駅に関する話が長く中断したままでしたが、再開します。
これまで列車に乗り歩いているうちに撮影した画像を眺めなおすと、駅名標などが写り込んでいる画像はかなりの数になっていました。そこで、駅名の五十音順に「あ」から「わ」まで1駅ずつ、その駅の思い出や、そこに写っている車両などについてのコメントもひと言付け加えながら駅の画像などをアップしていこうと思います。不鮮明な画像もありますし、五十音のすべてを網羅することはできませんでしたので、あらかじめご承知おきください。なお、すでに廃止された駅や改称された駅も含み、表題部分は「駅名・読み・社名と線名・県名」の順となっています。
今回は「あ」~「お」までです。
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「あ」…足寄 あしょろ 北海道ちほく高原鉄道ふるさと銀河線 北海道
2004.9.24撮影
北海道ちほく高原鉄道ふるさと銀河線の初乗りに行った時の画像です。“挙動不審”な乗客に、運転士氏が話しかけてこられ、あれこれ見どころを説明してくださいました。この駅は2階がコンコースのようになっていて階段で1階のプラットホームに降りてくる構造の駅でしたが、どうやら常連客は直接線路上を横断して列車に乗降していたようでした。この時点で残存していた北海道の旧国鉄線は、この路線(旧国鉄池北線)を踏破したことで完乗になりましたが、この路線はその翌々年2006年4月21日に廃止されてしまいました。
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「い」…犬吠 いぬぼう 銚子電気鉄道 千葉
2009.9.5撮影
銚子電鉄に乗車して沿線観光地巡りをしたときの画像です。
この駅で下車し、徒歩で犬吠埼灯台まで行って見物したあと、駅に戻ることなくそのまま高速バスで東京に戻りました。このころから私は高速バスを積極的に利用するようになりました。駅には売店や廃車になった電車を利用した供食設備が併設されていました。
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「う」…海芝浦 うみしばうら JR東日本 鶴見線 神奈川県
1991.7.9撮影
前日に大垣始発東京行夜行に乗って品川で下車。川崎へ折り返して尻手を経由して浜川崎から鶴見線に全線乗車しました。運河を行く船と並走する電車に乗って朝の海芝浦着。滞在時間9分で折り返し。このあと常磐線に1両だけあったダブルデッカー普通車クハ411-1901に乗車するため上野へ向かいました。
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「え」…恵那 えな JR東海(国鉄) 中央本線 岐阜県
駅名標:2006.2.11撮影 (中山道歩きで中津川宿~大井宿を歩いた後に撮影)
列車 :1978.10.撮影(日不明)
中山道大井宿最寄り駅で、1963年にそれまでの「大井」を「恵那」に改称されています。
現在、ここから明知鉄道が分岐しますが、この線は元国鉄明知線で、撮影時点では貨物列車が1日1往復DD16の牽引で運転されていました。右側の70系電車は中央本線の南木曽以南に使用されていましたが、この年1978年12月に113系電車に置き換わる形で引退しています。
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「お」…落合川 おちあいがわ JR東海(国鉄) 中央本線 岐阜県
115系電車:2010.4.10撮影
かつて蒸機の撮影に訪れた駅を桜の時期に列車で再訪して、少しだけ列車を撮影しました。写っている115系電車は自分がここまで乗ってきた列車です。
D51蒸機:1972.2.6撮影
下りの貨物列車で、D51 201が牽いています。この列車には中津川からこの駅までの1区間だけD51の後補機が付きました。切り離された後補機は、列車が発車した後を追うように移動し、その白煙が後方に見えています。このあと後補機は転線して隣の上り本線に停車中の貨物列車の最後尾に逆向きに連結されて中津川へと戻っていきました。この日の後補機はD51 903でした。
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今回はここまでです。
次週は「か」~「こ」までをアップします。
この記事へのコメント
やくも3号(煩悩)
私は足寄の隣の ”I cup” とかいう駅名が気になって今日は眠れそうにありません。まことに申し訳ございません。
しなの7号
