私が武豊線で乗務していた昭和50年代、名古屋第一機関区には12両のキハ35形式が配置されており、3両編成2本と4両編成1本に分けて運用されていました。武豊線では朝夕に急行編成が入り、キハ35のほうは、朝だけ3両編成を2本連結して6両編成を生み出して、武豊~名古屋~武豊~大府と、武豊線内を1往復半しました。
1往復したあとの武豊発名古屋行が931Dで、朝の通勤通学輸送が一段落した8時41分に6両で武豊を発車して、途中の大府で後寄り3両を切り離して、前寄り3両だけが名古屋まで直通し、機関区へ入庫して整備を受けました。大府で切り離された3両はそのあとすぐに折返しの武豊行に変わり、引き続き4両編成と交互に日中の武豊線内運用に用いられました。
名古屋に10時前に着く列車というのは通勤通学時間帯のような混雑はないものの、休日には買い物などで名古屋に出る利用者が多く、車内で乗車券を発行する枚数がけっこう多い列車でした。
車掌は、武豊から、切り離しがある大府まで2人乗務で、大府から先は1人乗務になり、それで名古屋に着くと乗務終了。大府で降りた車掌は、切り離された3両編成で折り返す行路になっていました。
大府での切り離し作業の関係上、名古屋へ直通する車掌は始発の武豊から3両目の名古屋行車両の最後部に乗務し、大府で折り返す車掌は、その直後となる4両目の乗務員室に乗り込み、向かい合う運転室に携行品を置いて、ちょうど中間部で相対する乗務員室を拠点にして仕事をしました。2人の車掌は担務指定がされ、名古屋まで乗務する車掌は運転担当・大府で折り返す車掌は客扱担当とされ、客扱担当の車掌は、車内補充券のほかに車内片道乗車券も持ち、それに必要なパンチと人によっては大きなガマグチのような車掌かばんを首からぶら下げて、車内を巡回し、休日ともなると無人駅の石浜を過ぎると大府までは、前寄り3両の名古屋行車内で切符の発売に忙殺されました。
午前中のこの時間帯に大都市へ向かう列車を、途中で切り離すのは運用上の理由であって、お客さんの数は名古屋に向かって増えていくのですから乗客の流動と必ずしも一致しません。名古屋まで行く運転担当の車掌のほうは、3両目の乗務員室でドア扱いと放送をしますが、石浜を出た時点からは客扱担当の車掌は混雑する名古屋行の車内に入りますので、後寄り3両の大府止まりの車内に入り、乗車券の発行をしました。その際には「この車両は大府で切り離しになりま~す。名古屋行は前の車両になりま~す。」と大声で注意喚起をしました。大府で切り離された車両は、7分後に武豊行になって戻っていきます。大府に着くとすぐに武豊方面に行く乗客がどっと乗ってきますから、大府に着いた時点でも切り離されることに気づかず、名古屋へ行くものと思いこむお客さんは結構あるので要注意の列車でした。
<余談その1>
宮脇俊三著「時刻表2万キロ」の第一章で似たような例について書かれています。
高山本線から金沢方面に直通する列車で、一部車両が富山駅で切り離され、その切り離された車両が折り返す高山本線の列車になり、金沢行だと思い込んで乗っていた一人旅の女性が富山から高山本線を折り返す羽目になったというケースです。その筆者自身が、そのあとで、猪谷で怪しい行先標のせいもあって神岡線から高山本線の富山行に乗り損ねています。
さて、話を武豊線に戻します。大府に着く前に切り離しについての車内放送を入れ、大府到着。ここでは5分停車です。
(画像は近年の大府駅武豊線ホーム)
大府駅では、折返し武豊行を運転する運転士と、切り離し作業のため駅の操車担当と構内係が、ホームの3両目と4両目の連結部付近に待機しており、その位置には
[←9時22分発武豊行|9時20分発名古屋行→]
と書かれた案内用の立札が置かれていました。しかし同じホームで反対方面に行く列車がほぼ同時に出ることに加え、そもそもその3番ホームは、「武豊上り本線」であって、通常は主に武豊線から名古屋方面に直通する列車が使用しましたから紛らわしく、大府からの誤乗客もよくありました。
(画像は高山線でのキハ40系です。連結部分のイメージ画像としてアップしたものです。)
大府に着くと、名古屋まで行く運転担当の車掌は乗務位置3両目の乗務員室の車掌スイッチでドアを開け、続いて向き合っている4両目の乗務員室へ乗り移って4両目の車掌スイッチもドア開の状態にします。待ち構えていた武豊行を運転する運転士が4両目の乗務員室に乗り込み、駅の構内係は3両目と4両目の貫通幌を外す作業を始めます。4両目でも車掌スイッチを扱ったことを駅の操車担当に伝えると、構内掛によってジャンパ連結器などが切り離されて、解放準備が整います。4両目の車掌スイッチを扱っていないうちにジャンパ連結器を切ってしまうと、後寄りの切り離し編成のドアは、いっせいに閉まってしまうので危険です。
