【1392】 スチール棚の鉄道模型その後:2021年12月

スチール棚の模型展示スペースの現況です。
以前に、勝手に企画展と称して1つのテーマを持った顔ぶれにしていましたが、所有する模型車両の処分を進めた結果として、残ったのは主に自らが仕事で係わったり、乗客として乗った車両が中心になりました。しかし仕事でも乗客としても係わることがなかった車両でも、処分せずに残してあるものもあります。それらはそれなりに思うところがある車両たちということであり、いろんな理由で「乗ってみたかった車両たち」と言い換えると、当たらずも遠からずといったところでもあります。今回はそういった車両を中心に並べてみました。

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展示線の最上段にある列車から下に向かって順にコメントしていきますが、大多数が以前に「スチール棚の企画展」でアップしたことがある車両群ですので、前に書いたことと重複することが多くなると思いますがご容赦ください。

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1段め右:DD16が牽く特大貨物シキ800
 こういう列車は臨時なので予備勤務のときに乗務指定されるのですが、1年半の貨物列車乗務員(列車掛)時代には一度も乗務することがありませんでした。運搬物の条件によっては、大幹線東海道本線を時速45㎞で日中にそろそろと後続列車を待避しながら走ることもあるので、コキフ50000で飛ばしまくり揺れまくる高速貨物列車より勤務時間はしっかりあるし心身ともに楽な列車だったろうと思われます。

1段め左:パノラマエクスプレスアルプス
 ジョイフルトレインには専務車掌時代の予備勤務時に幾度か乗務したのですが、165系急行電車を改造してパノラマエクスプレスアルプスが誕生したのは国鉄最末期の1987年3月でしたから、私の乗務員時代とは重ならないに等しく乗る機会はありませんでした。パノラマタイプの運転室があるクモロ165は、名鉄7000系のJR版みたいだと思ったことですが、乗務員室の狭さは想像でき、乗務では1回乗れば2度と乗らなくていいと思ったかもしれません。

2段め右:クモヤ495系架線試験車
 専務車掌時代に乗務範囲内で検測のため見かけるようになった車両でした。特に中央西線内で交直両用電車の入線は珍しく思ったものです。当時は列車無線が完備していなかったので、こうした検測列車にも保安要員という意味合いで車掌が乗務しましたが、乗客もいないし時刻が来れば信号機を確認して出発合図のブザーを押すだけの、いい仕事でした。

2段め左:EF66が牽く10000系コンテナ貨物列車
 10000系高速貨車のうちレサ10000を連ねた列車の最後尾に連結されたレムフ10000には一度だけ見習乗務したことがありましたが、所属する車掌区ではワキ10000やコキ10000を連ねた列車の受け持ちはなく、その最後尾に連結されるコキフ10000には一度も乗務する機会がありませんでした。10000系貨車には応荷重式電磁自動ブレーキが採用されていた関係で、10000系のみで組成され時速100㎞で走行する貨物列車の最後尾には必ずコキフ10000かレムフ10000が連結されることになっており、その2形式とも車掌室ユニット側面(トイレ側はトイレ窓の右・反対側も線対称の位置)に電磁ブレーキの通電確認をするための車側表示灯が設けられていました。その表示灯は模型だとただの「点」のモールド表現に過ぎず、この画像でも判別できないほど小さなものです。

