それぞれの自動車にいろんな想いがありましたが、国鉄に勤めていたころ、つまり昭和50年代には購入を検討したものの、いろんな理由で買わなかった(買えなかった)自動車も,実はいくつかありました。
【チェリーF-2】
B110サニーの次の自動車として候補に挙げていましたが、チェリーF-2の中古車が出てこないうちに中古カリーナが出たので購入せずに終わりました。B110サニーと同じ日産のA型エンジンは定評がありましたし、中古車なら手ごろな価格で買えそうでした。あのころはまだFR車が主流でしたが、チェリーはエンジン横置FF車で、たしか4輪独立懸架のサスペンションを採用していたと記憶します。
そのあとに乗ったカローラを新車で購入したとき、並行して検討した中の有力候補車がオースターでした。バイオレット・スタンザとともに日産の三つ子車の仲間で、オースターがいちばん若者向けのアレンジになっていました。購入を検討していた時期は昭和53年排ガス規制後で、1気筒に点火プラグが2本ある日産Zエンジンが採用されていました。結局は購入に至らず安価なカローラに落ち着きました。
それ以降に興味を持った自動車たちの一部です。
前に書いたようにワインディングロードによく出向いていた私の用途に適した4WD車とか、車室の高さがあって使い勝手のよさそうな車を検討していました。このほかにもジムニーとかドミンゴ、スプリンターカリブ、シャレードなどなど…
結果的には、サニーカリフォルニアで平成の時代に入り、その後は実用本位のスプリンターワゴンに落ち着き、ステーションワゴンを2台続けて、計18年使用することとなりました。
このなかで、レオーネエステートバンは、サニーカリフォルニアを購入するときに、かなり真剣に購入を検討しました。ブルーの車体にホワイトのスチールホイールを履いて、カメラを携えて主に信州の峠越えをしたいと思っていました。
以上が、叶わなかった夢たちですが、最終的には自分の身の丈にあった価格と無駄がない大きさ、ランニングコストを優先する考え方によって、無駄遣いにならずに済んだ結果は間違いでなかった…と思うようにしています。
こうした車種選定の基準とか知識の仕入れ先は雑誌でした。国鉄時代は、独身寮にいた一時期を除けば1時間半ほどの列車通勤していましたから、こういう雑誌なども時々買って車内で読んでいました。
ピットインは1976年11月号とDriverは1979年5月20日号
Driverは当時隔週発売で、2台目のカリーナに乗っていたころに購入しています。次に乗る自動車を検討していました。
こういう雑誌には、そのとき買いたかった車種のことや、後付けのパーツのこと、実用的な値引き交渉、ゼロヨンとかの発進加速データなど、メーカーのカタログから得られない情報が得られたのはもちろんですが、今になってこういう雑誌のページを開いてみますと、たとえば「恐怖の飲酒運転めためたテスト」なる企画があったりして、たじろぎます。3人に日本酒を飲ませてサーキットでいろんなデータを取って、しらふのときと比較するもので、今なら、同じような企画ができたとしても「絶対に飲酒してはいけないことがわかる」という書き方で締めくくられることは間違いないのでしょうが、この時代だと「いずれにしても酒を飲んだら運転しないにこしたことはない。」という書き方になっています。
最後にカーステレオについて。
昭和50年代のカーオーディオといえばカセットテープが主流で、自分で曲目を選び、曲順を決めて、自宅のレコードから録音して自動車の中で聴くスタイルでした。
最初に買ったB110サニーにはパイオニア製品を後付けしました。
以下、画像は最後の1枚を除いて全部パイオニアのカーオーディオ製品カタログの一部です。
そのあと、初めて新車購入したカローラでは、当時の流行であったパイオニアのコンポーネントカーステレオを付けました。カセットデッキは3ランクのうち中間機種
ほかにアンプも必要で、それは安いのにして、スピーカーは埋込型で4ランク中、下から2番目の機種
「ロンサムカーボーイ」
懐かしいと思われる方は、それなりの御歳ですね。
ほとんど全部が国鉄時代、自分の中で自動車が単なる輸送手段ではなかったころのものです。カー用品店にはよく行き、こうしたカーオーディオをはじめ、タイヤ、アルミホイール、後付けカーエアコンなども調達しました。
田舎では若者向けのレジャーがなく、自動車にお金をつぎ込む者はけっこう多かったと思います。同世代で自動車の話題は普通に通じましたが、鉄道の話はまったく通じませんでした。
これまで自分が乗り継いだ自動車やレンタカー記事は、今回で終わりになります。鉄道屋が書いた一連の自動車関係の記事には、予想しないほどのアクセスをいただき、まことにありがとうございました。
