お盆です。我が家でも質素ながらお盆飾りをしています。昨日は2011年に実家に帰ったときに撮影した貨物列車の画像を貼りましたが、その2年後2013年7月に父は亡くなりました。その年のお盆は四十九日前なので初盆とはならず、納骨前ということもあって、この年8月14日に、父の亡骸と家内との「3人」で、父の第二、第三の故郷とも言える稲沢と米原へドライブに行って、父の思い出の地を巡りました。使った自動車は、いつも実家で私が買い物に使っていた父名義の軽自動車ミラで、この運行をお別れ運転と位置付けました。
私の祖父は機関区の助役をしていたので、父は子供のころに、実家があった中津川のほかに2つの機関区所在地を祖父が転勤するたびに移り住んだのでした。
稲沢車掌区があったJR貨物のビル。父は長く貨物列車に乗務していたので、ここへは数えきれないほどきていました。
父が卒業した小学校。(現在は取り壊され現存しません。)
滋賀県の地酒も買ってきましたので、お供えしました。
以上、2013年8月14日撮影
ミラは後日業者さんに引き取ってもらい、父の遺骨は四十九日の法要のとき「永代納骨合祀墓」に納骨しました。
この記事へのコメント
ヒデヨシ
なんと、おじいさまも国鉄マンだったのですね
昭和の小学校、中学校などの木造建築は
あまり顧みられることなく取り壊されることが多いような気がします
たしかに明治時代とは違い実務一本やりみたいなところもありますが
残りも少ないでしょうし
現役の学校などないのではと思います
転用されたものもしっかりと保存したいです
しなの7号
祖父のことは、下の記事などで書いています。
【84】 2つの効績章
https://shinano7gou.seesaa.net/article/201010article_9.html
【422】 父の遺品 ~鉄分がある写真~
https://shinano7gou.seesaa.net/article/201310article_6.html
小学1・3年生と中学3年間は木造校舎で過ごしました。高校へ入学したときも特別教室が木造校舎のまま1棟残っていました。今では耐震補強が問題になるのでしょうね。最近は見ませんがGMから発売されていた木造校舎のキットがお気に入りです。
https://shinano7gou.seesaa.net/upload/detail/01988682N000000014/152047387899452753180_s-R00187.jpg.html