3段め:583系特急電車
 583系は修学旅行で一度乗ったことがあるのですが、自分の意志で乗ったわけでもないのでここに登場させました。普通車掌時代には乗務や通勤で神領電車区の横を通るときに、名古屋発着の「金星」編成が留置されているのが日常風景になっていました。その「金星」が廃止されたのは57.11ダイヤ改正で、私が専務車掌になったのが廃止の1年半後でしたので、見習乗務すらできませんでした。
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4段め:C62が牽く「つばめ」
5段め:EF58が牽く青大将「はと」
 いずれも戦後に鉄道省から国鉄に移行した後の東海道本線の看板列車です。名古屋機関区の赤ナンバーC62 18がツバメマークを輝かせて東海道を下って行ったころは、私はまだ生まれていません。私が生まれたころは東海道本線が全線電化されて青大将「つばめ」「はと」の時代だったはずですが、もちろん見た記憶などありませんから、乗ることも不可能だった列車です。それでも私が国鉄に就職した昭和50年代初めころの職場には、自分の両親より年上の大正生まれで鉄道省採用の人も普通に在籍しており、雑談の中で「あの人は進駐軍専用列車に乗っとったんだと」という会話があったことも記憶しています。そんな時代の列車運行に係わった方が同じ職場におられたのに、就職したての荷扱乗務員にとってはそういう大先輩は雲の上の人であって、おいそれと話をしていただく機会などありませんでした。今になって思うのは、身近なところに国鉄が最も隆盛な時代に乗務されていた方がおられたのなら、出しゃばりの変な若造と言われてもいいので話を聞いて記録しておくべきだったということです。
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6段め:EF60-500が牽く20系寝台客車
8段め:151系特急電車
 この2種類の列車は、どちらも私の幼児期に鉄道絵本には必ず登場する昭和30年代の国鉄の看板列車でしたが、田舎の子供としては見る機会さえない夢の世界の列車でした。151系電車は東海道新幹線が開業したことによって東海道から去っていき、私が国鉄に就職したときには乗務範囲内にその姿はありませんでした。
20系寝台客車は私が専務車掌になったあとも団体専用の臨時列車中心に運用され、東海道・中央西線で見かけたのですが、私には乗務する機会は訪れませんでした。幼児期の夢の列車もその時期になれば、自動ドアでもなく中途半端な自動ロック装置しかない旧型車両ということで、実際に乗務した先輩・同僚の評価は低く、華やかな時期を過ぎてロートルともなれば厄介者扱いされる人の一生と同じかと思えるわけですが、夢の列車であった昔日の面影を残した20系は乗っておきたかった車両でした。

7段め右:157系電車によるお召列車
7段め左:EF58 61牽引1号編成お召列車
 特別な列車だけに、そう簡単に乗務する機会などありえない列車ですが、荷扱乗務員時代に乗務中の荷物列車から2度、157系のお召列車を見たことがあります。1度目は東海道本線国府津あたりで行違い、2度目は原宿宮廷ホームに発車前で停車中でした。1号編成は幾度か写真撮影に行って見ています。せめて乗務する列車をEF58 61が牽引しないものかと思っていましたが、それはなく、それでもお召指定を外された後の旧お召予備機のEF58 60が乗務していた荷物列車を牽引したことはあり、長時間停車中に機関士にお願いして運転室に入らせてもらい、助士席に座らせてもらいました。
まだ車掌になる前でしたが、所属していた車掌区でお召列車を担当した事例があり、その記念に下賜された紙巻きタバコを見せてもらったことがあります。フィルターは付いておらず、巻紙に金色の菊のご紋章が印刷されていました。 
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9段め(最下段):EF65 112が牽くカートレイン名古屋
 カートレイン名古屋は国鉄最後の年末年始(1986~87)から運転開始されました。そのころ予備勤務であれば熱田~大阪間で乗務のチャンスがあったのですが、世の中思いどおりにいくわけもなく、その年末年始には東海道本線の快速と普通列車を中心に乗務していました。そのころ(国鉄時代)のカートレイン名古屋はEF65PFが牽引していた記憶ですし、この模型のように一般形EF65がユーロ色に塗り替えられたのはJR時代になってからとなります。ただしJR時代に入ってから、サービス電源を持っている展望車スロフ12-700が入った編成で運転されたシーズンは少なく、電源車代用としてスハフ12が入った編成が多かったと記憶します。
稲沢第二区のEF65 112、名古屋客貨車区マニ44、ユーロライナー客車とを個別に見れば、実は馴染みの車両ばかりで、6年半の車掌生活の中で乗務した列車で別々のシーンで付き合いがありました。つまりEF65 112は貨物列車の列車掛時代(当時はもちろん一般色)、マニ44は普通車掌時代(もちろん青塗装)、ユーロライナー客車は専務車掌時代に、それぞれ乗務した車両たちでありましたから、乗ったことがあると言えなくもありません。しかし、それらが新しい鉄道に脱皮するために生まれた新しい輸送形態の列車として、ユーロ塗装に統一して組成されたカートレインには、仕事でもプライベートでもいいので乗ってみたいと思っていました。

