【956】 国鉄時代の車内放送

「60がらみのおじいさん」の事例や投書と思われる、よからぬ接客事例が載っていた列車掛養成課程で使ったテキストには、車内放送の注意点なども書いてありました。

テキストは中央鉄道学園で作成されたもので、つまり全国の国鉄の接客業務を行う職員を対象にしているものでした。しかるに国鉄で放送の質にばらつきがあったのは、現業機関での教育が行き届かなかったのか、職員の意識の問題でもあったのでしょう。

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(京都鉄道博物館101系モックアップ)

画像の左端にある車内連絡用送受話器が放送用マイクロホンを兼ねていました。送受話器を右手で掴むと、親指の位置にあたる部分に押しボタンスイッチがあって、それを押している間だけ車内連絡用から車内放送用回路に切り替わる仕掛けでした。



そのテキストに書かれていた注意点など内容を少し抜粋してみます。


◆始発駅発車前の車内放送での「おはようございます」のあいさつ放送は9時ごろまでとし、その後の放送は「ご案内いたします」とする。

◆始発駅発車後の案内放送のときは、車掌長の名前(姓名)を明らかにすると、お客様に親しみと安心感を与える。

◆車掌室の所在を放送する。

◆停車駅、到着時刻、列車の編成などの案内放送をするときは「〇〇についてご案内いたします」の例により最初に見出しをつける。


と、いう具合です。この中で、乗務員が放送で「車掌長の名前(姓名)を明らかにすると、お客様に親しみと安心感を与える。」という書き方は、必ず名乗れとは言っていません。事実、昭和50年代の国鉄では車掌長が名乗る放送を聞いたことはあまりなく、名札さえ着用しない区所が多いくらいでした。先日アップした赤倉号の丁寧な始発駅発車直後の放送でも名乗っていません。しかし分割民営化が迫ってくる昭和60年代に入ったころから所属区所も含めて、担当乗務員名を名乗るようになっていきました。時代とともに放送内容は変わっていくものだなあと思いますが、テキストに書かれている注意事項の中に、ほかにも時代を感じさせることが書いてありました。


◆「ゴミ箱へのごみすて」の呼びかけで、くずもの入れが備え付けていない列車については、腰掛の下にまとめておくよう呼びかける。


これは当時の駅弁の掛紙に書かれた注意書きにも現れています。

  <吉松駅幕の内弁当>

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今なら、乗客自身が降りるときに駅のくずもの入れに分別して捨てるよう放送すべきでしょう。

さらに、当時の列車の大多数は冷房がなく窓が開いたので、窓外へゴミを投げ捨てる客もいたと思われます。

  <豊橋駅稲荷寿し>

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時代とともに移りゆく放送内容といえば、網棚の荷物が落ちないよう確認するようにという注意喚起は、特急で耳にすることがありますが、振り子式電車381系の「しなの」では、「この列車は山間部のカーブでも高速で走るよう設計された電車でございます。走行中たいへんよく揺れます。網棚のお荷物が落ちてきますとたいへん危険です。今一度網棚のお荷物をお確かめいただきますようお願いいたします。」と電車の特徴も含めて放送される方がありました。

窓が開く車両が一般的であったころは、「冷房を入れましたので窓をお閉めください」とか、非冷房車編成の窓開け放送は、もう聞くことはないでしょう。私が乗務していたころ、車掌区で配布された窓開け放送文例が手元に残っていました。

「皆さん、大変混み合いまして、ご迷惑をおかけいたします。車内が蒸し暑くなってきましたので、窓側のお客さま、ご面倒ですが、窓を開けて、さわやかな風が入るよう、ご協力願います。」

これには注意書きがあり、二段式の窓は、上部の窓を開けるよう案内することとされ、傷害事故を防止するため、窓から手などを出さないよう、あわせて注意喚起されたいとありました。
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こういう放送は特に朝の中央西線上り列車で、気候によって主に湿度の高い時期にやりました。中津川始発時には窓を開けたりしたら寒いのですが、混雑してくると車内は大変蒸し暑くなるものです。ただし、実際に協力してくれる人は限られます。


