私が幼少のころ、東海道新幹線はまだ開業していませんでしたから、絵本などでは新幹線のことが「夢の超特急」と書かれていました。東海道新幹線が開通してからも、「夢の超特急」という言葉が私のアタマに刷り込まれていて、つい「夢の超特急」という言葉が出てしまい、父に「夢でなくなったのだからその言い方はおかしい」という意味のことを言われたことを覚えています。ただ、当時の新幹線には0系しか走っていないし、在来線に乗り入れるわけでもないので、列車を眺めるのが好きだった私にすれば、在来線の方に面白みを感じていました。そういう傾向は今でも変わらないので、一般に興味の対象となる新幹線車両の種類や形式、最高速度などの性能といったことにはまったく興味がありません。また新幹線を利用する機会がほとんどないこともあって、車内設備など一般客が当たり前に知っていることさえ知りません。長年の趣味である鉄道模型にしても新幹線車両を購入したいと思ったことは一度もありません。個人的にそういう存在の新幹線ではありますが、今も昔も新幹線車両は日本の鉄道のイメージリーダー的存在ですから、一般には他の鉄道車両を寄せ付けない知名度と人気を誇っています。その結果、新幹線車両に関するモノは昔から多く目に入ってきました。
そんなわけで、これから数回に分けて巷で見た新幹線関連のモノ、収集した新幹線関連のモノの画像をアップしていこうと思います。このシリーズに限ったことではありませんが、以前アップしたことがある画像を使い回すこともありますのでご承知おきください。
今回は新幹線車両のオモチャで、自分が買ってきたものに加え、博物館の展示品の画像などをご覧いただこうと思います。
▼「0系新幹線」フィギュア「ファミリーマート限定 鉄道博物館収蔵車両 鉄道ヴィネットコレクション」(全5種)のうちのひとつで、今から十数年前にFamilyMartでペットボトル飲料を買ったとき付いてきたものです。というより、これに釣られて「買わされてしまった」ものです。そのころは、仕事のストレスをこういう無駄遣いをして発散させていたのでした。これを含め、今回アップしたモノの大部分は手放しましたので、残っているのは画像だけです。
▼ハシ鉄「0系新幹線」これは箸であってオモチャじゃないだろうというご意見もあろうかとは思うのですが、箸として使ったところが、材質が柔らかくて自分としては実用にはなり得なかったので、オモチャ扱いとしてここに登場させました。「ハシ鉄」には多彩なバリエーションがありますが、空気抵抗を考慮した新幹線車両は、車体にベンチレータや冷房機器他の出っ張りがなく、床下機器も覆われ、全体として滑らかなので、「ハシ鉄」化するとリアルな印象を受けます。
2本同じものでなく、ちゃんとライトが前照灯と尾灯に区別されているところがエライと思います。
▼「シンカンセン」缶バッジサンリオの「シンカンセン」には、実在の新幹線車両をモチーフとしたキャラがたくさんあります。(オフィシャルサイトで数えたら14種類)
その「シンカンセン」玩具菓子のオマケになります。何種類かあるキャラのうち、昭和世代のジジイが選ぶのは0系由来のキャラです。買ったのはもう20年くらい前のことですが、今の子供たちにとっては0系や右の300系など遠い遠い過去の車両ですから、古臭く感じられるのでしょう。
▼ブリキ製ゼンマイ式0系新幹線(単品)Nゲージの線路上で撮影しましたが、決してこの状態では走れません。余談ですが道路を走っているのは、テッパチ着用「豆しば」が乗った豆のさやの軍用車?です。
▼ブリキ製ゼンマイ式0系新幹線(4両編成)
付属品である紙製線路のうえで撮影。スカートを含む下回りはプラ製です。先頭の動力車以外は1軸車です。進行方向は一方向に限定されバックはできませんが、最後部車両も運転室付であることはリアルで模型的?です。
▼ブリキ製無動力100系?新幹線(3両編成)ツクダオリジナルの「ぼくの連結でんしゃシリーズひかり」です。このシリーズにはブルトレとか他にも種類がいろいろあるようです。「100系新幹線」と勝手に書きましたが、商品に「100系」とはどこにも書いてありません。しかし塗分け及び0系より尖った先頭部の丸いカバー、切れ長のライトから100系と判断しました。とはいうものの、屋根の表現は0系のようにも見えます。何よりフシギなのは、先頭車に書かれた「1006」のナンバーで、これは東海道新幹線開業前に試作された国鉄1000形B編成のナンバーそのものです。けれども2・3両目の車体には「JR」とありナンバー表現もありませんから、100系と言い切れません。(JRに1000形は引き継がれていません)
想像すると、新幹線開業前、まさに「夢の超特急」の時代に試作1000形B編成ができたころに発売された製品の先頭部の丸いカバーを100系風の尖ったものに置き換え、車体塗分けを変更するなどのリニューアルを施して、無理やりJR移行後にJRの100系として再発売されたものか?
