【929】 超過勤務手当

当然のことですが、乗務員は終点についたら仕事はそれで完結です。車内巡回が中途半端で、無人駅から乗ったお客さんに切符が書ききれなくても、壊れた冷房がなおっていなくても、乗客と揉めごとがあっても残業があるわけではありません。のちに国鉄を退職して自分の山のよう残った仕事を残業で片付けているときや、朝出勤して前日の取引先とのトラブルの後始末のしかたを考えているときに、後腐れがない仕事とはいいもんだと思ったものです。まあ裏を返せば、乗務員の仕事は、締切日時が絶対に延びない中で完結させるため、後回しとか締切の延長はないわけですから、それはそれで辛い面があるにはあるのですが…。
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(画像は別に直接本文と関連はありません。)


乗務員に残業はないと書きましたが、列車が遅れれば超過勤務手当は出ます。こんな様式の列車遅延証明書で乗務終了後車掌区に提出しました。
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遅れは1か月単位で積算し、30分を境として1時間の超過勤務手当がつくか、手当はナシか運命の分かれ道になります。月初めに25分くらい遅れて、その分の列車遅延報告を出してあれば、月末までにあと数分遅れないかといつも気になりますから、そういう人は遅れろ遅れろと念じますが、なかなかそうはなりません。短時間で折り返す場合は勤務時間が継続しているので、多少遅れても全く勤務時間に関係しません。ただ折り返し駅で駆け足で乗務位置を運転士と入れ替わるわけですから、何の得にもなりません。列車が終点に着いたら寝るだけとか、行路の最後の列車など、勤務時間が連続しない列車でないと超過勤務の対象とはならないのです。

アップした証明書は東京行340Mで2人乗務になったとき、当月28分遅れた実績がある先輩カレチ氏の要望で書きかけたものです。ついその人が捺した印鑑の欄に私自身の名前を書いてしまい、別の用紙に書き直したので、書損したこの用紙が手元に残り、そのまま書類に挟んだままになっていたのを発掘しました。こういう書類は下っ端の運転担当の車掌が書いて、乗務終了後に車掌区の助役に提出しました。

この例では、始発の大垣で西からの接続列車が遅れていたため、その連絡待ちで遅れたのではなかったかと記憶します。大垣発時点で何分遅れたのか忘れましたが、深夜とはいっても浜松までに定時には戻せなかったようです。先輩カレチ氏はたぶん翌月の給料に1時間の超過勤務手当が付いたはずですが、私の場合は切り捨てとなり遅れ損となるわけです。


記憶にある中で、乗務中いちばん遅れたのは、列車掛見習から本務になった直後の貨物列車でした。その日は台風の影響で東海道本線のダイヤはガタガタで、貨物列車は軒並み運転休止(ウヤ)や途中駅で抑止になっていました。
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上の画像のような行路で、笹島発東静岡行貨物列車2770~770列車で西浜松へ行って、仮眠の後、深夜の汐留発梅田行直行貨スワロー号151列車(【581】思い出の乗務列車44:東海道本線直行貨物 152列車の対になる首都圏対関西の小口貨物の混載輸送のワキ直行列車)で稲沢まで乗務する行路でした。画像は当時の西浜松駅。EF65が全盛でした。
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往路の2770~770列車は早々とウヤとなって、旅客列車の便乗で浜松まで行き、バスで西浜松まで来て、151列車の乗務に備えて西浜松の乗務員宿泊所で仮眠しました。こうなると151列車ウヤを期待します。しかし特別な貨物列車であるこの列車はウヤにはなりませんでした。


所定の起床時刻である0時過ぎに起こされて、同じビルの中にある浜松車掌区西浜松支区へ出勤すると、無ダイヤ状態の中で、151列車は列車運転順序からはずれているようだとのこと。ダイヤが乱れると、鉄道管理局単位で列車指令から、区間ごとに列車の列車順序やウヤについての模写電(FAXに相当)が駅や車掌区へ上がってきますが、その151列車はウヤでもなく、つまり運転する予定ではあるものの、いつになるかわからないということなのでした。出勤した以上、そこからは勤務時間です。乗務員は自分で乗るべき列車の状況を把握して、乗り遅れないようにしなくてはならず、誰も何分遅れているよとか、もうすぐ列車が来るよと教えてくれるわけではありません。