そのほか、今は聴けなくなった車内放送は、以前も書いたのですが、国鉄時代にあったのは旧形客車の、「デッキにお立ちの場合はのデッキのドアは閉めてください」とか「列車がよく停まってからお降りください」の類。垂れ流しトイレ時代の住宅密集地の「トイレ、洗面所の使用をお断りいたします」という放送。禁煙が当たり前になる前の、「〇〇・△△間は禁煙区間です。おタバコは~」や「指定席〇号車と自由席△号車は禁煙車両です。禁煙車でのおタバコは~」の放送。タバコを吸う車掌さんだと、禁煙区間に入る前にスモーカー向けに、「この先、〇〇駅から先は、禁煙区間になります。」と、言外に「今のうちにタバコ吸っときなさいよ」という意図で余計なお世話?の放送される方もありました。


そういうこととは反対に、そのころは携帯電話などない時代でしたから、通話に対する注意放送とか、今では当たり前にされる放送がなかったわけです。ところで、テロ対策で「持ち主のわからない不審な荷物を発見した場合は乗務員までお申し出ください」という放送は最近始まったものかと思うと、そうではなく私は国鉄時代の新幹線で聴いた記憶です。これは「新幹線大爆破」などという物騒なタイトルの映画の影響でしょう。新幹線に爆弾を仕掛けたといういたずら電話は頻繁にあったと聞きます。

この記事へのコメント

  • やくも3号

    しなの7号様 こんばんは。
    優等列車・長距離列車に乗る楽しみは、車内放送を聞くこともその一つだと思います。普段の通勤電車とは違うはるか遠くの駅名と到着時刻の案内を耳にすると、行ったことのない知らない町のことを想像したり、自分が降りた後も長駆旅するその列車の安全を祈る気持ちになったりして、非日常感を味わえるからです。
    非日常といえば、お盆と暮れには特急やくもで『本日は新幹線が遅れております。そのためこの列車の出発は・・・』とか『本日は指定席は完売でございます。そのためお客様には通路にも立っていただいておりますのでご了承・・』といった案内をよく耳にします。業務に携わる方々にとっては地獄だと思いますが、不謹慎にも乗り鉄としては気分が高揚したりします。
    ところで、大阪駅発車後の淀川を渡るときの放送中断や、昔のやくも号の岡山駅発車直後の大社行き列車の連絡案内などは、複数の車掌区が持ち場とする列車であったでしょうが同様の案内をされていたと思います。これは異なる車掌区同士がすり合わせをしてマニュアルを作成されていたのでしょうか?

    追伸
    そういえば、子供のころは駅弁の空き箱やお茶のビニールの容器など、すべて座席下に置いていたような気がします。姫路駅の長時間停車時に買ったえきそばも、車内で食べたあとは丼を返すことなくそのまま床においていましたが、業者さんはどうやって回収していたのでしょうね。
    2019年02月04日 22:47
  • しなの7号

    やくも3号様 こんにちは。
    長距離列車の車内放送を聴いたときの非日常感と旅の高揚感は、高校生になってから遠方の鉄道を訪ねるようになってから、それ自体を楽しむようになりました。私の場合は「終点〇〇には明朝〇時〇分に到着します」の類の放送が入れば、鉄道そのもの、列車そのものと自分が時を共にしていることをうれしく思ったものです。

