【1449】 1972年に日本の鉄道は「100周年」を迎えました

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これは国鉄名古屋鉄道管理局が主に部内の業務用として発行していたポケット時刻表の1972年10月2日ダイヤ改正版の表紙です。「鉄道100年」のロゴマークが入っており、その年が日本の鉄道開業100周年でした。

この年3月には山陽新幹線が岡山まで開業しました。
「ひだ」は高山本線経由で名古屋と金沢を結ぶ気動車特急でしたが、1日1往復しかありませんでした。
C62がまだ北海道でわずかに現役だったことは裏表紙の説明でわかります。
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鉄道100周年はSLブームと重なっていました。この入場券は5枚セットの中の1枚で、時刻表と同じ「鉄道100年」のロゴマークが入っています。
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木曽路D51号は快速「木曽路」(名古屋~木曽福島)とは別に、この年の秋に松本~南木曽間に運転された国鉄長野鉄道管理局仕立ての臨時列車で、ヘッドマークからも鉄道100周年を意識していたのでしょう。(再掲画像)
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以前に「【828】撮り鉄12か月…1972年10月「鉄道100年 神領電車区」」で神領電車区(現在の神領車両区)で、車両の展示イベントがあったことや、国鉄が職員に配った記念品のことを書いていますので、よろしければご覧ください。
その神領では新車の485系200番台が展示されましたが、485系はすでに過去の車両となって久しく、車両の一生を超える50年という年月の長さと重みを思い知らされます。

日本全国でこうした鉄道関係イベントや記念事業が繰り広げられ、市中には鉄道100年記念グッズが出回っていました。
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これらは国鉄職員だった父が買ってきたもので、今はもう手元にはありません。それにしても形式不明のフシギなSLだことで…

現在京都鉄道博物館の一部となっている旧梅小路蒸気機関車館が開設されたのもこの年で、鉄道100年記念事業の一つでした。
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その年、私は梅小路蒸気機関車館へさっそく出かけていましたし、地元中央西線のD51を撮り、神領電車区のイベントにも出かけ、雑誌や新聞に載った記念品の広告を眺めたり、鉄道に対してワクワク感を持っていました。今から思えば無垢な鉄道少年だったと思います。

新橋駅前のC11 292も、鉄道100年記念として保存されたものでした。
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画像は、私が50代になってから撮影したものです。無垢な鉄道少年もそのころになればジジイに向かって劣化していきましたし、鉄道もまた、社会的な使命の変化があり、姿かたちも変わっていきました。

新橋のC11 292のほかにも、後年になって旅先で撮影した鉄道100年の記念碑的なものに出会うことがありました。

東京駅動輪の広場
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動輪の広場がある総武線ホームがある地下部分は1972年に完成したことが、壁面に埋め込まれたプレートからわかります。
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2015年に九州へ行ったとき、吉松駅前広場の片隅にSLの動輪と「鐵道院」の鋳出し文字が見える跨線橋?の柱が保存されているのが目に止まりました。
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その動輪のすぐ後ろ、草に隠れるように「國鉄創業100年記念」と刻まれた石碑がありました。
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吉松へ行った翌日、門司港駅で見た0哩標の碑
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蒸機の動輪は鉄道のシンボルとして、記念碑的に保存されることが多いですが、この時代には廃車になるSLが続出していましたので、調達しやすかったのかもしれません。
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これも鉄道開業100周年を記念して建立したとありました。(赤線は管理人が画像に書き込み加工したものです。)

こうして鉄道開業100周年をワクワク感で迎えた無垢な鉄道少年が、大人になって、こうした記念碑的なものや記念品を見たとき、鉄道の長い歴史を称えるものとしての視点とは別に、保存後・建立後の時の流れ、鉄道の置かれた立場の変化なども感じてしまうことになります。
今年が日本で鉄道が開業して150周年であることを私が知ったのは1月で、知ったきっかけも意外なところにありました。それは「【1416】今年もやってきた国鉄の命日」で書いています。長いこと鉄道に接してきた者なら、そんな知り方でなく、もっと早くから150周年を意識して、今年はどんなイベントがあるのだろうとかワクワク感を持って2022年を迎えそうなものですが、そういう感覚はまったくなく、私の中にいた鉄道少年はもういないようです。決して鉄道がキライになったわけではありません。今の私は距離を置いて鉄道を眺めています。記念品を買うつもりもなく、イベントに出かける気も起きませんが、付き合い方が50年の間に変わってきただけのことです。私はこの先も永遠に日本の鉄道が続いてほしいと願っている人たちのなかの一人です。まもなく巡り来る10月14日の150歳のお誕生日は、よけいなことは考えずに、長く付き合ってきた友として、これまでの功績をたたえ、心から祝ってあげたいと思っています。