停車中もこの駅で折り返す客扱担当の車掌は「名古屋行の車両の中で」無人駅からの乗車券発行に追われています。解放準備が整った時点(つまり放送回路が切られた時点で)で、手があいている名古屋行の車掌が4両目の運転室から「武豊行の車両」の乗客に対して「この列車は武豊線亀崎半田方面武豊行です。名古屋行ではございません。いったんドアを閉めて小移動します。ドアが閉まるのでご注意ください。」と放送を入れ、4両目の車掌スイッチを閉とします。3・4両目のジャンパは切られているので名古屋行車両のドアは閉まりません。このあと、大府駅の運転掛(操車担当)の誘導で、切り離された武豊行3両は4両目に乗り込んだ武豊行の運転士の運転で2メートルほど武豊方に動いて、その位置で、「名古屋行きの車掌」が、再びドアを開としました。そのあと、くどいですが、もう一度、「ただいま、この放送が入っている列車は、9時22分発の武豊線武豊行です。大府を出ますと尾張森岡・緒川・石浜・東浦の順に止まります。亀崎・半田方面武豊行です。名古屋行ではございません。名古屋には行きません。お乗り間違いのございませんようご注意ください。」と放送をしました。すぐに3両目の乗務員室に戻って、同じように、この列車は名古屋行であって武豊には行かないことを放送し、「あと1分で発車です。」などと、どちらかと言えば車内でひたすら乗車券を発売してくれている武豊行に乗るべき車掌へ、「そろそろ切り上げて降りてこい」という業務連絡の意味での車内放送をします。ここで客扱の車掌が降り損なうと、武豊行の車掌がいなくなってしまいます。大府で降りる客扱車掌のほうに余裕があれば、そんな放送をする前に先頭車から降りて後ろへ来てくれて、「先頭車まで全部売れたよ」と言ってくれるので、そのあとは名古屋まで無人駅もないので、名古屋行きの車掌は大府から車内に入る必要もありませんでしたが、発車時刻までに3両すべてを回れなければ、「悪いけど、先頭車は前半分回れなんだ。石浜から東京まで新幹線のお客さんが先頭の車両の真ん中あたりの右側にいるで、売ってあげてね。」と言われれば、名古屋行きの車掌は大府を発車してから、たとえ混雑していても・・・と言いますか、そういう時は混んでいるに決まっているものですが、車内に入ることになります。ただし、113系や165系電車と違って気動車のよいことは、中間車でも車掌スイッチを扱えばドアの開閉ができることで、その先の共和、大高、笠寺といずれもホームは進行右側、すなわち運転席の反対側でしたから、先頭の運転室でのドア扱いも可能でした。
大府で武豊へ折り返す車掌は、名古屋行が出て行った2分後の発車でしたから、こちらも発車まで時間の余裕はありませんでした。あれだけくどく放送したのに、「名古屋行だと思ったのに!!」という誤乗はよくありました。ほんとにあいつ、放送したんか?とお互いに思う場面はあったわけです。
名古屋行931D列車は、のちに減車され2両+2両となりました。私が専務車掌になると、その列車に乗らなくなりましたが、その後はキハ35がキハ58+キハ28に置き換えられ、さらに分割民営化前年の61.11ダイヤ改正時点からは、ダイヤが変わり、この分割作業が始発駅の武豊駅で行われるように運用が変更されました。途中駅でのドタバタは改善されたのですが、分割民営化を控えて駅側の人員配置も見直されましたから、武豊駅には構内作業を担当する職員がいなくなり、列車の分割作業はすべて2人の車掌で行わなくてはならなくなりました。
1人は、操車担当とホロの切り離し
もう1人は、ホース・ジャンパ等の切り離し
の上下分離方式でした。
これも、人事異動が激しかったこともあり、皆、ブレーキ管くらいはわかっても複雑なジャンパのことなどよくわからなかったはずです。それまで乗務範囲には、構内作業要員が配置されていない駅での貫通ホロやホース・ジャンパ等の連結切り離し作業はありませんでしたから混乱したということです。
<余談その2>
下は、今年3月、飯山線に行ったとき、戸狩野沢温泉駅で撮影したキハ110の切り離し作業の様子です。
昔の車両とは違って、空気系電気系とも車内からの操作だけで自動で解結できますので、意外と重い貫通幌以外には手を掛ける必要はなく、ずいぶん楽になったものです。それでも、防雪用の連結器カバーの着脱作業があり、作業されているのはここまで乗務してこられた女性車掌さんです。乗務はここまでで、折り返しだったようで、このあと列車は単行のワンマン運転になりました。







この記事へのコメント
うさお
でもキハ35も乗降はしやすくてもそれくらいしかメリットがないから悩ましいですね。
しなの7号
キハ58系に置き換えられて乗降に時間がかかりイライラさせられたのは確かでしょう。
ただ、非冷房であり冬場には暖房もほとんど効かないキハ35から居住性は格段に良くなり冷房もあり大きな改善…と思いきや、落とし穴があって、夜には冷房を停めてしまう列車が現れたのには驚きでした。そのわけは
【506】冷房車(後篇:不具合(-_-;))
https://shinano7gou.seesaa.net/article/201407article_9.html
の後ろのほうで書いています。
おき2号
ふと思ったのですが、便乗のときに手伝ったりすることってあったのでしょうか?