    大阪駅を発車してから、上り側下り側とも微妙な位置(時間)で淀川を渡るので放送する側としては注意が必要ですね。おっしゃるような例で、複数の車掌区で共通するマニュアルがあったのかどうか、私は知らないです。たとえば分岐器上では乗客は放送を聞き取りにくいから、駅構内を出てから放送しろとか、車内改札はチーフの車内放送が終わってからやるように、いうことは、先輩からの言い伝えや仕事ぶりを見て覚えました。いずれも乗客に放送をよく聴いていただくためには必要な配慮です。
    昔の列車は、座席の下がゴミ置き場のようになることが多かったですね。中学生のころ、上りの急行桜島・高千穂に名古屋から乗ったことがありますが、車内はゴミだらけでしたが乗客は少なく、あれほどゴミばかりが目立つ列車に乗ったことは、ほかにありません。
    乗務していたしなの号では、沿線の塩尻駅に釜めしがあり、車内で販売する列車もありましたから、車内が釜めしの空き容器だらけになることがありました。乗客が車内に残していった容器は再利用されたのか廃棄したのか知りませんが、後始末に手間がかかるのは確かですね。
    2019年02月05日 17:27
  • つがいけN1

    関東の人にとっては駅弁の釜めしと言えば横川ですが、東海・関西の人にとっては塩尻ですね。特に塩尻駅が移転する前は5分ぐらい停車時間があったので買いやすかったのは、横川と同様の事情でした。
    大学の後輩の実家が、多治見の南のほうで家内工業で窯元をやっていたのですが、売上のほとんどが塩尻の釜めしの釜だったそうです。今では釜めしの売り上げも減って、後輩も家業を続けることなく運送業に転身していました。
    少なくとも名古屋駅では、車内清掃員から釜を1個数円で買い取るようになっていたと聞いたことがあります。おそらく長野でも同様だったと思います。松本行の列車では塩尻を出てからの短い時間で食べ終わるお客さんは少なかったでしょうから、松本にはこの制度はなかったかもしれません。新潟や新宿などでどうだったかは気になるところです。
    2019年02月05日 22:24
  • しなの7号

    つがいけN1様
    自分も幼少のころ、横川の釜めしを知る前に塩尻の釜めしを知りました。
    一升瓶やビール瓶のリサイクルは昔からありましたが、釜めし容器もリサイクルルートはできていたのですね。長野駅では塩尻と横川双方の容器が集まるわけですから膨大な量だったでしょう。
    一般にはゴミでも、それを必要とする人があるモノは必ずあるものです。今はネットで売買できますが、ゴミの山は宝の山ということで、いろんな方面へのリサイクル流通ルートは(正規でないものも含め)あったように思います。
    2019年02月06日 09:06
  • おき2号

    しなの7号様、こんにちは。
    以前ネットで窓から捨てたゴミに当たって失明した人がいるから窓から捨てないようにと書かれていた掛紙が話題になっていましたがそれを思い出しました。

    放送もYouTube等にいろいろ上がっていますが少しづつ違いますね。今みたいにきっちり決められていなかったということでしょうか。だとしたら先輩から教えてもらったやり方でと代々引き継がれていくような具合ですか。
    2019年02月06日 15:03
  • しなの7号

    おき2号様 こんにちは。
    そんなことが書かれた駅弁掛紙があったのですか。
    中央西線の旧線跡で「愛岐トンネル群」という鉄道遺産がありますが、その旧トンネル内にあったという欠けた陶製お茶容器が展示してあったのを見たことがあります。トンネルならいいだろうと投げ捨てられ、何十年も暗いトンネル内に眠っていたのでしょう。陶器ですから走行中の列車から投げ捨てられたとき運悪く当たって打ち所が悪ければ命にかかわることだって有り得る話です。

    車内放送について、こういうところは改めたほうが良いということを書いた小冊子が貸与されていましたが、おおまかな内容でした。私の場合は決められたとおり一字一句忠実に文例を読むような放送は、企画商品のPR放送くらいしかなかったように記憶します。やはり先輩の仕事を見て、または直接教わって自分自身のカラーを作っていった人が多いように思います。
    2019年02月06日 15:47
  • TOKYO WEST