◆2018年12月1日追記
【924】自動車保険を更新で書いた「やさしい運転特約」の点数ですが、ついに59点まで下落。最終的に60点を切るとキャッシュバックがなくなりますので、いかに挽回するか・・・)











この記事へのコメント
やくも3号
ライバル同志だと思っていたが、実際はことのほか差がついていて驚いたものに、『東京と大阪』『朝日新聞と毎日新聞』『キヤノンとニコン』などがありますが、『トヨタと日産』も今やご多分にもれませんね。
日産は、現在は海外でしか売れなさそうな(日本の道路事情に則さない車が多い)ラインナップですが、経営陣が交代した際にはまた、国内重視の車種構成に戻って、かつての人気を盛り返してくれるのでしょうか。
初カーオーディオは、私はロンサムカーボーイの後継のカロッツェリアでしたが、時を経て、爆音車ではフェラ〇〇ミュージックのせいでカーオーディオの必然性がなく、家族車のほうも今やbluetoothでスマホ接続するので、カー用品店に立ち寄ってステレオ選びをする楽しみはなくなりました。『パイオニアとケンウッド(トリオ)』も規模こそ同じですが、カーオーディオやカーナビが主力のパイオニアはスマホのせいで苦境にあえぎ、ケンウッドとは明暗を分けているようです。
しなの7号
ライバル同士が競り合っているときこそがお互いを高められ、よい結果が導き出されることが多いと思われます。差が付くとダメで日産は経営陣の一強支配に結び付き、それゆえに綻びが出たのでしょう。今の国会もそんな様相が見えますので心配です。
私のカーオーディオは、カロッツェリアの時代以降は自動車本体同様に実用本位になっていたので手を出していません。同時進行で 音楽も‘90年代以降に流行したものにはついて行けなくなりました。だいたいフェラ〇〇ほどの爆音ではないにしても軽自動車はうるさすぎますし、年のせいで2つのこと(この場合は音楽鑑賞と運転)を同時にするのが危険だと思うようになりましたから、AMラジオがあれば用が足ります。
家では音楽は聴きます。主に昭和時代のですが。
自分の部屋に最初に買ったオーディオ機器はパイオニア(大きくて高かった)
今の自分の部屋にあるオーディオ機器はケンウッド(小さくて安かった)
NAO
就職して初めて買ったオーディオ機器はパイオニアのCDプレーヤーでした。今も現役でTEACのカセットデッキと共に居間に並んでいます。ホコリを被るのがイヤで、最初の15年間、CDからカセットテープにダビングするとき以外は商品のダンボール箱と発泡スチロールに収めていて、結婚して初めてラックに出すようにしたのですが、既にオーディオデッキを並べる時代ではなかったように思います。
小林亜星さんとすぎやまこういちさんが、♪僕は大きいのが好き~ ♪僕は小さいのが好き~ と被せて歌っておられた、コンサイスコンポのCM(テクニクスだったかな?)を思い出しました。
しなの7号
トランクルームにCDチェンジャーという時代があったですね。自分には関係がなかったですが、せいぜい6連奏とかでしたでしょうから、今のようにはいかないです。そもそも私が就職したころはアナログレコードプレーヤー時代でした。就職したころ買った家のオーディオ機器は、NAO様とは逆に結婚後子供が生まれてからは、操作ボタンやスピーカー本体をつついたり悪さばかりするので、小学生になるころまでお蔵入りしました。その間に世はCD時代に移り、再起せずミニコンポに代替わりしました。
自分は就職してから今に至るまでテレビっ子ではなく、録画しておいて空いた時間にCMを早送りしてテレビを見るようにしていますので、テレビのCMはとんと知りません。その代わり1970年代にFM局の時報のときに流れていた「ス・テ・レオ ト・リ・オ~」(TRIOは、のちのKENWOOD)はいつになっても忘れることはないです。60代以上の人しかわからないと思いますが、、、、、、
NAO
これはダンボールに詰め戻しましたが、SANSUIのアンプに電源をままONにするとインジケーターのランプが綺麗で、娘がいろいろ触ってカセットを消去してしまったこともありました。
しなの7号
「トリオ」ご存知でしたか。当時の岐阜県域には民間FM局は存在せず、隣のFM愛知の弱い雑音だらけの電波を拾っていました。クルマで見晴らしがよい場所まで行くときれいに受信できましたので、どうしても聴きたい番組はクルマでラジカセを積んで録音しに行ったこともあります。
子供が幼少なころは、鉄道模型も段ボール箱にお蔵入りしました。それ以前に自分が中学生のころに、家に遊びに来た同学年のいとこに当時一番高価だったNゲージC62のデフレクタのステーを折られてしまったことが教訓?でした。
ヒデヨシ
オースター!
