越しいただくことが困難な場合は、宅配便等による着払いでの送付も承ります」
と、ありました。
生鮮食料品は困りますね。北陸から名古屋に着く際に「しらさぎ」車内には越前蟹の忘れ物が…