    こんばんは。
    ここ数年、東海道新幹線は割と頻繁に乗っていますが、昨年3月のダイヤ改正で車掌が3人乗務から2人乗務となったことから、下り新横浜発車後、上り京都発車後の放送がジェイアール東海パッセンジャーズのパーサーが行うことになっています。また、車掌長や列車長も若い人が増えているせいか、放送技術は明らかに低下している感じです。また、非常時にはSOSボタンを押せとか、到着時の出口の方向を英語の肉声で放送する(させられている)のも時代を反映しています。
    2019年02月06日 21:29
  • オハフ33

    しなの7号様こんにちは。車内放送、私もしっかり聞いていました。鉄道が好きなので当然ですが。
    自分が小学生の頃の大阪発出雲市行きの普通列車の出発時の放送はこんな感じでした。

    「皆さんおはようございます。この列車は福知山線、山陰線を通っての出雲市行きの普通列車です。途中、草野、南矢代には止まりませんのでご注意下さい。福知山までの主な駅の到着時刻をご案内致します。宝塚〇時〇分、三田〇時〇分、篠山口〇時〇分、柏原〇時〇分、福知山9時7分、終点出雲市には19時50分の到着です。福知山より先は後ほどご案内致します。なお、途中福知山で後より2両を切り離します。次は尼崎です。尼崎、塚口、伊丹、北伊丹、川西池田、中山寺、宝塚の順に止まってまいります。」
    この放送の前後には必ずハイケンスのオルゴールを鳴らしてくれました。何回も乗りましたが、だいたいこんな感じで、下淀川橋梁までに終わっていました。今の季節ですと、大阪を出発してから北伊丹ぐらいまではまだ外は真っ暗で、車内も閑散としていて夜汽車の雰囲気でした。私の親は放任主義でして、小学生の頃からどこにでも子供だけで行きました。さすがにこの列車に出雲市まで乗り通したことはなく、福知山線内で降りて夕方には大阪に帰るのですが、おっしゃっられているように高揚感が凄かったです。早朝に乗った列車が自分が帰宅してもまだ走っていることが不思議にも思えました。この列車は郵便車と荷物車が連結してあり、このため長距離を走っていたのでしょうが、上手く表現出来ないのですが、人、物、郵便(通信手段)の輸送という使命を担っていた国鉄そのものの列車で、荷物の積み卸し等での長時間停車もかなりあり、乗客は待たされますが、当時の日本のインフラとして黙々と走っていたその姿に魅了されました。私は鉄道ファンというより国鉄のファンでした。
    2019年02月07日 15:48
  • しなの7号

    TOKYO WEST様 こんにちは。
    この数年間、鉄道を利用することがめっきり減ってしまい、東海道新幹線にも約3年間乗ったことがありません。穿った見方かもしれないですが、今どきの車内放送では鉄道会社側の責任逃れ的な「ご注意」がやたらと多いように思えます。車掌が減ったけど、SOSボタンがあるからいいでしょ、みたいな。それから車内放送に求められるものも、国鉄時代とは変わったように思います。
    個人的に、国鉄時代のひかりチャイムのメロディと自動音声の「今日も新幹線をご利用いただきまして、ありがとうございます」の女声と話し方がたいへんお気に入りでした。今のメロディには未だに馴染めませんが、今も変わらないあの聞き取りやすいお声を聴くと、ああ新幹線だなあとほっとします。
    2019年02月07日 16:52
  • しなの7号