すべての乗降扉には、乗務員扉みたいに手すりとノブが付いているのも面白い。車内は満席の様子、運転士は2人乗務。先頭車両は1両だけで、あとの2両は貫通式切妻車になっています。尾灯まであるのですから、この状態で運転されることを想定しているのでしょう。妻面窓から見える人物は乗務員風ではなく乗客のようですから、ここは乗務員室ではなく展望室か出入台? そうなら、せっかく妻面に窓があるのに横向いてないで、流れゆく後方の風景でも見ていればいいのにとは余計なお世話か。
ところで、ブリキ製の新幹線のオモチャは、このほかにもたくさんあっただろうことは想像に難くありません。私は北名古屋市にある「昭和日常博物館」に行ったことがあるのですが、そこの展示物の中にも、興味を惹くものがいくつかありました。
その中には151系みたいにボンネット側面にJNRマークがある魅力的な大きなブリキ製新幹線が展示してありました。「昭和日常博物館」の展示物
車体に直接書かれた「東京⇔博多」「超特急 ひかり」の文字からは、ワクワク感が溢れてきます。実際には山陽新幹線博多開業時には「超特急」という列車種別は消滅していました。JNRマークの下には試作車1000形にしかないはずの運行表示窓?が表現されていて、画像では見えないかもしれませんが、そこには「A-021」と表示されています。正面スカート上部がV形の切れ込みがある塗り分けになっていることでも0系とは明らかに異なります。車体にあるナンバーは1001ですから試作1000形A編成のうちの1両ということになります。運転室窓は弧を描いた曲面ガラスのように見えるところも、明らかに0系とは異なります。しかしA編成はこんな塗り分けではなかったですからB編成にも見えます。(手持ちの書籍にある実車の写真には、A編成に「A-012」、B編成に「B-021」の表示が確認できます)
黒く大きな菱形パンタグラフも異様で、たいへん興味深い車両に見えます。
「昭和日常博物館」に、もう一つ、たいへんユニークなブリキ製新幹線車両がありました。
「昭和日常博物館」の展示物
0系新幹線のショーティ版で、どことなくJR四国の「鉄道ホビートレイン」を彷彿とさせる両運新幹線です。新幹線のイメージを壊さずに1枚プレスで成形加工された前頭部のデフォルメは秀逸です。在来線のローカル線に走らせたいと思わせる逸品です。
以上になりますが、ここで思うことを一つ。1000形・0系・100系新幹線車両をモチーフとしたオモチャの多くは、先頭部の丸いカバーが赤で表現されているのですが、これはなぜなのでしょう。先頭部の丸いカバーは、初期に「光前頭」と呼ばれ、ヘッドライトまたは赤いフィルターを通してテールライトから漏れた光で、光る構造だったとのことですので、光った状態を赤で表現したのでしょうか。どうも先頭が赤いと最後部のイメージが強く不自然な印象を持ってしまいます。
◆北名古屋市にある「昭和日常博物館」の展示物の画像は私が撮影し、「昭和日常博物館」ご担当者様からブログに掲載する際の条件を確認したうえで掲載しております。この画像に限らず、ブログ内容(写真及び本文ほか)の無断再使用は禁止しておりますので、ご承知おき願います。
この記事へのコメント
NAO
アップダウンクイズの、10問正解して夢のハワイに行きましょう、のオープニングを思い出しました。今は簡単に行けるのでしょうが、私にとっては今でも夢の地です。
乘り鉄であれ、仕事であれ、新幹線は乗らざるを得ないもののような位置づけかと思ってしまいます。どちらの移動であっても、目的地との往復は自分自身の送り込み・返却回送のようなものでしたので。数回あった苦情対応の出張で乘るのがいちばん辛かったような。
鉄に目覚める前の幼少の時期、我が家に昭和日常博物館のようなブリキ新幹線がありました。新幹線は私には敷居が高過ぎ、また大きさからして手にあまるようなものだったこと、そのあとはプラレ-ル好きになったので母親は処分したようですが、平屋の狭い家屋ではそうせざるを得なかったのではと思います。
数箇月前の家族旅行で何年ぶりかに新幹線に乗りましたが、「こだま」自由席は貸し切り状態でのんびり出来、新幹線で真の旅行気分になれたのは初めてのような気がしました。
しなの7号
「夢の~」から連想するのは、中央西線のSL最末期(1973年)、撮影の合間にイヤホンで聞くラジオから幾度でも流れていた「夢の中へ」(井上陽水)。洋楽だと、そのころすでにヒットしてから数年たっていたものの、自然と幾度も耳に入ってきた「夢のカリフォルニア」(ママス&パパス)。当時のラジオから流れていた曲を聴けば、その頃の線路端とSLにリンクします。
