先週に引き続いて、国鉄のPRや記念のロゴマークが入った駅弁の掛紙をアップします。
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「ひかりました こだましました15年」
東海道新幹線の開業15周年。「のぞみ」で就役した300系が過去の車両になって久しいですが、「のぞみ」は国鉄時代にはなくて、「ひかり」が東海道・山陽新幹線の主役でした。
1979年10月9日 名古屋駅 幕の内こだま
この駅弁には公私ともによくお世話になりました。この日は約1ヵ月続いた列車掛見習乗務の最終日でした。
「【638】貨車解結通知書の記載事項と編成を照合してみた」と「【640】思い出の乗務列車52:関西本線290列車(八田駅の入換)」で書いた関西本線290列車で、いくつもの駅で慣れない入換作業に従事して、相当に疲れて昼過ぎに仕事が終わり寮に帰りました。翌日は休みでしたから、夕方まで寮で昼寝をしてから家に帰りましたが、家に帰れば両親は夕飯を終えている時間帯でしたし、田舎の駅から家までの帰り道に食べ物を調達できる店などありませんので、家に帰ってからの遅い夕飯用として中央西線の列車に乗り換える合間に買ったものです。
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「買っておトクなQきっぷSきっぷ」
1985年4月12日 西鹿児島駅「とんこつ弁当」
国鉄の企画乗車券を宣伝しています。ゴム印のようです。印刷でないのはローカルっぽくていいです。年の表示はありませんが、1985年に現地で買ったものです。
こうした駅弁の掛紙は、出かけた先で買えば持ち帰るようにしていました。日付がわかりますから、後々自分がいつどこにいたのかが特定できます。こういう薄紙に紐掛けの駅弁は少なくなり、箱入りが増えました。箱は嵩張るし整理に困るので分割民営化後はなるべく紐掛けの弁当を買うようにしていましたが、最近では駅弁を買うこと自体がほとんどなくなりました。
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「さわやか信州」
1985年8月20日 「伊那路弁当」
「さわやか信州」は、私には馴染み深いコピーです。国鉄時代には乗務だけでなく、プライベートでも「自動車で」よく信州へ行っていました。もちろん今でも信州ファンです。「さわやか信州」について調べてみましたら、この駅弁を購入した5年も前の1980年に国鉄と長野県とで行われたデスティネーションキャンペーンのキャッチコピーだそうです。
「伊那路弁当」は飯田線の駒ケ根・飯田・伊那市駅と飯田線車内で販売されていた幕の内弁当でした。この駅弁を買った日は、中央自動車道で富士五湖へ行っています。飯田線には乗っていませんし、駅に立ち寄った記憶もありません。行程から考えると駒ヶ岳サービスエリアで休憩した時に買ったとしか思えません。
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「愛知の鉄道100年フェア」
愛知県に鉄道が開通して100年目になるのを記念して、イベントが行われました。
1986年4月5日 名古屋駅 「幕の内ひかり」
名古屋駅の幕の内弁当には「ひかり」と「こだま」がありました。お値段は「ひかり」のほうが高く格上という位置づけです。
「愛知の鉄道100年フェア」については「【353】愛知の鉄道100年フェア ~27年前の笹島~」で書いています。この会場となった笹島貨物駅は、当時すでに名古屋貨物ターミナル駅に業務を移管していました。現在その跡地は新しい街に変貌しています。
この弁当を購入した日は国鉄分割民営化の約1年前になります。勤務明けの帰宅途中に買い求め、家で家内といっしょに食べるために買ったものです。自分も国鉄も1年先はどうなっていることやら…そういう時期でした。
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それから半年後
「明日へ 便利レール、新ダイヤ 61.11」
「生き活きダイヤ 普通列車大増発 11月1日スタート」
1986年11月11日 横川駅前おぎのや本店