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最後に、このスチール棚の下の段にある小レイアウト部分のことですが、こちらは大きく変わったことはありません。新規に鉄道模型を買うことはめっきり減りましたが、今年は唯一TOMIXキハ35(一般色)の2両セットを増備しましたので入線試運転を行いました。やや無理をしながら最大のネックとなるR177ミニカーブレールはクリアできました。
◆TOMIXの国鉄形気動車製品は一部の特急形を除いてミニカーブレールに対応していません。真似をされてカーブをクリアできなかったり、車両や線路等に不具合が発生しても、当方は責任を負いません。
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試運転中の画像ですのでキハ35の2両編成としていますが、今後の営業運転では、このようなローカル線の乗客には不評なのは明らかですので、10系・20系などと混結運用になる予定です。



本年の新規記事は、これが最終となります。皆さま、良い新年をお迎えください。
新年のご挨拶記事をアップする予定にしておりますが、例年どおり年賀状やコメント欄を通しての新年のご挨拶はご遠慮させていただきますので、ご容赦くださいませ。

この記事へのコメント

  • オレンジ快速

    お元気そうとお見受けしました。
    乗るには快適で便利な315系もHC85系も地方のJRや三セクの
    車両も絵面的には浮いていてまた旅愁を感じることも少なくなって寂しい限りです。自分も年を取ったのかな。最近はインスタグラムで皆さんが投稿されている昔の列車や景色を楽しんでいます。
    2021年12月21日 20:45
  • しなの7号

    オレンジ快速様
    今年も変わりなく年を越せそうです。

    おっしゃることに同感です。新しい鉄道車両はすべての面で昭和の時代とは比較にならないほど進化して、いいことずくめですが、趣味的には無機質なイメージが先行することと、その技術についていけない自分がいますので、私の場合は親近感がわきにくいようです。復活SLが、環境問題に真逆な存在であっても一定の人気を維持し、産業遺産と位置付けられていることからも、趣味とか文化的活動というものは、そういう新しいモノへの価値観とは異次元のことであることは確かなようです。

    申し遅れましたが、先日は情報提供ありがとうございました。
    2021年12月22日 19:08
  • NAO

    しなの7号様、おはようございます。
    スチール棚保存編成はいつ拝見させていただいても壮観さに痺れます。

    私は東海道こだま型が新幹線に交代する数箇月前に産まれましたので、もちろん青大将も模型や写真で見るだけの世界です。青大将塗装は秘密裏に塗り替えられてデビューしたとの事でしたが、数年前まで旧客特急編成すべてを一斉にどうやって衣替えさせたのか不思議に思っていまして、調べてみると順繰りに塗り替えたのですね。もちろんそうでないと編成は足らないのですが、こげ茶と青大将の両特急がすれ違うような写真は見た記憶がありません。

    20系も583系も名車ですので、未乗線区踏破スケジュールに組み込んで国鉄時代に辛うじて乗れましたが、過去に何度も写真を見ているので、実車に対面しても何だか感動の度合いはそれほどでもなかったような.....。両形式ともくたびれた状態だったのかもしれませんが、それなら労いの言葉をかけることも出来たわけでありまして.....。

    一度、お召し列車の業務にたずさわれそうになったことがあったのですが、関係各所との打ち合わせの段階で警備その他の諸条件が合わず、残念ながら叶いませんでしたが、
    当日はホームお出迎え関係者の待機場所交通整理をすることになり、それでも仕事が終わってからの充実感はありました。