夢でなくなった新幹線は、人によっては日常の生活や仕事になくてはならぬものになり、あるのが当たり前になっていますが、災害や事故でストップしたときに、ありがたさが身に染みてわかるものです。
今のような玩具の安全基準などないころのブリキのオモチャの中には、端や角部で手を切ったりする製品もあったので、親としては気になったかもしれません。
やくも3号
たしかに最近は、『夢の〜』という言い回しを見かけなくなりましたね。
これは、理由として
①インフラの整備が進み、また、あらゆるものが手を入るようになり、人々の生活レベルが向上した結果、もう多くのモノは夢ではなくなったから
と考えるべきなのか、あるいは
②人々は目の前にある日々の生活を送るのが精一杯で、将来に夢をいだけるだけの余裕が精神的にも物質的にもなくなった状態になったから
と考えるべきなのか、迷いました。が、結局はその両方ともが当てはまるような気がします。
近い未来どころか、明日のことを考えている人も減ってきたでしょうか。
Q.『明日の日本のことを一番考えているのは誰?』
A.『気象庁』
というのがあながちギャグではなくなってきたような気がします。
木田 英夫
「夢の超特急」という言葉ですが、カツミ模型店の総合カタログの新幹線電車の解説の中に「夢の超特急は現実の超特急となって…」と説明がされていたかと思います。手許にもうありませんので間違っていたら申し訳ありません。
そして、超特急という列車名も博多開業の時になくなったとのことですが、こちらでは高速バスの「名神大阪線 超特急◯◯便 名古屋行き」に健在です。高速B.T.でこの案内放送を聞くと、思わず「おっ、超特急!」と反応してしまいます。
今日の新幹線では後期形のN700系が主力で初期形(カモノハシ、ICOCAのイこちゃんスタイル)の700系は既に一部が博物館入りとか?……新幹線といえば、のぞみではなく「ひかり」のイメージの強い古い人間にとっては、技術の進歩の速さが信じられません。
さて、将来700系がモデルチェンジする時に、形式はどうなるのでしょうか。800系は九州新幹線ですでに使用済み、900番台は試作車用の番号で使用できない。……
因みに地元の阪急電鉄では、9000系の次は戻って1000系となりました。初代の1000系はなくなっていたからでしょうか?デビュー直後はよく新1000系と呼ばれていました。
新幹線では、戻って「新ゼロ系」、それとも800と900を飛び越して「1000系」?まだまだ先の話でしょうが。(JR東海の社内では既に検討or決定済み!?)
今回も貴重なコレクションの写真を公開して頂き、ありがとうございました。木田英夫
しなの7号
テレビゲームが広まったころから「夢の~」と言われてきたことが、少しずつ現実に近い形で疑似体験ができるようになり、今では仮想現実(VR)で夢物語に参加することだって可能になったと申せましょう。夢だったことをバーチャル空間で次々と体感できるようになって、夢だったものがバーチャルの世界で完結してしまったようにも思えます。結果として、ホンモノを体験したような気になってしまった人は、ほんとうの夢を見失ってしまったということはないでしょうか?
もとより私は夢のない人ですが、かつてはぜひ再訪したいと思っていた遠い場所の現在の様子がストリートビューで見ることができてしまうようになると、実際に再訪しても感慨がなくなってしまったということや、再訪するのを取りやめてしまうことがあります。少し違うかもしれませんが、バーチャル空間でだいたいのことがわかれば、夢がしぼむこともあると思うのです。(逆にのめり込むこともあるかもしれませんが・・・)
しなの7号
カツミ総合カタログの新幹線電車の解説をよく記憶されていますね。私の家にあるのは1968年版のカタログですが、「東海道新幹線電車」のページにその表現があるのを確認しました。他の16.5㎜のカツミ製品が1/80であるのに対し、新幹線電車だけは1/87、つまりHOだったですね。
自分は高速バスや新幹線で出かける機会が、近年特になくなり「超特急」ということばも死語に近くなっています。ちなみに、「超特急」ということばをググると真っ先に音楽グループが出てきてしまいます。新幹線の世代交代は在来線より速いので、今は何が新型なのかさえ知りません。そもそもJR世代の車両そのものに関心が薄いので、何度聞いてもすぐ忘れてしまいます。今の超特急も新幹線も、かなり自分から遠いところを走っているようです。