【906】 私の自動車遍歴1 はじめに

「遍歴」と書きましたが、私が乗り継いできた自動車の数は少ない方だと思います。特に結婚してからは、新車を買って最低3回以上車検を受けるという乗り方を繰り返しています。そして、乗り継いだ自動車には限らず、たとえばカメラとか鉄道模型のような趣味のモノから家電製品、住まいに至るまで、ほとんどの買い物で、節約志向で「オプションはないか、純正品にこだわらず社外品を優先」「最高級グレードに手を出さずコスパを優先」「実用本位」としています。なんだ、そんなクルマばかり乗り継いできたのかと思われることが必定でしょうから、画像をアップするのもお恥ずかしい限りです。けれども鉄道への想い同様に、国鉄在職中には自家用車に乗って出かけることは趣味活動の一部でしたから乗り継いだ自動車たちへの想いもありましたし、撮り鉄の際の相棒でもありました。そういう自動車との付き合いを中心に、これから書き進めていこうと思います。


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今から40年以上も前、高校卒業後に国鉄に就職して約1年後に自動車運転免許を取得しました。

私はそのころ国鉄では荷物列車の乗務員(仕事の内容は「【16】乗務掛1:乗務範囲など」をご参照ください。)でしたので、勤務形態は地上職である駅員よりも不規則で、勤務明けの時間は毎回違い、夜になることもあったので、主に非番日と公休日でないと自動車学校の技能講習が受けられませんでした。その技能講習日を乗務割表と突き合わせて予約し、そのあとも、さらに限られた仮免許の次の検定がある曜日が乗務日とが重なってしまい、一カ月以上先の日しか予約ができない状態になり、受験してはみたものの日が開きすぎて勘を取り戻せずに不合格になったりもしました。まあ、単に運動神経が劣っているだけという説も大いにありますが、とにかくそういうわけで、自動車学校在学期間が長期間にわたってしまい、就職するまえに免許を取得しておくべきであったと大いに悔やまれました。


それでもなんとか免許を取得し初めて買った自動車がこれでした。
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この自動車の詳細については、来週書くことにしますので、あえてここでは触れません。すでに同級生の多くは運転免許を取得していましたので、彼らの運転する自動車に乗せてもらって中古車展示場を何か所も覗いて巡りあったのが、このB110サニークーペGLの中古車でした。


そのころ、両親と住んでいた実家があった町内約20世帯のうちで、自家用車がない家はわずか2世帯だけで、私の実家は、そのうちの1世帯でした。これでやっと人並み?になったわけですが、ほかのことはたいてい都会より遅れていた田舎にあって、自家用車の普及率だけは都会よりも高かったのではないでしょうか。それは交通手段が少なく必要に迫られたわけですから当然の結果です。田舎では近いところでもクルマで移動することが多いです。日中に自動車はよく通っていますが、歩いている人は少ないですから、よく目立ちます。同じ町内の者であれば「おい、どこまで行く? じゃあ乗せてってやるわ!」というのが普通です。私の場合は駅までは歩ける距離でしたから、国鉄在職中だったころの私は、駅までミニバイクか徒歩で通勤していました。しかし普通の通勤者と違うのは、出勤退勤時刻です。若い者が日中の変な時間帯に歩いていると目立つものです。そのころにあった選挙運動期間中に某候補者の選挙事務所に詰めていたとき、まったく知らないオバサンから声を掛けられ、「あんた、いつも昼間歩いとるが、国鉄の人やったのかねぇ。」と言われたことがありました。


その後、私は国鉄から転職し、それに伴って父母を残して転居したので、実家はまた自家用車がない家になってしまいました。それでもそのころの両親は、今の私の年齢よりも若かったですから、駅までふつうに歩けましたし、父は原付バイクに乗っていたので、日常生活で困ることはなかったはずでした。しかし自家用車の普及とともに日常使う駅前商店街が衰退し、買い物する先が、家から遠い国道沿いの大型店舗にシフトしていきましたから、いろんな面で自家用車がないと不便になってきたのは確かで、両親は年を経るほどに、歩いて買い物に行くのが難しくなっていったわけです。

