今年は毎月1回、昨年中央西線名古屋口から去ったJR東海211系5000番台の 画像をアップしていくことにします。まず今回は、JR東海の211系とは、どんな電車であったのかを自分なりに振り返っておくことにします。
211系は旧国鉄で設計された電車で、名古屋地区では0番台2編成8両が1986年11月に国鉄最後のダイヤ改正でデビューして、117系とともに東海道本線の快速に使用されていました。国鉄分割民営化された後、JR東海では1988年から車内設備をロングシート仕様として補助電源を変更するなど仕様変更された5000番台が続々と製造されて、国鉄から引き継がれた電車を置き換えていきました。
5000番台は最初に中央西線名古屋口で運用され始めてから、1991年まで製造され、JR東海管内での運用範囲を広げていきました。
名古屋駅から出ていく中央西線の列車を後方から撮った画像です。背景のビルはJR東海太閤ビルです。このビルが完成したのが1992年でしたから、211系5000番台がJR東海の最新鋭電車として全車がそろった直後にあたり、両者は国鉄分割民営化による新しい鉄道の象徴のような存在に思えます。ちなみに211系の後継系列となった313系が営業運転を開始した年は1999年で、現在の名古屋駅がある高層ビルJRセントラルタワーズが竣工した年でもありました。
こちらはJR東海の第二世代の象徴ということになりましょうか。
211系5000番台がデビューしたころの中央西線名古屋口では、国鉄から引き継がれた103系は3両と7両,113系は4両と6両の編成を組み合わせ、最大10両編成で運用され、ローカル列車の中心となって使用されていました。211系5000番台では3両編成と4両編成とが製造され、それを組み合わせて最大10両で運用されました。
デビューした1988年に美乃坂本~中津川間で撮影した10両編成です。
かつては3両編成単独運用も見られました。
下は1996年に定光寺~高蔵寺間で撮影した3両編成です。
中央西線のローカル列車は211系5000番台ばかりになるのかと思えばそうでもなく、のちに国鉄車を置き換えるために313系が登場し、313系との併結運用も多く見られました。その時点で211系5000番台は主役ではなくなったことになります。
こういう異系列併結列車を利用する場合は、特別混雑した時間帯でなければ転換クロスシートの313系のほうに乗ろうと思いました。それ以前でも列車に乗るときは211系5000番台を避けて後続の113系の列車にしたこともあるくらいでしたから、自分にとっての211系5000番台は、最初から最後まで好みの電車ではありませんでした。思えば中央西線の電車は70形・72形・80形・103系・113系(2000番台を除く)など、他地区からの流れ者の中古車が長年使用され、列車ごとに使用形式や編成両数がが異なっているのが当たり前でした。そういう状況では新しい電車が必ずしも快適というわけでもなくて、どんなに古くてもサハ75やクハ85の居住性の良さは別格でしたし、少々新しくても暖房の効かない寒い113系0番台は最低でした。211系5000番台投入直後の中央西線には117系快速もあった時代でしたから211系5000番台歓迎という気持ちはなく、新製時から利用者や鉄道ヲタクに歓迎されることが少ないかわいそうな運命であったと思います。
いちばんの欠点は当初はトイレの設備がなかったことで、これは私の偏った感想に関係なく、一般乗客からの苦情が殺到したようでした。国鉄時代には72形・103系というロングシートでトイレがない列車がありましたが、運転時間がおおむね1時間以内の名古屋~瑞浪(のちに釜戸)間に限定して運用されていました。ところが211系の運用は南木曽までありましたから、恵那・中津川あたりの乗客はトイレがないロングシート車は初体験だったはずです。たしか沿線の市議会でもトイレの問題が提起されJRにトイレの設置を要望したと記憶します。
そこで、JR東海では新たに増備するクハをトイレ付で新製するだけでなく、静岡地区向けに3両編成を新製する際に、クハだけを中央西線用としてトイレ付として製作して神領に配置し、押し出されたトイレがないクハと差し替えることで対応しました。その結果、中央西線の211系5000番台のうち4両編成の塩尻方クハすべてにトイレが付き、中津川行など運転時間の長い列車には必ず4両編成を使用することによって問題が解決されたのでした。しかし3両編成だけで組成された短区間の列車にはトイレがないわけですし、差し替えられた4両編成のトイレなしクハは静岡地区に転用され不評を買ったので、完全解決とは言えませんでした。
JR東海の211系5000番台には製造時期によって1次車から4次車までに分類されます。通勤をはじめ実家に行くときなど、いろんな場面で211系5000番台に乗る機会は多かったのですが、それほど車両そのものに興味を持っていたわけでもなく、細かい設備の違を気にしていたわけでもありませんでした。それでも非常によく目立ったのが側面行先表示機が1次~3次車で変化していったことでした。
1次車がデビューして、地元で初めて見る側面行先表示のLED表示はたいへん目立ちました。
これが2次車では113系のような回転字幕式に戻りました。
実際、光線状態によってはまったく表示内容がわからなくなってしまうLEDより見やすくなりましたし、昔から(小学生低学年のころ手回し式のバスの正面行先表示の時代から)字幕の内容が次々と出てくる様子をワクワクして見ていた者としては、歓迎でした。
1次車のLED仕様、2次車の字幕仕様ともに、側面行先表示機窓の上下寸法は車両幕板にあるオレンジ色の帯と同じでした。しかし3次車以降では字幕使用のまま上下寸法が大きくなり、より視認性が良くなりました。