私も検討した車種です
カリーナ廃車後検討しました
バイオレットは先代の不人気なイメージからくる敬遠があり
これは良いなあと思いました
意外にもこのスタイリングでたしかハッチバックだったと思います
Z16Eエンジンも気になってました。
時期は違うかもですが三菱のラムダも良いなと
結局ガゼールハッチバックになりましたが
カーコンポの後付けもやりましたが
当時パーソナル無線も鉄道仲間で流行っていてこれもコンポサイズなのできれいに組み込んだりとかしました
カードライバーは構内の先輩が毎月?買ってきて休憩室に置いていたので便乗して愛読していました
当時の職員みんな車好きでしたね
しなの7号
不評だった初代バイオレットから一転、510ブルーバードを思わせる直線的なスタイルにモデルチェンジしたバイオレット3兄弟には好感が持てました。2ドアクーペはハッチバックでした。トヨタが排ガス規制に後れを取っていたこともあって、技術の日産が送り出したZエンジンに当時は興味を持っていました。
付属品を付けたり貼ったり、自分のクルマは動く部屋という感覚でした。峠越えでカーラジオで受信する放送エリアが変わると、遠くまで来たことを感じましたし、当時カーステレオで流していた曲を今聴くと、あのころ用もなく走った峠道の風景がよみがえることさえあります。走ることが好きだったなあと思います。そんなことをしている間に廃止されていったローカル線には乗れずじまいになりましたが、飯田線詣ではもっぱら自動車でした。鉄道に勤めながら鉄道に乗らず、鉄道の撮影も自動車。やっぱり鉄道に乗るのが仕事だとそういう気になるのかもしれないです。
木田 英夫
前回は次号予告の列車トイレの記事に惹かれてしまいましたが、今回ようやく落ち着いてこの記事を読むことができました。懐かしいの一言です。タイムマシンで43年前の昭和53年、18才で免許を取った頃に戻った気持ちです。この年鉄道ではゴーサントオ、紀勢線電化ダイヤ改正で、ブルドッグの愛称の「はつかり形」の引退、特急くろしおは10月を待たずに順次電車化、あの「南紀号」は「はやたま号」に愛称変更と、当時阪和線で通学しておりましたので、印象深いダイヤ改正でした。
本題の自動車に戻りますが、兄弟車といえば、日産のグローリアとセドリックも良く似ていました。兄弟車と言うよりは「双子車」と言ってもいい位で、車名のプレートがなければ同じに見えてしまいました。トヨタでは、チェイサーとコロナマーク2、カローラとスプリンターが兄弟車と言われていました。こちらは、言われてみればそうなのかなといった感じで、日産程は似ていないように思いました。
今日では、同じメーカーの兄弟車はあまり見かけませんが、製造費の削減狙いか、あるいは将来の統合を睨んでか、メーカーの垣根を超えた兄弟車を見かけることもあります。例えば、マツダキャロルと、このブログでも話題のスズキアルト、マイクロバスでは日野リエッセ2とトヨタコースター等、とても良く似ています。そっくりさんと言ってもいい位です。
自動車のメーカーも、ちょうど都市銀行が4つのメガバンクに集約されたように、将来は合併などにより集約されていく……。のかも知れませんね。
いつもありがとうございます。木田英夫
しなの7号
昭和53年、国鉄ではゴーサントオ。他の記事で書いていますが、あのダイヤ改正で乗務範囲が縮小され関西本線の亀山以西と紀勢本線921・924列車の乗務がなくなり、仕事面での変化が大きい年でした。
自動車の世界では、53年排ガス規制が施行された年で、どの自動車もおとなしい性能になって、豪華な内外装で売り込むようになったように思います。当時の私は、規制前の昭和49年式ツインキャブのカリーナに乗っていました。販売店の違いによる双子車や三つ子車はこのころから増えたような気がしますが、おっしゃるように、現行OEMのキャロルとアルトなど見分けがつきにくいですが、当時の同じメーカーによる双子車や三つ子車は、程度の差こそあれ、販売店ごとの差別化をかなり意識して生産販売されていたように思います。あんまり関係ないですが、当時他社が生産する例として、サニーとか日産車の一部をスバルが委託生産していたように記憶します。
おんたけ号
こんにちは。
小生も最初に買った中古71レビンに、パイオニアのカーコンポをカーショップ
で購入、取り付けました。
当時は結構自分で出来る仕様でしたけど、今の車はバッテリー交換も別電源を
持っていないと出来ないとか、何処がどうなっているのか判らんとかで自分で
は触らなくなりましたね。
ロンサムカーボーイもラジオCMあったような記憶が?
トリオのFM時報、小生も覚えています。
以上、失礼しました。
しなの7号
昔はマイカーにいろいろ手を加える楽しみがあったですね。
クルマは排ガス規制がないころにはエンジン・マフラーをいじくってパワーアップやチューニング、、、それが排ガス規制後はできなくなって、内外装やオーディオとかドレスアップへ、と時代によって変わっていったようで。
今のクルマは安易にいじくれませんね。昔は電気製品や機械を素人が修理したり分解する楽しみがあったかと思います。