先週は気動車時代の急行「赤倉」号が名古屋に着いた後、その編成を使用して中央西線を折り返した普通気動車列車について書きました。
その赤倉号は、1982年11月の上越新幹線開業に伴うダイヤ改正で165系電車化されました。
このダイヤ改正で急行「赤倉」の運転時刻は変更され、かなりスピードアップしましたが、それまで中央西線で特急に混じって運転されていた定期昼行急行列車「つがいけ」「きそ」は特急化されるなどして、「赤倉」は中央西線唯一の定期昼行急行列車になりました。気動車時代は上下列車とも後続の特急「しなの」に追い抜かれるダイヤでしたが、電車化で下りのみ長野まで追いつかれずに逃げ切れるようになりましたが、停車駅は増えてグリーン車は1両だけになり、中央西線内では、中部日本横断列車ということを除けば、特急の脇役的な色が濃くなりました。
◆気動車時代の「赤倉」(1982.5)
名古屋10:03-長野14:42-新潟18:17
◆電車化された「赤倉」(1982.11)
名古屋9:02-長野13:04-新潟16:23
脇役であっても、スピードアップとともに、遅れに遅れていた全車冷房化が達成されたことが最大の改善点だと思われました。
以下、【246】乗務した車両:165系電車(3)ほかで書いた内容と重複する部分があります。
赤倉編成は神領電車区で滞泊するため、上り「赤倉」が名古屋到着後、折り返し普通列車高蔵寺行となり、高蔵寺から再び折り返し神領へ回送されました。ダイヤ改正時に普通車掌だった私は、名古屋で折り返して運用される夕方の普通列車に定期的に乗務していました。
1983年(昭和58年)4月18日
中央西線 675M
運転区間 名古屋~高蔵寺
乗務区間 名古屋18:23~高蔵寺18:56
10 クモハ165- 33 新ニイ
9 モ ハ164- 33 新ニイ
8 ク ハ165- 60 新ニイ
7 クモハ165- 42 新ニイ
6 モ ハ164-501 新ニイ
5 ク ハ165- 21 新ニイ
4 サ ロ165-132 新ニイ
3 クモハ165- 17 新ニイ
2 モ ハ164- 17 新ニイ
1 ク ハ165- 62 新ニイ
《2025年8月13日追記》
昨年、この赤倉号のお声の主の訃報を受けとりました。
2024年2月に御年94歳で鬼籍に入られたとのこと。国鉄分割民営化のときに国鉄を退職されたあとは、愛知環状鉄道の車掌として鉄道人生を全うされました。
亡くなられたあと、当ブログとYoutubeで車内放送音声の公開を継続したい旨をご遺族様にお伝えし、ご了承いただいております。
今日からお盆ですので、故人への感謝の気持ちをお伝えしつつ、皆様にもお知らせしました。
(上沼83)
「クハ・モハ・クモハ」3ユニットにサロを加え、クハとクモハの運転室側で挟みこむ編成でした。
電車化されてからは気動車時代のように増結されて12両になることはなくなり、常に10両、折り返しの普通列車に乗務する立場としては高蔵寺以北に入らないので見通しの悪い無人駅もなく、1人乗務になりましたが安心して乗っていられました。
私が乗務していたのは、夕方高蔵寺到着後、折り返しの回送列車(回874M)で神領に入るまでで、一夜を明かした編成には乗務していませんが、当時の(1982年11月ダイヤ)の名鉄局ポケット時刻表から、翌朝の運用が想像できます。
多治見7:52―642M―8:37名古屋8番線9:02―2802M赤倉―
で、つながります。神領から多治見までは回送だと思われます。ここまでは想像の域を出ませんが、翌々年1984年2月ダイヤ改正時の、上り赤倉が名古屋に着いてから翌日の下り赤倉として名古屋を出るまでのことは手元にある資料から読み取ることができました。以下のようになっています。
(1984年2月~)
2802M赤倉―17:41名古屋11番線18:23―683M―18:56高蔵寺19:11―回864M―19:15神領△
神領7:24―回863M―7:37多治見7:56―642M―8:47名古屋11番線9:02―2802M赤倉―
と、読めますので、1982年11月ダイヤからほとんど変わっていないと考えてよいでしょう。
その1984年2月ダイヤ改正後、私が専務車掌になったときに急行「赤倉」で、名古屋・新潟間を1往復だけ本務の専務車掌に付き添ってもらってひと通り、未乗乗務区間の線路見習で乗務したことがありました。
