【1450】 2022年に日本の鉄道は「150周年」を迎えました
150年という長きにわたりご活躍され、今日のこの日をお迎えになったことに、謹んでお祝いの詞を申し上げます。
思えば物心も付かない幼少時から、いつも貴方は私の友であり、人生に潤いを与えてくださいましたことに感謝します。この先、ますますの発展をお祈りしております。
旧新橋駅(復元駅舎)
旧新橋駅0哩標識(国鉄汐留時代)
1号機関車(明治100年記念入場券)以上、日本の鉄道開業時に因む画像でした。日本の鉄道はここから始まりました。
1号機関車はのちに150形という形式を与えられました。150周年にふさわしい形式でもありますので、交通博物館で展示保存されていたころの画像を。
交通博物館が閉館した後は大宮鉄道博物館に移設され今日に至ります。
「150」に因む機関車として、国鉄からJR西日本に引き継がれた電気機関車EF58の150号機の画像を。
38年前「サロンカーなにわ」に乗務したときに、この150号機が牽引していました。現在は現役を引退し、京都鉄道博物館で展示保存されています。(画像の左)
日本の鉄道150周年を迎えた今の、地元中央西線と周辺の様子を確認しておきます。
今年春から新形電車315系がデビューしました。
2022年10月13日の中央西線美乃坂本駅その近くではリニア中央新幹線の建設が進んでいます。
岐阜県駅が建設されると、このあたりはまったく違った街に変貌していくのでしょう。
<2022年10月15日斜字部分追記・画像2枚追加>
そして2022年10月15日の中央西線の車両基地、神領車両区です。
ここで211系の姿を見るのもあとわずかになりました。その神領車両区の名古屋方では地下で中央西線と交差するリニア中央新幹線の非常口の工事が進行中です
やがて生まれ来る新しい鉄道の胎動も感じられ、この記念すべき年を迎えている今も日本の鉄道が発展するうえでの通過点にあることに気付きます。鉄道の未来に幸あれと願います。
日本の鉄道に愛をこめて・・・
HAPPY HAPPY GREETINGより
(作詞:松本隆 作曲:山下達郎)
OH! HAPPY HAPPY GREETING
おめでとう おめでとう
BIRTHDAY! ロウソク消そうよ
君と生きていると 毎日 夢が生まれる いつだって
Forever Friendsより
(作詞作曲:竹内まりや)
張り合う気持ちもちょっぴりは大切にしたいねと
ウインクでさよならしたあと 別々の道を歩く
だって彼よりずっと古いつき合いなの
そんな仲間 永遠の友達 いつまでも友達
◇(SeesaaブログではJASRAC管理楽曲の歌詞掲載が可能とされています。)
この記事へのコメント
木田 英夫
昨日教えて頂いた1450号、早速見せていただきました。
リニア新幹線、着々と工事も進み、実現の日もそう遠くないようですね。
昨日コメントを書きながら、TMS別冊の「陸蒸気からひかりまで」という本のことを思い出しました。そして気の早い話ですが、これから50年経った頃には、
「ひかりからリニア超特急までー陸蒸気からひかりまで、その後の100年」
といった本が出ないかな〜、と考えておりました。もちろん、著者は他の人にバトンタッチしてのことですが。
リニアモーターカーといえば、確か鉄道100年の年に、ミズスマシか宇宙船のような形の試験車が、鉄道技研の構内を走っていた…。というイメージなのですが、現実のものとなる日がすぐそこまで来ている。
今回も改めて、時の過ぎるのが早くなったと感じております。木田英夫
鉄道好きな高校生
学生として、最も懸案事項なのは定期テストなのですが、とても幸いなことに鉄道の日は中間テストの最終日で、学校から帰るときにそのまま新橋に行くことができました。
新橋の駅前のイベントはなかなかの人で賑わってました。
これからの50年、あるいは100年、鉄道はどのように変化し、またどのような存在になるのでしょうね。
都市開発の勉強をしている友人は
都市間輸送の新幹線(リニア)網と都市内輸送のLRT(路面電車)になる、と言っていました。
ローカル線の鈍行でゆっくり旅行するというのは、だんだんできなくなっていくのかもしれませんね。
しなの7号
150年目の身近な場所で現況把握をしたうえで鉄道の日に再投稿しました。不手際がございまして申し訳ありませんでした。
「陸蒸気からひかりまで」は私も持っていましたが、実家の処分をしたとき廃棄してしまいました。在来線中心で新幹線0系までの内容でしたが、50年先だと新幹線中心で、リニアまで含んだ内容になるんでしょうね。
蒸機から電車、新幹線からリニアへ鉄道は世代交代していくわけですが、新しい鉄道はもちろん、在来の鉄道も併せ発展してほしいと思いながら、ただただ見守るばかりです。
しなの7号
