【1468】 中央西線昭和以前の遺物(春日井市内)

前回の記事で、春日井市内の中央西線沿線に掲示されている看板について現況調査をしましたが、その際に中央西線の施設で、開業時の面影を残したまま現役で使用されているものや、既に使われなくなったもの及び記念碑的なものも見てきました。新守山~勝川間にある庄内川橋梁付近から定光寺駅付近に向けて順にレポートしていきます。
(今回は定光寺~古虎渓間の旧線廃線跡「愛岐トンネル群」には訪れていません。)

◆庄内川右岸堤防にある橋台(新守山~勝川)
庄内川の右岸堤防下に川と並行するように通っている道路を跨ぐ単線時代の橋梁の、庄内川堤防寄りの橋台が残っていました。
s-DSC05286.jpg
橋桁はなく、橋台は高さ制限バーの支えとして利用されていますが、反対側(勝川方)の橋台は取り壊されています。コンクリート製ですから開業以来のものではないと思われます。ネットで古地図を見ると、下を通る道路は中央西線の開通前からあるようですが、単線時代に、道路の拡幅等の理由で橋りょうが架け替えられたのではないかと想像します。画面左が、すぐ近くの庄内川に新橋梁が建設されるとき併せて新造された現在の中央西線の橋りょうです。

◆煉瓦造トンネル状の通路(新守山~勝川)
土木工事のことには疎いのですが、こういう構造物を溝渠(カルバート)というのでしょうか。庄内川堤防から百数十メートルほど北にあります。
s-DSC05293a.jpg
中は道路(自動車通行不可)になっていますので、入ってみると明治時代の遺跡に紛れ込んだような気になります。途中からコンクリート製に変わってしまい、現在の線路はそのコンクリート部分の上に敷設されています。煉瓦造部分の上に今は線路がありませんが、単線時代には線路があって、庄内川に新橋梁を架けたときに腹付で築堤が拡幅されてコンクリート部分が継ぎ足されたのだと思われます。

◆「第一気噴橋りょう」・「第二気噴橋りょう」上り線橋台(神領~高蔵寺)
下の2枚の画像は非常によく似ていますが別物です。
s-DSC05309a.jpg
両者は60mほど隔てた場所にあり、現在も上り線の橋梁として使用されていますが、壁面上部と天井部分はコンクリート製になっています。内部煉瓦製壁面は落書きをされた跡が塗装されており、画像で色が変わって見えます。これらも中は道路(自動車通行不可)になっていますが、前出の新守山~勝川間とともに、かつての水田地帯に所在していますので、もとは水路を跨ぐ目的で建設されたと考えますが、今では付近に水田はなくなってしまいました。
どちらも下り線側は複線化時にコンクリートで継ぎ足され、下り線側のコンクリート橋台上部には増設時の銘板がはめ込まれ、それぞれ「第一気噴橋りょう」(画像の上側)・「第二気噴橋りょう」(画像の下側)とあり、どちらも「工期1963-3~1963-9」とあります。調べてみると、この区間が複線化されたのは、その翌年の1964年3月でした。
余談ながら、この2つの橋梁付近の線路端に犬糞看板が集中しています。

◆「高蔵寺駅改築記念植樹」の碑(高蔵寺駅)
もともと木造駅舎だった高蔵寺駅は、国鉄末期に路盤を少し嵩上げして線路下に駅機能がある現在の高蔵寺駅に改築されました。この碑はそのときの記念植樹ということを表していると思われますが、設置年月日等は公道から視認できません。碑はネットフェンスの内側にあるので、碑の裏面に何が書いてあるのか確認できればいいのですが・・・
s-DSC05316.jpg
植樹された樹木が、周囲にある桜並木のことを指しているのだとしたら、その桜並木は半数以上が伐採され、残った桜の木も枯草にまみれており、樹勢がかなり衰えているように見受けられ、管理が行き届いているとは言えない状況でした。

