毎月、その月に因んだ楽曲を1曲ずつ選んで語っています。選曲にあたっては個人的な志向や趣味に偏ります。昭和の時代に発表された曲が多くなると思いますが、必ずしも昭和のヒット曲とも限りません。なお、私は音楽や詩の世界にはまったく通じていませんので、作詞者が描いた世界とは外れたことを語ることもあると思いますがご容赦願います。楽曲や作詞作曲者歌手について知らないことやデータなどはWikipediaとCD等のライナーノーツを参考にします。
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9月の歌は、五木ひろしさんが歌う「千曲川」としました。
千曲川
作詞: 山口洋子
作曲:猪俣公章
編曲:森岡賢一郎
水の流れに花びらを
そっと落として泣いたひと
忘れな草にかえらぬ恋を
想い出させる信濃の旅よ
明日はいずこか浮き雲に
煙りたなびく浅間山
呼べどはるかに都は遠く
秋の風立つ すすきの径よ
一人たどれば草笛の
音色哀しき千曲川
よせるさざ波くれゆく岸に
里の灯ともる信濃の旅路よ
◆Youtube: https://www.youtube.com/watch?v=UPkIGJSRLtk
明らかに「9月」または「初秋」で思い当たる楽曲はいろいろありすぎくらいでした。そのなかで、「千曲川」にしたのは、個人的に信州ファンだったことによります。千曲川はご承知のように日本一長い信濃川の長野県部分が千曲川と呼ばれているわけで、この歌は長野県のご当地ソングです。
曲の2番の末尾に「秋の風立つ すすきの径よ」とあるので9月にふさわしいと考えました。ひとつ引っ掛かるのは1番のなかに春から初夏に咲く「忘れな草」が出てくるので、秋の歌とも言い切れないのかもしれませんが、私はいつも書くように人ごみが苦手で、夏休みの観光客の雑踏が消えた9月の信州のほうが好きですし、感傷の旅に出た旅人を歌ったこの曲には9月のほうが似合っているように思えます。画像は中山道徒歩の旅の途中に渡った千曲川です。右手前に「舟つなぎ石」が見えています。洪水のたびに橋が流されるため、明治初期に9艘の船をつないで、その上に板を架けた「舟橋」が作られました。その舟をつなぎとめたのが「舟つなぎ石」で、舟をつなぎとめるための穴(上部の黒い部分)が開けられています。それほど洪水が多い川で、2019年秋の令和元年東日本台風で北陸新幹線の車両10編成が水没したことは記憶に新しいですが、ふだんは静かに流れ、海がない山国である信州の里の風景の一部になっています。この詞は実際に千曲川に赴くことなく作られたそうですが、浅間山がでてきますから、流域のなかでも佐久地方の風景の印象です。
そして、下の画像はさらに下流の千曲市内を流れる千曲川です。この画像右端にある橋の袂近くに、この歌の歌碑があるとのことです。
千曲川を由来とする地酒があります。千曲錦製造元ホームページによると「四季のはっきりとした信州の深まる秋に、眩いばかりの美しい紅葉が千曲錦の川面に映えている様を美酒に重ねて「千曲錦」と命名された」とあります。
ところで、かつて大阪と長野を中央西線を経由して結ぶ急行「ちくま」という列車の愛称の由来は、千曲川でなく地方名である「筑摩」だとされています。ひらがな表記だと紛らわしいですが、急行「ちくま」の運転区間でも篠ノ井線姨捨駅付近から数キロ下流の千曲川を見下ろすことができます。個人的には姨捨から見おろす千曲川にいちばん馴染みがあります。
小学生時代の家族旅行以来、国鉄在職中の乗務中の列車から、国鉄退職後の平成時代に毎年続けた善光寺参りでの列車・高速バス・自家用車からと、何度も見た風景です。
「中央をちょうど帯を延べたように流れておりますのが、島崎藤村の千曲川旅情の歌で知られる千曲川でございます」
(【972】国鉄時代の観光案内車内放送:「しなの」(4-4)中の録音「国鉄時代しなの号車内放送4」4分16秒~)
◆参考にしたサイト等
佐久市ホームページ・千曲錦製造元ホームページ
Wikipedia:千曲川 (五木ひろしの曲)・信濃川
◆(SeesaaブログではJASRAC管理楽曲の歌詞掲載が可能とされています。)
https://info.seesaa.net/article/409706387.html
https://www.jasrac.or.jp/smt/news/12/1212_1.html
この記事へのコメント
やくも3号
『千曲川』『道頓堀川』『長良川』など実在する川の名を冠した歌は多いですね。そのほとんどが演歌で、ほかにも『なみだ川』や『みれん川』のように「悲哀を表す語+川」で造語されているものもありますが、川のつく歌のほとんどは情感の深いもので、季節も秋や冬である気がします。
それに対して「山」や「丘」のつく歌は、登山を連想させる楽しげなものが多いように思います。
「谷」のつく歌はアニメの主題歌以外は思い当たらず、少し寂しい気がします。(理由は・・?)
↓ 今年はこおろぎはまだ鳴きません
しなの7号
山には登らないと向こう側の世界が見えませんから、登って下界を見おろしたい、反対側を見たいという前向きな夢のある気持ちになれます。ところが川は対岸が肉眼で見ることができる距離なのに簡単には渡れないもどかしさがあります。そういうことから、川は思い通りにならない境界線に例えられ情感の深い歌が多くなるのではないでしょうか?
