「【747】私の鉄道模型遍歴16:国鉄在職中に買った16番の模型」の続きになります。その記事と同じ時期、すなわち稲沢鉄道寮に籍を置いた1980年ごろのことですから40年近く前のことになりますが、寮で何もすることがないときに作ろうと思って買ったプラモがありました。
アオシマの国鉄電気機関車、50分の1スケールEF58とEH10の箱です。
今書いている時点では40年前とまったく同じ箱絵のEF58プラモが発売されているみたいです。箱の仕様は変わっているようなので中身は同じなのかどうかわかりませんが、昭和の古い製品を一部改良したうえで再生産されているのでしょうか。
40年前に作った模型はすでに手元にはありませんが、この箱絵がお気に入りなので、箱だけは収納用として再利用しながら、今も保管しています。当時の値札も貼ったままです。
作った模型は長らく実家に飾っていましたが、大ぶりのパンタグラフまでプラ製なので、ちょっとしたことで引掛けたり車両自体を倒したりしたはずみに折れてしまいました。パンタのない状態になると見苦しいので実家の引き出しに入れたままでした。実家を引き払うときに欲しいという方にお譲りして、今は私の手元にはありませんが画像が残っています。
EH10です。パンタグラフのほかにも手すりが欠損しています。艶あり黒色で塗装したので、おもちゃっぽくなってしまいました。黄色のラインは製品に付属していた着色済の紙テープですから苦手なマスキングはしていません。50分の1という大きさでディスプレー用ということの利点は外から見えにくい室内や足回りの再現が可能であるということです。
室内パーツは黒成型のパーツに緑系で塗装してから組み立てました。車体はフレームに接着せずはめ込むだけにしてありました。
そしてEF58です。なぜに61号でなくマイナーな予備機60号を模型化したのでしょう? 大窓原型のままで、側面はビニロックフィルタ化後の成型になっています。車体を一周するステンレス帯部分だけ少し出っ張った表現に成型されているので、マスキングすることなく銀色塗料の筆塗りが比較的容易にできました。
こちらもEH10同様に室内パーツは黒成型のパーツに緑系で塗装してから組み立てましたが、そもそもELの内部機器のことはよく知りませんので適当に塗り、機器の配置も手順書の指示どおりです。
下回りもけっこう細かい表現がされていました。
アオシマの50分の1電気機関車シリーズで組み立て完成させたのは、この2台だけでしたが、国鉄退職後2年くらい経ってから初めて入った模型店で「EF65あさかぜ」を偶然見つけ購入しました。
箱の側面からシリーズの全容がわかります。「JAPAN GOVERNMENT RAILWAY~」とありますが、国鉄は「JNR」を名乗っていたので、私には「JGR」と言われると、その前身である鉄道省を思い浮かべてしまいますが、大きなお世話でしょうか。
これは、実家の物置にそのまま20年くらい保管したのち、やはり実家を引き払うときに、未組み立てのままで箱ごとお譲りしました。
50分の1の鉄道プラモはアオシマだけでなく、有名?なSLシリーズが今はなき大滝製作所から出ていました。私は昭和時代にD51を2度、C62を一度買って組み立てたことがありますが、現在このシリーズの一部形式がアリイ(マイクロエース)から発売されているようです。
大滝ではそのほかに、貨車も発売をしており、EH10とEF58を買ったころに、1両だけ模型店に売れ残っていたレ7000を買って組んだことがあります。
大滝ではそのほかに、貨車も発売をしており、EH10とEF58を買ったころに、1両だけ模型店に売れ残っていたレ7000を買って組んだことがあります。
年月の経過とともに、表記類のデカールが変色し、一部パーツも外れてしまっていますが、床下のブレーキ配管と機器が別パーツで再現されているのが、わずか1年半ながらも実際に乗務検査に携わった者としてはうれしいもので、Nゲージ模型では味わえない魅力でした。
国鉄退職後にはそのシリーズのトム60000を入手しましたが、これまでと同じ時期に同じ理由で、組み立てないまま譲渡しました。
箱の側面には貨車シリーズのラインナップがあります。
ワフ29500は自分が乗務した形式ですので、平成の初期にNゲージ絶版車種探しを兼ねて、手あたり次第模型店を巡って探しまくったことがありましたが、なにぶんにもすでに倒産したメーカーの製品ゆえに出会えませんでした。このトム60000にしても、プレミア価格で売ろうとする店主から、友人が定価にしてくれと値切って入手した代物を譲っていただいたモノでした。貨車の方は再発売された話を聞いたことがなく廃盤になってしまったとすればたいへん残念です。
<2022年2月14日 一部修正加筆しました。>