線路見習では、普通車掌では乗務してない区間の乗務に備えて、事前に各停車駅の出発信号機や標識の位置、作業手順、出先での出勤箇所や乗務員宿泊所の場所を覚えるのですが、実際に本務で赤倉号に乗務することはないまま、「赤倉」は1985年3月に、特急「しなの」と急行「南越後」に分割される形で廃止されました。
画像は乗務のとき常に持ち歩いていた「旅客運賃料金営業キロ早見表」(1983年7月現在)の中央西線・篠ノ井線対信越本線のページ。新潟から名古屋まで営業キロ462.8㎞は遠いですが、それでも東京~京都間より50㎞程度短い距離です。急行「赤倉」の走行ルートは、時間はかかっても意外と距離としては短いと言えます。
同じく、「旅客運賃料金営業キロ早見表」(1983年7月現在)の経路変更計算をするための営業キロが書かれたページ。
名古屋~宮内間(宮内は信越本線と上越線の分岐駅で長岡駅の隣駅)を見れば、名古屋対新潟地方の距離は、東京経由で2つの新幹線を乗り継ぐより「赤倉」ルートの距離が格段に短いことがわかります。それでも、急行「赤倉」が電車化されたとき、大宮~新潟間に上越新幹線が開通したというタイミングだったわけですから、この列車の余命は長いわけはなかったのです。
実際に乗務していた先輩によれば、全区間を直通する乗客は決して多いわけでもなく、松本~長野あたりで乗客の多くが入れ替わっていたようです。
ここで、私が尊敬していてやまない大先輩の車掌長氏による、急行「赤倉」の名古屋発車直後の車内放送の録音をお聞きいただきたいと思います。再生時間は約5分46秒です。
業務で活用するつもりで、私がプライベートで自由席普通車内で録った音源です。放送されておられる車掌長ご本人様にこのたび、この音源をアップすることにご承認いただいております。「赤倉」は車掌長・専務車掌・改札の3人乗務でした。途中に改札行路の車掌(車掌長職または専務車掌職で対応)が車内巡回している声も聞き取れます。
赤倉号の上り列車の車内改札で、乗車前日以前に発行された新潟から名古屋市内までの使用済キップの再使用不正乗車事例に気をつけろと聞いたことがありました。この場合、乗車券(発売日共4日間有効)・急行券(発売日共2日間有効)とも有効期間内であれば、一見すると不正とはわからないように思えますが、車内改札の鋏痕があったのでバレたわけです。それにしても、前日の夕方名古屋に着いた列車のキップを持った人が翌日の朝9時台に新潟にいるのが不思議でした。当時のダイヤでは、米原・北陸本線経由で夜行を使うか、臨時列車がある日なら東京・大宮で新幹線を乗り継げば、不可能ではありませんでしたが、そんなことまでして、連日新幹線に同じ人が乗るとは思えません。そこで調べたところが、乗客は前日乗車した人ではなく、名古屋から新潟まで長距離深夜定期便トラックを「片道だけ」運転するドライバーでした。新潟からの帰路にはいつも上りの「赤倉」に乗って名古屋に帰っていたらしいのです。前日の上り赤倉号で夕方名古屋に着いたドライバーは、使用済みのキップを、その日の夜新潟に向かう別のドライバーに譲り渡すという手口で、1枚のキップを別人が使いまわすというものでした。
下の画像は車内改札に使う改札鋏です。
(リニア鉄道館の展示品)
昔は車内改札のことを検札と言いましたから、改札鋏のことを現場では「検鋏」と呼び、車内改札をすることを「ハサミを入れる」と言いました。車内改札をした乗車券類には小さな穿孔と枠に囲われた文字痕が残りました。
この例では花形の枠に囲まれた文字は「こ」にも見えますが、横から入鋏している(穴の位置が下になります。)ので「い」です。この鋏痕は車掌区ごとに違っており、大きな車掌区では普通車掌と専務車掌でも区別して文字を変えた改札鋏が貸与されていました。
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今回の赤倉号の車内放送ですが、お聴きになった皆さんはどうお感じになられたでしょうか。声の主の元車掌長氏にお伝えするつもりですので、どうぞご感想をお寄せください。Youtube、こちらのブログのどちらでも構いませんが、ご感想コメントには、申し訳ありませんが個々にお礼等の返信コメントを書くことはできませんのでご了承ください。