父が最初に脳梗塞の症状で入院したのが2010年でした。そのときの後遺症は部分的かつ軽症で、歩くこともできましたが、もうバイクは危険だからと運転をやめてもらいました。代わりに私が行きつけだった自動車修理業者さんが代車として使っておられた軽自動車を、それなりの対価を払って譲り受け、父名義にして実家に常備したのが、この12年落ちの中古軽自動車でした。
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ダイハツ・ミラ(中古 初度登録1998年)

私は週一回、休日に列車で実家に帰って、実家に常備したこの軽自動車でスーパーなどを買い物して回ることにしたのです。主に買い物に使用しただけで、父母ともに運転ができないわけですから、所有した3年ほどの期間の走行距離はわずかです。

バイクに乗れなくなり、出かける機会が減った父は、この自動車にいっしょに乗って買い物へ行くことがよくありました。私にも時間的余裕があるときには、ついでに北恵那鉄道廃線跡を見に行ったり、中央西線の貨物列車を撮影したりしたこともありました。
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北恵那鉄道並松駅跡。プラットホームがそのまま残り、草がきれいに刈られていました。
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北恵那鉄道中津町駅付近の廃線跡。
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一度だけ、このクルマで父と下呂まで高山本線のキハ40系の撮影に行ったことがあります。こうなると、買い物が「ついで」になります。

自動車は写っていませんが、そのとき焼石~少ヶ野(信)で撮影した画像がこれです。
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このミラは、その時点でもあまり見かけない旧型車でしたが、その使命は十分に果たしました。父母が入院していた期間には、休日の買い物だけでなく、平日に病院に行って、事務手続や用品の補充をしたり、容体や転院の説明を受けに行ったりもしました。

「仕事早退か定時即逃げ→(勤務先最寄駅まで自転車)→(中央本線の列車で美乃坂本駅に直行)→(駅に置いた自転車で実家へ)→(この自動車で入院先の病院へ){途中でドラッグストアに立寄り、おむつなどを購入することもあり}」

という乗り継ぎを幾度も繰り返しました。自分の自動車で高速に乗って往復するのが一般的かもしれませんが、この方法は意外に速く、帰りは実家で一杯飲んでも問題なく、回送同然の空いた中央西線の上り列車で悠々と帰れるのがメリットでした。それに家内の実家のほうにも似たような状態があったので、お互い自由に2台の自動車を使えるのは便利でした。

今、田舎では鉄道があっても生活していくのが難しいところが、全国いたるところに見られます。私が子供のころには、実家から徒歩5分以内には最低限の生活に必要な食料品が買える商店が2つもあったのですが、いずれも店主の高齢化で廃業し、歩いて行ける範囲だった駅前商店街も寂れ、今では鉄道に乗って行った先のそこそこの人口がある街でも、目的地となるスーパーや役所、病院は駅から離れたところにあります。そうなると鉄道があっても真に交通手段が必要な者が利用しにくく、何のための誰のための鉄道なんだと言いたくもなります。

近年の傾向は、このころの私のように自家用車と鉄道の組み合わせが増えていることです。定時即逃げで乗った列車から美乃坂本駅に降り立つと、狭い駅前にずらりと迎えの車が待っていますし、駅周辺の有料駐車場がいくつかできました。アップダウンの多い田舎では自転車は不向きで、やはり鉄道と自動車の組み合わせが必要になりますから、自家用車なしでの生活は困難です。


話がつい鉄道のことにそれてしまうのは、鉄道贔屓の私のことですのでご勘弁ください。話を戻しましょう。この自動車は、私のクルマが車検の時に、代車として一週間ほど私の家で臨時運用に就いたこともありました。しかし実家が空き家になった時点で、この自動車には用途がなくなりました。

ミラの隣は、当時の私の自動車ネイキッド。
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実家のご近所さんで、空き家にされていた駐車場に止めさせていただいて撮影しました。今ではこの画像に写っている建物をはじめ数棟の家屋(私の実家もそのなかに含まれます)が取り壊され、跡地と付近の農地は新たに区画が切りなおされ分譲宅地と道路になりましたので、様子が一変しています。