この記事へのコメント
門鉄局
ご無沙汰してしまって申し訳ありません。またよろしくお願いします。
昭和53年頃大滝の50分の1のC53を買ってもらって早速作り始めましたが、部品の合いが悪く満足な工具もないため数年放置のあげく廃棄しました。自動車や船、航空機などいわゆるプラモデルでは盛んなのに、鉄道ではさっぱりなのは線路を含めたシステム拡張性がないからでしょうね。
そのあたりが鉄道模型メーカーとの違いですが、アオシマさんが近年出してるディスプレイモデルには魅力を感じます。
しなの7号
主に小学生のころ、プラモをいくつも作り、(そして壊し)ましたが、私も鉄道のプラモ製品があまりにも少ないことを理不尽に思っていました。あと、市販乗用車とかバスにも同じ思いがあったのですが、模型店にはテレビ番組関連商品、軍艦や戦車、戦闘機、自動車でも見たこともないレーシングカーの類が主流でした。
タミヤとか今は亡き今井科学の製品は組みやすかった印象でした。しかし中小メーカーの鉄道モノや乗用車のモデルを見つけて購入しても、難しいというよりパーツの精度がよくなかったために組むのに工夫や修正が必要で、失敗なく完成させることがなかなかできませんでした。大滝のD51もその部類に入りますが、2度目に作ったときは、リニューアルされていて動輪が別パーツに改良されていました。昭和のプラモとはそんなレベルで、工具も知恵もない年少者には、きちんと完成させることは難しかったですね。
アオシマ1/45のDD51やEF66は魅力的ですが、終活をすでに始めている私が手を出すことはなく、DD51を買ったという友人に早く作れ!などとけしかけているばかりです。
ヒデヨシ
アオシマの1/50シリーズの電気機関車
懐かしいです
私は中学か高校の頃EH10のみ購入
あいにく途中で同じような組立を延々とするのに飽きて放り出し完成は日の目を見なかったです
特に台車の4つの車輪がレールにぴったり密着せず大概が三点支持になってしまいます
そして当時の車模型などにも多かった無意味な銀メッキパーツ
パンタグラフもそうですがポキッと逝きますよね
スタイルなども当時は再現性高いと思いましたが今の目で見るとなんかショボい・・
でも現在の超絶精密なEF66やDD51プラモに繋がってるんでしょう
お話しのEF58 61でなくEF58 60である謎
これの理由はただひとつアオシマ本社が静岡県にあることだと思います
EF58よりもビックリなEF18がラインナップにあることなどから
浜松区のエースEF58 60を選んだのは当然のような気がします
同じく東海道本線を走る機関車ばかり選んでいます
大滝のワフ欲しかったです
店頭で中を見たらダルマストーブのパーツがあったのを覚えています
しなの7号
短時間で一気に完成させられない程度の模型になると根気が必要ですね。特に若いころはほかにいろいろやりたいことがあって、手を付けてみたものの、完成する前に別のほうに興味が行ってしまい、放置の末に完成に至らず廃棄したという経験は私もあります。前に書いたことがありますが、ロコモデルのペーパー車体キット旧型国電クモハ54とクハ68がそれに該当します。
そうそう、車輪すべてがうまく線路上に接地しないですね。 61でなくEF58 60である理由ですが、本社から近い浜松機関区で実車の取材をされているのかもしれないですね。EF5860の仕様は、その取材時の状態(大窓原型のままで、側面はビニロックフィルタ化後)を再現し、全国区で考えるならEF58旧型としてリリースすべきと思われるのに、あえてそのとき在籍したローカル形式であるEF18とされたことからも、お説に同意します。
私は大滝のワフには未練があったのは確かですが、これも前に書いて画像もアップしていますが、床下のブレーキ系統やダルマストーブほか内装が別パーツで表現されたホビーモデルのプラ製ワフ22000が発売されたので、それを作ったことでかなり溜飲が下がりました。
やくも3号
鉄道のプラモデルと聞くと、ちゃんと走らなかったり実在しないようなナンチャッテ車種だったりして、16番やNなどのいわゆる鉄道模型に比べていい印象はなかったのですが、大スケールの本気のディスプレイモデルとなるとここまで違うのですね。
アオシマ1/50 EH10の再版モノは、ヘッドライトとテールライトがリアルに金型改修されたり、ナンバー数字がメタルシール化されるなどのアップデートがなされています。私が設計の仕事に就いたころから、F1マシンのサスペンションアームなどの折れやすい部品は従来のスチロール樹脂から弾力のあるABS樹脂を使うようになりましたが、パンタグラフはABSになっているのでしょうか。(ただしABSはプラカラーで塗装は出来ても接着剤が効かないので、スナップではめ込みしかできませんが)