    オハフ33様 こんにちは。
    今の普通列車の車内放送はそっけないものですが、長距離列車ともなると高揚感があふれてきますね。始発列車が終列車の時刻まで、その間、使命を変えながら延々と走っていく列車は魅力的です。旧客のその手の車内放送は、高校生のころ京都発出雲市行普通列車(後の「山陰」)で聴きました。録音して今も保存していますが、それを聴くとあの日のDD54の牽き出し時のショックが各駅ともひどく、眠れなかったことも思い出します。
    車掌になったとき、関西本線名古屋口の旧客引退まで約1年しかありませんでした。旧客の乗務では、始発と終着には必ずハイケンスを流しました。冬の寒い日の朝は亀山で車内温度4℃しかなく、乗客に怒られたりするので、多くの車掌が嫌がった旧客の乗務も、私には楽しみな仕事で、国鉄時代の仕事の中で、旧客の乗務は一つの頂点であったとも思えます。時代に取り残された感じは否めませんが、長距離普通列車のような生き方は私の理想とするところです。他の列車と競うわけでもなく、華やかな特急のように注目されるのも恥ずかしいし、少々の遅れも停車時間で回復しマイペースで確実に終着駅にたどり着ければ、それでよし。
    2019年02月07日 16:55
  • オハフ33

    しなの7号様こんにちは。何度もすみません。
    旧客の乗務がある意味頂点とおっしゃっられること、何だか嬉しいです。無線での機関士との出発合図のやりとりの最後に汽笛で呼応して動きだすというあの一連の作業に凄く頼もしさというか信頼感を感じていました。因みにハイケンスは鳴らすきまりがあったのでしょうか?オルゴールの中で一番まとまりがあって好きでした。 しなの7号様の言われる普通列車のような生き方、私も共感します。急がす慌てず背伸びせず、それでいてしっかり己を失わず。私も完全な時代遅れですが、現実は特急のような走り方をしなければならないことも多く、疲れます。時代の変化が速すぎてしんどいのですが、こうして昔憧れていた国鉄、その現業で働かれていた職員の方に興味深いお話をしていただけ、鉄道にたいする思いを持ったたくさんの方々の意見を進行形で拝見出来ることはありがたい時代だなとは思います。
    2019年02月08日 14:42
  • ヒデヨシ

    しなの7号様おはようございます
    昔はポイポイ捨てるのに何ら罪悪感がなかったようです
    列車内に放置されたゴミ
    くずかごに入りきれないのがデッキ床にたくさん散らばっていましたし
    球場の野球観戦でもスタンドはゴミで溢れていました
    外国では道路に唾やタンを吐かないようにと言われ
    オヤジが普通に吐いていたので悪い事だとすら思わなかったです。

    そう言えば窓明けで思ったのが
    103系初期車、113系初期車、20系気動車後期車の窓などの非ユニット窓車
    上段を一番上まで上げて引っ掛け
    続いて下段を一番上まで上げると窓のガラス部分が全開になる作りでした
    なので非常に危ないのでユニット窓からは
    そのようなことが出来なくなりました。
    爽快感は格別ですけど。
    2019年02月09日 10:20
  • TM

    車内放送が、これまではこもった感じの音質から117系、201系あたりから明瞭にはっきりと聞き取れるようになったの変わったのには驚いた記憶があります。113系とかのスピーカーは車内に出っ張った形ですが、117系以降は埋め込み式となり、スピーカーの質も改善されたのでしょうか。
    懐かしい思い出です。
    2019年02月09日 12:28
  • しなの7号

    オハフ33様 こんにちは。
    客車列車に乗務していると、たとえば列車を発車させるときの手順ひとつにしても、気動車や電車と違い「列車を掌っている」車掌本来の仕事を体感します。私どもの職場では、頻繁なドア扱いのために乗務員室を離れることができないような電車行路に乗務するとき、「今日はドアボーイ」と言っていたくらいで、ドア扱いが車掌の仕事の大半を占めるかのような実態を自嘲的に表現していました。そういう意味では、鉄道の原点というべき旧形客車列車や解結貨物列車の乗務は、自動扉もない列車ゆえの緊張感とともに列車自体が自分の一部になっている「俺の列車」というような一体感とも言えるものがありました。
    学校、会社など組織の中で、特急のような走り方で一分一秒を競わされ、その数字によって優劣が決められてしまう価値観には自分はついて行けません。車掌なら新幹線が頂点だろうみたいに考えられるのが一般的なのでしょうけれど、ここにいらっしゃる多くのみなさんのなかにも、私と同じような思いをお持ちの方がおられることをうれしく思います。
    車内放送のオルゴールの使用方について決め事があったのか私は知りませんが、類推できることはありますので、次回月曜日にアップする記事の中で、少し触れるつもりです。
    2019年02月09日 15:58
  • しなの7号

