【1447】 北恵那鉄道39: 「廃線跡地のその後」(前篇)

以前、北恵那鉄道廃線跡についてのシリーズ記事を連載しましたが、それから10年以上経ち、その間に鉄道があった痕跡が消え去ってしまった場所があると思えば、そのまま人の手が入ることなく自然に還りつつある場所もあります。鉄道の痕跡が次々と失われていくことは、往時を知る者にはさみしい思いがいたしますが、時の流れとはそういうものなのでしかたがありません。

今回は、そのシリーズ記事掲載以後に様相が変わった駅跡などを、2回に分けて数か所ピックアップしてご紹介します。文中「現況」としたのはこの2年程度のことで2020~2022年の様子を意味します。現況画像を過去の様子と比較するために、以前の記事に使用した過去の画像も使いまわしますのでご了解ください。

◆田瀬駅ホーム跡
2020年3月の様子です。
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近年になってホーム上に家屋が建てられました。

下はその10年前、2010年12月の様子。(再掲)
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家屋はまだありませんでした。

現況は家屋が建てられたものの地形の変状はなく、ホームは原形をとどめ、整備もされているので、十分に現役時代の面影が残されています。こうして地面に手を加えない状態で利用されていくことが、結果として長く遺構が残ることになるのかもしれません。

◆栗本駅ホーム跡
2022年6月の様子
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石積みの擁壁の上は、かつて付知川に泳ぎにきた多くの人々が乗り降りしたホーム跡です。知っていなければホーム跡とは思えないほど灌木や草に覆われていました。地形自体は変わっていないようですから、整備すればホーム跡は姿を見せてくれるでしょうし、線路跡は道路として使用されているようなので、それほど草も生えてなく、アプローチは容易でした。

2010年12月の様子
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このころは草が刈られホーム跡とはっきりわかる状態でした。

◆関戸駅跡
2020年3月の様子。
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右側は国道257号線で、下付知側から中津町方面を撮影しています。この国道に並行して線路が敷かれていました。軌道敷は2mほどの盛土上にありましたが、今はご覧のように国道と同じ高さまで盛土が削られています。車道左側は異常に広い歩道になっており、その歩道の中央より少し右側の草が生えている位置に排水溝が見えますが、その排水溝を境界として左側が鉄道用地になっていました。廃線跡左側は未舗装の道路になっており、現況の利用状態は、まだ中途半端な印象を受けます。

2010年12月の様子(再掲)
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このころは廃土が盛られて荒れ放題でした。このあと路盤を国道と同じレベルまで削り取られたということです。

上の2枚とほぼ同じ位置の鉄道現役当時の様子(再掲)1976年4月
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線路は、右側の国道257号線より少し高い位置にあり、法面には桜の木があったこともわかります。


▼後篇に続きます。

▼2011年に連載していた北恵那鉄道廃線跡のシリーズ記事をご覧いただくには、
【1418】ブログ内シリーズ記事リンク集(鉄道・鉄道旅編)
のなかの「◆北恵那鉄道シリーズ記事◆」記事別リンクから入られると便利です。

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