【1503】 中央西線名古屋口の211系を偲ぶ(3)

今年は例年より遅れながらも各地で桜の開花が報じられています。そこで今回は春日井市内の中央西線沿線に咲く桜と211系のコラボレーション画像を集めてみました。古い順に掲載していきます。 ▼高蔵寺―定光寺 1996年4月高座山の麓で、このあたりが濃尾平野の縁にあたります。このころの中央西線にはまだ国鉄から引き継がれた車両が多く残っており、当日のネガには、103系・113系・381系が写っています。 そういえば「昭和47年7月豪雨」のときに、この付近で崩れた土砂に突っ込んだ70系普通電車が脱線転覆しています。開通後しばらくしてから通過する列車の車窓から、転覆して法面に転落した車両を見たことを記憶しています。この「昭和47年7月豪雨」では、この地方では東濃鉄道駄知線で土岐川鉄橋の橋桁が流出し、運転休止期間を経てそのまま廃止になってしまいました。もう50年以上も前のことですが、忘れられない災害でした。 ▼勝川―春日井 2010年4月8日背後にある水林公園の桜を入れてみました。この後しばらくして公園の背後にマンションが建築されました。気付かないうちに周囲の風景も走る列車も変わっていきます。 ▼高蔵寺―神領 2012年4月8日高蔵寺駅の神領寄りに新繁田川があり、そこに桜並木があります。川の名称に「新」が付されていることから想像できるように、高蔵寺ニュータウン造成に合わせて「旧繁田川」の流路を変更してできた新しい川です。 ▼高蔵寺 2014年4月1日昨年、「高蔵寺駅改築記念植樹」の石碑…

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【1500】 中央西線名古屋口の211系を偲ぶ(2)

毎月1回、昨年までに中央西線名古屋口から去っていったJR東海211系5000番台のことを書いています。今月は沿線や駅で撮影した画像のうち、鉄道写真的にはどうかと思える、つまり説明を要するような画像?を中心に掲載します。 2006年2月11日 中津川~美乃坂本間(上り線) 去り行く列車を後方から撮影した画像です。この画像は以前にもアップしたことがあります。撮り鉄が集合していますが、左端の人を除けば誰もこの列車に関心を示していないように思えます。私を含めて、このときのお目当ては、この画面のさらに右側にある下り線にやがて姿を現すはずのEF64-0の国鉄色重連貨物列車でした。下り列車なら試し撮りでファインダーを覗いたりするのでしょうが、まったく無視です。中央西線の211系とは、いつでもこういう存在だったわけで、私が撮影した211系が写っている画像ファイルの大多数も、何かのついでに撮影したにすぎません。最初から最後まであまり注目されない地味な電車だったと思います。 2022年11月14日 神領~高蔵寺 誰が見ても中央西線で撮影したことがわかる場所ということで、以前にもこの場所で他車種の画像を掲載したことがあります。これがまったくの日常風景でした。これもお目当てだったEH200の貨物列車の直前に通過していった列車です。 2023年2月9日 神領~高蔵寺 何かのついでに撮影するだけの211系でしたが、この場所(大垣戸公園)に限っては211系そのものがお目当てでした。もう315系が増殖…

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【1497】 中央西線名古屋口の211系を偲ぶ(1)

今年は毎月1回、昨年中央西線名古屋口から去ったJR東海211系5000番台の 画像をアップしていくことにします。まず今回は、JR東海の211系とは、どんな電車であったのかを自分なりに振り返っておくことにします。 211系は旧国鉄で設計された電車で、名古屋地区では0番台2編成8両が1986年11月に国鉄最後のダイヤ改正でデビューして、117系とともに東海道本線の快速に使用されていました。国鉄分割民営化された後、JR東海では1988年から車内設備をロングシート仕様として補助電源を変更するなど仕様変更された5000番台が続々と製造されて、国鉄から引き継がれた電車を置き換えていきました。 5000番台は最初に中央西線名古屋口で運用され始めてから、1991年まで製造され、JR東海管内での運用範囲を広げていきました。 名古屋駅から出ていく中央西線の列車を後方から撮った画像です。背景のビルはJR東海太閤ビルです。このビルが完成したのが1992年でしたから、211系5000番台がJR東海の最新鋭電車として全車がそろった直後にあたり、両者は国鉄分割民営化による新しい鉄道の象徴のような存在に思えます。ちなみに211系の後継系列となった313系が営業運転を開始した年は1999年で、現在の名古屋駅がある高層ビルJRセントラルタワーズが竣工した年でもありました。 こちらはJR東海の第二世代の象徴ということになりましょうか。 211系5000番台がデビューしたころの中央西線名古屋口では、国鉄から引き継がれた10…