父が亡くなった年の8月14日、四十九日がまだでしたので初盆とはならず、父の遺骨はまだ家にありました。お盆なので、何かできることはと考えた結果、父の第二の故郷であった「米原」を見せてあげるつもりで、この自動車で父を乗せて(載せて?)行ってきました。これをもって、この自動車のお別れ運行として、このあと、自動車はまた同じ業者さんに引き取ってもらい、父の遺骨は共同墓地に納めました。


あれから5回目の夏を迎えています。現況報告くらいはしておきたいと、小さい盆棚を見ながら思っています。


<ダイハツ ミラ L500型>

初度登録1998年 排気量0.659リットル

所有:2010~2013年(約12年落ちで中古購入)

走行距離:約4,800㎞(購入時表示値 約62,700㎞)

消費燃料:約370リットル

平均燃料消費率:約13.0㎞/l

最高燃費記録:約15.5㎞/l(2013年8月17日)

最低燃費記録:約9.8㎞/l(2011年5月21日)


※特記がない数値はすべて所有期間内の計測値 


この記事へのコメント

  • NAO

    しなの7号様、おはようございます。
    私は新車を購入したことはありませんが、最初に所有したのは、いすゞピアッツァでした。カメオホワイトという白塗装だったのですが、その頃登場したスーパー雷鳥用、クロ481 2000番代にどことなく似て?いたからで、既に新車の販売はなくて(もとより新車購入資金もありませんでしたが)中古を探した次第です。
    しかしあの特急電車がテレビニュースで報道されたとき、JRになったらこんなに変わるんや、なんて感動というより、いい意味で衝撃でした。
    我が家ではクルマがなかったねで、母親を乗せたとき、世の中の視野がこんなにも広がるものなのかと、私より喜んでいました。
    2018年08月16日 08:45
  • ヒデヨシ

    しなの7号様こんにちは
    免許取り立ての頃乗っていた車に最近無性に乗りたい気分です。
    一番上のサニー
    初心者マークが懐かしいプレートタイプ
    確か自動車学校の卒研合格かなにかでいただけたと思います。
    取り付けに面倒なのと場所が決まっているので磁気シートに取って代わられたような。
    私は免許取得から車が大好きでしたので
    しなの7号様と反対に高めのグレード
    カー用品店にはしょっちゅう出入り
    最初の車は中古でサニー1600GXクーペ
    それから中古カリーナHT1600SR〜中古カリーナHT2000GT
    そした自身初の新車
    ファミリア1500ターボと続きました。
    以降はまた
    2018年08月16日 15:02
  • しなの7号

    NAO様 こんにちは。
    乗用車と鉄道のイメージを重ね合わせる例としては、JR東日本レンタカーの新幹線ラッピングのレンタカーを思い起こします。実際に見たことも借りたこともありませんが、画像を見る限りでは、今どきの乗用車も、新幹線も、ともに曲線を組み合わせた流麗なデザインの車体なので違和感はあまりなく、けっこうイケそうです。一方でヴィッツの国鉄特急色ラッピング車もあったみたいですが、これは個人的にはまったく似合わないと思いました。昭和の角ばった車体の乗用車でないと…。

    相当前にも書いていますが、自動車に乗るようになって、それまで鉄道で辿った鉄道の「線」と「線」の間にあった未知の世界がわかり「面」となって見えてきたと感じました。
    2018年08月16日 16:27
  • しなの7号

    ヒデヨシ様こんにちは。
    プレートタイプの初心者マーク、今は見かけないですね。後部用は粘着シール式で、前後セットで自動車学校修了のときのいただきものです。最近は運転がコワイので、そろそろ高齢者マークがほしいです。65歳からかと思ったら70歳なんですね。まだ早いですが、どうせなら現行のより古い「枯葉」マークのほうがカッコよくて?好きなので、入手できるかな?とネット通販で見てましたら、まだ売ってるところがあるようで安心?しました。マグネット式の初心者マークは、現在でも主に家内が知らない道を走るとき用として車内に常備してます。(通常は表示しません…)
    初心者でもなく70代に満たない者が、初心者マークと枯葉マークを両方表示したら検挙されますかねえ? …てな具合で、私の感覚はフツーの人とズレています。グレードはどんどん下げて最後は軽自動車にたどり着いて、それで十分に満足しているような人ですから、安い車買って、非純正パーツ買うために、カー用品店(最近は百均やホームセンター)にはよく出入りするんですね。それが楽しかったりしますし、クルマに無駄なカネかけないから鉄模が買えたし、乗り鉄もできたとも言えます。
    2018年08月16日 16:29
  • 中央西線