正月に予告しましたように、平成の終わりとなる4月に拙ブログは定期更新を終了します。毎月曜日にアップしておりました国鉄関係の記事のうち、国鉄車両に関係する話は、いったん今回の記事で終了とさせていただきます。
(新しい元号になったあと不定期更新で書くことがあるかもしれません。)
一般に印象の悪い国鉄のイメージのなかに、今は通用しないにしても昭和の時代にこそあった光る何かが、悪者国鉄の中に多少なりともあったのだと、拙ブログから感じ取っていただけたらうれしく思います。よからぬことばかりを喧伝され、一般の方が知る国鉄のイメージは大変よくありません。JR礼賛のコメントをいただけば堪えましたが、それがすべてで、それじゃあ、国鉄がどのくらい悪かったのかも書かなければなりませんので、このあと2回ほどその国鉄の褒められないことをお伝えし、その後は車内放送に関することなどを書いて平成の定期更新期間を締めくくろうと思います。「車両」の話ががなくてはつまんない~という方もおられるでしょうが、木曜日にアップしている「中央西線を走った車両」の記事が最低でも4月初めあたりまで続けられると思いますので、国鉄形車両にスポットを当てながら鉄分を含有したままで定期運行終了まで運転できると考えております。どうぞ引き続きよろしくお願いいたします。
《2019年3月11日追記》
赤倉号の録音へのコメントを多数ご投稿いただきありがとうございました。赤倉号のお声の主には、皆様方からのコメントをお手紙でお伝えしました。先日、返信のお手紙をいただき、「お客様の中には喜んで聞いてくださったお方もあるのだと何度も何度も拝見させていただきました。」とのこと。87歳になられた今でも、地域のボランティア活動をされておられるとのことでした。
《2025年8月13日追記》
昨年、この赤倉号のお声の主の訃報を受けとりました。
2024年2月に御年94歳で鬼籍に入られたとのこと。国鉄分割民営化のときに国鉄を退職されたあとは、愛知環状鉄道の車掌として鉄道人生を全うされました。
亡くなられたあと、当ブログとYoutubeで車内放送音声の公開を継続したい旨をご遺族様にお伝えし、ご了承いただいております。
今日からお盆ですので、故人への感謝の気持ちをお伝えしつつ、皆様にもお知らせしました。












この記事へのコメント
つがいけN1
さっそく電車「赤倉」を取り上げてくださり、ありがとうございます。そのような間合い運用だったのですね。朝は名古屋到着後にグリーン車のシート回転まで行うと、けっこうギリギリのタイミングですね。
車掌用のスタフでは、鶴舞・勝川・定光寺・武並・落合川・田立...と通過する停留場は飛ばしてあるのですね。古虎渓は飛ばされていないので、停留場ではないということでしょうか。
長野の停車がわずか2分で、5分後に到着するあさま7号を振り切るように発車するわりには、牟礼で運転停車(しかも交換相手は不定期運転のあさま)というのは、「何とかならんのか」というダイヤですね。
長町区
何よりも先に、志を持って仕事をされていることが伝わってきました。
天候、設備、車内販売の案内など、今ではなかなか乗ることのできない、時間をかけて長距離を走る在来線優等列車の雰囲気を濃厚に感じることができ、新幹線か各停かかの2択の現在からは当時を羨ましく思います。
観光列車ではありますが…
羽越線のきらきらうえつで似たような放送を聞いたことがあり、心地よく思いました。
うさお
案内放送で天気状況というのは初めて聞きました。
色々な情報が入っていて乗っていたら長い案内でも苦にはならないですね。今はたまに乗る特急での観光案内はやはり聞いてしまいますね。ひだ号の犬山城や飛水峡の案内もいいです。
中央西線
関東名古屋圏の間合い運用も含めて運用ルポの掲載を大学の図書館で見た記憶があります。移り変わり運用での上りは電車で運転されたのを見に行ったこともあります。
しなの7号
1982年5月、関西本線の亀山電化開業で、旅客列車の本数が増えましたので、以前のように名古屋折返し列車が長時間ホームを占領しないように配慮された結果だったのでしょうか。近年は2分で折り返す列車もありますね。当時はサボ交換もありましたから、そんな芸当はとてもできないです。