1/45のEF66、部品が1000点だそうで聞くだけですごいですが、その数だけ図面があるわけで、台枠も一枚板ではなくきちんと部品割りされていて、どうやって実車取材したのだろうと思います。実物の図面をもらったのか、全検時に工場に入らせてもらってスケッチしたのか。
私の場合はモデルカーの設計でしたので、新型車をメーカーから借りて分解したり、図面をいただいたりすることがありましたが、近所のディーラーに行ってリフトで持ち上げてもらって、下にもぐってメジャーで各部寸法を測らせていただいたこともよくありました。
取材といえば・・設計部の同僚が上司の方と一緒にちょっと安倍川に行ってくるというので、何を取材するのかな?と期待していました。撮影した写真を見せてもらったところ、その同僚が石ころをもって河原を走り回ったり投げたり転げまわったりしている写真ばかりでした。このポーズが何に使われたかというと・・これが1/35ミリタリーシリーズの手りゅう弾を投げる兵士の原型になりました。
しなの7号
当時としては、鉄道車両の内部まで作り込んだディスプレーモデルは異色だったと思います。16番サイズのプラモでは、レール付きの製品がゼンマイ仕掛けのものも含めいくつかありましたが、実際に走らせるのは無理だろうという製品ばかりで、ボディだけを流用して16番模型化をなさろうとする方も多かったです。
現行のアオシマEH10のメーカー公開の画像を見ると、正面はまったく旧製品とは別物のように改良されているように見えます。旧製品では正面窓の上下寸法が大きすぎて実車とはかなり印象が異なっていましたから、かなりリアルに改良されたように思えます。旧製品のパンタグラフはスチロール樹脂に違いないでしょう。とにかく曲げには弱く、ランナーとの接合部分より細いパーツですから、製品化するのにも難しい部分だったのではないかとも思います。
鉄道車両は経年とともに仕様が変わっていきますから、どんなに図面や資料が豊富であってもモデル化される時点とのギャップが出ますし、うるさい指摘厨もいるでしょうから大変でしょうね。
特定の動作をしている人物をモデル化するには、そういった取材が必要なのですね。普段は無線機で機関車を誘導していた私が、なれない手旗をぎこちない動作で振っているところを映像に撮られて、それを単純に3D処理してメーカーからモデル化されていたとしたら、えらく不自然な人形ができてしまうわけで、恐ろしい?ことだと思いました。(そういうときに限って複数の撮り鉄に写されました。浜松の隣、高塚駅でした。)
NAO
小学2年生の頃だったか、当時の(テツでない)親友のお母様が私の誕生日プレゼントに、メーカーは忘れましたが50分の1スケールのC62を贈って下さったのです。嬉しかったですが、小学生には組み立てが難しかったですねえ。設計図の漢字は全部読めないし、接着剤はハミ出るし、クランクや連結棒廻りは組むのが大変で、飾る際の反対側は組まなかったり......。
そのあと、親戚が文房具店を畳むので好きな商品を持って行っていいよと言われ、ナメクジのD51をちゃっかり貰って来、今度はある程度(当時の私には)見るに堪えるものとなりました。その後ワフを買いましたが、蒸機を組んだあとだと、なんだかあっけなく出来上がった記憶です。
しなの7号
以前のコメント欄では、小5ごろにD51ナメクジを片側だけ足回りを組まれて棚にディスプレーされたと書かれていましたが、それより前の小2ごろ、すでに50分の1のC62を組まれていたとは、少々無謀だったのでは? 自分は小2ごろに、童友社から50円~100円くらいで発売されていたと記憶する軌間9㎜に近い車両の簡単なプラモを買ったことがあります。工具もなくて、そんな食玩程度のプラモが精一杯でした。
のんパパ
アオシマの1/50、EH10は私もしばらく保管していました。結局組み立てることなく売り払ってしまいましたが、当時のアオシマキットなので、組み立てるのは相当手強かったんじゃないでしょうか?
最近では、同じアオシマから1/45のEF66とDD51が発売されていますね。どちらも、現在の水準にある精密なキットです。その代わり、お値段もかなりするので、なかなか手が出せません。
しなの7号
このくらいのスケールですと短時間で組むことはできないので、手を付けるには心の準備とともに、まとまった時間が必要かなと思います。乗務明けに夜まで何もやることがなかった鉄道寮生活時代なればこそ完成させられたのかもしれません。
上の方のコメントにもちょっと書いたように、友人がアオシマ1/45のDD51を買ったのですが、その後も話をする機会があるあるたびに手を付けたのか尋ねますが、いまだに手を付けたという話は聞いていません。