【862】 変なコレクション9:国鉄保養所のマッチ箱など

先週は国鉄時代に職場から行った旅行や宴会のことを書きました。じゃあ国鉄在職中は職場での団体旅行のほかには出かけなかったかと言えば、家族や、職場の同僚たちと一緒に1~2泊程度の旅に出ることはありました。国鉄では職員に乗車証や割引証が支給されましたから、国鉄で出かければ安く出かけることができたのに、日ごろ仕事で乗っている(乗らされている)列車に乗るより、わざわざガソリン代を出してでもマイカーで出かけたいと思ったもので、その結果、日帰りや一泊の旅行にはマイカーを利用することがほとんどでした。しかし安月給ゆえに、宿泊代を抑えるために、投宿先のほとんどは国鉄共済組合の保養所を利用することが多くなりました。

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前に国鉄時代に利用した喫茶店のマッチ箱コレクションを【445】変なコレクション3(マッチ箱 新橋編)から、4・5・6・8と、5回に分けて書きましたが、今回はマッチ箱を含む国鉄共済組合が運営していた宿泊施設関連のモノをご紹介しましょう。

上の画像は南紀白浜にあった国鉄の保養所「くろしお荘」で、写っている自動車は私のです。自動車については、いずれ機会があれば、改めて乗り継いできた車種について書くつもりです。

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国鉄分割民営化前年、1986年2月、1年先輩の人たち2人といっしょに、十津川の温泉2か所と川湯温泉に立ち寄った後、ここ白浜の国鉄くろしお荘で泊まりました。この1年後、3人の進路はバラバラになり、JRに残ったのは1人だけでしたが、今でも1年に1度は近況報告を兼ねて会っています。

こうした保養所は企業や公務員関係の福利厚生の一環として、観光地にはよく見られました。


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上は草津温泉にあった保養所のタオルとその袋ですが、ここに宿泊した記憶はありません。なぜか家にありましたので、たぶん父が利用して持ってきたものだろうと思われます。袋には「保養所・宿泊所・集会所」とあります。宿泊所や集会所は規模の小さな施設で、駅の敷地内などにありました。


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画像左側の軽井沢集会所は列車掛同期の者と2人で、1981年6月に松本~長野~志賀高原を周遊したときに宿泊しています。このときも自動車で出かけています。

画像右側の鳥取職員宿泊所は前にもアップしたことがありますが、列車掛同期の者3人で、同じ年の10月に宿泊しています。このときは列車で、鳥取砂丘と出雲大社・日御碕を巡り、帰路は急行「大社」で出雲市から名古屋まで乗り通しています。


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宮崎県青島の青島荘、鹿児島県指宿温泉のはまゆう荘と、鹿児島市内にあったさつま荘の領収書

この3か所は、1985年4月に家内と2人で往復列車で出かけ、現地ではレンタカーを借りました。結果としてレンタカーで移動した範囲の国鉄線が未乗のまま残ってしまいました。専務車掌時代でしたので、臨時列車が多く運転される春休みの繁忙期が終わるのを待って、まとめて年休が取りやすい時期を選んで出かけています。

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そのあと、また同じ年の8月に、家内と義父の3人で、富士五湖に出かけています。
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このときは私のクルマを利用しました。義父は富士山が好きな人でした。


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静岡県熱海の幸楽荘

上のマッチ箱は【792】撮り鉄12か月…1985年5月「白糸川橋梁・玉川橋梁・伊豆多賀」で既出です。1985年5月に車掌区の鉄分が濃いメンバーで宿泊しています。


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このほか、

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長野県戸倉上山田温泉の戸倉荘


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岐阜県下呂温泉のひだ山荘(保養所)


その上の戸倉荘も含めて宿泊したことは確かですが、いつ、どういうメンバーで泊まったのか覚えていません。名古屋から近いので、職場の親睦会とか同期会で行ったのだと思います。

「名鉄局厚生課協定旅館」と書いてある「瓢きん」は一般の旅館です。JRとも協定を結ばれたのかどうか知りませんが、現在も営業されておられるようです。


国鉄共済組合は国鉄が分割民営化されたとき日本鉄道共済組合と改称され存続しました。国鉄退職後もJR社員の方たちといっしょに、こうした保養所を幾度か利用させていただきましたが、現在ではその多くは廃止されたり、営業譲渡や経営主体が変わるなどしてリニューアルされたものと思われます。


この記事へのコメント

  • ヒデヨシ

    しなの7号様こんばんは
    たくさん利用されているのですね
    私もビンボでしたが旅は近場以外は列車
    泊まりは夜行列車の車中泊または安いホテルか旅館でした。
    国鉄保養所か国鉄協定旅館かは忘れましたが利用したのは金光の宿だけです。
    職員仲間と二人で行ったのですが何でそこに行ったのかは不明
    金光教は関係ないです、現地でそんな宗教があるのを知ったくらい。
    おそらくは倉敷とか別府鉄道に行ったときだと思います。
    申し込みは電話代節約のため、駅の鉄道電話でした。
    2018年03月19日 20:01
  • しなの7号

    ヒデヨシ様 こんばんは。
    国鉄時代の私は「列車は乗らされるもの」のような気がして、プライベートでは自分でクルマを運転して出かけることに意味があると思い込んでいました。転職後は一転し、会社でクルマを運転する機会が多く、交通事故は起こすな、違反はするなとうるさく言われまして、その反動もあってプライベートでは列車をよく利用するようになりました。仕事と遊びの関係とはそういうものかもしれません。

    天理臨・創臨と並んで金光臨ってのもありましたね。金光ってそれしか思い浮かばないです。JRになってからも、神領の381系で運転されていたことがあったと記憶します。
    保養所の予約はもちろん鉄道電話でした。マッチ箱にも「鉄電」「公電」と書いてあるように、国鉄職員が言うところの「公衆電話」とは、一般加入電話全般を指しましたから、一般社会での「公衆電話とは赤電話」という感覚とはズレがありましたね。
    2018年03月19日 20:43
  • うさお

    かなりご無沙汰でございます。くろしお荘は今もありますよ。8年くらい前にたまたま泊まる機会があり泊まりました。鉄な展示があるコーナーもありますので、機会があればまた泊まられて見てください。
    2018年03月21日 21:53
  • しなの7号

    うさお様 おひさしぶりです。
    ご教示の投稿ありがとうございました。
    JRくろしお荘というのが、それですね。
    よくぞ残ってくれていたという思いで、こういうところには、ぜひ泊まってみたいです。
    2018年03月22日 06:32

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