閉そく区間の中間停車場では、通過列車の採時をしないので、駅名自体がここでは省略されています。しかし、なぜか古虎渓駅は全列車とも通過時刻が運転時刻表に指定されています。その理由は知りません。
本社規定では、「駅」の通過時刻は「列車の前頭が駅長事務室の中央を通過したとき」と決められています。古虎渓には駅舎はありますが、運転取扱をしているわけではないためか、名鉄局では、わざわざ古虎渓駅だけを指定して通過時刻を「列車の前頭が乗降場終端を通過したとき」という名鉄局管内の他駅には例がない規定さえ作ってありました。なぜ古虎渓駅で時刻を盛っていたのか理由は知りません。
しなの7号
車内放送のご感想をお寄せいただきありがとうございました。私も同感です。
お声の主にはお伝えします。そういえば今は車内販売もないのが普通になってしまったですね。
しなの7号
天候情報は航空機を思わせますね。これはこの車掌長氏のオリジナルで、乗務前に車掌区から行先の車掌区だか駅だかに鉄道電話で天候を確認しておられました。
聞き入ってしまうような放送をすれば、そのあとの肝心な放送内容も聴いていただけるもので、その好例だと私は思っています。観光案内もいずれアップさせていただくつもりです。
しなの7号
赤倉が、佐渡・よねやまと共通運用ということは、業務上でなく趣味誌で知ったような記憶で、家で当たってみてもはそれらしい雑誌が見当たりませんでした。そうすると、そのころ「旅」誌は購読していませんでしたので、立ち読みでの知識だったというのが濃厚です(;´Д`)
つがいけN1
聞き取りやすい速さの丁寧な案内で、計算どおり(?)に千種到着の少し前で終了していますね。すばらしいです。
しなの7号
鋭い考察! そのとおりで名古屋発車時は本線に出て、ポイント通過時の「騒音」がなくなってから、放送を始めていましたし、そう指導もされました。聞く人は聴けばどの辺をどう走っているか、映像がなくてもわかっていただけるものですね。お声の主にはお伝えしておきます。
NAO
車内放送を拝聴させていただきました。今まで聞いた車内放送のなかでいちばん乗客目線のように思えます。しなの7号様も同様の放送をなさっていたのでしょうね。沿線、到着地の天気予報、空調の申し出の受け、車販業者の紹介、停車駅案内を千種到着までに納められるのも感激でした。なんせ少し前、九州新幹線「みずほ」に鹿児島中央から乗ったとき、「詳しいご案内は次の停車駅、熊本発車後に致します」を聴いてビックリで、こんな旅情?も速過ぎる代償でしょうか。
以前、683系「サンダーバード」のコメントをさせていただいたのはJR称賛とお感じになったと思います。堪えていただくことになるとは、本当に申し訳ありません。釈明しますと、国鉄”ブランド”が剥ぎ取られた乗り鉄の身からすれば、その先、元国鉄という鉄道とイヤでも向き合ってゆくには開き直りの心境でもありました。今でもその気持ちは少しばかり残っているのですが、好きになった鉄道、どんなかたちであれ、ファンであり続けたいですから。
しなの7号
ご感想の投稿ありがとうございました。乗客目線で業務をされていた方でしたから、お伝えすれば喜んでいただけるものと思います。それにしても案内業務のなかで、車内放送が持つ役割は国鉄時代と今とでは様相がかなり変わったと思います。今は自動放送任せにして、文字による案内も活用して静粛な車内を提供すべく簡潔にという場面も必要でしょう。
国鉄は私にはただの“ブランド”ではないこだわりがあります。時代に合った新しい鉄道にしていかなければならないのはもちろんですが、JRは国鉄とはまったくの別物と考えています。乗りつぶしも旧国鉄線完乗で終わりです。「JRになったらこんなに変わって感動した」という類の感想をぶつけられれば、卑近な例で恐縮ですが、10年もつきあってきた女性と別れたあと、友だちから直接「あの人、お前と別れてから、えらい垢ぬけてきれいになったなあ。そう思わんか?」と言われるようなものでやはり堪えます。でもいいのです。その友だちは彼女の内面など10年付き合った私以上に知っているわけがないことは明らかで、笑い飛ばせばいいのですから。ただ、そういう方々に伝えたいことが伝わらないことが、自分の力不足といつも思っています。最後に、11年付き合った国鉄に対する私の心情は、「すべての方に読んでいただくには及びません」とお断りした記事でしたが、「【657】Youtubeリニア鉄道館の381系電車~国鉄車掌との再会について」に詰まっています。恐れ入りますが、この件については、これっきりで終わりにしてくださいますようお願いいたします。