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【1494】 2023年の中央西線

昨年(2022年)春から順次中央西線名古屋口に投入されてきたJR東海の315系0番台8両編成は、今年9月までに23編成全車が落成し、10月7日以降の名古屋~中津川間の定期ローカル列車はすべて315系になりました。近年の私は鉄道を利用する機会がめっきり減ってはいましたが、日常生活の中で中央西線沿線で見かける211系が日を追うごとに少なくなってゆき、真新しい315系が増殖していることは感じ取れていました。これまで中央西線名古屋口で使用されてきた神領区の211系5000番台はすべて廃車されてしまい、一つの時代が終わったような気がします。 それとは別に、313系のほうも、昨年(2022年)春から中央西線名古屋口の全ローカル列車が8両化されてからは、1300番台2両編成が211系5000番台3両×2の名古屋方に連結されて運用されていましたが、それも315系に統一されたので中央西線名古屋口の定期ローカル列車から313系も消えたことになります。 愛知県内の中央西線で313系に乗車する機会はなくなりましたが、神領車両区から送り込まれている木曽地区や他線区で運用される313系回送列車を見ることができます。 定光寺~高蔵寺間での上り回送列車(後方から撮影)です。 315系8両編成に統一されたあと、これを書いている時点では0番台8両編成に混じって3000番台4両を2本連結した代走編成1本が運用されています。 私は昨年7月から約1年半もの間、中央西線を利用したことがありませんでした。今年は一度も公共交通機関…

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【1488】 義父が写した写真(後篇)

▼初代のダットサンブルーバードでしょうか。なぜ後続車を撮影したのかわかりません。古い車だと思って写したのか? 実は2台以上で出かけて、同行者のクルマを写したのか? 場所も特定できませんが、こういう風景は国道19号の木曽や142号和田峠あたりのイメージに近いような気がいたします。 ▼KE70系カローラリフトバック 1980年代中頃の撮影かと思います。義父が乗っていたのがこのクルマでした。偶然にも、私もこの時代にAE70系カローラハードトップ(KEは1300㏄・AEは1500㏄)に乗っていましたから、この型のカローラはお気に入りです。 ▼梅小路蒸気機関車館です。かつて扇形庫の裏側にあった展示運転線のD51 200。義父は鉄道オタクではありませんでしたから、鉄道関連の写真はきわめて少なく、今回アップした以外に鉄道画像はありませんでした。しかし、旅は好きだったので、こんなところにも行ったのでしょう。 この写真の直前のカットではないかと思われる写真をもう1枚。 背後の貨物線をDD13が牽引する貨物列車が通過していきます。 旗振り氏の風体はいかにも国鉄らしい・・・ ▼485系200番台「やまばと」です。どこで撮影したのか?と思い、次の写真を見て思い当たりました。 ロータリー除雪車です。見覚えがあります。これは鉄道100年を記念して開催された神領電車区の公開イベントでの展示車両に違いなく、右には72形らしきスカ色の電車も見えますし、プリント枠右下の表記から1972年の撮影のようですか…

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【1483】 変わりゆく風景(2):伊勢柏崎・美乃坂本・EF65PF

「変わりゆく風景」の第二回めは、一昔前の駅やその周辺の風景、そしてEF65電気機関車について、年月とともに変わりゆく画像を比較してみましょう。 ▼2008年6月に列車内から撮影した紀勢本線伊勢柏崎駅 国鉄時代、921・924の両列車で荷扱をしていたころの木造駅舎は解体され、いわゆる「貨車駅舎」になっていました。 角型鋼板屋根、両開鋼板扉、車体接合部に見られるリベットからワム70000形式だと思われます。 それから4年後2012年10月、同じように旅の途中に同じ場所を撮影 「貨車駅舎」はなくなっており、折板屋根の鉄骨造で開放的な待合所に置き換えられていました。 そういえば、あちこちでよく見かけた再利用廃貨車(ダルマ)も、近年は数が減ってきました。 ▼リニア中央新幹線の岐阜県駅は中央西線の恵那・中津川間にある美乃坂本駅付近に建設されることになっており、現在は工事が進捗中です。 【1481】「リニア中央新幹線」の看板では、恵那駅と中津川市役所付近にある「リニア中央新幹線」の看板の移り変わりについて書きましたが、着工前の2014年の美乃坂本駅前には、こういう看板がありました。 この看板があった場所は4年後の2018年3月には下のようになっていました。 この看板が掲げられていた建物は、取り壊されてしまっていました。看板はよそへ移設されたものか、それとも建物といっしょに取り壊されてしまったのかは知りません。この看板があった建物の跡地(擁壁の上)は駐車場として利用されてい…