3次車の側面行先表示機窓は、国鉄時代に製造された0番台と同じサイズに戻ったことになりますが、JR東海の0番台は列車種別幕(先頭字幕と連動)と行先幕を別個にした方式に改造されていましたから、機能は同じではありません。
(比較のための0番台の側面行先表示機)
ということで、211系5000番台には3種類の側面行先表示機が存在するわけですが、サハは3次車以降製造されていないので、大きい側面表示器のサハはJR東海には存在しません。一方で前述のトイレ付のクハ(5300番台を名乗る)は3次車以降で製造されていますので、トイレ付きのクハには大きい側面表示器の車両しか存在しません。ですから中央西線の4両編成の211系5000番台には必ず編成中に大小の側面表示が混在し、1次車が含まれた編成にはLED表示車もあるわけで側面表示の仕様が統一されているトイレ付編成はありませんでした。国鉄時代のように車両単位の組み換えが少なくなったJR世代の車両のなかにあって、こうした編成中の車両組み換えの名残を見られることも211系5000番台の特徴であり、歴史を物語っているわけです。
そのほかの製造時期による違いもありますが、撮影してあった画像を見比べてみて外観上の違いに納得することもあります。
同じような2枚の画像ですが、赤丸部分に明らかな違いが見受けられます。
上が2次車クモハ211‐5025
下が4次車クモハ211-5618
正面の運行表示器は4次車では廃止
側面行先表示器は3次車以降大型に改良
車外スピーカは4次車で位置変更
(3次車までは窓間に設置。4次車では屋根の冷房装置のカバー内に設置。そのため冷房装置のカバー切り欠き形状が異なる)
211系は1988年から1991年までの3年間にわたって製造されていますが、少しずつ改良されていったことがわかります。
ということで、今回はJR東海の211系5000番台について書きました。来月からは(それほど説明を要することもないので)毎月1回中央西線で撮影した211系画像をただただ並べていく予定にしています。
この記事へのコメント
やくも3号
211系、同じに見える車両でも、子細な設変がなされているのですね。
数年前に、太多線の初乗車の際にやって来たのはキハ25でしたが、ありがたいことにクロスシートで、沿線風景を楽しむことが出来ました。
また逆のパターンで、伯備線では105系がやって来て、新見まで1時間半ロングシートで腰痛に耐えたことがありました。やくもにするべきだったと後悔したことでした。
そういえば、子供のころに、京阪神地区にも153系ブルーライナーを二本繋げて12両にした快速電車が朝夕だけありました。快速なのに近郊型車両ではなく、急行鷲羽ばりのカッコよさに、大はしゃぎしていたことを思い出します。
それに対し、数日前、新型やくものお披露目にあわせて?リバイバル鷲羽号なるものが運転されましたが、こちらはセミクロスシート115系だったようです。そこは残念ですが、仕方ありませんね。
しなの7号
211系に限ったことではないですが、同じ系列でもセミクロス仕様とロングシート仕様とがあるように、乗ったら期待外れということがあるものですね。美濃太田のキハ25は現在両仕様が共通運用されているみたいですから、運次第ということです。
105系で1時間半ロングシートは辛いですね。私も数年前に18きっぷで熱海に行ったときに、往復とも211系のロングシートで腰をひねった姿勢でずっと富士山を眺めていたからか、帰ってから腰の調子が悪くなって、しばらく移動に支障が出たことがありました。
115系の急行とは、どこが「鷲羽」でどこがリバイバルなのか「?」ですね。
木田 英夫
最近のコメントの目次からこちらに入りました。割り込み失礼致します。
近郊形115系の急行鷲羽ですか……。
約50年前の新幹線開業前の西ノ宮〜芦屋間、急行といえば153 or 165系の鷲羽、特急といえば181系のうずしお、しおじ。快速はグリーン車付きの113系。そして夕方には、しなの7号様に列車名を調べて頂いた581系はと、こちらのブログにも登場する交直流形の急行玄海やEF66のレサ編成…の時代を知る者にとっては「何?」という思いです。
思わず「遜色急行」や、こだまならぬ「替えだま」を思い出してしまいました。この言葉は、今の若いファンの方には通じないかも知れません。
おそらく湘南色をした急行形電車が殆どない(であろう)ため
に、同じ色の近郊形の115系が代走したのでしょう。
いっそのこと、LED字幕に改造された223系を用い、字幕部分に急行鷲羽の表示を出し、有料座席Aシート車にはグリーン車マーク(あるいは「1」の表示と窓下に薄緑の帯)を付けて「新鋭車両で甦った急行鷲羽」とした方がまだスッキリすると思います。
でも、それでは「窓の開かない電車では雰囲気が出ない」「やはり湘南色でないとダメだ」という苦情が来そうです。
リバイバル列車や復刻塗装、本当に難しいです。
いつもありがとうございます。木田英夫
しなの7号
国鉄由来の列車が希少になりましたから、リバイバル列車ひとつ運転するにも大変な時代になってきました。国鉄時代を知る人々には突っ込みたいことはいくらでも出てきそうですが、全車指定席で募集人数は100名に対して応募者は約3500人だそうです。立派に商売になっているようですし、そういうツアー列車なのねと生暖かく見守っていただければよろしいかと思います。
そうは思ってもどこが鷲羽のリバイバルなのか「?」・・・湘南色がリバイバルなのでしょうね。211系だって帯色は湘南色。その湘南色の電車が我が地元で走り始めて55年めにして姿を消しました。