門鉄局
車内放送じっくり聴かせていただきました。「赤倉」に乗車したことはないのですが、165系のモーター音ジョイント音とともに好きだった「国鉄」へ記憶をよみがえらせてくださいました。JRになって憑き物が落ちたようにマイカー族(死語ですね 笑)になった私にとってお年玉プレゼントのように思います。素晴らしい放送で是非とも御本人様に宜しくお伝えくださいませ。
車内販売や禁煙車に時代を感じますね。私はあだ名が「蒸気機関車」(実は気に入っていた 笑)と言われる程のヘビースモーカーだったのですが、9年前に無煙化しました。
国鉄職員になりそこなった私ですが、車掌代務の時「OOさんの放送は国鉄式ですね」と言われて嬉しかったです。
abesan11
12月に大船から乗った小田原行きの車掌さんが実に行き届いた車内放送をしていました。
私が乗っていた快速列車の前を行くはずだった各駅停車が遅延をして後になってしまいましたので,それについての対処やその場合の乗り換えホームの位置も伝え,駅が近づくと「そろそろお降りの準備をされるとよろしいかと思います。ただし,傘をお忘れないように。」という感じで,まさにかゆいところに手が届くような放送で,あれだけ感心した放送は初めてでした。
おき2号
先日新幹線で自動放送を一時停止して肉声で案内していた車掌さんがいらっしゃいましたが、「そこで止めるかよ!」と思うよう半端なところで止め、またそこから再開していて変な気分になったものです。
今回聞かせていただいた放送は聞いていて心地よいものでした。貴重な音源をありがとうございました。
しなの7号
声の主にはお伝えしておきます。文章で言われるのが「行間」で、言外に書き手の思いが伝わるわけですが、この録音からはよく聞けば165系が走っている様子がわかり、そこから国鉄を感じ取れますね。そうしたMT54の低いモーター音やジョイント音を中心に録れば、また違った懐かしさが味わえたのでしょうが、165系が当たり前に走っている時代だったこともあって、そういう気はなく、放送内容が明瞭に入るよう小型ラジカセを入れた鞄をスピーカーに近い網棚の上に載せて録音した覚えです。
私は車掌時代にほぼ「無煙化」が完了していました。それ以前も「蒸気機関車」(いいニックネーム!!)ほどではなかったですが、貨物列車時代には深夜に一人で待機したり、乗務するとき、眠気覚ましに喫煙していました。「赤倉」に禁煙車ができたのは、まさにこの録音をした1974年7月でした。
国鉄式の車内放送をする人…乗客のほうでも、車掌の顔見なくても、あ、あの人!とわかったりしますね。私が通勤で使っていた某三セク鉄道にもおられました。運転されているときもあったし、車掌で乗務のときもあり。。。
しなの7号
最近は本州JR3社の列車にご乗車される機会が多いようにお見受けしますので、車内放送も含めてJR各社の相違点をリアルで感じておられることと思います。幾度となくお聴きになった車内放送のなかで、思い出に残る放送がお聴きになれて幸運でしたね。最近はあまり列車の旅をする機会がないのですが、今どきは、各社とも車掌の個性が感じられなくなったと私は思っています。臨機応変に客が求めることを積極的に伝え、耳を傾けてもらえるような放送の研究をされている車掌氏がおられることを、元同業者としてうれしく思います。「傘の忘れ物」について、私も言い回しを工夫していました。
しなの7号
自動放送は、たとえば非常ブレーキのときなど、的確な情報伝達という意味で人よりも優れていると思います。自動放送は便利なツールですが、しょせんは機械ですから使い方によってはかえって聴き取りにくい結果になったりするのですね。
自動放送には縁のなかったころの国鉄電車の香りを味わっていただきありがとうございました。ご感想は元車掌長氏にお伝えします。
つがいけN1
