「変わりゆく風景」の第二回めは、一昔前の駅やその周辺の風景、そしてEF65電気機関車について、年月とともに変わりゆく画像を比較してみましょう。
▼2008年6月に列車内から撮影した紀勢本線伊勢柏崎駅
国鉄時代、921・924の両列車で荷扱をしていたころの木造駅舎は解体され、いわゆる「貨車駅舎」になっていました。
角型鋼板屋根、両開鋼板扉、車体接合部に見られるリベットからワム70000形式だと思われます。
それから4年後2012年10月、同じように旅の途中に同じ場所を撮影
「貨車駅舎」はなくなっており、折板屋根の鉄骨造で開放的な待合所に置き換えられていました。
そういえば、あちこちでよく見かけた再利用廃貨車(ダルマ)も、近年は数が減ってきました。
▼リニア中央新幹線の岐阜県駅は中央西線の恵那・中津川間にある美乃坂本駅付近に建設されることになっており、現在は工事が進捗中です。
【1481】「リニア中央新幹線」の看板では、恵那駅と中津川市役所付近にある「リニア中央新幹線」の看板の移り変わりについて書きましたが、着工前の2014年の美乃坂本駅前には、こういう看板がありました。
この看板があった場所は4年後の2018年3月には下のようになっていました。
この看板が掲げられていた建物は、取り壊されてしまっていました。看板はよそへ移設されたものか、それとも建物といっしょに取り壊されてしまったのかは知りません。この看板があった建物の跡地(擁壁の上)は駐車場として利用されています。そこはリニア中央新幹線建設予定地でも新駅周辺の区画整理区域内でもなさそうですから、立ち退きとは違うようです。
このリニア中央新幹線岐阜県駅予定地付近ではまだ工事に手が付けられていないところでも、既存建物の解体がかなり進みました。
▼美乃坂本駅の名古屋方 2017年9月の状況です。
それから4年半経った2022年3月の状況を撮影したのが下の画像です。家々がほとんど解体されていました。計画ではこの辺りにはリニア中央新幹線の高架橋が中央西線の線路の左側を並行し、その2つの鉄道線を交差する2車線道路が新設されるらしいです。
画面右奥では山の木々が伐採され、現場のクレーンも確認でき工事が始まっていることがわかります。
▼かつてJR貨物に在籍したEF65 1121(2011年5月 春日井で撮影)
以前に幾度か書いたように、EF65 1121は国鉄時代に私が14系団体臨時列車に乗務したときの牽引機でもありました。同機は国鉄分割民営化の際にJR西日本に編入されましたが、関西ブルトレの廃止でJR貨物に移籍した機関車でした。JR貨物では正面と側面のナンバープレートが入れ替えられていました。
上の画像を撮影した翌年(2012年)JR貨物所属のEF65PFは原番号に1000を加えて2000番台に改番されました。そのときEF65 1121はEF65 2121に改番されました。(2012年8月 春日井で撮影)
ナンバープレートの色は、正面側面ともに青になりました。この日運転された臨貨(特大貨物)を牽引して春日井駅に姿を見せました。すでに中央西線の定期運用からEF65が撤退していたので、2000番台のナンバーに違和感がありました。
そして2016年4月、EF65 2021は愛知機関区の解体線に入り、最期の時を迎えようとしていました。
ナンバープレートを外されてペンキでナンバーを書き込まれた姿は哀れです。かつて、高校生のころ通学の途中で、同じように白ペンキをなぐり書きされたD51やC12の姿が見られたのを思い出します。あのころSLたちの後継となったDLやELたちも続々と姿を消しつつあり、世代交代はいつの世も繰り返されていくものです。
◇この「変わりゆく風景」は続編を予定していますが、内容は鉄道にまったく関係ないことが中心になります。
この記事へのコメント
うさお
この建物はお店をやっていた、閉まったままだな、そして更地になっているとか・・・・。
最近だと道路が出来て築堤になっているとか・・・・
中津川辺りも工事などで段々変わっていくのでしょうね。
しなの7号
毎日繰り返し往復する通勤区間の車窓風景は、同じ動画を繰り返し再生しているようなものですが、知らないうちに毎日どこかが少しずつ変わっていくものです。工事現場などはとても目立つので進捗状況が楽しみにもなります。もっとも、近年の私は列車に乗る機会がほとんどない生活なので、次に乗ったときの変わりようにはついていけないことがあるかもです。
木田 英夫
EF65の1000番台。最初に見たのは小学校高学年の頃に、本屋で立ち読みしていたRF(TMSだったかも)の裏表紙をめくったところのカツミ模型店の写真でした。実物の方は走行時間の関係か、或いは配属先の関係からか西ノ宮〜芦屋間ではなかなか見ることができませんでした。たまに見た時は「ロクゴーのセンだ。」と喜んでいたものでした。
この頃から昭和50年代前半まで動力近代化計画(無煙化とも言っていました)が進められていた頃でした。しなの7号様のように生きていたSLや本文にあるような廃車待ちのSLを見たことは殆どありませんでしたが、当時鉄道趣味はSLブームで、電車や電気機関車が好きだと言えば変わり者にされそうな雰囲気だったことは覚えております。
あの当時なかなか見られなかった「ロクゴーのセン」ですが、以前にこちらでコメント致しました尼崎での併走シーンでよく見ることができます。一度だけ赤ナンバー車を見かけましたが、特急色のクリーム色の前面にいいアクセントでした。
いつもありがとうございます。木田英夫
しなの7号
子供のころ、EF65PFは中部地方には縁がない機関車でした。初めて見たのはたぶん中学生のころで、東海道本線の列車の車窓から「あかつき」のヘッドマークを取り付けて向日町で待機しているのを見たときだったと思います。東京発の九州ブルトレは当時P形でしたし、個人的には「EF65は非貫通」という意識があって、貫通式のPF形には「EF64みたい」な違和感を持っていました。中学生のころカツミのEF65PF形の模型を買いましたが、地元の貫通式EF64の代わりとして買ったようなものでした。(当時カツミからEF64やEF65Pは製品化されていませんでした)
PF形が一躍メジャーな存在になったのは、東京発の九州ブルトレがPF形に変更されてからのように思えます。(個人的には、今でも正しいブルトレはP形+20系)
貴殿がお住まいの新幹線博多開業までの山陽筋は、バラエティ豊かな列車が続々とやってくる環境でしたから、遠隔地にSL詣でに行くまでもなく、十分に日本の鉄道の魅力を享受できたのではないでしょうか。