◆「鯎川橋りょう」上り線橋台(高蔵寺~定光寺)
橋台本体は角部分が石積みの煉瓦造で開業時から現在まで使用されていると思われます。一部がコンクリートになっていますので、おそらく橋桁が更新されたときに手が加えられたのではないでしょうか。
s-DSC05402z.jpg
塩尻側だけが狭い道路(自動車通行不可)になっているので観察しやすいですが、川を挟んだ反対側(名古屋方)の橋台に近寄ることはできません。下り線の桁と橋台は複線化時に造られたコンクリート製で、橋台部分は上り線側の橋台に接合した状態になっています。

◆旧線跡の橋りょう
前回記事にある「けたに注意」の看板があった旧線跡の橋りょうです。「第一気噴橋りょう」・「第二気噴橋りょう」より規模が大きく、自動車がくぐれる高さがあります。
s-DSC05326.jpg
天井部分はコンクリート製です。
下の画像はその反対側から撮影したものです。
s-DSC05327.jpg


◆「中央線建設工事殉職者慰霊碑」と旧線跡の橋台(高蔵寺~定光寺)
s-DSC05328.jpg
慰霊碑は漢文で書かれてあり、私には難解で内容が理解できませんが、「中央鐡道工事」「明治三十三年六月」と刻まれているのが確認できます。
(赤傍線は管理人が画像に加えたものです。)
s-DSC05328a.jpg
この碑の隣には、この碑についての説明文が刻まれた石碑があります。
s-DSC05328b.jpg
この先の愛知・岐阜県境に連続するトンネルを含む難工事では二十余名の方が命を落としたとされています。その難工事を伴った区間の一部は、複線電化に伴う新線切り替えによって廃線となりましたが、「愛岐トンネル群」として毎年春と秋に一般公開が行われていうことはご承知の方も多いと思います。
この慰霊碑がある場所の目の前には、旧線時代の2つの単線トンネルをつなぐ煉瓦製橋台に支えられた高い橋梁があり、JRの保守用道路に転用されていますが、立入禁止区域ですから橋梁下をくぐる東海自然歩道上から見上げるしかありません。
s-DSC05331.jpg
橋台は煉瓦製で角は石積みなのがわかりますが、橋桁本体は、画像で見る限りでは、鉄骨両端に渡した鉄骨上にデッキプレートを設置してコンクリートを打っただけに見えますので、道路転用時に架けなおされたものでしょう。
s-DSC05334.jpg

こちらも同じ橋りょうを反対側から撮影したもので、下の道路は東海自然歩道です。2枚の画像とも旧線の「玉野第二隧道」のポータルが樹木ごしに確認できます。このトンネルを抜けると定光寺駅で、駅ホーム上から、このトンネルの反対側ポータルが見えます。

◆移設保存されている旧勝川駅ホームの煉瓦製擁壁
(定光寺駅付近 愛岐トンネル群見学路入口)
定光寺駅から古虎渓駅方面に公道を歩くと前述の「愛岐トンネル群」の見学路入口に続いています。その入口付近には、高架化される前まで使用されていた勝川駅の煉瓦製ホーム擁壁の一部が移設保存されています。
s-DSC05387.jpg

冒頭に書きましたように、訪問した日は愛岐トンネル群の一般公開日ではありませんでしたので、これで引き返しました。愛岐トンネル群にはしばらく行っていないので、また日を改めて訪問したいと思っています。
今回訪れたところは、産業遺産や有形文化財の類ではありませんが、私は日常生活の中で乗っている列車を支えているのが明治時代の開業当初からある橋台であることを、まったく意識もせずにいました。しかし長い鉄道の生き証人たちは、地味に新しい鉄道を支えながら、無言で明治時代から脈々と続いてきた中央西線の歴史を伝えてくれていたのでした。

この記事へのコメント

  • やくも3号

    しなの7号様 こんにちは。
    春日井駐屯地近くの橋梁は私も行かせていただきましたが、多くのものは撤去されずにいまだに残っているものなのですね。

    石碑で思い出しましたが、土岐津駅の石碑はいまはどうなっているでしょうか?土岐市駅前はもう整備されたのかな?