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【1482】 変わりゆく風景(1):高蔵寺駅・八草駅・極楽駅

十年一昔と言いますが、自分の中では最近10年間はついこの前のように感じます。それは年齢のせいかもしれませんが、世の中の移り変わり方が、より速くなってきたのも確かだと思います。 一昔前の画像を見ると、今とは大きく変わったことに気が付くことも多くなったようです。今回はそうした一昔前の駅の画像と現況画像とを比較して、時の流れによる変化を確認してみようと思います。 ▼中央西線高蔵寺駅ホームから名古屋方を見た画像 2003年11月に撮影しています。 ホームに接する線路は愛知環状鉄道のものです。いったん途切れた線路の先には一直線に敷かれた線路が中央西線の上り線に向かって敷かれ、その先で合流しています。愛知環状鉄道開業時から、ずっとこの状態で、線路はJR線とはつながりそうでつながっていませんでした。そのため、JRから愛知環状鉄道に乗り入れる検測車や団体専用列車は、国鉄岡多線時代から線路がつながっていた東海道本線岡崎駅を経由していたのでした。 その後2005年に「愛・地球博」が、愛知県で開催されました。名古屋から会場へのアクセスルートとして、JR東海の中央西線高蔵寺を経由して、リニモ(愛知高速交通)との接続駅となる愛知環状鉄道の八草駅(期間限定で万博八草駅に改称)へ直通する「エキスポシャトル」が運行されることになり、両鉄道の線路がつながることになりました。 こちらは、線路がつながったあと2018年12月にホーム先端で撮影した列車の画像です。「愛・地球博」の閉幕後は愛知環状鉄道に直通する定期…

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【1468】 中央西線昭和以前の遺物(春日井市内)

前回の記事で、春日井市内の中央西線沿線に掲示されている看板について現況調査をしましたが、その際に中央西線の施設で、開業時の面影を残したまま現役で使用されているものや、既に使われなくなったもの及び記念碑的なものも見てきました。新守山~勝川間にある庄内川橋梁付近から定光寺駅付近に向けて順にレポートしていきます。 (今回は定光寺~古虎渓間の旧線廃線跡「愛岐トンネル群」には訪れていません。) ◆庄内川右岸堤防にある橋台(新守山~勝川) 庄内川の右岸堤防下に川と並行するように通っている道路を跨ぐ単線時代の橋梁の、庄内川堤防寄りの橋台が残っていました。橋桁はなく、橋台は高さ制限バーの支えとして利用されていますが、反対側(勝川方)の橋台は取り壊されています。コンクリート製ですから開業以来のものではないと思われます。ネットで古地図を見ると、下を通る道路は中央西線の開通前からあるようですが、単線時代に、道路の拡幅等の理由で橋りょうが架け替えられたのではないかと想像します。画面左が、すぐ近くの庄内川に新橋梁が建設されるとき併せて新造された現在の中央西線の橋りょうです。 ◆煉瓦造トンネル状の通路(新守山~勝川) 土木工事のことには疎いのですが、こういう構造物を溝渠(カルバート)というのでしょうか。庄内川堤防から百数十メートルほど北にあります。中は道路(自動車通行不可)になっていますので、入ってみると明治時代の遺跡に紛れ込んだような気になります。途中からコンクリート製に変わってしまい、現在の線路はそのコ…