国鉄分割民営化まで半年を切った1986年11月、国鉄最後のダイヤ改正があり、その新ダイヤPRロゴが印刷されていました。この釜めしは、車掌区の先輩2人といっしょに計3人で群馬県の尻焼温泉に行った帰りに買いました。列車利用ではなく自動車利用で、帰路に横川に立ち寄っています。私はこのとき複数の転職先の試験を受け、一次の学科試験に合格した後で、その翌日には二次の面接試験を控えていました。このときのメンバー3人の進路はその後バラバラになり、JRに残ったのは1人だけでした。
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その翌月
「レールは春に続きます*国鉄名古屋」
1986年12月4日 名古屋駅
「レールは春に続きます」は、前月に行われた国鉄最後のダイヤ改正の名古屋鉄道管理局でのPRロゴでした。名古屋鉄道管理局発行のオレンジカードやポケット時刻表などに、このロゴが印刷され、このダイヤがJRに引き継がれました。掛紙の画像は「【197】乗務した車両:211系0番台」で使ったものです。この211系の塗装も懐かしいですが、湘南色帯になって、現在も朝晩に関西本線で運転されています。
購入した日は、国鉄職員の意識改革(=国鉄分割民営化を支持する労組に移ることを意味する隠語として用いられ た)を目的として3泊4日で行われた職員研修を終えてからの帰路でした。私は再就職先の学科・面接試験は全部終わった後でしたから、国鉄にとっても自分にとってもまことに無駄で意味もない研修でしたが、これは指名で、きちんと意識改革できたら「春に続く」新会社へのキップをやってもいいぞというエサだったのだとも思われます。
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そんなことで、自分が国鉄に在職していたころの駅弁の掛紙にある日付と、乗務日誌など記録を照合するだけで、キャンペーンでの集客、地域密着の普通列車を充実させていく過程とともに、自らの仕事と生活の一面もあぶり出しのようによみがえります。
最後に、駅弁ではありませんが、名古屋駅構内営業をされている駅弁業者さんの調製による国鉄部内向けの弁当の掛紙をご披露して結びとします。
動輪マークと名古屋鉄道管理局の文字が入り、紅白になっている掛紙です。調製年月日がありませんので、記憶でしか申し上げられませんが、私が臨時雇用期間を経て国鉄の準職員として採用されたとき、つまり入社式のときに昼食として配られたものだと思います。赤飯だったのかどうか、そういうことはまったく記憶にありません。そのときに11年後に日本から国鉄がなくなり、日本の鉄道網が地域分割の民営会社になろうとはまったく思っていませんでした。
この記事へのコメント
NAO
伊那路弁当、私も飯田線快速車内販売で買ったものかも知れません。崖崩れで代行バスとタクシーを乗り継いで旅程復旧、胸を撫で下ろして食べたのですが美味しかった記憶しか無くて.....。
そういえば宮脇氏が最長片道切符での旅行中、早朝の飯田線急行車販で買っておられたのが伊那路弁当でしたね。そのあと小淵沢で万作弁当を買われ、「今朝から衝動買いばかりしている」とあり、その後隣席の乗客が食べる横川の釜飯を見ながら万作弁当を食べられた記憶です。
家内がバスガイド勤務をしていたとき、おぎのやの釜飯を積み込んだらしいのですが、ほとんどの人は釜を持ち帰らず、あとで車内清掃するときに回収に廻ったら重くて大変だったと今でも回想しています。私も釜を持ち帰るのが億劫で、「あさま」に乗った際、隣席の乗客が横川停車中に買われて食べられるのを横目で見ただけです。
駅弁の衝動買いは2回やったことがありまして、未明に高松で発車待ちしていた急行「うわじま」車中で、通路はさんだ向かいのカッコいいお兄さんと綺麗な彼女?のカップルが向かい合って幕の内弁当を美味しそうに食べておられるのを見て、ああ僕もと、ホームまで買いに行ったこと、あと、閑散期の東京夜行グリーン車に乗ったとき、いつもは行列の出来る静岡の駅弁売りがホームを廻って来られ、それを見て窓越しに幕の内を買ったときぐらいでしょうか。窓底辺まで降り切らないサロ下降窓から駅弁を買いくいのはやってみてわかりました。、
しなの7号
空腹時に買えた喜びや、コンビニもなかったころ深夜に買えた感激こそがうまさの源かもしれません。国鉄末期の時刻表飯田線のページ欄外には飯田・駒ケ根・伊那市駅の伊那路弁当しか記載がありません。もっと古い1973年10月号時刻表にはみそ汁弁当(11~3月)・山菜弁当があり、伊那路弁当の記載がありません。