    来年も臨時スジの記事アップに期待しております。
    2021年12月24日 09:23
  • しなの7号

    NAO様 こんばんは。
    「つばめ」「はと」、そしてお召列車は、乗客も特別なら乗務員も特別。その運転・整備に関わった職員は誇りをもって業務に臨んだことでしょう。無理なこととわかっているものの、そういう列車に一度乗ってみたかったものです。
    自分の中で、絵本にあった列車は陳腐化することはなく、夢の列車であり続けています。それは前にもコメントいたしましたように、(乗客の立場として)北陸線で681系でなく485系が来た場合に貧乏くじを引いた気分になるのではなく、当たりくじだと思う個人的な嗜好と同種の感覚です。性能や居住性の優劣、くたびれ果てた内外装になった経年劣化には基づかない別次元のが輝きがそこにはあるように思えます。
    あと、これも前に書いたことですが、国鉄時代に乗れたはずなのに乗っていない列車があまりにも多いのは、国鉄在職中に仕事で列車に乗らされていたからプライベートの移動は自動車主体になってしまったことと、夜勤仕事をしていたために、わざわざ夜行で出かけたいと思わなかったことに尽きます。仕事上で20系客車と金星号に関われなかった口惜しさも含めて、これらの模型に想いを託しています。
    2021年12月24日 19:03
  • 昔鉄道ファン

    しなの7号様、日々、お疲れ様です。
    アパート住まいの自分にとって、スチール棚は憧れでございます。
    模型、飾りもしないのに買い集めて、家内の目が…
    「いいやん。他に道楽ないし。」
    と、家内にも言えず、それでもこそこそ買い集めてます。
    KA◯O京都店のSLの特製品、見つかったら怒られるな…お値段張るだけあって、美しい仕上がりです。

    自分にとっての鉄道は、小学生~高校生だった頃の国鉄なので、その頃のものばかり収集しています。
    JR車はごくごく僅かしかいません。

    定年を迎えた今、模型は卒業しよう…でも80系電車(300番以外)とEF61だけは欲しいな…と、思っていたら、

    やめられません!EF61!
    KATOさん勘弁です。
    自分にとってのEF61は、荷31レ、荷38レ、時々見掛けたク5000を連ねた貨物、です。

    また、編成メモ置いていきます。
    自分でHP立ち上げて、置いていけば良さそうですが、いかんせん気力がありません。
    しなの7号様には多大なご迷惑をおかけします。
    「またオマエか。」と笑い飛ばしていただければ幸いです。

    1977年11月2日の東海道線荷36レ、岐阜にて採取。
    EF5841(宮)+マニ302002(南トメ)+マニ37103(広セキ)+マニ36323(南トメ)+マニ60677(四コチ)+マニ60514(四カマ)+オユ1211(四カマ)+マニ60132(大キト)+ワサフ8014(門モシ)+オユ1235(門モシ)+マニ3652(大キト)
    運用番号は控えてありませんが、しなの7号様が度々乗務なさっておられた列車なので、ほぼお分かりいただけまるとは存じますが…
    機関車次位の2両が…
    マニ30、この時期のは古風な茶塗りのクルマですね。
    後日カメラを買って、この6年後にマニ30を見つけて撮りまくった時は、50系風車体のに変わっていました。
    2021年12月24日 23:39
  • しなの7号

    昔鉄道ファン様 こんばんは。
    ウチのスチール棚は元子供部屋にあります。家族の人数が減れば部屋が空いてモノも減る理屈ですが経験上そうとも言えず、この先使わないようなモノは我が家ではいくらでもありました。昔鉄道ファン様のお宅でも、そういうモノを「その気になって」手放すと、家庭用の小型スチールラックを置くスペースくらいなら出てくるかもしれませんよ。独断でやると怒られますので合意の上で。
    奥様にダウンサイジングの必要性を説きつつ、たとえば2人家族で十分なサイズの家具を新たに買って大きく古い家具と入れ替えるということで家の中をリフレッシュさせて、奥様にも満足感を味わってもらうことも必要かもしれません。今年、ウチではキッチンボード(食器棚)を小さいサイズのものに買い換えました。こうすることで、手狭なキッチンがリフレッシュするとともに広く使えるようになり、その代わりに収納できなくなった不要な食器は捨てることになり結果として不用品の処分に繋げることができました。

    東海道本線荷36列車の編成記録ありがとうございます。当時の荷36はいちばん思い出深い列車です。旧客タイプ日銀マニ30と、青マニ37が増結車ですね。荷36にマニ30が増結された例は記憶にはありますが、めったに見られるものではなかったので貴重な記録です。マニ30の始発地は皆目わかりませんが、マニ37は「11月という時期」と「連結位置が松山始発のマニ36323(南トメ=南東荷1)の前」ということから、南東荷1運用の救済運用で愛媛県地方のみかん輸送用増結車(借入車)と推定しました。臨南東荷1という運用番に記憶があります。

