【1394】 側線との‘ゆかり’(第1話)

はじめに・・・
 これから今月末までの土休日を除いた毎日、鉄道乗務員を主人公とした物語を連載します。中部地方にあった架空の国鉄ローカル線が国鉄分割民営化直前に第三セクター鉄道に移行したという設定のもとで、国鉄時代に車掌をしていた主人公が、のちに運転士になります。彼は第三セクター鉄道で国鉄時代に製造されたキハ40という車両を使ったツアー列車を運転し、中間駅の側線でツアー客を待つ間の運転室内で、国鉄時代からここまでのできごとを回想している場面を中心にして、一人の鉄道マンの半生を描写していきます。物語の内容、登場人物をはじめ、線名、駅名などは架空のものでありますが、当時の国鉄職員の生活や時代背景はできるだけ再現したつもりです。地方のローカル鉄道が次々と廃止されていったその時期は、地酒の中小酒蔵も数を減らしていた時期と重なりました。そうした昭和末期あたりの日本酒事情とも対比させながら進めていきます。

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 陶都縦貫鉄道はJR多示見駅から分岐して志野原駅を終点とする営業キロ20㎞ほどの第三セクター鉄道である。元をたどれば多明線と呼ばれる国鉄の赤字ローカル線で、岐冨県東部に所在する中心都市「多示見(たじみ)」と国鉄明池線の終点「明池(あけち)」を結ぶ計画が頓挫し、途中の志野原駅までで建設が打ち切られてしまったいわゆる盲腸線である。国鉄時代には旅客輸送だけでなく貨物輸送も行われていたが、当時から道路交通の発達によって客貨ともに輸送量の減少が著しく、1981年(昭和56年)にバス輸送が適当であるとして廃止対象線区に指定されていた。その後、レールを残すために岐冨県が中心となって沿線の市町と地元企業が出資した第三セクター陶都縦貫鉄道株式会社が設立され、1987年(昭和62年)、国鉄が分割民営化されたわずか1か月前に国鉄から業務を引き継いだ。

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 平成31年3月のある日曜日、この鉄道にツアー列車「キハ40で行く車両基地&酒蔵見学列車」が運転された。
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その列車は、陶都縦貫鉄道に1両だけ在籍している国鉄形ディーゼルカーであるキハ40に多示見駅から乗車して終点志野原駅にある陶都縦貫鉄道の車両基地を見学したあと、帰路の列車では途中にある美濃織部駅のすぐそばにある酒蔵の見学をするツアーで、この列車を運転している坂下俊平運転士自身が企画した。坂下は高校を卒業後、すぐに当時の国鉄に就職し、駅員を約2年務めたあと1979年(昭和54年)に車掌になってからこの線区に乗務するようになった。それからちょうど40年後に、こんどは運転士としてツアー列車の運転をしているわけだ。
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この日のツアーは前半の志野原にある車両基地見学が終わり、坂下俊平が運転するキハ40ツアー列車は志野原駅から折返し、酒蔵見学をする美濃織部駅に到着しようとしていた。美濃織部駅では、国鉄多明線時代に貨物の取扱いをしていたので、旅客ホームとは別に貨物ホーム用の側線が1本あった。
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ふつうなら貨物の取扱いが廃止された時点で側線はすぐに取り外されてしまうものだが、ここでは保線資材の積込や保守用車を留置するために、今日までそのまま利用されていた。このツアー列車では、この側線にツアー客を列車に乗せたまま入り、貨物ホームでツアー客に乗降してもらうことになっていた。それによって目の前にある酒蔵へ直行できるという利便性と、ツアー客が酒蔵見学をしている一時間ほどの間に追いついてくる定期列車をやり過ごすための待避線として利用するという運行上の必要性を兼ねていた。ふだんは列車の運転には使うことがないこの側線の存在こそが酒蔵見学をツアーに組み入れるカギになったとわけであるが、それも坂下俊平の発案であった。

 坂下運転士が運転している上りのツアー列車が美濃織部駅の旅客ホームで停車した。ここで、今日の添乗員兼車掌役の加藤正一が車内放送をする。この鉄道では定期列車はワンマン運転なので、加藤正一の本職は運転士であった。
「列車は美濃織部に到着しました。ここで、駅のそばにあります清酒『千寿の泉』の酒蔵見学と製品の試飲をしていただきます。これから列車は本線から分かれた側線に入ってまいります。側線には、今から38年前まで酒蔵から酒を貨物列車で積みだしていた貨物ホームが今でも残っており、今日皆さんにはその貨物ホームからお降りいただきます。今まで旅客列車がこの線に入ったことはありません。皆様方はその貨物ホームからお降りいただく初めてのお客様ということになります。」
そう言うと、加藤正一は手旗を持って乗務員室から旅客ホーム上に降りて、この日だけ特別に信号・転徹器を扱うために派遣された駅員との間で入換打合せのあと、手旗で列車を誘導した。その手旗による合図に従って坂下運転士は側線に最徐行で入っていった。貨物ホーム上には、ツアー客を迎える酒蔵の専務取締役の女性の姿があった。坂下はその姿を見つけると、短く警笛を「ファン♪」と鳴らした。専務は満面の笑顔で列車に向ってお辞儀をした。列車が貨物ホームに停止し、列車のドアが開かれるとツアー客がぞろぞろと貨物ホームに降りた。全員降りたところで、酒蔵の女性専務は
「今日は『株式会社千寿の泉』へようこそおいでくださいました。短い時間ではございますが、酒造りの現場をご覧いただいて、日本酒へのご理解を深めていただけたら幸いでございます。こちらでは明治時代から手作りでお酒を造っていまして、皆様には、のちほど試飲もしていただくことにしております。それではこれから・・・」
と、説明を始めた。坂下はそれを乗務員室の窓越しに聞きながら、まずはこのツアーが予定どおりに集客でき、成功しそうなところまで来られたことに安堵していた。
 ツアー客が酒蔵の建物のほうに誘導されていってしまうと、貨物ホームにはキハ40のアイドリング音がひびくだけで静かになった。
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ツアー客が見学をしている間、坂下は車両を監視していなければならないので列車から離れることはできない。車掌役の加藤正一はツアー客を誘導して酒蔵に行ってしまったので、空っぽになった車内で一人、坂下は国鉄多明線時代にこの側線に初めて入った日のことから、このツアー列車の運転が決まるまでの約40年間にあったできごとを思い返していた。

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次回に続きます。土休日を除き毎日連載していく予定です。
都合により、この物語には最終回にのみコメント欄を設けます。ご感想等は最終回のページからご投稿願います。その際も、いただいたコメントに対して管理人から個別にレスコメントは投稿致しませんが、後日まとめ記事のようなものを作成するかもしれませんので、その記事中でいただいたコメントに対する返答なども反映させられればと考えております。

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