しなの7号
このころは、ほぼ毎年のように運賃値上げがありましたので、運賃早見表がなくても仕事ができるようになったら、すぐ運賃が変わるという繰り返しでした。日曜日ともなると、931Dは家族連れのお出かけ時間帯でもありましたから「大人2人子供3人」などと申告されますが、私は暗算が不得意なので、大人一人の運賃に対して、子供の人数別の運賃早見表を自分で作成して常に持ち歩いていました。
(国鉄では小児運賃10円未満の端数切り捨て計算するので、小児2人でも、大人の運賃と等しくなるとは限りません。)
万一の事故を考えると、その責任関係を明確にするため担務指定に忠実に職務遂行すべきですが、便乗時に、ドア扱いや放送などをお手伝いすることはよくありました。
103系
今回は「誤乗」しないよう繰り返された入念な車内アナウンスが印象深かったです。
何回も何回も繰返し案内しても聞いていない人は聞いてない、そんな例に出くわします。
例1)
東京~大宮間の新幹線利用者はいるもので、以前、東京を出ると次が仙台という速達列車がありました。あれだけホームでも車内でも案内していたのに発車してから「え!大宮停まらないの!!」隣席のお客さんが専務さんに泣きを入れました。
例2)
「西船橋は武蔵野線乗り換え駅だから当然、快速も停まるはずだよ」
シニア男性2人がそういいながら会話に夢中。気づいたら電車は船橋駅「なんで西船に停めないんだよ」勝手な思い込みをするお客がいるもので。
誰もが案内を聞いて、しかも注意し確かめるとは限らないのですね。
しなの7号
車内放送に限りませんが、放送で100%の人に正しく情報を伝えることはむずかしいことだと思います。在職中には、少しでも聞いていただくため工夫はしていたつもりです。
さだまさしさんのステージトークで、東海道新幹線の東京発車前のひかり号(のぞみ号がないころで、ひかり号が名古屋まで無停車の時代)の車内放送で「こだま号ではございません。どのようなことがあろうとも、名古屋まで停まるわけにはまいりません」という放送があったにもかかわらず誤乗客があったということをおもしろおかしく話しておられます。
NAO
私も乗り物好きとは言え、時と場合と言いますか、状況によって車内放送はしっかり聞くときとそうでないときはありますねえ。うっかり乗り過ごしでもしようものならとんでもないことになる出張なんかでは、行程表とホーム発車案内、車内放送をしっかり確認しますが、アポも入れていないような営業だと、適当にやって来た列車で適当に移動するパターンもあって、実際に私鉄速達列車で遠いところまで行ってしまったこともあります。以前の北陸地方都市間移動では、たまたま入って来た列車で移動していましたので、681系なんかだと、さっき乗ったのは「サンダーバード」だったか、「しらさぎ」?「はくたか」?なんてことはよくありました。485系が入って来たときは「雷鳥」とわかりますが、681系乗車続きの間に485系が入ってくると、仕事中の単なる消費者の立場だと貧乏くじを引いた気分になりました。乘り鉄のときは毎回感動しながら乗っていた貴重な国鉄車両なのに、なんと不謹慎な。
やくも3号(人生乗り間違えだらけ)
私が見たことのある「おまいら間違うんじゃねーぞ」喚起は、
・子供のころの新快速
大阪駅発車前に『この電車は新大阪にはとまりません。新・大・阪・には・と・ま・り・ま・せん!』の車内放送
新幹線駅の新大阪も通過してしまう、大変男らしい電車でした。
・昨年まであった伯備線新見発姫路行き(115系4連)
新見駅発車前に『この列車は岡山方面の姫路行きです。津山にはまいりません。姫新線の列車ではございません。』
ちなみに、新見駅の姫新線ホームののりば案内は『津山 姫路方面』と書かれていたものが『中国勝山 津山方面』に、芸備線ホームは『東城 広島方面』だったのが『東城 三次方面』に、近年それぞれ書き換えられました。
・山陽自動車道の山陽インターチェンジの案内板
山陽インターに近づくにつれ
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山陽 瀬戸
Sanyo Seto
出口500m EXIT
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↓
『瀬戸大橋は直進』
『瀬戸大橋は直進』
