手持ちのNゲージ模型を少しずつ処分しまして、手元に残ったのは国鉄の1970〜1980年代に中京圏で見たり乗ったりした車両が中心になりました。それは自分の中高生時代から国鉄在職時代ということになりますから当然と言えば当然で、いちばん鉄道に深く関係した時期に一致します。
それは国鉄の地位が凋落して消滅するまでの時期にも重なります。国鉄在来線は昭和50年代に入ると様変わりし始めていました。1975年(昭和50年)には山陽新幹線が博多まで開業し、翌1976年には蒸気機関車が動態保存機を除いて全廃されました。昭和50年のスト権ストでは組合側が敗北し、鉄道離れが進んでいたことが露呈する結果になりました。昭和51年には高率な運賃値上げが実施され、国鉄離れの加速と累積赤字の増加に拍車をかけ、国鉄に対する国民からの風当たりは厳しいものとなっていきつつありました。
そういう時代背景のもとで国鉄に就職した私は、昭和55年までは旅客列車の車掌への途上にあり、荷物列車の車内作業員を経て列車掛として貨物列車に乗務していました。今回はそういう時代に乗務していた列車や、通勤や撮影などで身近に乗ったり撮ったりした旅客車両をスチール棚にならべてみました。手持ち車両が限られているので再現内容は多少怪しく、無理がありますのでご容赦願います。
全体像はこのようになっていて、いつものように中京地区の列車が中心になっています。以下、棚の右側・中央・左側の順です。
最上段から順に
DD51が牽く50000系貨車
58系気動車急行編成・EF66が牽くレサ10000系貨車
EH10が牽く一般貨物列車
EF61が牽く荷物専用列車
EF58が牽く荷物専用列車
EF64が牽く旧客編成急行「きそ」
159系電車混色編成・165系(一部153系)電車混色編成
20系気動車混色編成・111系電車・80系電車
クモハ52スカ色旧国編成・70系電車
クハユニ56+クモハ54スカ色旧国
という陣容です。長くなりますので、貨物列車、旅客列車(荷物列車中心)、電車気動車、の3回に分けて語ります。
今回は貨物列車3編成について、展示編成内容について書いておきます。
《DD51が牽く50000系貨車》
速度種別高速貨Bの高速貨車50000系で編成された貨物列車です。一般には牽引機はEF65かEF66がふさわしいのですが、今回の展示ではDLの出番がなくなってしまうので、DD51に牽かせることにしました。こういう高速貨車50000系編成を牽くDD51列車は、私が貨物列車に乗務していた55.10ダイヤ改正時にありました。
それが名古屋貨物ターミナル発福岡貨物ターミナル行1091列車で、名古屋貨物ターミナル〜稲沢間をDD51が牽引していました。
この55・10ダイヤ改正では名古屋貨物ターミナル駅が開業し、従来笹島駅で取り扱っていたコンテナ業務が移管されています。当時のコンテナは黄緑色に白帯のC20と青帯のC21が主流の時代でした。模型では12ftのC95保冷コンテナや20ftコンテナも積載しましたが、そういうコンテナがこの1091列車に積載されていたかどうかについては怪しいです。
1091列車は両端をコキフ50000で固めて名古屋貨物ターミナルを20時前に発車した後、前部に笹島発のワキ50000を増結していました。笹島では一般車扱貨物の取扱がまだ継続されていたことになります。ワキ50000はワキ10000の改造車でした。10000系を使用した高速貨A(時速100㎞)は減り50000系を使用した高速貨B(時速95km)が増加していたことによる改造だったと思われます。1091列車の牽引機DD51は稲沢からEF66に交代し、途中の岐阜でもコキ50000を中間に増結して、乗務は吹田まで。その先は他区乗務員に託して、列車が終点の福岡貨物ターミナルに着くのは翌日の昼頃でした。
《EF66が牽くレサ10000系貨車》
速度種別高速貨Aの高速貨車10000系で編成された貨物列車で、EF66が牽引していました。展示した後になって、せめてものヒネリとしてレムフを逆向きに連結しなおしました。どうも単調さが目立つ編成より、異端車が混入するなど個性がある編成が個人的に好みですが、このレサ10000の編成は過去に何度かスチール棚に登場させました。単調な編成をこの展示に加えた理由は、10000系のブレーキ装置が特殊で複雑で、列車掛の養成期間中に学習した思い出深い列車であったからということになりますが、実際の乗務では見習期間のたった一度乗務する機会があっただけでした。
《EH10が牽く一般貨物列車》
どこにでも走っていた多彩な貨車を連結した貨物列車です。模型はEH10が牽引しているので、いちおう東海道・山陽本線の列車という設定でありますが、特定列車の編成内容を再現したわけではありません。EH10は、ちょうどこの時期、私が貨物列車に乗務し始めたころから続々と廃車されていった機関車です。自分が乗務する貨物列車を牽いてもらったこともありましたが、長い貨物列車の最後尾に乗務していた者としては間近に見えるわけではなく、解結通知書を機関士に交付するときくらいしか至近距離で機関車に接することはありませんでした。それでも非公式ながら後部運転室に便乗させてもらったことが一度ありました。深夜だったので真っ暗で、室内灯のスイッチの位置さえ知りませんでしたから室内の観察もできず、非常に広い運転室だったという印象だけしか残っていません。
模型は、この時期にどこでも見かけた一般的な形式の貨車で組成しました。
右 タキ25000:灰色で長い車長のLPガス専用車。
左 タキ3000:当時は一般的だったガソリン専用車。この模型は日本石油所有車でCALTEXマークが入っています。GSでもよく見かけた懐かしいマークです。当時の日石ガソリンスタンドでもよく見られたマークです。
ワキ5000:右が前期車、左が後期車。屋根と台車が違っています。
右からタキ3000・タキ35000・タキ9900
この3両はいずれも一般的なガソリン専用タンク車で、模型では日本石油輸送所有車を並べてあります。右のオーソドックスな円筒形タンク体がフレームに乗っかったタキ3000と左の異径胴中央部フレームレスのタキ9900両者の後継形式とも言えるのが中央のタキ35000ということになりましょうか。タンク車を多く扱った某駅の構内係をしてきた方に言わせると、タキ9900は独特の形状から「腹ボテタンク」と呼ばれていたそうな。
右から順にテム300・トラ55000・ワム80000・ワム70000
貨車の代表とでも言えそうなワムワラの類はこの時期に世代交代が進んでいました。片引戸のワム90000はほとんど姿を消していましたが、まだパレット荷役用のワム80000に完全移行はしておらず、黒い車体に両引戸のワム60000・70000やワラ1は第一線で大いに活躍していました。そして「名」の異形文字が目立つ美濃赤坂駅常備片引戸の鉄製有蓋車テム300やテラ1も中部地方ではよく見かけました。
トキ25000:右が後期車、左が前期車。
まったく別形式のように妻板、アオリ戸の仕様が異なっていました。黒いトキ15000は淘汰が進んでいたようで、2軸車無蓋車はトラ45000・55000・70000にほぼ統一されていました。
車掌車はこの時期にヨ8000が大量に製造され、ワフ21000・22000・ヨ2000といった旧形緩急車が、この期間内に続々と廃車されていきました。
今回はここまでで、次回はこの展示の中央付近にある3本の客車列車(うち2本は荷物専用列車)についてお話します。
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