ここは静岡鉄道管理局。151列車は東京南鉄道管理局管内の汐留始発ですから、東京南鉄道管理局の列車指令がどのような情報を流しているのかはわかりません。とにかく自分の列車が今どこを走っているのか、あるいはどこで抑止されているのか、それを特定しなければなりません。それに東京南鉄道管理局で運休が確定しているケースもあり得ます。その場合は時間の問題で、静岡鉄道管理局を含む以西の鉄道管理局でも相次いで「151列車ウヤ」の指令が出ることがほとんどですが、稀に途中駅から特発もないわけではありません。とにかく東京南鉄道管理局管内にある東海道本線内の適当な駅に電話で情報収集をします。具体的には、「西浜松以西の151列車の乗務員ですけど、151(列車)は通りましたか?」と聞いて、今、自分が乗るべき列車の所在を確認するのです。こういうとき、大きな駅は多忙で電話にも出てくれない場合が多いものですから、たとえば根府川とか小さい駅に電話するのがコツで、こういうのは、見習から本務になったばかりの列車掛ではありましたが、荷物列車に3年も乗っていますから、ニレチ(荷扱専務車掌)のすることをよく見ています。「門前の小僧、習わぬ経を読む」というわけです。


しかし、東京南局管内でも

「え?151…列車順序にはいってないし…ウヤでもないねえ」

とのこと。それならばと、始発駅の汐留に電話すると、なかなか出ない。やっと通じて、「昨日の151列車」は何時にでたのか聞くと、これから発車するところという信じられない言葉。所定なら浜松を過ぎている時刻です。その事実を車掌支区の当直助役に伝え、どう考えても朝まで到着しそうもないから、夜明けまで2~3時間乗泊で寝させてほしいと頼み込み、朝まで再び乗泊で仮眠ました。起床後に、といっても熟睡できるわけではありませんでしたが、車掌支区に戻って、また小さな駅を選んで…と考えて適当に原駅に電話すると、

「151は473分(遅れ)で通過したよ」

ついに静岡鉄道管理局内に入ってきたことを確認したものの、まだ西浜松まではかなり時間がかかります。運転時刻表から推察して、列車の現在位置を割り出し、その後も由比468分、興津465分と電話確認。しばらく間を置いて島田に電話すると455分、金谷450分、菊川453分の遅れで、それぞれ通過したことを確認し、予想時刻より早めに西浜松駅へ出場しました。このくらいのタイミングなら駅の助役に

「151の列車掛ですけど、もうすぐ来ますね?」」

と、確認すれば、上がってきた模写電を見て

「えーっと、151は〇〇〇Mのあとだから、3本目だな」

というように、確認できるというわけですが、無ダイヤ状態のときは、駅側も来た列車をその都度出しているだけですから100%信用できるとも限りません。

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ダイヤが乱れているとき、特に注意を要するのは、違う列車に乗ってしまわないようにすることです。151列車はワキ編成で両端にヨが連結された編成のはずなので、間違える可能性は少ないですが、ここまで乗務してきた列車掛から151列車であることを確認し、さらに貨車解結通知書でも列車番号と組成内容を確認し、やっと乗務開始です。この時点で7時間29分延発、まあ順調に走り、乗務終了駅となる稲沢で、次の乗務員に引き継いだ時点で456分(7時間36分)延着でした。


これだけの超過勤務手当がつけば儲けものですが、世の中そう甘いものではありません。再度、上のほうの行路表の画像をご覧いただくとわかりますが、この151列車乗務終了後は「夜出」(その日の夜再び出勤して乗務するセット行路のことで、 【592】夜出行路に実例を書いています。)になっていました。車掌区に着くと、

「ご苦労さんでした。今日の夜出34行路は外しといたから、明日はヒ休で」

ということになり、夜出行路は他の乗務員を手配したから、私は乗務する必要はなく、翌日は非番日とされました。

超過した勤務時間があまりにも多かったので、非番日を設けることによって、オーバーした勤務時間が帳消しとなってしまったわけですが、人員に余裕があれば人件費を削るのは当然の措置です。


旅客列車以外は、遅れても気楽なものでした。旅客列車に乗務するようになると、ご想像どおりで、場合によっては針のムシロに座らせられることになりますが、そういうことは経験せずに済みました。






この記事へのコメント

  • つだ・なおき

    こんばんは。
    あれ?乗務する列車は、自分で情報収集確認してたんですか!?
    運転指令から伝達されてたと思ってました(それが当たり前じゃなかったのが国鉄らしい?)。よくそれで乗り間違いや欠乗が無かったですねえ・・旅客列車はどうしてたんでしょうか?
    2018年11月05日 21:13
  • しなの7号

