1974年8月20日 王滝森林鉄道 田島王滝森林鉄道は中央西線上松駅が接続駅だったので、SL撮影のついでにその車両を見たり撮ったりはできたのですが、この日は初めて木曽福島から出ていた路線バスに乗って王滝村の中心部から近い田島停車場まで行ってみました。
田島に着いたとき、最奥の集落滝越から学童通学用として運転されていた「やまばと号」が到着して転線留置された直後だったようでした。この列車は機関車も客車も王滝村が所有する専用車両で運転されてました。撮影者本人は夏休み期間中でしたので、この日は登校日だったのか?…と思いましたが、この辺りは冬休みが長いので2学期が始まったところだったということかもしれません。
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1975年8月20日 関西本線 長島~桑名キハ81先頭の「くろしお5号」天王寺行。
このころは各地の軽便鉄道を訪ねていました。この日は、見逃すことができないこの「くろしお5号」を撮影した後、西桑名から近鉄北勢線に乗車して、要所で撮影もして夕方まで過ごしました。
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1983年8月20日 飯田線 下平~山吹この年6月30日を最後に飯田線の旧形国電は定期列車の運用を終了していましたが、夏休み期間中に中部天竜~伊那松島間で3往復(2日間で1往復×3回=6日間)臨時ダイヤで「さよならゲタ電」号が運転されました。8月20~21日が最後の運用でした。
←中部天竜クハ47069+クモハ54110+クハ47009+クモハ53008伊那松島→
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1996年8月20日 北陸本線 福井駅
県外への出張などめったにない私でしたが、前日から石川、福井県下を出張で巡っていました。いつも使っている一眼レフは仕事の邪魔になるので、母の宝の持ち腐れになっていたコンパクトカメラを仕事用の鞄に忍ばせていました。福井駅前のビジネスホテルに泊まり、特急「日本海」が来る時刻に合わせて福井駅へ行って、偶然やってきたこの列車を撮影しましたが、列車名はわかりません。
この記事へのコメント
やくも3号
最後のお写真ですが、福井にも生活創庫があったのか・・(←そっちかい)
私が苦手なヒゲボンネット列車ですが、きっと時期的なことを考えますと、毎年山陽線を西行するあれでしょうね。
鉄道郵便車保存会 会長
1996年の485系ボンネット車ですが、「臨時」と表示されている列車は、おそらく福井商業高校の応援団列車、通称「甲子園臨」大阪行と思われます。今と違って当時は高校野球の期間中に全国から大阪目指して各種車両が駆けつけており、北陸からの485系は頻繁に見ました。一部学校は特製ヘッドマークを新調しましたが、ボンネット車は作業が大変なようで多くはこの臨時マークでした。裏付けとしまして、この大会で福井商業は勝ち進み、この日の準決勝第二試合に臨んで敗退しています。開始は午後で、特急日本海に近い時刻に福井を出れば午前中に大阪入りできており、状況は一致します。
やくも3号
しなの7号様
なるほどそうですね。ボンネット車の金光臨のヘッドマークは『臨時』ではなく『団体』でしたので、このお写真の列車は甲子園臨ですね。
しなの7号
馴染みの店舗が知らない土地にあると、反応してしまうものですね。「生活創庫」は名古屋にしかないと思い込んでいたものですから、静岡にもあったことも以前コメントをいただくまで知りませんでした。
ボンネット臨時列車の正体については解明されたということで。。。
しなの7号
なるほど甲子園臨というお説で、これは説得力がありますね。そういえば甲子園とか鈴鹿とか、臨客祭り状態になった時期がありました。
この日のネガと時刻表を照合してみました。
2番線:下り北越3号(7:17福井始発)据え付け中
4番線:上り雷鳥14号(7:05着06発)
4番線:上り当該臨時ボンネット編成が直江津方から入線
4番線:上り日本海4号(7:23着24発)
(2番線と4番線が同一ホームです。3番線は同ホームの米原方にある越美北線の切欠きホーム)
アップした画像は5番線から4番線の列車を後部から撮影していますが、背後の2番線には下り北越3号らしき列車の先頭部が写り込んでおり、撮影時刻は「雷鳥14号発車後で下り北越3号発車まで」つまり、7:06~7:17の間であったことが特定できますので、この臨時列車は日本海4号の前を走っていったことになり、午後の試合開始には余裕があります。ご検証いただきありがとございました。