この記事へのコメント

  • 木田 英夫

    しなの7号様、こんばんは。先週の人気記事の目次からこちらに入りました。

    鉄道100年の昭和47年の時は中学1年生でした。岡山開業などいろいろなことで盛り上がったことはよく覚えております。また、テレビドラマで「大いなる旅路」が記念として放送されていました。夜遅い時間でしたが、親に無理言って見せてもらっていました。

    それから50年、いい歳をして今でも電車に乗れば「前かぶ」(もちろん(株)◯◯◯◯のことではありません)をしたり、回送列車をしげしげと眺めて見送ったり等々、鉄道少年でいるつもりです。しかしながら、100年の時のようなワクワク感は確かに余り感じられません。単に年をとって物事に感動しなくなってしまったのか、それだけではないのか、自分でもよくわからないでおります。

    先日大阪駅で、駅の売店6社共同の鉄道150年の記念ポスターで、1号機関車から新幹線までの揃い踏みの絵のポスターが貼り出されていました。最初は「おー!」と思ったのですが、よく見ると全て鉄道100年までにデビューした列車でした。このまま100年のポスターにも使えそうです。
    なぜ今回余りワクワクしないのか、こんなところにもヒントが隠されているようです。

    せっかくの150年なのに、とりとめのないコメントで申し訳ありません。木田英夫

    追伸。関連する記事にEF58の写真で出ています1450号「150周年を迎えました」は関係者以外非公開でしょうか。クリックすると、お探しのページは見つかりませんでした。のエラーが出ました。
    2022年10月13日 18:06
  • しなの7号

    木田 英夫様 こんばんは。
    テレビドラマの「大いなる旅路」、私はドラマの内容や印象が薄く、たぶん2~3回見ただけで、親の許可が下りなかったような記憶があります。それは遅い時間帯の放映であったこと以外に、高校受験の年だったことが大いなる理由だったような。。。撮り鉄してましたから、いつ勉強するのかと言われると何とも・・・

    件のポスターは、おっしゃるように鉄道100年までにデビューした列車で構成されていますね。本家JRグループのキャンペーンポスターはJR各社の看板列車のデザインですので、売店の方は意図的に国鉄車でまとめたのでしょうか? JR他社との調整も必要ないなどという事情があったのでしょうか? 個人的にはこの国鉄車のほうに目が向きますが、それも齢のせいに違いありません。

    「【1450】2022年に日本の鉄道は150周年を迎えました」の記事は、公開した後に確認すべきことに気が付きましたので、いったん非公開にしましたが、10月14日の鉄道の日から当初の内容を変更・加筆した上で公開予定としています。
    2022年10月13日 19:56
  • 門鉄局

    しなの7号様のお気持ちよくわかります。
    けっして鉄道が嫌いになったわけではなく少なくとも現役鉄道員である私にはワクワクした気持ちで迎えたかったのですがそういう気持ちになれません、私の中の鉄道少年はもういません。

    分割民営化とさらに続く新幹線開業の陰で鉄道網はずたずたにされました、これからローカル線の廃止も加速していくと思います。
    多様な働き方など物は言いよう、若者が明るい未来を見いだせるのでしょうか?私の会社でも駅係員は大半が先の
    保証のない契約社員です。

    のちに大勲位になった総理が進めた国鉄解体が安易なリストラにつながり日本の国力を低下させた最大の原因だと私は思ってます。
    その後に続いた郵政民営化、誰がうまい汁を吸ったのでしょうね。
    あんな上っ面だけの政治家を大半の国民が支持していたなんて信じられないとともにこの国があの絶望的戦争に突入したのがわかる気がします。
    2022年10月17日 20:27
  • しなの7号

    門鉄局様
    日本の鉄道150周年はたいへん厳しい状況の中で迎えたと思います。35年前の改革によって、なるべくしてこうなったとの思いはありますので、今さら驚いたりはしません。しかし私の中の鉄道少年の目を覚まさせてくれる鉄道ではなくなっていきつつあることは確かなようです。それは鉄道に対してのみならず、この国そのものまでもが、乗客である国民が知らないうちに、真っ直ぐに敷かれた軌道からわざと短絡線に分岐して無閉そく運転で恐る恐る走る列車のように思えます。それはあらぬ方向に「我田引鉄」する政治家たちの罠ではないか?そんな疑いがよぎります。

    でも、鉄道の未来は明るいものであってほしいと願っている私は、150年続いた鉄道に感謝するとともに、祝福してあげたいです。
    そして次世代を担う鉄道とフレッシュな鉄道マンに幸あれ!
    2022年10月17日 20:54

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