【1458】 2022年の終わりに

今年も昨年同様に私は遠方に出かけることなく、愛知・岐阜県内から一歩も出ることがありませんでした。しかし「いったん家から出れば旅」を標榜する私としては、行きたいところが遠方にあるわけでもないので、ストレスはそれほど感じていません。

今年は日本の鉄道150周年だったわけですが、愛知県政150周年の年でもあったようです。県民である私自身が無関心で、愛知環状鉄道で「愛知県政150周年記念スペシャルトレイン」が1月から3ヵ月程度運行されるという報道でそれを知ったようなことです。

「愛知県政150周年記念スペシャルトレイン」は愛知県政150周年PR列車でした。
s-DSC02782.jpg

上の画像のような丸いヘッドマーク付1編成とは別に、同じデザインの四角いシール付が1編成あり、両者ともに定期列車に充当されていました。
s-DSC02773.jpg

そして鉄道には関係ないのですが、11月26日には愛知県政150周年記念ブルーインパルス展示飛行が行われました。事前に公表された飛行時刻とルートを見たところ、我が家の近くを飛行することがわかりました。前日には予行飛行もあるとのことでしたので、その予行飛行があった25日の午後、家のバルコニーに出て上空を見上げていると、編隊を組んだ機体が西方から飛来し、そのまま東に直進して愛・地球博記念公園上空付近では、予告されていたとおりスモークを焚いているのが確認できました。それから20分近くたったでしょうか、こんどは名古屋上空方面で、スモークを焚いていくつかの演目が行われました。画像はそのときの演目の一つ「ビッグハート」です。家からは距離がありますので、平べったくなったハート形が描かれていくのが確認できました。
s-DSC04702a.jpg

翌26日の本番も同じように空を眺めていましたが、この日は曇天で見通しがよくなく、家からでは機体を目で追うことが困難でした。

話は変わり、スチール棚に展示していた中央西線の鉄道模型ですが、以前の記事で触れたように、12月に入ってから全車両を左右反転させると同時に、一部の編成の展示位置を変更しました。

年末にやっとKATO10‐1669「タキ1000(後期形)日本石油輸送8両セット」を入手したので、EF64-1000重連に牽かせた状態に変更して牽引状態にして加えました。
s-DSC04768.jpg
s-DSC04895.jpg
KATO10‐1669「タキ1000(後期形)日本石油輸送8両セット」のタキ1000は、四日市及び塩浜駅常備の表記で、これこそ中京地区の貨物列車だと親近感が持てる編成です。自重の表記を変えてあるあたりは、今どきの模型だなと感心します。
s-DSC04889b.jpg

また単独で展示してあったD51に、これも新規入線したKATO10‐034「旧形客車4両セット(茶)」を牽引した状態にして加えて最前列に展示してみました。スユニ60が蒸機時代の中央西線のローカル客車列車を思い出させてくれます。
s-DSC04903.jpg

今年はこの陣容で年越しをします。

年末になって車両セット2つが増えたことになりますが、模型の減量化は今年も進行しました。所有していた69両(9セット+単品)をこの1年で手放したので段ボール箱1つが減り、残るNゲージ車両は段ボール箱9個体制となりました。「旧形客車4両セット(茶)」を購入したことによって、単品の旧形客車旧製品数両を手放すことと、KATO10‐1669「タキ1000(後期形)日本石油輸送8両セット」が入手できたことによってKATO10‐825「タキ1000日本石油輸送色ENEOSエコマーク付8両セット」を手放すことは確定的ですから、この先は現状の段ボール箱9個体制から減ることはあっても増えることはありません。自分の場合は、このくらいの規模がメンテや展示に目が届き、管理面で妥当な数のように思えます。そうは言っても、段ボール箱9個に現在何両の模型車両が入っているのか数えたことがありません。今年は暇なときにM車の走行状態確認とメンテをやりましたが、来年は在籍模型車両の明細を作成して数的管理をしてみようとかなどとアホラシイことも考えています。

