私が毎朝仏壇に緑茶を供え、自分で飲むようになって10年経とうとしています。それは朝だけなので、茶葉の消費量はわずかですが、買ってきた茶葉の袋は画像に残しています。同じスーパーで同じ製品を買ってくることもあるので、集まった袋の画像は30枚程度に過ぎませんが、今回と次回で、その画像をお目に掛けることにします。
食に関してまったくこだわりがない私のことなので、茶葉の良し悪しはわかりません。買ってくるのは、たいていスーパーで売っている安くて量が多い茶葉です。そのほか、出かけた先の道の駅や産直施設・スーパーで、その土地で生産された茶葉をなどで買ってくることもあります。かつての私は出かけると地酒を買ってくるのが定番でしたが、酒量が減ってからは、出かけた先で茶葉を買ってくることのほうが多くなりました。前にアップした「かりんとう」の袋などと同じ考えで、買ってきた茶葉の袋の表と裏を撮影して茶葉を茶筒に移し替えたあと空き袋はすべて廃棄しています。
私はお茶の種類や流通などについての知識はゼロなので、茶葉のことはWikipediaで勉強をしながら記事を進めていきます。お茶自体の感想を問われてもさっぱりわからない味覚音痴なので、実際に飲んだ感想などは書けませんのでご容赦願います。以下、Wikipediaから引用した箇所は『』で表示します。
左:販売者 大阪府東大阪市 (株)宇治和束園
製造所 静岡県掛川市 丸堀製茶(株)
名称 深蒸し茶
原材料名 緑茶(日本産)
右:販売者 大阪府東大阪市 (株)宇治和束園
製造所 静岡県掛川市 丸堀製茶(株)
名称 煎茶
原材料名 緑茶(日本産)
左右とも同一製造会社かつ同一販売会社のお茶です。
左の名称「深蒸し茶」とは、『茶の製造方法の一種で、生茶葉から煎茶を造る最初の工程である「蒸し」の時間を、1分から3分程度と長く取るものを深蒸し茶という』とあります。
右の名称は「煎茶」です。『狭義の「煎茶」とは日光を遮らずに栽培し、新芽を使い、何段階にも分けて茶葉を揉みながら乾燥させていく製法の緑茶である。広義の「煎茶」とは、茶葉を揉まずに乾燥して粉末にした抹茶(てん茶)に対して、茶葉を湯に浸して(煮出して)成分を抽出する「煎じ茶」のことをいう。』とあります。
ということは、「深蒸し茶」も煎茶の一種ということで、『静岡県の山間(やまあい)の本山茶や川根茶に比べ、お茶の里である牧之原を中心にした地域の茶葉は日照時間が長いため肉厚となり、従来の製茶方法では青臭さが残り旨みの抽出も少なくなることから深蒸し製法が採用された。』という記述もありました。
左:製造者 静岡県焼津市 (株)大井川茶園
名称 粉茶
原材料名 緑茶(静岡県産)
右:製造者 静岡県焼津市 (株)大井川茶園
名称 抹茶入玄米茶
原材料名 米、茶(静岡県産)、抹茶(京都府産)
左右とも同一製造会社のお茶です。
左の名称「粉茶」とは、『荒茶から煎茶を作る製造工程で出た粉状の切れ端を集めたもの。茎茶や芽茶と並んで出物と呼ばれる。いわば煎茶の切り落としのようなものであるため安価だが、茶葉の質そのものは煎茶に劣るものではないため、価格の割りに良い味のものが多いとされている。』とあります。
右は「抹茶入玄米茶」とあり、玄米茶(『緑茶と炒った米を同量ずつ混ぜたもの』)に、「抹茶」(『茶葉を揉まずに乾燥して粉末にした』もの)を混入させたお茶ということになるのでしょう。
左:製造者 岐阜県加茂郡白川町 (有)茶文
名称 煎茶
原材料名 煎茶(国産)
中:製造者 岐阜県加茂郡東白川村 (有)新世紀工房
名称 煎茶
原材料名 緑茶(岐阜県産)
右:製造者 岐阜県加茂郡東白川村 こしはら商事
名称 煎茶
原材料名 緑茶(国産)
全部岐阜県に出かけたときに購入した製品で「白川茶」です。原材料名が「煎茶」となっているものと「緑茶」となっているものがありますが、単なる表記のしかたの違いなのか、区別すべきものなのか素人にはわかりません。
画面左は昔ながらの包装に「深蒸し番茶」とあります。「番茶」とは、『市場流通品では規格外、低級品のお茶を指す。普段使いのお茶、地場産、自家製のお茶の総称を番茶と呼ぶ場合もある。製法は煎茶とほぼ同一であるが、原料として夏以降に収穫した茶葉(三番茶・四番茶)、次期の栽培に向けて枝を整形したときの茶葉(秋冬番茶)、煎茶の製造工程ではじかれた大きな葉(川柳)などを用いている。煎茶のように若葉ではなく成長した葉を原料とするため、タンニンが多めで、逆にカフェインは少なめになっている。味は淡泊でさっぱりとした飲み口だが、渋みを含む。』とのこと。画像右は包装に「川柳」とありますので、上の説明文を読めば、番茶になるのでしょう。画像中央は、真空包装されていて、ウチにしては珍しくまともなお茶です。昨年「県民割」を使って岐阜県に出かけたとき、付与されたクーポンの一部を使って買った(引き換えた)ものです。
左:製造者 静岡県菊川市 丸幸製茶(株)
名称 緑茶
原材料名 茶(国産)
右:製造者 静岡県菊川市 丸幸製茶(株)
名称 緑茶(番茶)
原材料名 茶(国産)
左右とも同一製造会社のお茶です。