ところで、国鉄時代は国鉄各線以外の乗換路線の案内はありませんでしたね。JRになってしばらく経ってから「地下鉄名城線、名鉄線、ゆとりーとラインはお乗り換えです。」などとアナウンスされるようになりましたが。
同じ時代、名鉄も近鉄も地下鉄も相互の乗換の案内はありました。
しなの7号
非常制動時の自動放送のことは前の方の返しコメントに書きましたが、こういう車掌業務を支援するシステムは国鉄では考えられませんでした。
意外に思われるかもしれませんが、昭和40年代、北恵那鉄道があったころは、中津川到着前にハイケンスから始まる車内放送では「北恵那線苗木・下付知方面はお乗換えです」と必ずあり、いつも旧客の乗客という立場で聴いていました。駅でも同じで、「今度の下付知行は〇時〇分発までお待ちください」と時刻まで放送していました。一方で並行路線になる名古屋市内で近鉄・名鉄の乗換駅であることを積極的に放送することはなかったですね。
しかし国鉄時代でも、特急・急行では名古屋到着時の車内放送で3つある乗換え通路の案内を入れており、その中で「近鉄線・名鉄線・名鉄バスターミナルにお越しの方は、列車の後寄り南出口階段がご便利です。」の要領で放送しているのをよく耳にしました。
私鉄運転士
はじめて書き込みさせていただきます。
時節柄を放送する車掌長さんと165系のモーター音、ジョイント音とともにいいですね。旅に出かけるぞと感じです。九州ワイド周遊券で乗った急行東海を思い出しました。
今、こんな放送すれば「うるさい」と言われるか、ネットで称賛されるか、なんだか微妙な雰囲気になるかと思います。
国鉄時代の話、今後も楽しみにしていますが4月でとりあえず終わるとは残念です。
しなの7号
ご投稿ありがとうございます。
長距離列車の始発にふさわしい車内放送だと思います。
おっしゃるように、今の客層や時代が求めるものに合っているかどうかは微妙ですが、そういうところに昭和の時代の鉄道らしさがにじみ出ているように思います。
在職11年のことを9年かかって書いてきましたので、だいたい書くべきことは書けました。5月以降も、不定期ながらたまには新規記事をアップするので、今後もよろしくお願いいたします。
早通団地
やや乗り遅れたカタチですが、急行赤倉の電車時代のお話し、ありがとうございました。
あいにく、パソコンから音が出なくなってしまったので車内放送の音源を拝聴することが不可能で、ケータイもYouTubeが設定を変えてしまったらしく、タイトル画面は出るのですが再生不可能な状況です。
電車時代の赤倉、お恥ずかしい話ですが一度もなかったような気がします。
新潟から名古屋へ向かう時間帯はまだ町へ出るタイミングではなく、下り列車の到着時間も17時前。少しでも長い時間、町で遊んでいたい時間帯でした。
小学校4年生から6年生まで、毎週土曜日はスイミングスクールに通ってましたがやはりタイミングが悪く、早通から乗った列車が新潟に到着する時間帯に赤倉を見かけることはありませんでした。
現在、鉄道で乗り換えなしで名古屋へ行くことは不能ですが、高速バスが昼夜2往復してますね。新潟発の昼行便が先方会社の名鉄バスなので、見かける機会は多いです。時期によっては増便されることもあるようです。
しなの7号
電車の赤倉号は短命でしたから、関わりがなかったのも当然かと思います。
見習乗務のときは5月で、まだ明るい時刻に新潟に着きましたので、本務の専務車掌氏の言われるまま、初めての新潟市内の散策をしました。萬代橋を渡った先で、趣味の日本酒ラベル集めのために酒屋に立ち寄り、新潟の日本酒を6本買って宅配で家まで別送してもらいました。その後、一杯飲んで食事のあと、上越新幹線開通で新築されたと思われる新しい乗務員宿泊所で翌日の赤倉号まで休養でした。
今は高速バスがあるのですね。そういうことも知りませんでしたが、速い!! これなら需要は見込めますが、これでは赤倉号では太刀打ちできません。
103系
だいぶ遅れてコメントです f^^;
発車してすぐの車内アナウンスや接客が良い旅を想わせることがあります、この急行「赤倉」に乗ってみたかった。
知らずにたまたま乗ったのが特急「いなほ」のラストラン、ホームで押し合いへし合いの撮り鉄たちが車内に向けシャッターを容赦なく切りまくり、私はよほど不愉快な顔をしたのでしょう、通りかかった専務さんが「すみませんねぇ」その一言で気がおさまりました。