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【1457】 2022年の中央西線 

JR東海の3月ダイヤ改正直前に中央西線には新形315系がデビューしました。このダイヤ改正では名古屋~中津川間のローカル列車が終日8両編成に統一されたことが大きな変更点でした。それまでは4両から10両編成まで、さまざまな車種による編成パターンがあったのですが、改正後は、 「315系8両」 「211系5000番台(4両+4両)」 「211系5000番台(3両+3両)+313系1300番台(2両)」 の8両編成3パターンに統一されました。そして、それも来年度末には名古屋~中津川間のローカル列車は「315系8両」に統一されるとのことです。211系5000番台は国鉄分割民営化後に新造された電車ですが、もう世代交代かと思うと、時の流れの速さだけが身に沁みます。趣味的視点に限れば、ずいぶん長きにわたって列車編成のバラエティを楽しませていただきましたが、子供のころから見ていた統一感のない中央西線のローカル列車の印象はあとわずかで払拭され、新時代を迎えることでしょう。 実は近年の私は中央西線に乗車する機会はめったになく、今年は7月に短区間を1往復したきりで、そのときは往復とも211系でしたから新鋭315系にはまだ乗ったことがありません。しかし沿線では日常的に見かけます。 以前にも書いたことがある春日井市内にある大垣戸公園から315系を撮影してみました。211系をこの場所で見られるのはあと1年と少しになりましたが、この211系を模したトイレは、このままずっと残るのでしょうか。まことにどうでもいい話ではあり…

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【1450】 2022年に日本の鉄道は「150周年」を迎えました

150年という長きにわたりご活躍され、今日のこの日をお迎えになったことに、謹んでお祝いの詞を申し上げます。 思えば物心も付かない幼少時から、いつも貴方は私の友であり、人生に潤いを与えてくださいましたことに感謝します。この先、ますますの発展をお祈りしております。 旧新橋駅(復元駅舎) 旧新橋駅0哩標識(国鉄汐留時代) 1号機関車(明治100年記念入場券)以上、日本の鉄道開業時に因む画像でした。日本の鉄道はここから始まりました。 1号機関車はのちに150形という形式を与えられました。150周年にふさわしい形式でもありますので、交通博物館で展示保存されていたころの画像を。 交通博物館が閉館した後は大宮鉄道博物館に移設され今日に至ります。 「150」に因む機関車として、国鉄からJR西日本に引き継がれた電気機関車EF58の150号機の画像を。 38年前「サロンカーなにわ」に乗務したときに、この150号機が牽引していました。現在は現役を引退し、京都鉄道博物館で展示保存されています。(画像の左) 日本の鉄道150周年を迎えた今の、地元中央西線と周辺の様子を確認しておきます。 今年春から新形電車315系がデビューしました。 2022年10月13日の中央西線美乃坂本駅その近くではリニア中央新幹線の建設が進んでいます。 岐阜県駅が建設されると、このあたりはまったく違った街に変貌していくのでしょう。 <2022年10月15日斜字部分追記・画像2枚追加> そ…

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【1449】 1972年に日本の鉄道は「100周年」を迎えました

これは国鉄名古屋鉄道管理局が主に部内の業務用として発行していたポケット時刻表の1972年10月2日ダイヤ改正版の表紙です。「鉄道100年」のロゴマークが入っており、その年が日本の鉄道開業100周年でした。 この年3月には山陽新幹線が岡山まで開業しました。 「ひだ」は高山本線経由で名古屋と金沢を結ぶ気動車特急でしたが、1日1往復しかありませんでした。 C62がまだ北海道でわずかに現役だったことは裏表紙の説明でわかります。 鉄道100周年はSLブームと重なっていました。この入場券は5枚セットの中の1枚で、時刻表と同じ「鉄道100年」のロゴマークが入っています。木曽路D51号は快速「木曽路」(名古屋~木曽福島)とは別に、この年の秋に松本~南木曽間に運転された国鉄長野鉄道管理局仕立ての臨時列車で、ヘッドマークからも鉄道100周年を意識していたのでしょう。(再掲画像) 以前に「【828】撮り鉄12か月…1972年10月「鉄道100年 神領電車区」」で神領電車区(現在の神領車両区)で、車両の展示イベントがあったことや、国鉄が職員に配った記念品のことを書いていますので、よろしければご覧ください。 その神領では新車の485系200番台が展示されましたが、485系はすでに過去の車両となって久しく、車両の一生を超える50年という年月の長さと重みを思い知らされます。 日本全国でこうした鉄道関係イベントや記念事業が繰り広げられ、市中には鉄道100年記念グッズが出回っていました。これらは国鉄職…

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【1448】 北恵那鉄道40: 「廃線跡地のその後」(後篇)