    ヒデヨシ様 こんにちは。
    車内で出したゴミを下車時に自ら持って降りる習慣は、昭和の時代にはなかったですね。ゴミ収集がないころ実家では家庭ごみを畑で焼き、焼けないゴミは川原に捨てていました。また以前に書いたのでご記憶があろうかと思いますが、走行中の緩急車から庄内川に新聞紙に丸めてウンチを投棄した経験もあります。罪悪感どころか、住宅地の線路上に捨てるにはあまりにも申し訳ないので、気を使ってわざわざ川に捨てたわけで、川とはそういうところという感覚でしたから下流の汚染は深刻でした。

    2段窓で2段とも開放全開状態にして日除けを下まで降ろされると、中央西線の単線トンネルでは気圧差で日除けがエライことになってました。
    ユニット窓ですが、急行用の上段下降下段上昇式のほかに、非ユニット窓同様に上下段とも上昇式のユニット窓もあって、後期の新製冷房の113系や103系、暖地向けキハ40-2000が該当すると思われます。気動車大好きヒデヨシ様ならTOMIX製品をお持ちでないですかね? 寒地向けキハ40-500とは窓パーツの窓枠サッシ形状が作り分けられています。
    2019年02月09日 16:29
  • しなの7号

    TM様
    117系と113系2000、どちらも新車時代に乗務したことがありますが、117系のほうが、音質がよく聞き取りやすかったですね。放送するほうからすれば、マイクが車内電話送受話器との併用式から独立式に変わったことが画期的で印象に残っていますが、たしかにスピーカも一新されていますので両者の相乗効果だったのかもしれないです。
    2019年02月09日 16:30
  • NAO

    しなの7号様、おはようございます。
    車内放送ですぐに思い出すのは民営化を半年後に控えたときに函館から乗った183系DC特急「北斗」でしょうか。藤城短絡線に入ったころ、車掌長さんの放送、
    「お弁当やお飲み物の空き殻、屑物がございましたら、ごついでのときで結構でございます、デッキの屑物入れへ.....」
    「ごついでのときで結構でございます」を付けただけで、すごく丁寧さが増して新鮮、それだけで藤城短絡線のコンクリート橋を登る光景も違って見えたものでした。
    先日、新幹線に乗って久々に雲ひとつない富士山が見えたのですが、静寂さ優先でしょうか、何の放送もないのは寂しい思いがしました。
    2019年02月10日 10:16
  • しなの7号

    NAO様 こんにちは。
    本文中に書いた「この列車は山間部のカーブでも高速で走るよう設計された電車でございます。~」と放送される車掌長氏による、始発駅発車時の放送でのくずもの入れの利用についてのくだりは、「おついでのときで結構でございます」から始まって「きれいな車内で楽しい旅ができますよう皆様のご協力をよろしくお願いいたします。」で結んでおられました。昭和一桁生まれの方でしたが、ご健在であることがわかり、昨年お電話でお話しする機会がありました。約35年ぶりでした。時代は移ろい車内放送事情も変わりましたが、そのお声は昔と変わりませんでした。
    2019年02月10日 13:41
  • 鉄子おばさん