宮脇文学では、その場面のほか「汽車旅12カ月」の中に出てくる、釜石駅の温かい幕ノ内も私には印象に残っています。
某駅で販売される釜飯の陶製容器は処理問題によって、駅弁業者さんが望んだわけでもないのにJRの指導によって容器がプラ化されたそうです。今はリサイクルまで考えないといけないので大変です。
門鉄局
80年代の国鉄のキャンペーン懐かしいです。新幹線開業15周年、記念列車が運転されたのを覚えています。当時はまだ東北上越新幹線もなく単に新幹線電車と呼ばれていて、一般的に0系と呼ばれるようになったのは200系登場後だった気がします。(000系などと書いてある本もありました)
「さわやか信州」は82年の夏休み、初めて友達と信州旅行した際展開されていたので思い出深いです。美しい景色とさわやかな気候、バラエティーに富んだ車両達とで魅了させられましたが、以来36年再訪の機会がないのは残念です。宮脇俊三さんの「最長片道切符の旅」の中で券面が見えないので再発行をと言う駅員と出会い、「ここは長野県だな」というくだりがありますが、私も某私鉄で使用済み切符を欲しいと言うと「規則では回収するのですが特別に…」と頂いた思い出があります。関西のキャンペーンは「きらめく紀州路」でした。
ひかり弁当の旧名古屋駅舎、威厳と風格はいかにも国鉄駅という感じで好きです。最近は駅というより商業施設でやむを得ないとは言え寂しさを感じるのは私の感覚が古いだけでしょうか?
80年代後半に始まったバブル景気、地味な通勤電車の私の会社には何の恩恵もなく、きらびやかなディスコ通いの女性達やブランド物のスーツを着た同世代のサラリーマンを改札口から見ていただけでした。
しなの7号
振り返ってみるとデスティネーションキャンペーンはDISCOVER JAPAN終了後に始まったようで、全国で対象地区を変えながら続いてきているのですね。その中で観光県長野県では平成10年にも、まったく同じ「さわやか信州」のキャッチコピーを使ったデスティネーションキャンペーンが行われているようですから、よほどウケがよかったのかもしれないです。よく言われる長野県民の気質は個人的には嫌いではないというか、共感するところがあります。
「きらめく紀州路」や「さわやか信州」に直感的にイメージが湧いてきますが、地元岐阜県は「出会いさまざま美濃飛騨路」…でした。また、今月から愛知デスティネーションキャンペーンが始まり313系8000に黒基調の「武将隊列車」ラッピング車が登場しました。
旧名古屋駅ビルにお気付きいただきありがとうございました。このビルは名古屋鉄道管理局庁舎を兼ねておりましたので、ここで入社式があり、画像の折詰弁当をいただきました。ヨーロッパのターミナル駅によくみられる鉄道の歴史を感じさせるような駅は日本では少なくなり、駅それぞれの個性が薄れてしまったのは残念なことです。経済の優位性ばかりを追求し、過去のものは(まだ使えるのに)容赦なく廃棄していくこと文化には疑問を抱かざるをえませんが、災害の多い国ですので耐震基準など難しい問題が多いのでしょうね。
ヒデヨシ
ひかりました・こだましました
は聞いたことがあります。
トクトクキップも
中身はほぼ知りませんが
そう言えばもう知る人も少ないですが
ペリカン、カンガルー、黒猫、飛脚などに対抗して国鉄小荷物のマスコットはオバQでした。
部内のお弁当の掛け紙も専用のがあったんですね。
おぎのやの峠の釜飯
純粋に横川駅の駅弁売りから買ったのは10個ほどあります。
味、量、価格
三拍子揃った駅弁だと思います。
立派な容器も残りますしね。
しなの7号
東海道新幹線の開業15周年は博多開業からわずか4年目ですから、かなり昔の話になりますね。
トクトク切符はいろんな種類が出まくって、なかなか覚えられませんでした。
オバQ? 記憶にございません(*_*;
名古屋鉄道管理局の掛紙は、なかなかいいでしょう。
峠の釜めしの掛紙はほかに何枚か残してありますが、駅裏のドライブインや駅前の本店で買ったもの、駅弁イベントで買ったものとさまざまです。
やくも3号
のぞみました
ひかりました
かがやきました
きらめきました
ひびきました
みのりました
おきました
いこいました
つくしました
つるみました
わたらせました
こだましました
かいもんしました(謎)
さかりがつきました
しなの7号