北恵那鉄道廃線跡についてのシリーズ記事から10年以上経った今の様子をご覧いただく企画の後半です。文中「現況」としたのはこの2年程度のことで2020~2022年の様子を意味します。現況画像を過去の様子と比較するために、以前の記事に使用した過去の画像も使いまわしますのでご了解ください。 ◆並松駅跡 この10年でいちばん変わったのがこの駅でした。現況は住宅用地が造成され、駅の面影は消えてしまいました。 2019年にブログのコメント欄に、この駅跡の草刈りをされていたとおっしゃる方から、ついに宅地化されることになったとの情報提供をしていただきましたので、どのように変貌したのか確認のため翌2020年3月に中津川に出向いたついでに現地に立ち寄ったときの様子がこちらです。 上の画像は並松駅敷地の下付知側端部から駅跡を見た状態です。この駅は行違設備と貨物積込用の側線もあった駅ですので横幅が広いです。中津町方から下付知方に下っている地形なので、造成された部分は、並行する道路の高さに合わせて削られ、区画ごとに少しずつ段差が設けられています。自動車(アルト)が置いてある場所は、まだ削られていませんので、そこが線路跡の高さになります。アルトは中津町行の電車が並松駅に進入していくイメージで止めてあります。 上の画像正面奥には、建築中と思しき住宅が見えます。造成前の2010年12月にその住宅付近から逆方向(下付知側・上の画像の手前側)を向いて撮影したのが下の画像です。この画像の画面奥の樹木が見えるあたりが、造成後…

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【1447】 北恵那鉄道39: 「廃線跡地のその後」(前篇)

以前、北恵那鉄道廃線跡についてのシリーズ記事を連載しましたが、それから10年以上経ち、その間に鉄道があった痕跡が消え去ってしまった場所があると思えば、そのまま人の手が入ることなく自然に還りつつある場所もあります。鉄道の痕跡が次々と失われていくことは、往時を知る者にはさみしい思いがいたしますが、時の流れとはそういうものなのでしかたがありません。 今回は、そのシリーズ記事掲載以後に様相が変わった駅跡などを、2回に分けて数か所ピックアップしてご紹介します。文中「現況」としたのはこの2年程度のことで2020~2022年の様子を意味します。現況画像を過去の様子と比較するために、以前の記事に使用した過去の画像も使いまわしますのでご了解ください。 ◆田瀬駅ホーム跡 2020年3月の様子です。近年になってホーム上に家屋が建てられました。 下はその10年前、2010年12月の様子。(再掲) 家屋はまだありませんでした。 現況は家屋が建てられたものの地形の変状はなく、ホームは原形をとどめ、整備もされているので、十分に現役時代の面影が残されています。こうして地面に手を加えない状態で利用されていくことが、結果として長く遺構が残ることになるのかもしれません。 ◆栗本駅ホーム跡 2022年6月の様子石積みの擁壁の上は、かつて付知川に泳ぎにきた多くの人々が乗り降りしたホーム跡です。知っていなければホーム跡とは思えないほど灌木や草に覆われていました。地形自体は変わっていないようですから、整備す…

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【1446】 北恵那鉄道38: 「北恵那電車カラーの復刻バス」

今から44年前の今日9月18日は、北恵那鉄道最終営業日でした。感覚的にはまだ20年くらい前のような気にもなりますが、私がまだ車掌にもなっていない国鉄就職2年目のことだったと、当時の自分に戻って今日までの身の回りの出来事などを振り返れば、44年経っていることにも納得します。 北恵那鉄道株式会社は鉄道事業の廃止翌年に北恵那交通株式会社と社名変更して、今もバス事業を継続中で、2019年から旧北恵那電車カラーの復刻バス(以下電車復刻バス)を運転しています。下の画像の上側は北恵那交通オリジナル塗装のバスで、その下側が電車復刻バスです。先日用事があって中津川に出向いたところ、偶然中津川駅前のバス停に、その復刻バスが停車中でした。 すぐに発車して行ってしまいましたが、10分もしないうちにまた現れました。実は戻ってきたのではなく、それは別の電車復刻バスで、かつて在籍した電車ゆかりの登録番号を付けたナンバープレートを見てすぐ気が付きました。 あわてて撮影した不鮮明画像ですが、かろうじてナンバープレートは、上は「564」で下は「565」と読み取れます。 前面運転席側と車体側面に、かつて電車に車体に取り付けられた切り取りナンバーを模した字体で「564」「565」と書いてある(印刷してある?)のですが、上の画像では不鮮明で読めませんので、側面のナンバー部分の画像を下に貼っておきます。 「564」「565」は実在した電車のナンバーで、電車復刻バスの登録番号(ナンバープレート)もそれに合わせたのでしょう。「564」…