どちらの画像にも「やぶきた」と印刷されています。「やぶきた」とは『在来種の実生中から選抜したチャノキ(茶樹)の品種。品質は煎茶として極めて良好で、独特の強い香気を持ち、滋味優雅で甘味に富む。』とあり、品種の名前ということです。『「やぶきた」の名は、静岡県有渡郡有度村(1896年安倍郡に変更、現静岡市駿河区)の篤農家杉山彦三郎(1857 - 1941年)が、1908年(明治41年)、自己が所有する竹やぶを切り開いた茶園(現駿河区中吉田41番付近 地図)の茶樹から優良品種を選抜し、北側からのものを「やぶきた」、南側からのものを「やぶみなみ」と名付けたことからと言われている。』『品質が優れ、日本の栽培条件に適したやぶきたは、日本における栽培茶樹の75パーセントに及ぶ。』とのこと。香気は弱いようで『香気の弱さを他種とのブレンドで補った「やぶきたブレンド」が緑茶市場の80%以上を占めるといわれる。』とも。
左:製造者 岐阜県揖斐郡池田町 (株)瑞草園
名称 荒茶
原材料名 緑茶(国産)
右:製造者 岐阜県揖斐郡池田町 (株)瑞草園
名称 粉茶
原材料名 緑茶(日本国)
左右とも同一製造会社のお茶です。
左の名称に「荒茶」と出てきました。画像が小さく見にくいですが、袋に「葉・茎・芽等に選別せず、独自の火入れで仕上げた荒茶です。」と書いてあるのもわかります。『収穫された茶を蒸して揉んで乾燥させた状態を荒茶といい、この工程までを主に茶農家が行う。次に加工業者が複数の茶農家から買い付けたさまざまな荒茶を使い、「合組」と呼ばれるブレンド作業を行い仕上げ茶(製品)が完成する』とのことですから、加工工程を経ておらず、いろんな部位が混入したままの状態で出荷した茶葉ということになるのでしょう。
左:製造者 岐阜県中津川市 藤木製茶
名称 煎茶200(TKJ)
原材料名 緑茶(日本産)
右:製造者 岐阜県下呂市 ひだ金山茶生産組合
名称 煎茶
原材料名 緑茶(岐阜県産)
岐阜県に出かけたときに購入した製品です。
左の名称の「煎茶200(TKJ)」の数字とアルファベットの意味は不明です。「200」は内容量(g)ではないかと想像します。開封して中身を茶筒に移した後の空き袋の状態です。
左:製造者 三重県四日市市 三重茶農業協同組合
名称 煎茶
原材料名 緑茶(三重県産)
右:製造所 愛知県新城市 富岡製茶
品名 緑茶(煎茶)
使用材料 緑茶(産地 愛知県新城市)
左は新茶とありますが、自分でわざわざ新茶を買うわけがないので戴き物だと思います。
右は出かけたときに買ったもの。新城市のHPによれば、「しんしろ茶」は愛知県一の普通煎茶生産量を誇っているとのこと。長年愛知県に住んでいますが、今回お茶のことを調べていて初めて知りました。
繰り返しますが文中の二重かぎ括弧『』内はすべてWikipediaからの引用です。
この記事へのコメント
NAO
日本茶はこれだけでも奥深いのに、普段飲みながらも全然知識のないことを恥ずかしく思いながら読ませて戴いています。
そういえば国内では都度日本茶を淹れて飲むことはかなり少なくなったのかもしれません。我が家では、さすがに家で飲むのは茶葉ですが。
西方向出張で、向かい側上り新幹線窓縁を見ていましたら、よくあれだけペットボトルが並んでいるなあ、なんて同行上司ともども言っていたことを思い出します。その分のごみまで東京に集中するのも連想してしまったり。
九州の出張では、島内に進出された静岡県鉄道会社のグループホテルに泊まったのですが、朝食のバイキングコーナーに静岡茶と八女茶飲み比べコーナーがあったものの評価出来るような口ではなくて、日本人なのにここでも内心恥ずかしく思えました。
もっとも同行の上司は女性2名のお偉い方々で、出張中は緊張しっぱなし、終始味など感じる余裕のない旅程だったのもあります。
しなの7号
お茶の袋には法律で定められた表示のほか、アピールすべき情報が書かれているのに、私もそれら一つ一つを読みもしないで、知りもしないで、茶筒に入れ替えたら袋は廃棄していました。こだわりがないと、そういう結果になるのは当たり前ですが、今回こういうことをして、日常的に飲んでいるお茶についての知識が少しは得られました。しかし知識を得ても食に対して無頓着ゆえ、今後お茶にこだわるかと言えばそうはならないだろうと思います。鉄道に例えるなら、車両には無関心でロングシートでもクロスシートでもこだわりがないという人に近いかもしれません。でも、それは恥ずかしいことなんかない(むしろ正常)ですし、緑茶に対しても同じことで、無知であっても気にするには及びません。列車は時刻表どおりに目的地に着くことこそが使命なのですし、お茶も「その人が」おいしく喉を潤すことができればそれでよいと思います。
緊張しなければならないような人と同行するときや、出張という場面では、どんなに豪華で希少な列車に乗れたとしても、その列車の特徴を味わうことなどできません。どんな粗茶や粗食でも、プライベートな空間と時間の中で味わうことができることに価値があり、最も幸福感が得られるものではないでしょうか。