2020年08月30日 【1251】あの年の8月30日《1992年》 1992年8月30日に近鉄北勢線(現三岐鉄道北勢線)で220系さよなら運転が行われましたので、やすたろう様と出かけました。この220系の昔の日車っぽいスタイルは個人的にはお気に入りです。もとは北勢鉄道モハニ50形で、荷物室があったことがわかる窓配置からも、昭和のローカル鉄道の味わいがにじみ出ています。近鉄色もよく似合っていたと思いました。楚原-麻生田の間にある通称めがね橋付近です。久しぶりにナローの雰囲気を味わいに行ってみたくなります。
やすたろう おはようございます。確かに記事とそっくりの写真を私も持っております。同じ場所で撮影しているから、当たり前ですが。年をとってくると10年前くらいまでは「最近」なのですが、1992年ですか、相当経っているなという感じですね。そう言えば、モ220型ではなくて現在の電車を撮影するために1回行った記憶があります。しかし、ここは毎日同じ電車が行ったり来たりしているだけですから、新たにクーラーが付いた程度であり、私の場合は10年後だろうと同じ写真を撮って帰るだけになりそうな気がします。
しなの7号 やすたろう様 こんばんは。時がたつのは早いですね。この時から10年ちょっと後に北勢線は三岐鉄道に移管されましたが、廃止を免れてよかったです。そのあとも、貨物鉄道博物館へ行った帰りに阿下喜駅に保存してあるモニ226を撮影してから北勢線に乗って帰ってきたことはご記憶にあると思いますが、あれからでさえ、もう7年経ってしまいました。10年後は…同じような写真を撮れればいいですが、自分がそのころ撮影に行けるのかどうか?そういうことを考える齢になってまいりました。P.S. 今週中にご一緒したときのことを書く予定があります。
やすたろう 今晩は。そうですね、貨物博物館に行った後にも寄りましたね。忘れてました。それにしても、10年後どころか、新型コロナの流行と熱中症の危険性があり、北勢線のすぐ近くのDD51の最後すら見届けに行かれない今日この頃です。暑い毎日、ご自愛ください。
しなの7号 やすたろう様 こんばんは。前に他の方へのコメントにも書きましたが、これで鉄道に7カ月間乗っていません。いつになったら安心して鉄道を利用した旅ができるようになることやら。それにしても今年はいつまでも暑くて、出かける気がまったく失せています。
ヒデヨシ しなの7号様こんばんはとても面白いお顔の電車ですね縦長の窓に合わせてデフロスタも縦に取り付けられていますいわゆる豚鼻改造の前照灯ですがなんかタッパーに入れられた2個の何かに見えます連結器の位置がとても低いですね通常あの解放テコなら下作用なのに連結器が低くて上作用編成もローカル色溢れてます
EF1623 この近鉄の220型、確かに自分も形態的にも、まとまっていて元の落ち着きのある塗装と相まって好きな車両です。でも関東在住の自分にとっては長い間、ナロー自体が縁遠く“鉄道フアン”誌で眺める日々が続き実際に訪問できたのは大学生になってからの1980年初めでした。訪問時はもちろん北勢線も行きましたが内部線の方が記憶に残っています。先ず扉が手動であったこと。当時も国鉄の雑客は多数運用中でしたが私鉄電車で手動扉は初めてでした。また、気になっていた荷物室は普通に立席乗車の乗客の乗車スペースになっていたのに納得しました。あと扉にロック用の金具があり地元の乗客の皆さんは当然のように扉を閉めて、そのあと手で金具を回してロックしていたのも面白かったです。220型は引退してしまいましたが非常に良い状態で保存されていて今もその美しい姿を見ることが出来るのは嬉しいことです。
しなの7号 EF1623様ナローで遅くまで残った路線は西高東低で、西日本に多かったですね。220形の佇まいにはケレン味がなく、模型にしたくなってしまうような電車だと思います。実車が残されていることは有難いです。近鉄北勢線へ初めて行ったのは1980年でした。同じ年、日を改めて内部線にも出かけていますが、そのころの内部線はまだ朝顔カプラーで、終点では機回しが行われており、その連結解放作業を眺めていました。私は田舎育ちでしたので、北恵那鉄道や名鉄瀬戸線といった非自動扉の私鉄電車が身近にありましたが、さすがにお出かけになられた1980年にもなると、北恵那鉄道は廃止され名鉄瀬戸線は自動化されていましたから、非自動扉の電車はたいへん珍しかったことでしょう。1985年にも内部線に乗りに行っていますが、そのときには、すでに新車に変わっていました。
この記事へのコメント
やすたろう
年をとってくると10年前くらいまでは「最近」なのですが、1992年ですか、相当経っているなという感じですね。
そう言えば、モ220型ではなくて現在の電車を撮影するために1回行った記憶があります。
しかし、ここは毎日同じ電車が行ったり来たりしているだけですから、新たにクーラーが付いた程度であり、私の場合は10年後だろうと同じ写真を撮って帰るだけになりそうな気がします。
しなの7号
時がたつのは早いですね。この時から10年ちょっと後に北勢線は三岐鉄道に移管されましたが、廃止を免れてよかったです。そのあとも、貨物鉄道博物館へ行った帰りに阿下喜駅に保存してあるモニ226を撮影してから北勢線に乗って帰ってきたことはご記憶にあると思いますが、あれからでさえ、もう7年経ってしまいました。10年後は…同じような写真を撮れればいいですが、自分がそのころ撮影に行けるのかどうか?そういうことを考える齢になってまいりました。
P.S. 今週中にご一緒したときのことを書く予定があります。
やすたろう
それにしても、10年後どころか、新型コロナの流行と熱中症の危険性があり、北勢線のすぐ近くのDD51の最後すら見届けに行かれない今日この頃です。
暑い毎日、ご自愛ください。
しなの7号
前に他の方へのコメントにも書きましたが、これで鉄道に7カ月間乗っていません。いつになったら安心して鉄道を利用した旅ができるようになることやら。それにしても今年はいつまでも暑くて、出かける気がまったく失せています。
ヒデヨシ
とても面白いお顔の電車ですね
縦長の窓に合わせてデフロスタも縦に取り付けられています
いわゆる豚鼻改造の前照灯ですが
なんかタッパーに入れられた2個の何かに見えます
連結器の位置がとても低いですね
通常あの解放テコなら下作用なのに連結器が低くて上作用
編成もローカル色溢れてます
しなの7号
ゲージが変わっても、サイズが変わらないパーツ類によってアンバランス感が出てきますね。縦位置でデフロスタを使う発想はナローの小さい車体ならではです。
EF1623
しなの7号
ナローで遅くまで残った路線は西高東低で、西日本に多かったですね。
220形の佇まいにはケレン味がなく、模型にしたくなってしまうような電車だと思います。実車が残されていることは有難いです。
近鉄北勢線へ初めて行ったのは1980年でした。同じ年、日を改めて内部線にも出かけていますが、そのころの内部線はまだ朝顔カプラーで、終点では機回しが行われており、その連結解放作業を眺めていました。
私は田舎育ちでしたので、北恵那鉄道や名鉄瀬戸線といった非自動扉の私鉄電車が身近にありましたが、さすがにお出かけになられた1980年にもなると、北恵那鉄道は廃止され名鉄瀬戸線は自動化されていましたから、非自動扉の電車はたいへん珍しかったことでしょう。1985年にも内部線に乗りに行っていますが、そのときには、すでに新車に変わっていました。