    2023年04月11日 15:53
  • しなの7号

    やくも3号様 こんばんは。
    身近なところ、というより日常生活の周りには、現在に続く道程が刻まれたものがいくらでもあることに気付かされます。同時に、ある日突然に、それらは容赦なくその姿を変えたりするものだと思います。

    土岐市にはご無沙汰していますが、駅前は整備されたようです。「土岐津駅建設記念碑」のその後は・・・?とググってみると、拙ブログの該当ページのほかにも、地元の方のブログが引っ掛かりました。それによれば、昨年催された地元のウォーキングイベントのルートに組み入れられていたようです。
    2023年04月11日 19:26
  • オレンジ快速

    ご無沙汰しております。お元気そうでなによりです。
    桜の樹は高蔵寺駅と勝川駅のホームにびっしりありました。
    高蔵寺駅の場合は駅本屋の周りの築堤にもありました。
    春は桜、夏は扉があくとうるさいほどの蝉の鳴き声が聞こえてきたのを思い出します。初めの頃地下の北口から駅の改札を通らず駅本屋(表口)国鉄バス発車口方面に行く暗い細い土管のような背の低い通路がありました。通路の真ん中あたりに裸電球がついてるだけで子供の頃恐々と通っていました。
    2023年04月21日 21:47
  • しなの7号

    オレンジ快速様 こんばんは。
    春日井市内にある5駅のうちで、高蔵寺駅と勝川駅だけが明治時代の開業時に開設されていることと、改築前から桜の木がたくさんあったことに関係があるのかもしれないですね。この高蔵寺駅の石碑は比較的新しそうなのと、碑文に「改築」とあるので昭和末期ごろのものと推定しましたが、そうすると、つじつまが合いません。なので、本文には「植樹された樹木が、周囲にある桜並木のことを指しているのだとしたら」という書き方になりました。つまり、碑が示す植樹とは、桜ではなく他の樹木である可能性(記念樹が枯死して碑だけが残った?)や、従来あった桜に追加植樹した可能性も考えられ特定できなかったのです。そもそも私は高蔵寺旧駅時代に乗降して駅周辺を探訪したことはなく、桜も車内からしか見ていないので、よくわかりませんでした。「暗い細い土管のような背の低い通路」も通ったことがありません。ただ、改築前から桜がきれいだったこととか、現北口が工事中で埃だらけの未舗装のバス乗り場に、まだ開発途上だった高蔵寺ニュータウンへ行くであろう6輪の大型名鉄バスが止まっていたのを車内から見たような記憶は残っています。
    2023年04月22日 21:06
  • take

    しなの7号様。時々ですが、楽しく拝見させていただいています。
    高蔵寺駅のすぐ西側にあった“あんきょ”は、水路の上に蓋を被せた人が通るだけの通路だったと思います。駅西にある農協の西北角に線路を横断できる場所があったのですが、交通安全上から裸電球が吊るされた真っ暗な暗渠を通りました。田んぼだった駅北側が埋め立てられた際になくなりました。
    それにしても、気噴や玉野に残っているレンガ積をレポートされましたこと、近隣に住む者としては感激です。
    ありがとうございます。
    2023年04月26日 17:58
  • しなの7号

    take様 
    昭和末期に岐阜県から前に住んでいたニュータウンの公営住宅に転居してくるまでは、高蔵寺駅で乗降することはほとんどありませんでしたから、旧駅時代の駅周辺のことは知らないのです。昔の高蔵寺駅付近の様子をご教示いただきありがとうございました。昔の地図や航空写真を見ると、駅だけでなく街全体が大きく変わったことに驚きます。鉄道に関係はありませんが、街の様子はその後も変わり続けていきますので、一昔前に撮影した街の画像と現況とを比較する企画も、そのうちにやってみようと思っています。
    2023年04月26日 21:18
  • おんたけ号