南北に分断されてしまった祖国を思い朝鮮半島の軍事境界線付近の臨津江を歌った「イムジン河」という歌もありました。(私が小学5年生ごろ、担任の先生が音楽の時間に教えてくれました。)
「男と女の間には深くて暗い河がある」と歌われるのは「黒の舟唄」
部落問題を扱った著作のタイトルには「橋のない川」
川は渡るに渡れないことの象徴になっていますね。
「谷」の歌・・・あいにく私は聞いたことがない歌でした・・・↓
https://www.youtube.com/watch?v=WM4WZJ5C134
ちょっと秋らしくなったのはほんの一時だけで今日も暑いですね。でも今夜もコオロギの演奏が聞こえます。日中はセミの声がほとんど聞こえないことで真夏でないことに気付きます。
やくも3号
ありがとうございます。なるほどそうですね。
「ルビコン川を渡る」という言葉を思い出しました。渡ったとしても、後には戻れないという意味でしたっけ。
上にご紹介いただいた北島三郎さんの歌、Youtubeを見た瞬間、自分が呼ばれたような気がしました(謎)
京都では今夏はセミの鳴き声すら聞いた記憶がありません・・
しなの7号
今日も真夏と変わらない暑さです。それでもこちらは、やや田舎なので昼間には川沿いには赤トンボが飛び交っていて、小さい秋を見つけることはできます。暑さ寒さも彼岸まで、、、そういえば三途川も渡ったら後には戻れないですね。
木田 英夫
2枚目の、浅間山をバックに走る特急あさま号。場所は信濃追分か御代田でしょうか。毎年夏に、クルマでですが群馬県安中市の家内の田舎に里帰りしていたことが懐かしく思い出されました。
実際に乗ったのは快速妙高号、直江津から長野まで、1回だけです。東京出張の行きに、こちらの7枚目の写真の辺り、姨捨山のスイッチバックを体験するために直江津廻りで行ったときです。直江津〜長野間にも1ヶ所あったように思います。
そして5枚目と6枚目の夜行急行ちくま号。丁度この写真の前後、20系客車とワイドビューしなのの時に1回ずつ乗っております。20系は東京出張の帰り、塩尻であずさ号から乗継ぎ。ワイドビューしなのは、仕事が終わった後、家内の祖母の葬儀に出席するためで、長野から安中榛名までは新幹線利用でした。
両方とも今日では見られない列車です。当時にタイムスリップした気持ちです。いつもありがとうございます。
木田 英夫
追伸
狩人のコスモス街道の歌に「右は越後へ往く北の道。左は木曾まで往く中山道。」という歌詞があります。最初聞いたときには、移転前の塩尻駅のことかと思っていました。
正解はこちらの2枚目の写真辺りですね。
大変、失礼致しました。
しなの7号
特急あさまの撮影場所は平原~御代田間です。
快速妙高、私は逆の長野→新井間で乗ったことがあります。
姨捨の展望は信州のシンボル的な風景のひとつだと思っていますが、それを車窓から眺められるというのが素晴らしいです。中央西線では藪原~奈良井間の鳥居峠が木曽川と千曲川水系奈良井川との分水界で、長野県の北半分のほとんどが千曲川(信濃川)水系ということになります。鉄道旅・自動車旅のどちらでも信州の地形を脳裏に描きながらの移動は毎回飽きることがありません。
狩人が歌った「コスモス街道」の歌詞で「右は越後へ行く北の道 左は木曽まで行く中山道」という部分の出典は立原道造という詩人の「村はづれの歌」という詩の一節だそうで、
【267】 中山道宿「駅」巡り4
https://shinano7gou.seesaa.net/article/201204article_7.html
の中のうち「第20次 追分宿」の常夜灯がある中山道と北国街道の追分(国道18号沿い)が歌われているとのことです。
木田 英夫
鳥居峠の分水界の詳しい解説、ありがとうございます。鉄道雑誌か旅行ガイドにも、太平洋側と日本海側に分かれる分水嶺で、トンネルを抜けるとそれまで南向きに流れていた木曽川の流れが北向きに変わる。と紹介されておりました。
昭和49年の中三の時の木曽御岳方面への修学旅行以来、何回か訪れている木曽路ですが、本当に心和むといいましょうか、穏やかな景色です。機会があれば、是非もう一度行きたいと思っております。
追伸
木曽路のシンボルといえば、やはり御岳山、寝覚の床、宿場町の跡といったところでしょうが、クルマで木曽路を走っている時は、あの2枚の大きな看板「七笑」「中乗りサン」を見つけると、「あ〜、いよいよ木曽路にやって来た」と思ってしまいます。大変失礼いたしました。
いつもありがとうございます。木田英夫
しなの7号
分水界に追分、どちらもそこを境にまったく行く先が変わってしまう運命的なスポットですね。
車窓から見る木曽の風景も鳥居峠を境にして北側にカラマツが多くなる印象です。国道19~20~142号(鳥居峠~塩尻峠~和田峠~笠取峠)と進んでいくと、路傍の看板も峠を境に木曽の酒から諏訪の酒、そして佐久の酒の看板に移っていくのが楽しいです。