「赤倉」もですが、大阪発着の「しなの」にも乗ってみたかったです。
しなの7号
特急「いなほ」のラストランの日とは上野駅でのことでしょうか。ダイヤ改正で長距離列車が廃止されるたびに上野駅の様子はテレビ中継で幾度か見てきましたが、撮るほうにも乗るほうにもなりたくないです。いくら鉄道が好きであっても列車の運転に支障をきたしたり乗客に不快の念を与えてはなりませんが、専務車掌の一言は、どんなに丁寧な自動音声の放送でもカバーできないものと考えます。
私は地元民であっても赤倉号の見習乗務を除けば、赤倉も大阪しなのも全区間乗車したことは一度もありません。
平成の鉄道員
一年遅れのコメント失礼致します。
一般に国鉄職員というと悪いイメージがあると思いますし、私自体も嫌な思いでは正直あります。ただ、私は50代で、国鉄末期を知る最後の世代だと思いますが、多くの国鉄職員の方に人間味ある対応をして頂きましたので、良い思い出の方が多く残っています。当時中高生の子供でしたが、ローカル線の待合室にいると、そこは寒いからこっちへ来なさいと事務室でお茶を入れて頂いたり、民営化の2年位前ですが、東京駅で大垣夜行の発車を待っていると、鉄道が好きなの?と運転士の方に聞かれ、「はい運転士が夢です」と答えると、じゃあ停車中だけだけどと運転室に入れて頂いたこともありました。今よりも時代がおおらかだった事もありますが、接客ではなく、人としての対応があったと思います。
しなの7号
国鉄というと、かなりの悪者みたいなイメージが真っ先に浮かんでしまうものでしょうし、それもまた事実でありますが、職員一人一人は昭和の時代にどこでもいるオジサンでありオニイサンであり、そこにはダサい人間臭さが漂っていました。客を客と思わないようなひどい応対も、おっしゃるような子供への対応も、すべてはそこから来ていたというべきでしょう。
厳正な執務はどのような職種にも求められるものですが、SNSへの投稿や拡散に怯えて仕事をしなければならない今は、どこか異常に感じます。
ご投稿ありがとうございました。
中央西線
列車運用を追って,165系電車東奔西走を古本屋で入手しました。7運用中赤倉は4と5でした。
しなの7号
「旅」1984年6月号でしたか。やはり家にはありませんでした。
その時期ですと、59.2ダイヤ改正後の運用ということでしょうか。
ところで、本文に掲載した57.11時点の2802M折り返し675Mの資料画像では運用番が「上沼83」とありますが、59.2時点での2802M折り返し683Mの資料を改めて確認すると「上沼85」となっており、翌日2801Mは「上沼86」(←本文中に埋め込んであるYoutubeの1分54秒付近~の画像で確認できます)でした。どうやら59.2で運用(順序?)に変更があったように思います。
中央西線
①交番検査仕業検査②上沼垂回送新潟佐渡4号上野回送尾久③尾久回送上野佐渡1号新潟回送上沼垂仕業検査回送新潟佐渡6号上野回送東大宮④東大宮回送大宮普通4190M上野よねやま直江津仕業検査直江津普通1347M長岡⑤長岡普通425M新潟赤倉名古屋普通683M高蔵寺回送神領⑥神領回送多治見普通642M名古屋赤倉新潟回送上沼垂仕業検査⑦上沼垂回送新潟佐渡2号上野佐渡3号新潟回送上沼垂⑧上沼垂回送新潟普通1330M直江津よねやま上野佐渡5号新潟回送上沼垂
中央西線
しなの7号
ご教示ありがとうございました。
「下りよねやま」から普通列車で折り返し長岡滞泊、翌朝普通列車で新潟、折り返して「上り赤倉」というところが意外な展開でした。
昨日59.2の時刻表を眺めてみて、「佐渡6号~下りよねやま」と「上りよねやま~佐渡5号」の流れは予想がつきましたが、「下りよねやま」直江津到着後は、新潟又は長岡まで普通列車で往復して「上りよねやま」に続くものと予想していました。
(57.11は名鉄局ポケット時刻表しか手持ちがないので、運用の予想はできませんでした)
中央西線
【車内放送】国鉄時代の急行「よねやま」(165系 鉄道唱歌 スキー板扱い注意! 上野-赤羽)
しなの7号
拝聴しました。上野を出た上越線方面にいく電車が、翌日夕方に名古屋に来るのですから、今となれば不思議な感覚です。