    しなの7号様
    初めまして。
    小生、3歳時迄は名鉄津島線線路脇の借家住まい、幼稚園に
    入園する際に引っ越して19号線の勝川橋近接の借家、小学3年に進級する際に天神橋近接の建売に移動(いずれも新守山駅が徒歩圏内最寄り駅)、24歳で結婚し藤山台へ引っ越し(徒歩ではちとしんどい高蔵寺駅が最寄り駅)、30歳で朝宮公園近くにマイホームを持ち(これまた徒歩圏内ではない勝川駅が最寄り⇒直線距離では名鉄春日井駅が最寄りですが、普段電車通勤で勝川駅利用)現在に至り、19号線と中央西線沿線に愛着を持つ者です。(血の半分は長野県人)
    乗り物全般が好きですが、子供の頃からキャンプ、登山、旧海軍好きでプラモとか他趣味で、自動車を所有してからは公共交通機関では日帰り不可の山やキャンプが主となり、鉄熱離れが長く管理人様やコメントを寄せておられる方のような鉄分は濃く無く、鉄道好き程度です。
    昨年6月に各務原のイオン内の登山用品店を覗きに行った際、偶然鉄模屋を発見しKATOのレジェンド381系があり、
    (TOMIX製が古くから存在は知っていた)衝動買い、又、TOMIXのEF63(2両セット)があり、EF62と64が製品化されていた時代で止まっていた鉄模趣味復活となりました。
    ネットで中央西線に特化した製品の存在も知り、中古探しの途中で子供時代=国鉄時代の中央西線の車両や沿線風景を探しておりましたら、昨年7月に管理人様のブログを発見し、先頭記事から最新記事迄を2回通読し終えたので、コメント寄せさせて戴きました。
    「そーなんだ」と感心や発見の内容や、「そうだったなあ」の懐かしき内容(鉄内容以外にツボイ氏やFM愛知、種村氏のラジオMCなどのローカル話も含め)に時間が戻る思いが致しました。(懺悔のペダルは踏んだ経験なし)
    過去記事に小生の大した事の無い記憶や想い出ですが、コメントさせて戴いてもよろしいでしょうか?
    最後に記事関連コメントを(やくも3号様風だと←やっとかい)
    高蔵寺駅の改築記念碑は今回初めて知りましたが、その他は全てかなり前になりますが行ました。
    管理人様には釈迦に何とかとでしょうが、勝川駅の煉瓦は
    勝川駅北口の駅前広場にも展示されてますが、殆どの人は気付いて無いと思います。
    中央西線の旧線遺構は岐阜・長野県内にも点在してますね。記事掲載のご予定などは?今後の最新記事も楽しみにしております。
    乱文乱筆の上に長文、失礼いたしました。
    2023年11月12日 16:07
  • しなの7号

    おんたけ号様 はじめまして。
    自分自身が通読していないのに2回も通読していただきありがとうございました。どうでもいいようなこともかなり書いてしまいましたので、時間の無駄になっていないか気になりますが、思い出を共有していただけたならうれしく思います。また懐かしい思い出などもご披露してください。拝読した内容からお察しするとコメント欄もしっかりご覧いただいておられるようですね。(で、なければ“懺悔のペダル”なんてw) 
    おっしゃるように中央西線では線路の付け替え箇所が結構ありますね。以前に宮脇俊三著「鉄道廃線跡を歩く」(全10巻)を春日井図書館で借りたことがありまして、全部で6か所紹介されていました。しかし私は列車の車窓から遺構を観察するばかりで、現地の様子を記録したり歩いたりするまでには至っていません。
    今日は「あかのれん」でパンツと靴下を買いまして、ついでに勝川駅北口駅前広場に立ち寄って、改めてそのレンガを眺めてきました。いずれ、と言ってもいつのことかわかりませんが、勝川駅の高架化工事中の駅の様子などといっしょにそのレンガの画像をUPすることも考えておきます。
    2023年11月13日 20:35
  • 中央西線

    昔、川が流れていて橋の遺構がある所があります。
    柏井保育園の近くの境川橋梁と上条原川橋梁です。
    昔、上条原新田を潤していた用水路の跡?
    2024年08月12日 09:32
  • しなの7号

    中央西線様
    春日井市内の中央西線は開業時には田圃の中に敷かれた部分が多く、農業用水としていた川を跨ぐ必要があったのでしょうね。ご指摘の橋はたぶん、ひとつ前の記事「【1467】中央西線沿線の環境美化看板・警告看板(春日井市内)」のうち「へびにちゅうい」の看板があったところと、もう一か所「ヘビ注意」の看板があった所のことでしょう。
    2024年08月12日 20:30

ブログ内ラベルリスト