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【1416】 今年もやってきた国鉄の命日

また国鉄の命日が巡ってきました。毎年、日本の鉄道が国鉄時代から少しずつ変わってきたことを意識しますが、その積み重ねが今年で35回めになりました。地元中央西線では今月12日のJRダイヤ改正で、EF64-1000に混じって全区間でEH200が、多治見貨物にEF510が運用され始めました。 国鉄型電機EF64-1000の全般検査は、先月出場した1046号機を以て終了したとのことですから、これから徐々に稼働機が減ってゆき、消滅するのは時間の問題となりました。 また、名古屋~中津川間ではローカル列車の全列車8両化が実施されるとともに、運転区間が中津川を境に完全に分断され、新型車両315系がデビューしました。 その結果、211系の一部が廃車となり、そのなかには国鉄からJR東海に継承された211系0番台8両が含まれます。 このことはJR東海の所有車両が分割民営化後に製造された車両に統一され、国鉄から継承された車両が全廃となったことを意味し、私が乗務したことがある車両がJR東海から消滅したことでもありました。 2年後には名古屋~中津川間のローカル列車は新型の315系に統一されるとのことですから、国鉄はまたまた記憶の彼方に遠のいていくことになります。国鉄が民営化されて35年を経た今も、身近な中央西線は鉄道としての使命を果たし進化し続けているわけですが、日本の鉄道全体を眺めると、そうとも言い切れません。もはや鉄道としての使命を果たしていない線区がいたるところに散在しており、この先のJR線は新幹線と都市部だけ…

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【1385】 DD51の思い出(8 最終回) 稲沢のDD51人生いろいろ

長々とこのシリーズを続けてしまいましたが、今回で最終回となります。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 私が乗務した列車を牽いてくれたDD51は、ほとんどが稲沢第一機関区(のちに稲沢機関区)の所属で、一部の列車では亀山機関区の所属でした。いちばん多くDD51のお世話になったのは貨物列車の列車掛時代(1980年を中心とした約1年半)であったことは、以前にもこのシリーズ記事の中で書きましたが、その当時の稲沢第一機関区に配属されていたDD51について、1980年版(3月31日現在)の国鉄車両配置表で確認しておきましょう。 《稲沢第一機関区配置DD51=27両》 661 662 712 713 714 717 746 749 750 751 816 817 818 819 820 821 822 823 824 825 826 889 890 891 892 893 896 自分の乗務記録と照合すると、貨物列車乗務時代に27両すべてに乗務列車を牽いてもらっています。 それから5年後の1985年版(3月31日現在)の国鉄車両配置表ではどう変化しているでしょう。 《稲沢機関区配置DD51=33両》 555 556 557 558 587 588 589 590 591 592 712 713 714 746 749 750 751 816 817 818 819 820 821 822 823 824 825 889 890 891 8…

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【1384】 DD51の思い出(7)愛知機関区DD51 825

JR貨物愛知機関区所属のDD51の定期運行がこの3月のダイヤ改正で終了しました。 今から2年前に「【983】稲沢にて ~DD51 890に寄せて~」の記事で、稲沢生え抜きのDD51 890号機と891号機のことを書きました。その2両はその後、解体されています。その記事の最後に、私は「愛知機関区で稼働しているDD51はあと数両となりました。稼働機の中には稲沢第一機関区時代から在籍する825号機もいます。終焉までに一度くらいはDD51の「生エンジン音」を聴きに関西本線に出向こうと思っています。」と書いたのですが、その後、825号機は休車になったらしく、あれから一度もDD51に会いに出かけることがないまま愛知機関区のDD51は終焉を迎えました。それでも825号機は稼働機ではなかったとは言っても稲沢生え抜きの最後の1両であったことには違いなく、縁があった者として感慨深いものがあります。 DD51 825は1970年9月8日に三菱重工業で製造された機関車です。1970年と言えば大阪万博が開催された年で、この年10月からは国鉄の「DISCOVER→JAPAN」キャンペーンが始まり、首都圏では高島線のSL廃止イベントで東京駅からD51 791が運転されています。こうしたSLブームの真っただ中でDD51 825は誕生していました。中京圏でも東海道本線の名古屋~米原間でD51が牽くSL臨時列車が、DD51 825の新製日の一週間後となる9月15日から運転されたということですので、あるいはDD51 825の配…