    モノを減らすとか言ってますが、実はウチでもK社EF61(青いほう)は予約済です。53.10前の荷31レ、53.10以後の荷38レに乗務していたので欠かせません。(A社のEF61を手放します。)
    2021年12月25日 19:15
  • 木田 英夫

    しなの7号様、こんばんわ。
    最近の記事の目次からこちらに入りました。今回はまさに「夢の共演(撮影会)」の雰囲気ですね。実物ではこれだけの車両が一堂に集うことはあり得ませんから。

    これらの車両を見ておりますと、約50年ほど前に西ノ宮〜芦屋間で電車を眺めていた頃を懐かしく思い出します。その当時のことをコメント致します。

    EF66、583系電車
    EF66のレサ編成、583系の「はと(orつばめ)」、そして急行「玄海」を見たら家に帰るお約束でした。カツミ模型店の1枚物のパンフレットの表紙にもなっていたEF66のコンテナ列車は、通過時間の関係でしょうか見ることはありませんでした。

    EF58
    EF58の引く客車列車、荷物列車は当たり前のように見ることができました。本文に書かれていますお召し予備機60号の引く荷物列車は何回か見た記憶があります。さすがに60号機の引く客車や、本務機61号機は見たことはありませんでした。
    その頃の「国鉄監修 交通公社の」業務用ではない市販の時刻表にも、旅客列車ではない荷物列車の時刻も載っていたように思います。(思い違いかも知れません)

    20系客車
    「あかつき」あさかぜと似たデザイン(色違い?)のトレインマーク。機関車はEF60或いは65の特急色500番。あの頃は機関車の前にキチンとトレインマークが付いていました。

    181系電車
    「うずしお」「しおじ」普通車に改装されたもののパーラーカーの大窓は健在で、太い窓周りの赤と共によく目立っていました。今から思えば、その頃先頭車の普通車に乗れたお客さんは、グリーン券無しでパーラーカーに乗れた、とてもラッキーなことだったのですね。

    これらの車両を見て改めて思うのですが、今日の特急電車は確かに乗り心地は良くなり、スピードも早くなっているのですが…

    今度、特急◯◯号に乗るんだ。とか、この間△△に行くのに特急◯◯号に乗ったんだよ。

    と言う、ワクワク感、期待といったものがもう少し欲しいような気がします。

    レサ編成がご縁でこちらのウェブログにお邪魔するようになりました。今年1年いろいろとありがとうございました。来年もどうぞ宜しくお願い致します。木田英夫
    2021年12月28日 17:59
  • しなの7号

    木田 英夫様 こんばんは。
    50年前にEF66・583系等々国鉄の看板列車を日常的にご覧になれたとは、自分の小中学生時代には信じられないことで、鉄の道に進まれたのは、そういう環境があったからだったのですね。私の住んでいた田舎では鉄道を趣味とする子供は当然少なかったものです。
    181系電車 「しおじ」の大窓のクロハ181を初めて見たのは中学生の時でした。
    【905】1972年夏・自由研究で出かけたときの画像より (東海道本線・名古屋・大阪間)
    https://shinano7gou.seesaa.net/article/201808article_4.html
    この記事にある大阪駅。そして帰路の急行比叡の車窓から見えた向日町の20系客車と「あかつき」「彗星」などヘッドマークを付けたEL群。これらは忘れることができない瞬間で、自分の生活空間とは異次元の世界でした。
    今の若い方々にもワクワク感が伝わってくる列車がおありだと思いますし、それは半世紀後に今の私と同じように忘れられない思い出となって心に残るのでしょう。それはわかっていても、あのころの時刻表を眺めれば、特徴ある列車のなんと多かったことか。その面白味は今の時刻表に見出すことが難しく、それこそが私どもの年代の鉄道全般に対するワクワク感だったと言えますでしょう。交通公社から発売されていた市販の時刻表にも荷物列車の時刻は出ていましたね。どれだけの人がその時刻を見ていたのでしょう。

    いつも細かいところまで目を通していただきありがとうございました。来年も拙ブログをよろしくお願いいたします。
    2021年12月28日 20:16

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