    自分はダイハツムーヴL900Sにワンオーナーで18年乗っております。丸型ガラスヘッドライトなんでポリカのように曇らないのがいいです。テールとバックランプが気に要らないのでヤフオクで安く仕入れマイナーチェンジ後の物と自分で交換して取り付けました。自分だけの形態に自己満足しています。ナンバーもご当地のトップナンバーなので当分換える予定は皆無です。
    2018年08月16日 20:01
  • しなの7号

    中央西線様
    こだわりの1台ですね。
    また書きますが、うちは車高が高いムーヴとかは車庫の関係でアウトなんです。そして何事も起こらなければ、今のクルマが最後になって運転免許証返納になる可能性が高いです(;´Д`)
    2018年08月16日 20:21
  • 門鉄局

    しなの7号様こんにちは。
    B110サニー懐かしいですね。私も車の運転が大好きで愛車はR34スカイライン機械式変速車に19年乗っています。高齢者の事故と免許の返納が話題の昨今ですが、公共交通機関の衰退が著しい地方では車に頼らざるを得ず難しい問題と思います。中高生時代鉄道写真撮影で重い機材を肩に何キロも歩いていたとき「車があればいいよなあ」と思っていたものの、
    免許を取るのと同時に鉄道への情熱が薄れてしまったのは皮肉です。
    2018年08月17日 11:52
  • 103系

    しなの7号さま。

    私の初めての1台は親類の修理工場から譲ってもらったダットサン1200ライトバンです。その頃もう、そんな古い車に乗っている人はいないし、ショックアブソーバーをはじめあちこちガタがきていましたが、車の些細なトラブルはたいがい対応できるようになれたのは彼のお陰です。
    その購入費用はどうしたか?車両製造会社のバイト代を一部あてました。車両工場では素人でも可能な単純作業・・・電車の天井板の下塗りを研いだり、焼き付けた部品を熱い乾燥室への出し入れしたりなどなど。電車は113系(湘南色)でした。
    そのバイト以後、113系に乗ると天井やドアの上の箱状な部品に眼がいく自分には苦笑しました。
    2018年08月17日 13:26
  • しなの7号

    門鉄局様 こんにちは。
    皆さんのコメントから察するに、こだわりの1台に長く乗る方が多いようですね。
    私が運転免許を取ったころに発売されていたスカイラインはケンメリで、中古のハコスカも当時は大人気でした。
    乗り鉄で出かけると、せっかくの鉄道がうまく機能していないと思うことがよくあります。鉄道に、高速道路と2桁国道が並行して交通量がそこそこあるのに、1~2両で空っぽの列車が走るようなところが増えてしまったような…
    うちの自動車は撮り鉄にも活躍しました。歩いての撮り鉄を経験しているだけに、自動車は便利でした。飯田線や高山線にも出没するようになったのは自動車のおかげでした。
    2018年08月17日 15:27
  • しなの7号

    103系様
    子供のころ、たぶんその型のブルーバードに、近くの開業医が乗っておられました。そのころでも珍しくて目立っていましたが、私が国鉄に就職した後、医院を廃業されたあとも大切に乗っておられたようでした。昔の自動車は構造が単純で、エンジンルーム内も隙間がたくさんあって、知識とパーツさえあれば自分で修理調整ができましたね。

    仕事で手掛けた部分には、自然と目が向いてしまうものですね。私は乗務したことがある車両に乗れば、車内外のあちこちが気になっていましたが、今では乗務した車両が地元ではほとんど見られなくなり、そういうことがなくなってしまいました。
    2018年08月17日 15:27
  • オハフ33