この日は、愛冠(一発で変換できた^^;)駅のかわゆい駅舎画像も列車内から撮影してありましたが、「あ」の代表にしてアップすると、バス窓のキハ55でさえ気が狂う方もおいでなので、没にして隣駅にしました(^◇^)
門鉄局
この5つの駅、下車したのは犬吠と海芝浦だけですが通過したことはあります。足寄はまだ池北線時代で国鉄最後の夏、車掌さんと仲良くなり色々な話が聞けたのは良かったのですが、「俺もどうなるか分からない」と現場が動揺している様子が伺えました。鶴見線の海芝浦はクモハ12が休日に奇跡のような全線運用に復活したのを狙って乗りに行きました。マニア的には魅力的な運用も当然現場からの評判は悪いようで、乗務交代時「かなわん電車やな!」と引き継ぎをしていたのが印象的でした。(今では気持ちが良くわかります)中央西線の2駅、木枠正面窓のクハ76とDD16牽引の貨物列車の並びは貴重な記録ですね。1駅間を往復する補機運用はずいぶんきめの細かいことをしていたのだと感心しました。NゲージD51をもう1両増備して…いかんいかんキリがなくなりますね。
NAO
足寄は素晴らしい直線の構内ですね。高校のときの修学旅行で立ち寄ったお土産屋さん、記念にどうぞと、硬券の入場券ではなく金額式乗車券販売をさかんにアピールされていて、結構売れていた覚えがあります。私は買いませんでしたが。
犬吠の地名で宮脇俊三氏を思い出しました。
私が海芝浦へ行ったときの電車もこの形式でした。外へ出れませんから一体どこまで歩み寄ったら声掛けされてしまうのか試してみたかったのですが、警備の方が屋外すぐのところに居られてそんな勇気は出ませんでした。
恵那は旧駅名大井というのは知りませんでした。改称されていなかったら今回は落合川か大井のどちらをアップされるか、「え」で始まる駅はどれにするか悩まれたのでしょうか。(^▽^;)
しなの7号
私が足寄へ行った時は、廃線になることが正式決定される前でしたが、国鉄OBの運転士さんは「この線もどうなるかわからない」というお話もされていました。
鶴見線では、海芝浦へ行く前に弁天橋から出庫して大川に向かう朝一のクモハ12に乗りました。その列車は「弁天橋→武蔵白石」と「武蔵白石→大川」との2列車に分かれていましたが実質は大川まで直通で、武蔵白石では本線ホームに着いた後、大川支線用のホームへの転線入換中もそのまま乗車できました。仕事と趣味とでは価値観が全く変わるのは確かですね。
中央西線にいた70系の中で木枠のクハ76は末期には2両だけ在籍していました。
現在の落合川駅は、40年以上前に機関車の連結や解放が行われていたことが信じられないほど静かな無人駅です。
しなの7号
元網走本線だっただけあって本線規格なのでしょうが、原野ではカーブする必要性がないくらい何もないのでしょう。長い池北線にはトンネルさえ一つもありません。この列車の運転士氏が私に10分程度の足寄停車中に見てこいと勧めたのは、2階にある松山千春の衣装やギターを展示したスペースでした。
宮脇俊三氏が犬に吠えられた駅のうち1つは、このシリーズで後日アップします。
海芝浦駅は平日の早朝にもかかわらず、私以外に2組の同業者がいました。宮脇効果だったのでしょうか。
「お」は、大井や落合川以外にもいろいろ思いつきます。「え」は「越前~」「越中~」「越後~」など、旧国名が助けてくれるのですが、いざ画像がある駅となると、かなり限られてしまいます(~o~)
ヒデヨシ
愛植男じゃない
アイウエオ駅良いですね
当然近隣かと思えばいきなり北海道とは
まあ無くてもアならどこでも転がっていそうです
海芝浦は行きました
ホームから外には出ていません
外に出たい
鶴見線は線内はフリー乗車状態ですね
鶴見駅に改札があるので線内はひとつの駅のようです
しなの7号
はからずも、今回は西日本の駅が出ませんでしたが、次回の「か~こ」は西日本方面の駅にします。
外に出られない海芝浦を訪れる人は多いのですね。早朝から鶴見線全線を乗り終えて鶴見駅に着いたときは朝のラッシュ時にかかってしまい、ホームと乗換え改札付近はものすごい人でした。(人の流れが逆!)
鶴見線は個人的には北恵那鉄道で見ていたデ8の故郷としての想いがあります。
abesan11
しなの7号
ほんとですね~
特定の線内で駅名を順に眺めたことがなかったので気づきませんでした。
改めて時刻表をめくりましたら、名松線は「い」で始まる駅名が線内14駅中10駅もありましたよ。「伊勢○○」がほとんどですが…
時刻表で名松線のひらがな駅名欄で最初の一字を松阪から縦に読んでいくと
「まかごいいいいいせいいいいひい」
伊勢八太から先は終点までで「い」でない駅は2駅だけです。
只見線内で長期不通になっている会津川口~只見間の中間駅も「会津○○」が連続してすごいことになっています。
「あああああほ」
!(^^)!