私は、高校3年生1学期の中間テスト期間中に某鉄道廃止の日が重なり、午前中にテストが終わるのをこれ幸いと、下校途中に学校最寄り駅で三脚片手に家とは反対方面の列車に乗ろうとしていたところを担任に見つかるという失態をやらかしました。
50年先を自分は見ることができませんが、日本の鉄道が社会に貢献できる交通機関であってほしいことはもちろん、ローカル線の鈍行でゆっくりした旅に対する価値観がもっと国民に浸透して、瀕死状態のローカル鉄道の存在感が高まっていてほしいと願っています。
木田 英夫
割り込みで申し訳ありません。
「都市間輸送のリニア新幹線網と都市内輸送のLRTになる」との予想、これを読んで新幹線の貨物列車が実現するのではないかと思い、割り込みでコメントさせて頂きます。
以前にこのウェブログの本文記事かコメントで、JR北海道とJR貨物が新幹線による貨物輸送に向けた協議を開始といった記述を読んだ覚えがあります。間違いであれば申し訳ありません。
そして、都市間輸送はリニア新幹線、4時間の壁を超えるのであれば航空機に移るのであれば、その空いた時間帯を利用して貨物列車を走らせることも可能ではないか。と思った次第です。
新幹線の貨物列車の予想図は、保育社CBシリーズの「日本の鉄道」に、日光型準急電車とよく似たデザインで描かれていました。
在来線では、これを角張った形にしたスーパーレイルカーゴがデビュー、東海道の最速列車としても活躍しています。
新幹線ではどのような形になるのでしょう。見果てぬ夢で終わるかも知れませんが…。
朝から無理な(無茶な?)話で申し訳ありませんでした。木田英夫
追伸、鉄道好きな高校生様へ。日光型準急電車というブランドネームは今の若い方にも通用いたしますか?
門鉄局
鉄道150周年、先人のご苦労があり尊い経験から現在の日本の鉄道がある、その一員としてこの日を迎えられたことに喜びを感じています。
私事ですが長男が奇しくも誕生日で20才になりました。
某鉄道の駅員をしています。
鉄道好きが高じて鉄道に入り生まれた子供が鉄道の日生まれでまた鉄道社員になる、不思議な縁を感じます。
しなの7号
すでに北海道から九州まで新幹線で結ばれた今、新幹線を貨物輸送用として使用するための物理的な素地は整ってきたものと考えます。速達化以外にも地球環境問題をクリアする意味でも、日本の物流を積極的に新幹線を含む鉄道貨物にシフトさせることは意味のあることだと思います。ただ、日本の鉄道が現在のような形態で経営分割されていることが、スムーズな実現にマイナス要因として作用しないか、それ以前に施設を保有する一部の旅客会社に50年先まで持ちこたえる体力があるのかどうかと、いらぬ心配?をしながら、明るい鉄道の未来が開ければと見守るばかりの私です。
「日光型準急電車とよく似たデザイン」の新幹線貨物列車予想図ですが、「鉄道ピクトリアル アーカイブスセレクション24 貨物輸送」によると、国鉄は1965年(新幹線開業翌年)に新幹線貨物輸送計画を早々と断念しており、貨物輸送計画は「世界銀行から借款を受けるための便法」とする説が強いが、当時は旅客専用の高速鉄道という概念が存在しなかったので致し方ない部分もある,ということだそうです。つまり本気じゃなかった?
しなの7号
親子で鉄道を支える立場で150周年を迎えられたとは感慨一入ですね。しかもこの日が長男様のお誕生日とのこと。
おめでとうございます!!
私自身が成人したころ、父は親でありながら鉄道の先輩でもありました。日常の話の中に鉄道の内輪話などはいつも出てきました。今は父はおりませんし、私もそのころの父よりはるかに年老いてしまいましたが、そのころを懐かしく思い出します。
門鉄局
ホームに立つ息子に敬礼、彼の合図で列車を動かす私。
不思議な気持ちです。
しなの7号様もお父様が鉄道の先輩でしたが、親子で共通の話題ができて良かったと思っています。
息子も子供の頃からの鉄道ファンですが「お父さんが羨ましい!国鉄時代を知ってるし…」とは鉄道ファンはいつの時代もバック運転、私ももう10年早く生まれていれば…とよく思ったものでした。
しなの7号
親子二代で鉄道員というだけでなく、息子さんの合図で列車を動かすという直接的な列車の運転上の関わりがあるというのが、非常に感動的なシーンに思えて、かつてRJ誌で読んだ「続・桐と動輪」の二俣線の親子機関士の話を思い出しました。
うちの父は鉄道ファンではありませんでした。所属する車掌区も違いましたし、直接の仕事で関わったことはなかったです。どちらかが機関士か運転士だったら、前後で同じ列車に乗務することがあったのかもしれませんが、門鉄局様の場合は、そういう可能性はありそうですし、何より将来の鉄道を託せる後継ぎがあることは、まさに鉄道員冥利に尽きるというものです。
門鉄局
私は最初は照れくささもあってどうして親父のいる会社に来たいのかなあ?だったのですが今では良かったと思っています。息子の合図で列車を動かすなどなかなか出来る体験ではありません。