    お疲れ様です。仕事帰りの電車の中であらためて読ませていただきました。私は高校生、短大生と電車通学をしましたが「車掌は○○です。」と紹介されだしたのは短大を卒業する頃だと記憶しております。ちなみに社会人になると同時に国鉄が民営化されました。現在の381系やくも号の放送だと「車内を移動されます際はお足元にご注意ください」とは必ず言われるのですが「走行中左右に揺れる事がございますので…」を言われる方と言われない方がおられます。私がファンの車掌さんは言われません。どちらがいいかはなんとも言えないのですが乗客の乗り物酔いの不安を軽減する配慮とも受け取れます。
    2019年02月10日 23:56
  • しなの7号

    鉄子おばさん様 こんにちは。
    私の記憶でも1986年ころ、つまり国鉄分割民営化の前年あたりに車掌も名乗るようになりました。
    しなの号でも、本文に書いたような381系の揺れに対する放送をされる方と、そうでない方がありました。おっしゃるように、揺れを強調して網棚の荷物の落下や車内を移動するときのケガを防ぐための放送でも、乗り物酔いをされやすい方は不安になるし、乗り物酔いとはそうやって意識することで発症することがあるのを、自分自身が知っていますので、どちらがいいか判断しかねるところです。
    2019年02月11日 19:33
  • やくも3号

    しなの7号様 こんばんは。
    釜めしの容器は回収を行っているようです。
    ですが、ご飯も炊けるそうで、一度やってみたいです。
    h ttps://www.excite.co.jp/news/article/Jtownnet_301360/
    2020年02月09日 21:00
  • しなの7号

    やくも3号様 こんばんは。
    子供のころ私が病気になったとき、母が釜めしの容器でおかゆを炊いてくれたことがあります。
    2020年02月09日 21:36
  • 木田 英夫

    しなの7号様、こんにちわ。
    前回教えて頂いたリンクからこちらに入りました。

    窓開けの件ですが、昨今では例の関係で以下のような放送がよく聞かれます。
    「この列車は空調装置により常時車内の空気と外の空気を入れ換えておりますが、更なる換気が必要な場合には窓に赤いステッカーが貼られている場所は、手で開けることができます。その際に車内の温度が変わることが見込まれますが、ご理解ご協力をお願いします。」

    冷房、除湿機、換気扇によって窓を開けなくても一年中快適な環境が保たれていますよ。ということが当たり前なのでしょうが、聞くたびに「窓を開ければ春や秋には(冷房がなければ夏場も)気持ちのいい風が入って来る。換気などと言わなくても空気が入れ換わる。風が入れば温度は当然変わるでしょ。」と思ってしまいます。今時こんなことを言うのは「生ける化石」でしょうね。

    2019年2月9日付けのヒデヨシ様としなの7号様の103系の窓全開の件に関してですが、私は電車通学時に、先ず上段の窓を上まで全開し、下段の窓を半分だけ上げて開けていました。丁度大きな窓の真ん中1/3だけ閉まってその上と下が開いた形になります。こうして座ると顔のところには殆ど風が当たらないで、気持ちの良い風が抜けて行きました。
    それから、あの上段窓は摘みが小さく、開ける人が少ないせいか固着して開きにくいことがよくありました。鉄道雑誌に「あの窓は外からだと、実に呆気ないほど簡単に開く」と書かれていたのを読んでからは、乗る前によく外から開けたりもしていました。

    本文の放送に関しては、懐かしい。今では想像できないといったものから、今日でも十分通用するものまでいろいろありますので、またゆっくり読ませて頂きます。 ありがとうございます。木田英夫
    2022年02月25日 17:44
  • しなの7号