はやたま速玉早玉
どの駅が選ばれるのか、楽しみな企画ですね。よく利用する駅が登場したら鳥肌モノです。
足寄駅、ホームからの眺め、良いですね。私の場合、下車して改札へ直行するのではなく、暫くホーム上でボーッと眺める事になりそうです。廃止は残念です…
犬吠駅、ハイカラで地中海の雰囲気、女性受けしそうです。ずば抜けて背の高い2本の木(ヤシの木?)がリゾート色を高めており『カクテルで乾杯』が似合いそうですね。私とはかけ離れたお洒落感です(^_^;)))
海芝浦駅、すぐ横が海なのですね。工業地帯?の雰囲気ですが、ホームからボーッと眺めるのも良さそうです。
あれ?中央西線、スカ色が活躍?113置き換え時に湘南色に変更されたのですかね。D51の貨物列車も圧巻、煙を吹き上げ力強く貨車を牽引…迫力が画像から伝わって来ます。
しなの7号
このシリーズ、自分が撮影した画像がある駅に限っていますので、かなり無理もありまして、ご期待にそえるとは思えません(*´ω`)
足寄駅は橋上駅で、今は道の駅になっています。
犬吠駅も、今は廃車の電車利用の店も解体されたそうです。
海芝浦駅は、撮影から25年以上たった今も電車以外はほとんど変わっていないと思います。
中央西線のローカルは昔から首都圏や近畿圏の中古車の吹き溜まりでした。
【76】乗務した車両:113系電車(2)
https://shinano7gou.seesaa.net/article/201010article_1.html
はやたま速玉早玉
『乗務した車両113系電車1~3』拝見致しました。湘南色と首都圏色の併結なんて夢のような編成、実在してたんですね。そういえば以前『しなの鉄道の115系、湘南色、首都圏色への戻しも期待できる』と、しなの7号様よりコメント頂いた事がありましたが、是非行って頂きたいと今回改めておもいました。
しかし名古屋圏には首都圏色のイメージはありません。だもんで不思議な感覚に陥り、中央西線だぞと言われても『え、嘘っ?』てなります。
東海の113は最後まで青モケットを貫き通したのですね。現在湖西線、草津線の運用に就いている113のモケットは茶色です。昔、紀勢本線の165は小豆色であったと記憶しております。これらも悪くはないのですが、やはりモケットは青が最もお似合い、しっくり来ます。
子供時代、113はありふれた存在で特に関心ありませんでした。しかし現役で活躍しているのが少数となった現在、数少ない国鉄型、逆に愛着も湧いてきております。私個人の身勝手な気もしますが…
しなの7号
はやたま速玉早玉様へのお気遣いはしていません!(^^)!が、だんだん後ろのほうへいくほど駅の選定には無理をしてます(*_*;
しなの鉄道の115系、湘南色と横須賀色が揃うとなれば、集客効果がありそうですね。
国鉄の地方線区は、どこにいっても中古車ばかりでした。
その実態は、例えば地方線区が電化されると、その予算で新車を首都圏用として冷房付で発注し、首都圏の冷房化率を促進させて古い非冷房電車を押し出し、その車両を地方の新規電化区間に導入。その線区でそれまで使用していたDLやDCは転属させて、転属先の無煙化用になり、SLは廃車。ただしSLでも車検有効期間が長いものはさらに転属させて、その転属先の検査期限の短いSLの検査費用を浮かす。
こんな図式で玉突き転属が全国規模で行われていました。国鉄全社的に見れば無駄がなく効率的で、巷の国鉄の評判やイメージには合致せず、コスト意識の高さを感じますが、赤字だからこその四苦八苦のやりくりとも受け取れます。
茶モケットは、117系で新鮮に感じたものです。115系までは青モケットがノーマルで断然いいです。昨年久しぶりに京都で113系に乗りましたが、足裏から伝わるコイルバネの乗り心地を懐かしく思いました。東海地方のJRでは味わうことができませんので。
鉄子おばさん
しなの7号
今日で電化35年周年でしたか。381系もずいぶん酷使されていますね。35年前はまだ私は専務車掌になる前で、秋には117系が名古屋地区で運転開始された年です。
足寄駅は廃止後10年以上経ちますが、現在も現地は道の駅として営業中で、車両や駅名標が展示されているらしいです。旧陸別駅にある「ふるさと銀河線・りくべつ鉄道」に行けば気動車運転もできます。行動派の鉄子おばさん様にはおすすめかも?
鉄子おばさん
しなの7号
体験運転はリピーターというか常連が多いようですね。
国鉄の電車が走らなくなったところに暮らしていると、いまだに381系が現役で走っているのがウソのようにさえ思えます。381系も余命宣告が出たようなものですが、残された活躍を見届けてあげてください。
鉄子おばさん
しなの7号
381系は側面から見ればスリムですが、正面から見ると下ぶくれのオタフク顔ですね( ^ω^ )