『瀬戸大橋は直進』
『瀬戸大橋は直進』
『瀬戸大橋は直進』
’瀬戸’は岡山市東区にある地名であって、けして瀬戸大橋(瀬戸中央道)の接続口とは全く関係がないのですが、降りる人が続出したのでしょうね。
『まいど誤乗車ありがとうございます。』
おき2号
いろいろ教えてくださり、ありがとうございました。
誤乗とは少し違いますがワンマン運転の列車で後ろの車両のドアが開かないと放送され、ドアにも書いているのに降りれなくなる人がいますね。何をしても聞いていない人がいるのはもう仕方ないのでしょうか……
しなの7号
そうですね。常に車内放送に気を付けてはいられません。いちばんアブナイのは乗りなれた列車や駅での、いつもと同じ調子でいつもとは違った状況を伝えるアナウンスでしょう。
耳を傾けていただくために、注意を引くような言い回しをしたり、音量を上げたり工夫しますが、聴いてくれない人にはどんなことをやっても伝わらないのかなあと思ってしまいます。
今どきのJR世代の列車に対して私は、車種によるこだわりがないし、違いも判らないのは同じですが、485系が来れば当たりくじと思う派です。
しなの7号
私が「誤乗車」した人生列車は超鈍足ですが、今さら特急に乗り換える気も起こらず身の程相応ですので、あきらめて終点まで乗り通します。気が付けば、ほかに乗り換える選択肢もない超ローカル線で終点も近い…
新快速:新大阪通過で偉い列車でしたが、注意喚起も必要だったでしょうね。
姫路行:そんな列車がありましたか。姫新の線名が泣いてます。
岡山の瀬戸は紛らわしいことこの上ありませんね。元の商売柄山陽本線瀬戸駅の存在は知っていても、愛知県人としては陶磁器の瀬戸(駅名は尾張瀬戸)を真っ先に思い浮かべます。税務署も愛知県のほうは尾張瀬戸税務署となっています。(岡山の瀬戸は瀬戸税務署)
しなの7号
ワンマン列車とか押しボタンで乗客がドアを開閉操作しなければならない列車は、地元民でも乗りなれていないと要領がわからないと思います。駅によって全部のドアが開いたりしますし、ワンマンでない列車も混在してわかりにくく、ちゃんと自動放送していてもだめですね。実際問題、何も考えずとも乗降できる交通機関がベストです。鉄道の都合で乗り降りを複雑にしておいて、常に放送に気を付けて乗っておれという態度は、旅客サービスとして最低だと私は思っています。
風旅記
今日も大変興味深く拝見させて頂きました。
鉄道は、本当に多くの職員の方の動きがパズルのように組み合わせられて、全体が動いているのだと実感します。1人が欠けただけでも動かなくなることがよく分かります。そして、決められた時刻通りに動かしていくのですから、本当にダイナミックなシステムです。
混雑した列車の車内での精算、発券は、想像しただけでも大変そうです。無人駅が多くなり、それを既存の鉄道の仕組みで解決しようとすると必要になるのでしょうが、本当は、駅、列車全体で解決すべき問題だと感じます。
JR西日本では、ICOCA対応の車内精算のシステムが動き始めていると聞きます。信用乗車にしても、本当はこのように仕組み自体を時代に合わせて変えていくことをしないと、乗客の利便性との両立はなかなか難しそうです。
他の記事も引き続き拝見させてください。
風旅記: https://kazetabiki.blog.fc2.com
しなの7号
おっしゃるとおり、鉄道とは大きなシステム産業ですね。運行されている列車や車両は、そのシステムの一部分にすぎないものといってもおかしくはないとさえ思います。昭和の時代に、その巨大なシステムを構築し正確に稼働させていたのは人で、それがまた鉄道の面白さであり魅力だったとも言えるのではないでしょうか。国鉄時代には今のような新技術によるバックアップがないなかで、分割民営化に向けての人減らし政策が採られましたが、かなり無理があり、いびつなシステムとなり、安全面や輸送サービス面での質の低下と不安定化が露呈した時期であったと思います。ICカードの普及など、そのころから思うと今の鉄道はずいぶんと進化したものですが、ICカード一つとってみても、未対応区間がまだあることや、会社間の境界問題などが、乗客に対するサービスの壁となっています。最小限の人数で対応される現場の乗務員や駅員たちのご苦労は乗客が迷わず利用できるようになるまで、まだまだ続くもの思われます。