運転士と車掌で乗組みしたいのですがそれは難しそうです。数年後にはワンマン化の話もあり待遇は下がる一方で未来に希望が持てません。息子にはとりあえず鉄道員の夢を叶えたのだから固執せず異業種も考えなと言っています。
しなの7号
息子さんに、「異業種も考えな」とおっしゃりつつも、酸いも甘いも知っておられる親父としては、鉄道自体が職業としてやりがいのあるものであり続けてほしいと願わずにはいられませんね。国鉄時代の機関助士は廃止され、二俣線の親子乗務のようなことはなくなり、今では車掌の廃止も進み、ついには無人運転へと、鉄道そのものが変わりつつあります。働き方も変わっていくでしょうから、万が一、この先息子さんに鉄道員から転身される思いが芽生えることがあったとしても、今の鉄道員時代は人生の中でかけがえのない日々となるはずです。私事ながら、私は短い鉄道員生活で、幸いにしてやりたい仕事ができましたし、変わりゆく国鉄では乗りたかった列車がことごとく廃止されました。鉄道員になって11年目という程よいタイミングでやってきた(か、どうかはともかく)国鉄分割民営化は転身のチャンスだったと今となれば思えます。
門鉄局
息子は契約社員なので先の保証がありません。
職員に比べ過酷なシフトにもかかわらず安い給与でかわいそうになります。
これだけ不正規雇用がはびこるようになったのは空前の人気を誇った某総理のおかげだと思いますがあのような人を支持した人たちはどう思っているのでしょうね?
国鉄にしろ郵政にしろ民営化で何のメリットがあったのでしょうか?
国鉄解体が日本凋落の原点だと私は思っています。
雇用が不安定→未来が見えない→独身者の増加→少子化
今の日本に明るい未来があるのでしょうか?
息子は「仕事は好きだけど会社が嫌い、人間扱いしてない…」と言いますが24時間拘束の泊り勤務でボーナスは年間1か月分なんてやってられないと思います。
鉄道好きな高校生
返信が遅れてしまいましたが、
日光型準急列車というと、157系ですかね?
走行性能では特急車両の151系にも劣らないと言われながらも、デラックスロマンスカーに敗北したんでしたね。
時代は流れ、今ではJRと東武で直通運転が開始されていますね。
157系はクロ157を残すのみとなりました。EF58-61は鉄道博物館に行きましたが、宮内庁所有のクロ157はどうなるでしょうかね。
私にできるのはGMのクロ157を我が家で走らせることくらいです。
しなの7号
おっしゃることには同感です。「リストラ」が実質的に国鉄分割民営化が原点となったとの思いは、私も本文やコメント欄ほかで書いています。(最近では【1416】今年もやってきた国鉄の命日」のコメント欄)
国鉄分割民営化によって労働層の政治への影響力が弱体化し、全国で多くの労働者が仕事をすることに喜びや生きがいを見出すことが難しくなり、ボロ雑巾のように使い捨てられ消耗品化していきました。働く人たちの不安定な待遇と若い人たちの老後はどうなることやら、この先が心配です。
木田 英夫
正にその通りです。
かなり古いRJ(RFかもしれません)の記事によれば、上越線で特急「とき」がデビューする時に、こだま型151系と日光型157系で試運転をしたところ、日光型では何ら問題がなかったが、こだま型ではT車を減らしても清水トンネルを越えられなかったそうです。すぐ出せる手許にないので違っているかもしれません。
後継車がデビューして殆ど走る機会の無くなった(と思われる)クロ157ですが、貴殿のコメントでは鉄道博物館入りはしていないようですね。1休車or2休車としてどこかの基地の車庫で眠ったままでしょうか?。塗り分けは今も185系の色でしょうか?。
気になります。
近況報告ありがとうございます。木田英夫
しなの7号
私が就職したころには5両編成の157系お召電車は健在で、首都圏で荷物列車乗務中に2度遭遇したことがあります。
東海道新幹線の貨物列車計画に戻ります。先日私は、本気だったかどうか?とコメントしましたが、そういえば新幹線から大阪貨物ターミナルへ分岐する予定だった貨物線が新幹線(本線)の上を交差する高架部分が未成状態で遺っていたことを思い出しました。現況をネット検索しましたところ、すでに交差部分は撤去されたことがわかりましたが、GoogleMap(航空写真)で、撤去された交差高架部分の支柱8本が切断された跡らしきものが確認できます。GoogleMap上の検索窓で「東海道新幹線貨物輸送計画遺構」と入れるとその場所がヒットします。その場所から東京方に線路に沿って航空写真をたどっていくと、新幹線に沿ってJRの施設が立ち並んだ貨物線高架橋用地が連なり、その先(D・A・E(株)付近)には、新幹線下り線から貨物線が分岐予定だったであろう地点が新幹線高架橋の形状から特定できます。
こういった未成線や、人知れず保管されているであろうクロ157、どちらも鉄道150年の歴史の一部ですね。