    つだ・なおき様 こんばんは。
    CTCではありませんから、ダイヤが乱れれば、指令室も列車の運行状況はリアルタイムで把握できません。駅も車掌区も、それぞれの仕事で手いっぱいです。指令室から送られてくる模写電で流れてくる情報と言ったら、すでに通過した列車の情報ばかりで役に立たないことだってありました。局内のローカルは把握しやすいですが長距離列車であれば旅客も貨物も変わりはありません。
    2018年11月05日 21:46
  • おき2号

    はじめまして。いつも楽しく読ませていただいています。
    私が高校生の頃、先行列車が故障して三時間ほど駅に停まったままだったことがありました。私のいた先頭車両は学生が多かったので不満の声もなく(というよりむしろ喜んで)のんびりしていました。私は運転士と喋ったりして時間をつぶしていまして、そのとき運転士同士で「これで超勤もらえる」とか言っていたのを思い出しましたので、今もきっと似たような制度があるのでしょうね。逆に後ろの車両はサラリーマンが多く車掌さんが大変そうにしていました。
    2018年11月08日 23:02
  • しなの7号

    おき2号様 はじめまして。
    いつもご覧いただきありがとうございます。
    3時間も停められると辛いですが、駅間でなかったのが救いですね。
    たかだか40分前後のことでも、駅間に停まってしまい乗客が勝手に乗務員室の扉から勝手に降りてしまったことがありました。
    【604】大雪の日の東海道本線921Dから思う今の鉄道
    https://shinano7gou.seesaa.net/article/201507article_6.html
    ちなみにそのときは折り返し乗務だったので超勤対象になりませんでした。
    荷物列車で途中駅抑止になったりすると、場合によっては積荷の生鮮食料品や動物など急送品を列車から卸して別送にするなど厄介な仕事が増えることがあり得ます。乗客は文句を言いながらも自分で列車から降りてくれますが、荷物は手を掛けなければ降りてくれないので大変な肉体労働になることだってあり得ます。やっぱりダイヤどおり動いてくれるのが一番です。
    2018年11月09日 11:06
  • ヒデヨシ

    しなの7号様こんにちは
    大幅遅延列車の把握は想像以上に大変ですね。
    しかも特徴の無い直行貨ですと乗り間違いとかありそうで怖い
    自分で動かないとダメですので大雑把な性格の方ですと列車の把握出来なかったりとかも考えられるのでは?
    いずれにしても現在の位置情報システムが万全の世の中では考えられないです。
    運輸掛時代各旅客列車の時間を遅れがなくてもすこし前の駅で確認していました
    めんどくさいからサボると
    そのときに限って遅れていたりします。
    よその駅も教えてくれたりくれなかったりですから
    2018年11月10日 11:37
  • しなの7号

    ヒデヨシ様 こんにちは。
    ダイヤが乱れているときは出場したら駅の助役派出で待機しているのがいちばん確実でした。鳴りっぱなしの接近ブザー。助役氏に「この接近は何列車?」などと聞いたり、次々とプリントアウトされる模写電を勝手に見て列車順序を把握。
    今から思えば原始的な仕事をしていたと思うことばかりです。
    そもそも列車掛の場合、稲沢とか吹田操のような操車場だと、平常時でも自分の列車がどこから出るのか注意していないと欠乗します。広い構内に列車が発着する場所が複数個所あり、着発線を間違えたら走って間に合う距離ではないからです。
    2018年11月10日 17:01
  • 無我

    そのむかし、国鉄は人力で運営されていたというのがよくわかりました。
    いまは、ほぼ全部コンピュータですものね。遅れが出ると乗務員室でタッチパネルを叩いて付近の列車の運転状況を見ていますね。
    人の香りが薄くなってしまいましたね
    2019年01月21日 23:11
  • しなの7号

    無我様
    まず、国鉄時代には東海道本線はCTCではなかったですし、全列車に列車無線が完備したのも国鉄分割民営化前年の秋でしたから、情報収集は難しかったです。異常時に、開通見込み等の情報提供がないと車内でお叱りを受けることがありましたが、ほんとうに乗務員自身、状況がわからない。経験談として例えば人身事故なら当時は20分(今とは違って格段に早かった)、山間部のCTC区間で信号系統への落雷による信号故障なら2時間が相場ですねえという程度のことしか伝えようがなかったです。
    2019年01月22日 13:59

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