    しなの7号様こんばんは。以前の私のコメントに対するお返事でおっしゃってらした愛車遍歴がスタートですね。私もクルマは好きですので楽しみに拝見させていただきます。
    私の愛車は30年落ちのF31レパードで、40万キロ目前ですが、先月から故障で工場に入場中です。なにぶん古すぎるゆえ、純正部品がほぼ手に入らない状態ですので非常に時間がかかります。個人で工場をしておられる方が親身になって修理して下さるので維持出来ていますが、相当苦労されてます。来月が全検(車検)なんですが、このまま突入しそうです(笑)クルマも鉄道車両も昔の物の方が何故か惹かれてしまい、こんなことになってしまっています。
    2018年08月18日 04:21
  • しなの7号

    オハフ33様 こんにちは。
    30年、40万キロというのは、もはや人生の伴侶ですね。クルマの寿命は一般的に人のそれよりかなり短いですから、何かと手間暇と出費が伴うと思いますが、それをものともせずに所有し続けるとはさすがです。
    収集癖がある私にしても、場所を取らない、取得と維持に費用が掛かからないものに対象を限定しています。しかし自動車はその真逆ですから、最初の1台から、画像で遺して自動車自体は手放すことの繰り返しでした。走ってナンボの自動車ですから、あとはメンテナンスが問題で、技術と知識が伴わない自分には、どんなに思い入れがあっても、とても無理です~。
    2018年08月18日 09:25
  • はやたま速玉早玉

    しなの7号様、こんばんは。
    学生時代に知人のトヨタ・カリーナ(7年落ち)を譲り受けたのが私の自動車の第一歩でした。社会人となり中古でスバル・レガシィ(3年落ち)を購入しました。次に同じくレガシィを新車で購入しましたが、その後に抱えた借金返済の為に売却、結果、最後の自動車となってしまいました。

    自動車を所有していたのは1994年~2004年の10年間、この間は完全に鉄道趣味はセミリタイア、出掛けるのは完全に自動車でした。自動車で撮り鉄旅すら行かなかったですね。新しいJR車両に興味が向かず、変な色に塗られた国鉄車両に幻滅していた時代でした。

    もし仮に自動車を所有するなら、小回りが効いて燃費の良い軽自動車が良いですね。良き相棒として温泉巡り、撮り鉄旅、旧道巡りに活躍してもらいます。
    2018年08月26日 00:57
  • しなの7号

    はやたま速玉早玉様 こんにちは。
    前に幾度か書いていますが、私も国鉄在職中の約10年間は自動車がただの移動手段ではない時期でした。乗車証や割引証が支給されていたのに国鉄を十分に活用していませんから無駄なことですが、高山本線-中央西線-飯田線の間をワープできる自動車は撮り鉄には非常に便利でした。高山本線には首都圏色の気動車が現れはじめ、飯田線では旧形国電が終焉を迎えつつある時期でしたから。撮るべき対象はまだありました。

    型は違うと思いますが、私もカリーナに乗りました。その数年後に4WDステーションワゴンに憧れて、レガシィのルーツ?のようなレオーネバンを真剣に購入候補として考えましたが、車両価格と維持費の壁で断念したことがあったりします。
    友人たちとのローカル温泉巡りは自動車あればこその趣味?でした。軽自動車にしてからのことは、また改めて書きますが、おおむね、はやたま速玉早玉のおっしゃるような使用状況になっております。しかし軽自動車では積極的に温泉旅に友人を誘えませんので、近年は自動車保険も運転者家族限定にして、今は家内と2人での限定運用になっています。
    2018年08月26日 09:51
  • やくも3号

    しなの7号様 こんにちは。
    500系ミラ。もう20年も前の車になりますか。古さを感じないので、いま街中を走っていてもおかしくない感じがしますね。
    ミラトコットやミライースは残りますが、ミラ自体は今年ついに生産中止になり、歴史に幕を閉じてしまいました。
    2018年09月18日 17:25
  • しなの7号

    やくも3号様 こんばんは。
    ミラは永く代表的な軽自動車の代名詞的な存在でしたが、生産中止になると、元国鉄職員が国鉄から受け継いだJRの寝台特急がなくなるときと心境的に似通ったものがあるかもしれないですね???
    ミラはこのほかにも会社に配備されていたので仕事でよく乗りました。
    2018年09月18日 21:56

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