    木田 英夫様 こんばんは。
    私が列車に乗る目的のほとんどは不要不急の外出に分類されるので、この2年ほどは列車に乗る機会がほとんどなくなりました。コロナ禍ではそういった放送内容になるだろうと想像できますが、そういう放送を聴く機会すらありません。換気装置があっても窓を開けて換気しながら冷暖房をする時代になるとは、最近まで考えもしませんでした。国鉄の近郊形車両の場合は117系が出るまで強制換気装置はありませんでした。換気云々以前に、113系非ユニット窓車やキハ35は隙間風がひどく、窓を開放しなくても自然換気が半端なく冬場は悲惨でした。113系の2段式上段窓は確かに車内からは開けにくいことがありましたね。上段窓の開閉頻度は少なかったですが、上昇式の上段窓は半開にできないので、おっしゃるような使い方をするのが効果的だったかもしれません。下段が少しでも開いていると上段を閉めるとき指を挟んでしまい危ないというのもありましたけど。
    2022年02月26日 20:53
  • おんたけ号

    しなの7号様
    こんにちは。
    鉄道好き少年、運転士(又は機関士)や車掌さんになりたいとの夢を持つ人は
    多いと思います。小生もそうでした。
    貴ブログを拝読し、鉄道に携わる方のご苦労を知り、表面上の事のみで憧れ
    ていた事を痛感しましたが、やっぱり車掌さんの車内放送には今でも惹かれる
    何かがあると思っています。

    先週のお座敷走行で、キハ181初期を走らせながら、1972年の復刻版時刻表
    を開き、アルプスの牧場のオルゴールを鳴らしてから、「ご乗車ありがとう
    ございます」やら「到着時刻のご案内です」などとやっておりました。
    妻からは「相変わらず子供ね」と言われ、まあその通りなのですが、ならば
    と、381しなのレジェンドを走らせる時、アップして戴いている管理人様が
    敬愛される車掌長様の車内放送を流し、良き昭和時代に思いを馳せておりま
    した。(自宅内での事ですのでお許し下さい)

    やはり新幹線、特急、急行(無いですが)の車内放送は、ベテラン車掌(長)さん
    にお願いしたい、と個人的に思っています(女性差別するつもりはありません)

    この半年程耳にする事は無くなり、定年を迎えられたか?と勝手に思っていま
    すが、武豊線で大府到着前に、誰もが言う車内放送の後、乗り換え案内、
    「車内でご利用になりました空き缶やペットボトルなど、〇〇(この辺が
    ハッキリ記憶なし)駅に備え付けの屑物入れに入れて戴き、車内美化にご協力
    をお願いします」と言われる方がおられました。
    (稀に中央西線にもご乗車あり)
    この車内放送はこの方のみで、声もベテランらしい方でした。
    (東海道本線のアニメ声の女性車掌さんとのギャップが)

    最後に、釜飯と言えば小生は美濃太田です。(数年前に廃業とか)

    以上、長文失礼しました。
    2024年06月09日 17:16
  • しなの7号

    おんたけ号様 こんばんは。
    模型運転の醍醐味は、「一般人」にはなかなか理解されにくいことですが、わかる人にはわかる話ですね。現在や過去の鉄道を忠実に再現したり、逆にありえない列車を組成するなど妄想に浸ったり、自らが模型鉄道の運転士になり車掌になり、そのほか乗客、撮影者、鉄道経営者などの主人公になれるひとときでもあります。そういうときには時刻表など小道具が必要になるときもありましょうし、車内放送はその列車に合わせたリアルな内容にしたいというこだわりが出てくるものでしょう。

    国鉄時代には、運転系統・営業系統、施設系統との縦割り組織でしたので、駅や車掌区の職員が運転士になれる道は限られました。試験を受けて貨物列車の列車掛とかローカル列車の車掌から始まって、定年を迎えるころには長距離列車の車掌長として乗務しているという道筋が一般的でしたから、長距離列車では年輩の車掌長氏の車内放送を聴くことになりました。

    自動放送が多くなったなか、耳を引っ張られるような肉声放送に出会うとうれしいものですが、私はめったに鉄道に乗らない生活になってしまいましたので、現状はよくわかりません。でも、わかりやすい放送を心掛けて研究されておられる車掌さんは一定数おられるものと思っています。
    2024年06月10日 20:46

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