さて、今年に入ってからウェリブログ閉鎖予告が発表されたことによって、5月に当ブログはSeesaaブログへの引越しをしました。今のところウェリブログ時代の旧URLからSeesaaブログへ自動的に転送される設定になっていますが、近日中に自動転送されなくなるので、旧ブックマークのままご覧いただいている皆様におかれましては、新ブックマーク https://shinano7gou.seesaa.net/への変更をお願いいたします。まだ、本文中のリンク切れなど引越しによる不具合が散見されますが、ご容赦ください。
すでに平成年間の終了時点(2019年4月30日)の記事をもって当ブログは事実上完結となっており、以後はダラダラと半休眠的な状態で継続しているのですが、おかげさまでSeesaaブログ移転後も一定の閲覧数を維持できていることに対し皆様にはお礼申し上げます。今後は新記事をアップするにしても鉄道に関係がない話題など個人的な備忘録や現況報告みたいな内容が多くなっていくと思いますが、来る新年も昭和の鉄道員の戯言へのお付き合いをよろしくお願いいたします。
皆様、よい新年をお迎えください。

この記事へのコメント

  • うさお

    しなの7号様。昨日、ありがとうコメント書きましたが再度ありがとうございました。国鉄型車両も段々と数を減らして来て、JR初期の車両すら見かけなくなりつつありますね。
    名古屋圏の鉄道も変わっていくのかなと。
    管理人さんの国鉄話は貴重な記事なので、また楽しみにしています。
    2022年12月31日 14:40
  • しなの7号

    うさお様 こんばんは。
    あれから35年ですから、JR初期の車両が廃車されるのも無理もないのでしょうが、そんなに時が過ぎた気がしません。

    国鉄話は一応完結しましたので、シリーズ物などはできませんが、時の話題に関連したことや、雑誌や資料を読み直して書き漏らしたことを単発的に書くことくらいはあるかと思いますので、今後ともよろしくお願いいたします。
    2022年12月31日 20:37
  • おき2号

    しなの7号様、こんばんは。

    遅いですが、2022年もお世話になりました。
    鉄道はコロナから立ち直ってきましたが、車掌という職種に関してはそうでもないようで心配しております。
    現に、山口は2023年春のワンマン化に向けて2022年秋の時点で次第に車掌は数を減らし、やまぐち号も一部運転士が兼務するようになってきていました。主に車掌を忘れ切っていない若い方が担当らしいです。
    そのうち車掌が乗務する列車は贅沢なものになってしまうのかもしれません。
    しなの7号様のお話は貴重な記録でもありますし、今後もよろしくお願いいたします。
    2023年01月05日 23:22
  • しなの7号

    おき2号様 こんばんは。
    国鉄では機関区は運転職場(技術系)であり車掌区は営業職場という縦割組織で、各々専門職的な面がありましたから、運転士は営業の教育を受けていませんでした。そのため兼務はできず、車掌が運転士になる機会はふつうはありませんでしたが、現在の組織では車掌兼務もワンマン化も容易です。車掌職の位置づけにしても、定年まで続ける専門職ではなく通過点のようになり、車掌さんの意識は今では国鉄時代と違っているのだろうと思っています。その結果として鉄道人生の多くを長距離客を相手にしてブルトレなどの乗務を日常業務とされていた人たちが引退する時点で、国鉄的な意識を持った車掌は絶滅するのではないでしょうか。しかし今の車掌さんにはまた別の新しい仕事内容が増えていることでしょうから、たいへんな職種であることは確かで、頑張ってほしいものです。私は、たかだか10年ちょっとしか乗務員をしていませんし、その間のことはほとんど書きつくしましたが、幸いにも古い記事には今でも一定のアクセスをいただいています。今後ともよろしくお願いいたします。
    2023年01月06日 18:18

ブログ内ラベルリスト