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【1383】 DD51の思い出(6)展示機関車・保存機関車との出会い

JR貨物愛知機関区所属のDD51の定期運行がこの3月のダイヤ改正で終了しました。 DD51とはいろんな立場で関わりがありました。前回は旅先で見た「列車の先頭に立つDD51」の画像を集めてみましたが、今回はイベント会場で展示されていたDD51や、博物館などで保存展示されているDD51の画像を集めました。 (過去の記事で紹介したことがある再掲載画像を含みます。) ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ まずは、イベント等で展示されていたDD51から見ていきましょう。 1986年5月1日 DD51 891 笹島(再掲画像) 愛知県に鉄道が敷設されて100年になるということで、国鉄末期の春の大型連休中7日間にわたって旧笹島貨物駅で「愛知の鉄道100年フェア」というイベントがありました。その中でDD51運転室の試乗会が行われ、構内を往復していました。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ お召列車けん引機が、イベント時にお召装備を再現して展示される例はよくあります。 1987年8月22日 夏休みの稲沢機関区公開イベントに行ったときには、EF64 77とDD51 820との並びで展示されていました。(再掲画像) ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 2005年5月28日に出かけた恒例のJRおおみや鉄道ふれあいフェアでは、大宮総合車両センターでJR東日本のお…

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【1382】 DD51の思い出(5)旅先での出会い

JR貨物愛知機関区所属のDD51の定期運行がこの3月のダイヤ改正で終了しました。 DD51とはいろんな立場で関わりがありました。以前にブログ記事内やコメント欄に書き込んだことと重複することもありますが、その関わりについて関連する過去記事へのリンクを貼りながら進めています。今回は旅人として旅先で出会ったDD51の画像を貼っていきます。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 私は国鉄で乗務員として列車に乗っていた(正しくは乗らされていた)わけですが、国鉄在職中にはプライベートで列車に乗って旅に出るようなことはあまりありませんでした。仕事で列車に乗っていると、プライベートでは自家用車で出かけたいという気持ちが強かったのです。国鉄を退職してみると、こんどは仕事で、やたらと広い名古屋の道路や一方通行など交通規制だらけの狭くて混んだ市街地の路地を、会社の自動車で走ることが多くなりました。そうすると、その反動なのでしょうか。プライベートでは列車に乗って旅をしたいという気持ちが湧いてきました。そして国鉄の面影を残す未乗線区に乗りに行くようになり、ついには恥ずかしいことに、旧国鉄から経営形態を変えた線区を乗りつくすために、ほかに用もないのに全国各地に出かけるまでになってしまいました。すでにJRの旅客列車はほとんどが気動車や電車になっていましたが、乗換駅や折り返す駅に偶然に停車していたDD51が牽く貨物列車などにカメラを向けたこともありました。今回はそういう旅の途中に…

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【1381】 DD51の思い出(4)高山本線のDD51から見えてくる鉄道の移り変わり

JR貨物愛知機関区所属のDD51の定期運行がこの3月のダイヤ改正で終了しました。 DD51とはいろんな立場で関わりがありました。以前にブログ記事内やコメント欄に書き込んだことと重複することもありますが、今回は撮影対象とした立場で、高山本線で走っていたころのDD51について書いていきます。 ゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・゚*:。+◆+。・ 高山本線では、昭和42年度から3か年をかけた輸送近代化計画が実施され、そのなかで客車列車は気動車化、貨物列車はDD51によって無煙化を早期に達成した近代化線区でした。ここではDD51が国鉄分割民営化後まで長きにわたって使用されていました。主に国鉄時代に高山本線で撮影したDD51牽引列車の編成から、貨物列車と臨時旅客列車に分けて、昭和50年代中期から国鉄改革をはさんで21世紀を迎えようとしていた時期までの鉄道の変化を見ていこうと思います。 まずは貨物列車からご覧いただきましょう。 1979年2月24日 少ヶ野(信)~焼石 組成された貨車の種類がさまざまです。これは中間駅で貨物扱いをする駅が多く、途中駅で連結解放を繰り返していたことを現しています。もちろんこのころには岐阜・富山間全線にわたって直通する貨物列車の設定があり、昔からずっと続けられた全国ネットの鉄道貨物輸送があった時代のDD51の姿です。 1984年10月26日 鷲原(信)~下油井 国鉄も末期に近づいてくると、貨物取扱駅が集約されてゆき専用列車化が進み…

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